ただいまと言えたなら
「…え…?」
森を抜けたティーミスが見た物は、植民地と化したアトゥの姿だった。
街並みも雰囲気も全て帝国に塗り潰され、前とは比べ物にならない程に、繁栄していた。
ティーミスは立派な門番が二人もつく、大きな凱旋門の前に立つ。
今日は風も殆どない為、細心の注意を払えばこの格好のままでもギリギリ行けそうだ。
「ん?貴様、何者だ!」
門番の一人が、ティーミスを呼び止め近寄って来た。
帝国領に変わった為、警備も一段と厳重になったのだ。
「その容姿、その格好…間違い無い。」
(…まずいです…もうバレてしまいそうです…!)
「貴様、エルフだな!」
「?」
ティーミスはその容姿から、よく亜人種と間違えられる。
実際、ティーミスの父夫方の高祖父はエルフだし、母方の祖母はフェアリー、サキュバスとエンジェルの高祖母も居る。
ティーミスのその容姿は、様々な種の長所が組み合わさった奇跡の賜物であったが、分類としては一応は人間だ。
もしかすればティーミスの“前世”が、そう注文したのかもしれない。
「は…はい。その…森渡りの途中で立派な街を見つけたものでして。」
「それはそれは、実はこの街、2年前に出来たばかりなんですよ。何も無い平原を、我が偉大なるケーリレンデ帝国の国力と技術力を駆使して開拓し、今やこの様な大都市にまで発展しました。ささ、ごゆっくりしていってください。」
基本的に、森の外を単独で出歩くエルフは、冒険者でも無い限りは、森渡りと呼ばれる儀式を行う身だ。
詳しいことはティーミスにも分からないが、何箇所かの森を回り、それぞれの森を収める大神と呼ばれる存在に触れ、自らの魔法や知識を更なる高みへと至らせるのだ。
ティーミスはぺこりとお辞儀をすると、その凱旋門を潜っていった。
森渡りを行うのは、決まって高位な身分のエルフだと言う知識は、人間にも浸透していた。
森渡り自体は、修行といえどかなりマイルドな部類の為、物見遊山半分で興じる者も居る。
扱いとしては、身分の保障された観光客の様な物だ。
(た…助かりました…)
森渉り中のエルフで通せば、それ以上身分の詮索がされることは無い。
更に、危なっかしい格好をしていても、“エルフだしそう言うもの”で片付くと言う。正に一石二鳥だ。
しかし、それとは別に、ティーミスの心には引っかかるものがあった。
「何も無い平原を…開拓…」
帝国にとって、アトゥとはそう言うものだったのだろうか。
アトゥの歴史は、文化は、人々は、何も無いと同義だったと言うのか。
『ああああああ憎い!憎い憎い憎い!!!ちょっとデカイからって踏ん反り返りやがって!呪ってやる…必ず暴滅させてやる!絶対に!』
ドスリと、ティーミスは自分の頭を殴った。
確かにこれもティーミスの意思だが、今は必要の無い衝動だ。
「そうだ。お家に帰らなきゃ。」
廃墟でも良い。跡地でも良い。別な建物が建っていても良い。
ただ帰省本能のままに、最後に見た時とは比べ物にならない程に進歩した、カントリーな建物で彩られた街道を歩いて行く。
十字路を左に、坂道を登って、小高い丘の上を目指す。ただ我が家を目指して。
「……」
家は、変わらぬ姿でそこに建っていた。
否、玄関先には二頭付で豪勢な造りの馬車が停まり、庭も優雅な石膏像や、見たことの無い品種の花々で埋め尽くされていた。
しかし、ティーミスが母親と共に植えたマーガレットの花は、たった一本も残ってはいなかった。
その家は、ティーミス達が居た頃よりもずっと輝いており、家もどこか幸せそうだった。
その輝かしい我が家が、思い出の跡形も無く消え去った我が家が、残忍にティーミスの心を抉る。
自分を、自分達の存在を、面と向かって“間違っている”と否定されている様な物だった。
「ああ…あああ…」
(…そうなんだ…そうだったんだ…悪っていうのは、こうやって生まれるんだ…)
ティーミスの根幹の何かが、音を立てて崩れる。
悪者は絶対悪で、正義によって滅ぼされるべき存在だと思っていた。悪が、いつか亡び去る日がくるのだと思っていた。
ティーミスは悟ったのだ。自分に残されたのが、もう悪と復讐の道しか無いと言う事が。
ただ幸せを、自分への価値を追い求めるだけで、この世界にとってはそれが悪だという事が。
「……すん……」
ポタリポタリと、大粒の涙が地面に落ちる。
あれだけ悪や曲がった事を嫌ったティーミス自身が、今日この時を持って悪に堕ちるのだ。
ティーミスの存在を、積み上げた屍でしか証明出来なくなったのだ。
ただ、100人と1人のどちらを助けるかで、見捨てられた1人になってしまっただけだ。
誰が悪い訳でもない。ただティーミスが、たまたまそう定められた運命なだけだ。
「……憎い……帝国……」
冷え固まった金属を無理やり叩き折り曲げる様に、ティーミスは自身の心を、醜く歪めようとする。
無理矢理に、黒く醜く染め上げようとする。
「…憎い…憎いよ…!」
ティーミスの涙が流れ落ち続ける。
世界の全てが敵に回る。世界の全てが、ティーミスに対して憎悪の目を向ける。
本当は、ただ家に帰りたいだけの、寂しがり屋な少女なのに。
「…壊してやる!全部…全部…ぜんぶ…」
本当はただ家族が恋しいだけの、傷付き疲れ果てた、独りぼっちの女の子なのに。
意味もあるとも知れない破壊でしか、自分を表現出来ない存在なり果てるのが、怖い。
誰からも愛されず、刃を向けられ、憎悪を向けられ、夜闇に怯えながら瞳を閉じる毎日が、怖い。
孤独が怖い。憎悪が怖い。愛されず、心が枯れていくのが、怖い。
「おい子供!そこを退け!」
ティーミスの右方向から、馬車が一台進んでくる。
この家の今の主人である、“自称”大貴族、ルーベンだ。
馬から降りようともせず、脂ぎった肉が何段も積み重なり形を成したかの様な男は、虫か何かを見るような目で、ティーミスを見下ろした。
「そこを退けと言っている!…うううううう!!!この大貴族様の視界に入り、更にはそうして行く手すら阻むとは、なんたる不敬!護衛兵!あれを殺して木にでも吊るしておけ!」
大粒の汗を額や肉のシワというシワから噴き出しながら、ルーベンは唾を飛ばしまくし立てた。
「は!ただ今!」
馬車に付き添っていた、槍を持った二人の兵士がティーミスに駆け寄る。
「はあ、災難だったな。動くなよ?急所を…」
槍を構え狙いを定めていた兵士は、次の瞬間には槍を残して消えていた。
バキリ、バキリ、ボキリ…
怪物化したティーミスの左腕が、兵士の一人を鎧ごと貪っている。
「ひ…ひいいい!」
驚き尻餅をついたもう一人の兵士に、ティーミスはゆっくりと歩み寄る。
「…動かないでください。急所…なんてあってないような物ですが。《残機奪取》。」
ティーミスが鳩尾のあたりをギリギリまではだけると、病んだ画家が殴り描いた様な赤黒の悪魔の腕が飛び出す。
「ぎゃああ…ああ!?」
ティーミスが身につけているのは、相変わらずふっと風が吹くだけでアウトな歪なローブマント。
至近距離まで寄ったその兵士は、最後にティーミスの全てを見ただろうか。
ティーミスは、その兵士の命を少しゆっくりと攫った。
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【雇われ槍兵×2】を倒しました。
128EXPを獲得しました。
おめでとうございます、レベルが7→8に上がりました。
スキルポイントを2獲得しました。
次のレベルまで、あと539EXP
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ルーベンは馬で逃げようとしたが、どうやら速度が出ないらしい。
ティーミスの顎腕は、ルーベンの馬も丸ごと喰らう。
残ったのは、芋虫の様に地面を這いずる“自称”大貴族、ルーベンだけだ。
「ひ…ひいいい!何だ貴様!この大貴族様に刃向かうというのか!」
この醜い生き物をどうしようか。
これの命を引き抜くのは気が引けるし、栄養価は高いだろうが身体にも悪そうだ。
(そうです。あれを試してみましょう。)
ティーミスは、くいと中指と人差し指を動かす。
「《招集》【歩兵】」
と、顎腕が突然ドロドロと半壊し、大きな赤黒の液塊が二塊、地面にバシャリと落ちる。
赤と黒の絵の具が解け合わずに混ざった様な液体が、次第に形を成して行く。
そうして産まれたのは、黒く軽めのフルプレートに身を包んだ、紅色の二人の剣士。
身長は2メートル程で、どちらも赤く煌めく剣を手に持っていた。
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徴兵力 80/100
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「それを殺して木に吊るしておいてください。」
歩兵達は物言わずに、大貴族の前に立つ。
「や…やめろ!私を殺したらどうなるか知っているのか!私は、このアトゥ植民区の領主だぞ!!!帝国を敵に…ぎゃあああああ!!!」
ティーミスは、切り刻まれるルーベンとは反対方向を向いた。
家のある方に。自らの所業から、目を背けられる方に。