嘘つき
冷たい嘘。卑怯な嘘。下賎な嘘。優しい嘘。
シュレアの世界は、そんな嘘で溢れていた。
「今日は夕食を一緒に頂こうと…約束したではありませんか!」
「済まないシュレア。…嘘だ。」
魔族にとって、嘘とは真実と同じ程度当たり前の事だ。
その場を取り繕う為、相手を傷つけない為、相手を騙し陥れる為、魔族は平気で嘘を吐く。
それが魔族にとっての普通であった。
「それじゃあ、行ってくるよ。また人間が魔界に入り込んだんだ。」
「…行ってらっしゃいませ…お父様…」
魔族には元来、相手の心を乱す力が備わっている。故の“嘘”文化だった。
ただシュレアには、残念ながらその力は無かった。
シュレアの母親は、シュレアが72歳の頃に他界した。
シュレアの母親は、人間だった。
「どうしてみんな…わたくしに嘘を吐くんですの…」
シュレアの見る世界は、そこら中が嘘に溢れていた。
騙し欺き、見破り利用し、そうして魔族社会は回っていた。
「こ…これはどう言う事ですの!?」
「運が悪かったね、お嬢さん。」
シュレアは、毎日毎日騙され続けた。
そんな状態で自領の統治、拡大をこなせたのは、最早奇跡と呼ぶ他無かった。
「おいコレっぽっちか?」
「わたくしだって…余裕が無いんですの!」
「じゃ、他当たってくれ。」
「…ぐぅ…言い値でいいですわよ!もう!」
シュレアには致命的に、悪魔としての素質が無かった。
騙されやすさを財力で補い、補い切れなければ吸血鬼らしく他者を誑かす。
シュレアは、苦労の絶えぬ毎日を送っていた。
「…待っていて下さいまし。お父様。必ず、わたくしが救って差し上げますから…!」
そんなシュレアを支えていたのは、その場凌ぎの嘘1つのみだった。
嘘とは時に、甘い幻の様に夢を見せる。
甘い夢とは時に、生きる力を与える。
「やはり、ブラックポーションなど存在していませんでした。」
「…?」
甘い夢が大きく膨らめば膨らむほど、砕けた時の絶望も膨れ上がる。
「…そうですのね。」
血流が加速し、視界が赤色に染まり、右手に熱い物が宿るのを感じる。
シュレアは、斬撃を伴う手刀をティーミスに振るう。
(嘘ですわ…そうに決まっていますわ!お父様が助からないなんて、ある訳が無いですの!
…主君に嘘を吐く、礼儀知らずな隷属は、処分してしまわなくては!)
シュレアはその日、自分自身に嘘を付いた。
その代償は、大きかった。
「嘘つき嘘つき嘘つきウソツキウソツキ!!」
「ちょっと…落ち着いて下さ…」
紅色の斬撃が、次々とティーミスに降りかかる。
殆ど無軌道に技が放たれているのみではあったが、その威力と速度は、決して侮れる代物では無い。
「一体どうしてそんなに取り乱して…」
「死んで下さいまし!」
一際魔力の篭った手刀が、ティーミスの顔めがけて振り下ろされる。
ティーミスは咄嗟にアイテムボックスから、炎の魔剣を引っ張り出してそれを食い止める。
出来れば落ち着いて話し合いたい。シュレアを何が苦しめているのか知りたい。
ティーミスが幾らそう願っても、シュレアには届かない。
ふとティーミスの脳裏に、“戦って落ち着かせる”と言う単語が浮かぶ。
一体どうやれば、そんな事が出来るのだろうか。
「《血塊剣》!」
「っぐ…!?」
剣と血を交える戦いの果てに待っている物など、一つしか存在しないと言うのに。
シュレアの手には、赤一色の細長く優美な、いかにも貴族的な剣が握られている。
対するティーミスは、黒炎を帯び、直視するだけでも背筋の凍りつく様な威圧感を漂わせる大剣。
その構図は、主君と屈強な奴隷を連想させる。
ティーミスは、シュレアの動きを止めるのに十分な力を備えている。
シュレアが剣撃を繰り出そうとした瞬間、シュレアの手首を素手で固めて、その剣を止めれば良い。
そこに少量の魔睡を掛ければ、或いは魅了により拘束すれば、シュレアを完全に鎮圧できる筈だ。
話はその後ゆっくりとすれば良い。
「すー…はー…」
ティーミスは深呼吸をして、己が心を鎮めようとする。
落ち着け。
決して難しくは無い筈だ。
ティーミスは心の中で、自己にそう語り掛けた。
「はあああああ!!!」
剣を構え、前かがみになったシュレアが突進して来る。
ティーミスは剣を横に構え、防御姿勢を取る。
ティーミスは、シュレアの瞳を見る。
見てしまった。
「…!」
本物の殺気が篭った、鬼の様な瞳。
溢れんばかりの殺意と憎悪の篭った、悪魔の瞳。
「ご…が…っは…」
ティーミスが我に帰った時には、もう遅かった。
シュレアの胸に深々と突き刺さった魔剣は、その切っ先をシュレアの背中から突き出している。
炎によって、布と肉の焼ける音と臭いがする。
ティーミスの顔は、体は、返り血により真紅に染まっていた。
血が目に滲みる痛みが、これは現実だと、ティーミスに突き付ける。
ティーミスは恐れを知らぬ勇者でも無ければ、全てを抱擁する女神でも無い。
吸血鬼の殺気を向けられれば、11歳の少女の心境など決まっている。
ティーミスは、シュレアの殺気に恐怖し、反射的に体が動いてしまった。
「…そんな…」
ティーミスの瞳が、シュレアの血を写した赤一色、或いは恐怖一色に染まる。
シュレアの瞳から、少しづつ光が消え失せて行く。
ティーミスはその日、ヴァンパイアハンターになった。
「かっは…はは…負けたん…ですの…」
シュレアが、その口から血を垂らしながら、少し清々しい口調で呟く。
「ごめんなさい…!ごめんなさい…!ごめんなさ…」
「…貴女を隷属にしようだなんて…間違っていましたわ…」
主君より隷属対象の方が強い場合、術は成立しない。
これは吸血鬼の常識だった。
実際は、ティーミスのパッシブスキルによるものだが。
「もしかしたらわたくしは…この日を待っていたのかも…知れません…」
本当はシュレアも気付いていた。
【萎死の呪い】の特性を。
「魔族は魔族らしく…人間に殺されるのが…お似合い…ですわ…」
「…!そんな事、言わないで下さい!」
ティーミスはいつしか、シュレアに今の自分を重ね合わせていた。
当てもない夢に縋り、実るとも知れない努力を積み上げ、そして、いつか自分を倒す勇者を待つ。
シュレアはただの誘拐犯で、ティーミスはただの被害者だが、今やそんな事は何も関係無かった。
ティーミスは、倒れるシュレアをそっと膝の上に乗せる。
「…人間…そう言えば…貴女の名前を聞いていませんでしたね…」
「ティーミスです…ティーミス・エルゴ・ルミネアって言います!」
「…ティーミス…ふふ…嘘つきには贅沢な…ステキなお名前ですね…」
シュレアの四肢の先が、徐々に黒い瘴気と赤い液体となって溶けて行く。
「…ティーミス…様…覚えてて…くださるかしら…?…わたくしの…事…」
「忘れません…絶対に…例えこの世界の全てから貴女の痕跡が消えても…私が生きている限り…絶対に!」
「…ふふ…」
シュレアは、その上体を若干起こす。
「…知ってますか…ティーミス様…」
シュレアは、最期の力を振り絞り、その上体を起こす。
「…嘘つきは…泥棒の始まりなんですのよ…」
「…?」
シュレアは、ティーミスの唇を奪った。
ティーミスとシュレアはその日、嘘だらけの世界の中の、真実の愛を事を知った。
〜〜〜
「だめだ!こっちの稲も全滅だ!」
「何だってんだ…冬には早すぎるだろ!」
ジョッグドゥーム監獄より南に300km地点。
とある集落。
地質学者の見立てよりも、状況は酷いものであった。
2年と言うのはあくまで大陸全体が氷雪地帯と化すまでのタイムリミット。
雪を伴わずとも、気候の低温化は既に広範囲に広がっている。
魔法設備や文明設備の行き届いていない集落などには特に、その影響は顕著なものだ。
「心配するな。明日には帝国からの支援物資が来る。それまで持ち堪え…」
「……」
「どうした?」
「…今朝、帝国から通知が来たんだ。…先週付けで、生活物資の配給は終了だって。」
「…は?」
「ありもしない契約期限が切れたとかで、あいつら、僕たちを見捨てやがった…」
「…おい、俺たちに飢えて死ねってのか!」
帝国本土には外気温を遮断する結界もあれば、安定した食料供給の当てもある。
ただ、寒気で飢えた村々の全ての面倒を見られる程の余裕は無い。
この集落に人々は、毎月一銭の滞納も無く税金を納めた。
帝国は完全に、トカゲの尻尾切りをやってのけたのだ。
「…あのクソッタレども…!」
「駄目だ、近隣の村も全部うちみたいな調子だ。」
「と、取り敢えず、今いる家畜を全て干し肉に変えるんだ!今冬は何とか凌ぐんだ!そうすれば…きっと…!」
雪の姿をした絶望は、少しづつ、帝国の信用と帝国の傘の下生きてきた者達を覆い隠し始めた。




