サクリファイススマイル
「アサ。」
騎士達による別働隊を最後に、この竜の領域に踏み入る者は居なかった。
無事に朝焼けを見届けたカーディガンドは、細く息を吐き、長距離飛行の為に翼の準備運動をする。
グオオオオオ!?
不意に、先程まで穏やかな眠りについていた筈のドラゴンの一体が絶叫を挙げる。
“う…うわああああああ!?”
別なドラゴンは不意にカッと目を見開いたかと思えば、発作でも起こしたかの様にしばしの間翼をバタつかせ、パニックになる。
「ナンダ!?」
その押し潰されそうなほどの強烈な気配に、下等種はまだしも、語性のある者まで様子がおかしくなっている。
凄腕の冒険者か、はたまた相当値の張るドラゴンスレイヤーか。
「ビンゴですね。」
カーディスガンドは、声の聞こえる背後を振り向く。
竜の領域である小さなメサ地帯に、人間の少女が一人。
ティーミスの余命は差し迫っている訳ではないが、のんびりしている時間も無い。
進捗達成に求められるのは、効率性だ。
危険度8以上、等級制度第9以上の敵など、普通ならばそうそう出くわすことは無い。
ただ、ティーミスはその“圧倒的な強者”には心当たりがあった。
「おはようございます。ドラゴンさん。」
「…ドラゴンスレイヤー…?」
カーディスガンドは仕切りに鼻をひくるかせるが、突如口を覆い嗚咽を漏らす。
「…!」
死体と、腐った死体と、それから鉄の臭気。ユウガオの花の甘い香り。世界中を回った筈のカーディスガンドすら知らない、どこか遠い土地の匂い、寝起きの少女の匂い。
「…ナニモノダ…」
「ティーミスって言います。女の子です。」
ティーミスの瞼は、半分ほどが眠たそうに落ちている。
“人間如きがこの聖域に踏み入り、ましてや龍と言葉を交わす事など許されると思ったか!”
4m程の体格を持つ、紺色のドラゴンがのそりと起き上がる。
二足歩行で、他のドラゴン程の大きな翼は持っていない代わりに、その巨体を支える為の強靭な四肢が目を惹く。通常ならば、船も鳥も寄り付かない荒い海域で暮らしている第十等級モンスター、ウォータードレイクだ。
ティーミスはそのドレイクの方を向くが、ウォータードレイクは怯まない。
“《撃威圧》がこの我に通用すると思ったか。身の程知らずの愚かな人間め…”
ウォータードレイクは、その口内に魔力を集中させると、他のドラゴン達はウォータードレイクとティーミスからすうと退避していく。
カーディスガンドは付近の岩の上に乗り、事の成り行きを見届ける。
“海の藻屑となれ《ズィ・ワイバーンダイダルウェイブ》!”
ウォータードレイクの口の前に展開された魔法陣より、毎秒10tにも及ぶ海水が一直線に放出される。
小さな島ならば数秒で真っ新な状態にまで還す、口から放たれる津波だ。
ティーミスは炎の魔剣を取り出し、硬く安定したメサの地を蹴り大きく跳躍する。
“愚か者め!”
ウォータードレイクはブレスを切り上げると、口元に展開されたままの魔法陣から、今度は巨大な水球を3発、空中のティーミスに向けて発射する。
ティーミスが魔剣の柄をぎっと握り締めると、魔剣の帯びる黒い炎がその火力を増す。
バシャ!バシャ!バシャ!
魔剣に触れた水球は一瞬で、ただの大量の海塩に変わる。
“な!?”
次の瞬間にはオーシャンドレイクの頭が、水の張ったメサの地に、バシャリと音を立てて落下する。
熱により断面が焼け爛れている為、流血などは起こらなかった。
海の支配者に相応しい、清らかな最期だった。
ティーミスが地面に魔剣を突き刺すと、魔剣とティーミスの周囲の水だけが蒸発し、ティーミスは海の上に空いた円形の乾いた大地に立っている状態だった。
否、メサの地面すら少しずつ溶け始めている。
“…何だと…奴が…敗れたのか…?”
普通に戦闘をすれば、確実にティーミスが敗れていた。
この勝利は、ティーミスお得意の“強制初見縛り”&“初見殺し”によって齎されたものだ。
対策させる暇も与えない。中途半端な強者がやっていく為の、理にかなった戦法だ。
“ギャアアアアア!”
ドラゴンが1匹、いや3匹ほどが退避しようとする。
ティーミスは魔剣を巨剣に持ち替え、地面に足をつけたまま、空を飛ぶドラゴンを全て斬り殺す。
今の今まで絶対的強者として君臨していたドラゴンには、初見殺しをされたでは無く、たった一人の人間に負けたと言う事実だけが突き刺さる。
どんな強者であろうと、背を向け逃亡を図ろうとした瞬間、敵の目の前に心臓を差し出すも同義だ。
ティーミスを中心に、世界の形がまた一つ歪む。
“ゴオオオオオオ!”
今まで事態を睥睨していただけのドラゴン達が続々と起き上がるが、次の瞬間には、首筋に刻まれた細い傷口から、主に赤色の血を吹き出しながら絶命する。
「ぐるる…」
「凄いですピスティナちゃん。前よりも、さらに動きにキレが出てます。」
「あう!」
目標としては9体だけを仕留めるべきなのだが、どうせ逃してはくれない。
ティーミスは巨剣を右肩に担ぐと、真っ直ぐと、カーティスガンドの顔を見つめる。
(…バケモノ…コイツヲ…ノバナシニスレバ…セカイガアブナイ…デモ…)
カーディスガンドは、ふと自身の右肩を握る。
カーディスガンドは、生まれて初めて恐怖に震えていた。
ティーミスは既に生命体として、ドラゴンの上位に君臨してしまっていた。この世界の地上では今まであり得なかった事。これからもあり得ない筈の事。あってはならない事。
「ヤメロ!」
「?」
ふと、カーディスガンドは口を覆った。
ティーミスに、一体何をやめて欲しかったのだろうか。
殺戮だろうか?自身も繰り返してきた事を、少女にやめろと言ったのか?
それとも、これ以上強くなる事だろうか?世界の形が変わってしまわないように?
「…フ…」
カーディスガンドは、全てを悟ったかの様に笑った。
ドラゴンの文明には、こんな教えがある。
“理解と言う形を作ってはならない。形あるものはじきに滅びる。”
カーディスガンドは決め切ってしまっていた。
ドラゴンこそが地上を統べる頂点種だと。
敵といえば竜斬り達が細やかに抵抗するのみの、完璧なる絶対種だと。
違う。
ドラゴンもまた、この地上に生きる生物の一種でしか無い。
結局は、生態系を担う一種でしか無い。
地上に生きる以上、己が力に自惚れし、先人の築き上げた玉座に。いつまでもふんぞり返る事など許されはしない。
ドラゴンの群れと一人の人間の少女の、生存競争の開幕だ。
「ガアアアアアア!」
例えそれがどれほどに強大な存在だったとしても、どれほどまでに崇拝され、畏怖されて来たとしても、結局、この地上で生きる一生物種でしか無いのだ。
カーディスガンドの、開戦を告げる咆哮がメサを包む。
ティーミスはその5メートル程の巨剣を、力一杯振り下ろす。
「肩…が!」
ティーミスはこの巨剣を発泡スチロールの様に扱っているが、あいにくこの巨剣は発泡スチロール程軽くは無い。
片手では愚か、そもそもこの巨剣は人間が使うものでは無い。
「砕けちゃいました。痛いです。」
そう呟いたティーミスは嬉しそうにしている。
厳密に言えば砕けた訳では無く、脱臼からの骨折だが。
“ギャウアアアアアアアアアア!”
比較的小柄なドラゴンが、そのスピードを生かした急接近をし、至近距離からの吐炎を浴びせる。
ティーミスは炎を振り払う為に、脱臼した肩で大剣を持ち上げようとして、少女らしい心変わりを起こす。
魔剣から手を離し、美しい髪の毛を守る為にフードを被り、ユウガオのタトゥーを隠すために少し上着を引っ張る。
「?…ナンノツモリダ…」
逃げも隠れもしないティーミスは、当然、全身に竜の吐炎を受ける。通常の生物ならば、一瞬で蒸発してしまう超高温ブレスだ。
太ももや胴体等の露出部は勿論、愛らしい顔や綺麗な手、その全てが焼け爛れていく。
瞼は溶け、爪は剥がれ落ち、ティーミスは、熱による絶命の痛みを味わう。
ーーーーーーーーーー
あなたは【重度火傷】を受けました。
【重度火傷】
一定時間毎にダメージを受ける。戦闘中の場合、このダメージは3倍になる。
(一定以上の回復行動によって解除されます。)
《効率装甲》発動しました。
戦闘終了まで、あなたは以下のバフを獲得します。
【火属性耐性】
【竜術耐性】
ーーーーーーーーーー
右手を横一文字に払い、ティーミスは炎の中からよたよたと出でる。
右腕は半分ほどが溶け落ち、布の掛かっていなかった太ももや腹は黒く焼け焦げている。
「…鏡…ありますか…?」
ティーミスの顔は、左半分はほぼ無傷だったのに対し、右半分は完全に焼け、黒く焦げた皮膚がめくれ落ち、所々から顔の筋肉が露出している。
「マダイキテイタカ…ヤレ!」
今度は、今までティーミスを睥睨していたドラゴン達が、炎を湛えた口を開ける。
渦上、放射状、霧状、様々な炎の吐息がティーミスを包み込む。
先ほどの10倍は下らぬ火力だ。
ーーーーーーーーーー
あなたの耐性が適応される攻撃です。
ーーーーーーーーーー
ただ、ティーミスの体にそれ以上火傷が増えることは無かった。
ティーミスは、眠たそうに瞼で半分隠れた左目と、瞼が焼け落ちた丸い右目の両方でカーディスガンドの事を見つめ、そして、はにかんだようににっと笑う。
常人ならばとうに息絶える程の重傷。ティーミスのその姿は、既に人間のそれでは無い。