嘘
昼下がり。
とある名も無き平原。
「…俺はもう…ダメみたい…だ…」
気温22℃。
それは彼等にとって、命を削る地獄の猛暑であった。
「何を言ってる!こんな所で諦めちゃ駄目だ!」
「…水が無いんなら…俺の血を使え…俺は此処に置いてっていい…」
「駄目に決まっているだろ!ちょっと待ってろ!」
元々は、老人や女子供を中心とした旅の筈だった。
ただ、その殆どは平均気温20℃前後の猛暑と、歩き通しの過酷な旅に耐える事が出来ず、道半ばで倒れて行った。
残っているのは、男の若者6人、女の若者7人、老人一人、子供9名。
出た時の三分の一にも達していなかった。
「俺たちで一緒に見ようって約束しただろ!集落の名前も決めようって、約束しただろ!」
「はぁ…悪い…じゃあ…お前が勝手に決めとけ…」
「そんな事は絶対にしない!させてたまるか!俺は!」
その時、旅団の中の一人の男が、手に持っている羅針盤を見て叫ぶ。
「おい!反応してるぞ!」
旅団の中の一人の女は、鼻をすんすんと鳴らしながら叫ぶ。
「…雪の匂い…雪の匂いだわ!」
青年はそれを聴くと、自身の手首を噛み切る。
「お前…何を…」
「良いから!飲め!」
青年は自身の手首の傷から滴る、冷気を纏った透明な液体を膝の上の友人に無理矢理飲ませる。
「…」
「よし、捕まれ!」
青年は若干生気を取り戻した友人をおぶると、その何も無い草原を駆け出して行った。
仲間達も、それに続く。
「は…は…はぁ…あった…」
何も無い草原に唐突に現れた、白銀の世界。
そこは、生命を拒絶せんばかりに暴雪風が吹き荒れていた。
「あったぞ!楽園だ!」
旅団は、暑さから身を守る為の外套を脱ぎ捨て、その白銀の地に飛び込んで行く。
雪の下には平原に生えていた物と同じ種の草がある事から、この雪原が唐突に現れた事が伺える。
「この雪の魔力…濃度がエルセーの倍以上だ…此処なら住めるぞ!」
「見て!スノーウィスプよ!」
「此処ならクリアフルーツも育ちそうだ…」
彼等の名前は、スノーエルフ。
極圏エルセーに人の手が入り住処を追われた彼等は、風の噂にこの地を聞き、新天地を求める決死の行軍に臨んだ。
その結果は、この通りだ。
「生きてるか。」
「あいにくな。」
「じゃ、決めようぜ。此処の名前。」
生き残れるのは、最も強い者でも、最も賢い者でも無い。
強く、変化でき、賢く、適応できる者だ。
〜〜〜
魔界の一角にある、とある魔王城。
魔王の部屋。
「紅茶に角砂糖はどうですか?魔王様。」
「うむ、では二つほど。」
とある地上の村を滅ぼし終えた魔王が、平穏な午後を送っていた。
紫色のローブを身を纏った羊頭の魔王ブールだ。
「魔王様、人間のパーティが二組ほど、先程門番に討伐されたとの事です。」
「相変わらず、人類とは懲りぬものだな。」
「全くでございます。ほほほほほ…」
と、魔王の部屋の扉が唐突に弾き飛ばされる。
「…何だね?」
土埃の中に、小さな少女が一人立っている。
ティーミスだ。
体に見合わぬ大剣を地面に引きずり、その顔は俯いている。
魔王の側近であるスケルトンが、指を顎に当てながら、まじまじとにじり寄る。
「おやおや、もうダンジョンをクリアしてきたのですか。随分と…」
「壁をぶち抜いて直接来ました。急いでいるので。」
「…ほう?」
と、タキシードのスケルトンは、ティーミスの頰に見覚えのある紋章が描かれている事に気付く。
「貴女、ロードハート家の者ですね?何者ですか?」
「…自己紹介が必要なら名乗っておきます。私はティーミス・エルゴ・ルミネア。
ロードハート家、1日奴隷です。」
ティーミスの頰に刻まれた紋章の下には、洒落た文字で“1Day”と書かれていた。
当然、吸血鬼には対象を1日だけ眷属にする能力など存在しない。
その紋章は魔法により刻まれた者ではなく、肌の表面にインクで書かれた物だった。
「随分と悪趣味なごっこ遊びでございますね、人げ…」
ティーミスは、その手に持っている黒炎の魔剣の切っ先を、そのスケルトンの喉元に突き立てる。
「ブラックポーションは、何処ですか?…いえ、違いますね。
ブラックポーションは、存在しますか?」
「ぶらっく…?」
と、その様子を睥睨していた魔王が、憤慨した様子で立ち上がる。
「何なのだ貴様は…我が王城の外壁を破壊した挙句、我が私室に土足で踏み込もうとは!
魔王の怒りを、貴様に見せて…」
「…っぺ。」
ティーミスはその口から、蛍光ピンクと漆黒のマーブル色の液体を、魔王の顔目掛けて吐き出す。
「う…何だこれは…ぐあああああ!?」
魔王の巨体からはよろよろと力が抜けて行き、その場に倒れ込んでしまった。
ティーミスは確かに魔睡薬を克服したが、決して体から消え去った訳では無い。
最上位魔睡薬は、一定以上体内に入り込んだ場合、その生物の体液を魔睡効果のある物に変質させる効果がある。治療に困難性を持たせる為の物だ。最も、大抵の場合はその前に対象は死に絶えるのだが。
ティーミスの体液全ては、永遠に消えぬ毒性を得た。
「魔王様!?…貴様…」
ティーミスはスケルトンの右肩骨を鷲掴みにすると、指で骨を砕き、腕をもぎ取ってしまった。
「ぎゃあああ!?」
「もう一度聞きます。ブラックポーションは何処ですか!」
「そんな物ある訳ないだろう!魔族は自己治癒に秀でている分、外部からの治療を極端に受け付けないのだ!」
「…やはり…嘘なんですか?」
「あの時は、弱小種に構っている時間など無かったんだ!
ロードハート当主の掛かったのは【萎死の呪い】!解除法など存在しない!」
「…それだけ聞くことが出来れば十分です。」
ティーミスは魔剣を下ろすと、昏睡状態にある魔王と、恐心状態のスケルトンに背を向ける。
「さようなら。」
ティーミスは自身の背後に空間の歪みを出現させる。
別に何と言う事は無い。
ただ、調べた結果をシュレアに報告すれば良いだけだ。
“カラリ…”
ティーミスの足元に、粉々に砕かれたスケルトンのかけらが転がって来る。
部屋の中には、かつて魔王だった黒い瘴気が立ち込める。
ティーミスはその様子を見ると、一つ、乾ききった笑いを零す。
勇者を待つよりも、こちらの方が手っ取り早い。
ティーミスの体が、空間の歪みの中に消えて行く
次の瞬間には、ティーミスはロードハート家の応接間に出現していた。
「どうでしたの?何か分かりました?」
シュレアだって、とうの昔に感づいているに決まっている。
「やはり、ブラックポーションなど存在していませんでした。残念ながら、貴女のお父様の治療はできないみたいです。」
「…?」
少なくとも、これがティーミスの手に入れた真実だ。
どうって事のない、ありふれた真実。
「…そうですのね。」
ティーミスの鼻を、削れた鉄の様な刺激臭が突き刺す。
「…にえ?」
「迂闊でした…人間とは、そう言う生き物でしたわね!」
シュレアの手から紅い斬撃が放たれ、ティーミスは間一髪で体を右に逸らし避ける。
「!?」
「ダンジョンに追い返されたならばそう言えばいいのに、魔王に勝てなかったのならばそう言えばいいのに、何も分からなかったのなら、そう言えばいいのに!」
「…あの…」
「嘘…嘘嘘嘘ウソウソウソウソ!!!」
十字型の紅い斬撃が、ティーミスに向かって繰り出される。
“血術”。
吸血鬼特有の、攻撃及び自己治癒に特化した魔術だ。
「嘘で取り繕って、塗り固めて、そうやって恥をかかないように逃げて、メンツを守る為に逃げて!
…そうですの。わたくしの、貴女へのこの気持ちだって、きっと嘘ですわ…!」
なんて事ない、ただの事実。
その事実は、一人の吸血鬼の精神を破綻させるのには十分だった。
「許さない…わたくしに嘘を吐く…愚かな下等生物が!身の程を…教えてあげますわ!」