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帰路

若い女性と幼い少女が、夕日を浴びながらアトゥ公国の商店街を歩いている。

二人は親子だが、年の離れた姉妹の様にも見える。


「マ…お母様。お母様はどうして使用人を使わないのですか?」


ティーミスは、挫いた足をいたわって歩きながら母にそう問いかける。

貴族ならば、普通は買い出しなど召使いに任せる物だが、ルミネア家は使用人の類は殆ど雇わなかった。


「ティーミスがこんなに可愛いんだもの。独り占めしたいでしょう?」


「ええ?じゃあ、どうして馬車を使わなんですか?」


「…ティーミス!上を見て!」


「にゃ!?」


「空。素敵じゃ無い?どこまでも広がる、果ての無い空って。」


「は…はあ…」


煉瓦色の髪を後ろで一纏めにした、茶目た女性。シャーロット・エルゴ・ルミネアだ。

8歳の少女ティーミスとシャーロットは、17歳差だ。


「…変な事言うお母さんだって思った?」


「はい…まあ…」


「ふふ。…私がまだ奴隷だった頃はね、暗くて狭い檻の中が世界だったんだ。」


シャーロットは襟を少し広げ、右の手首に焼き入れられた緑色の刻印をティーミスに見せる。

どの方向から見ても逆さを向いた骸骨のモチーフだ。


「これがあの酷い場所で、あたしが生きていけた理由。17歳で貴女を産めた理由。」


奴隷商会が、手間を掛けずに商品を長持ちさせる為に刻む【再生の刻印】だ。


「……」


「てね。もう過ぎた話よ。今は可愛い貴女も、素敵な旦那様も、平和な毎日も全部在るもの。

だけど、こうして空の下で貴女と居る時間が、とっても幸せなの。」


ハーフエルフであるシャーロットは、元はとある小さな森に住んでいた少女だった。

ただ、シャーロットの住む森はケーリレンデ帝国の冬の暖と火薬に使う木炭の為に文字通り更地に変えられ、そこに住んでいた力の弱い妖精達は、野属に捕まるか殺されるかだった。

シャーロットはその容姿によって人買いに目を付けられ、その半生を奴隷として生きてきた。

文字通り、18年の一生のきっかり半分をだ。


「…ねえティーミス。」


「何ですか?」


「ずっと一緒に居てくれる?」


「家族ですもの。当然です。」


「そっか、そだよね。」


ティーミスとシャーロットの歩く道が、少しづつ上への傾斜を帯びて行く。

丘の上にある、ティーミス達の我が家が近い合図だ。


「そう言えばティーミス、貴女はどうして普段から敬語なの?」


「いざという時に忘れそうだからです。」


「ふふ。貴女は本当にしっかり者ね。きっと将来は立派なお嫁さんだね。」


ティーミスは何も言わずに、少し照れたように俯く。

騎士に嫁いで“立派なお嫁さん”になる事こそ、ティーミスが目指す先だった。

学識とその容姿があれば、決して壮大とは言えない将来の目標だ。


「誰だっけ?あの、黒髪でやんちゃで…」


「れ…レックスの話はしないで下さい!」


「うふふ、貴女は本当に可愛いわね。折角だし、今日はそんな可愛いティーミスの為に、夕食はシチューにしましょ。」


「!」


俯き加減だったティーミスの顔は、それを聞いた途端にパァと明るくなる。


「もー、本当に可愛いんだから!」


「にぁ!?」


ティーミスは、色々な場所の血が止まりそうなほどの熱い抱擁を受ける。

ティーミスは若干目に涙を溜めたが、抵抗する事は無かった。


「ほら、そろそろ着くわよ。」


足を痛めている事も忘れ、ティーミスは家へと続くかなりの急勾配な坂道を駆け出す。

二股に分かれた大木があって、3日前に行商人が落としていったポーションの空き瓶があって、マーガレットの独特な香りが漂ってきて、そして、


「…ただいま。」


ティーミスは、自らの手で跡形も無く破壊した我が家に辿り着いた。

ティーミスが、この道に持っている一番幸せな思い出。もう二度と戻らない、幸せな日。

ティーミスはふと振り返り、自分が通ってきた丘までの道を振り返る。

おーい、待ってよー。そんな母の声が、聞こえてきそうな気がして。


「…ただいま…?」


ティーミスはふと、とある疑問を抱く。

人の帰る場所とは、どうやって決まるのだろうか。

生まれた場所だろうか。一番長い間暮らしていた場所だろうか。一番最近眠った場所だろうか。

それとも、自らの意思で帰る場所と決めた場所だろうか。


人と言うのはこういった“別にどれでも良い問い”に対しては、最も楽で都合の良い答えを出す物。


「おいで。ピスティナちゃん。」


ティーミスの手首から、赤黒い絵具のような半液状物質がゴボゴボと湧き出て来る。

その半液物質はティーミスの前の地面に集まると、その液溜まりから、赤い棺が突きあがるように出現する。

犬に引っ掻かれたかの様にボロボロに傷が付けられた帝国の軍旗が据え付けられた棺の蓋が、内側からドカリと開けられる。

棺の奥の闇に沈む場所から、ツカツカとピスティナが歩いて来る。


「あう。」


ピスティナは索敵の為に周囲を見回すが、ティーミスの両手で頰に触れられ、ピスティナは少し安心した様にティーミスの方を向く。


「ピスティナちゃん。早速頼みたい事があります。」


「あう!」


「出来るだけ沢山の木材を見つけて来て下さい。」


「あう!……ん?」


ピスティナは首を傾げながら、ティーミスの頼みを叶える為、廃都アトゥへと繰り出して行った。

ティーミスは、家の残骸から茶けたスケッチブックと、土埃を被った鉛筆を取り出す。

スケッチブックには、ティーミスが今まで書いて来た、写実的かつ美麗な、街並みや花のイラストがそのまま残っていた。

ティーミスはスケッチブックの真っ新なページを開き、鉛筆を近くに落ちていた金属片で軽く削り、我が家の跡地に向かってスケッチを始めた。

この跡地に新たに建てる我が家の構想を、スケッチブックに描いて行く。


「ここを窓にすれば、遠くまで見渡せそうですね…」


ティーミスの帰路は、帰る場所を造る所から始まった。



〜〜〜



敢えて薄暗くしている薄青色の照明が照らす、広いヨーロピアン様式のジャグジールーム。

浴槽の広さを持て余す様に、男が一人、そこで半身浴をしていた。


「はああぁぁぁ…疲れた。」


ジッド。

神の類では無い。不朽不滅の体を持ち、世界の境界を超えられるだけの、ただの人間だ。


「あいつ、大丈夫かなぁ…」


ジッドは自らの準備不足で、少女を一人、真の意味で殺してしまうのでは無いかと言う不安に苛まれていた。

ティーミスには最初、世界を滅ぼした7人の大罪人のみの力を宿す予定だった。

が、前実験によって、被験体は彼らの強過ぎる残留思念に意識を完全に呑まれ破壊されてしまうと言う結果が出た。

故に、それらを打ち滅ぼした一人の裁きの神。否、自らを神と名乗る人間のスキルを追加で投入した結果、少なくとも観察期間の72時間は、大罪人の思念を裁きの神の力が抑え込み、被験体の意識が乗っ取られる事は無かった。


「…あいつ、結局死んじまうのかなぁ…クソ、もうちょい実験すりゃ分かった事じゃねえか…」


ティーミスの体には、今8人分の思念が眠っている。

そして、スキルボードによって新たにスキルを習得する度に、少しづつその意識は再生し、やがてはティーミスを介し、かつて己の体を持っていた時よりも強大な力を持つ事となる。

ここまではジッドの予測通りだが、問題はその対応策にあった。

裁きの神の持っていたスキルは、他の七人とは明らかな別格。習得条件が底抜けに険しいのだ。

当然、七人の思念の活発化に合わせて、裁きの神も同程度目覚めていなければならないのだが、このままでは明らかに間に合わない、と言うよりもそもそも、ティーミスはまだ裁きの神のスキルを《摂理の否定・体》一つしか習得出来ていない。

否、その一つすら、習得出来た事は奇跡な訳だが。


「どうする…?あいつを見殺しにしちまうのか…?」


ジッドが時折見るティーミスは、いつも辛そうにしている。明らかに、手を差し伸べてしまった自分のせいだ。

あのままでは、普通よりも人生に余計に苦しみ抜いて死ぬだけだ。

ティーミスは転生者現象を解明する上では非常に重要な観察対象であるが、それ以前に、不幸な境遇の中を懸命に生き抜いている一人の少女。

死んでしまうのは、可哀想だ。


「伝える事くれえは出来っかな…」


「ご主人様!朝食のご用意が…」


「テメェ、人が使ってる風呂場に勝手に入んないっつったよな?あぁ!?」


腰にバスタオルを巻きながら、ジッドはジャグジールームに突如侵入して来たメイド服姿の少女の胸ぐらを掴み持ち上げる。


「ぐえ…ご…ごめんなざ…」


「ッチ…まあいいよ。」


ジッドがピンと指を鳴らすと、バスタオル一枚だったジッドの服装は、一瞬で元の普段着に戻る。


(はあ…怒ったら何するつもりか忘れちまった…まあ良いか。あいつの事だし、自分で何とかするだろ…)


ジッドはティーミスに、そんな根拠の無い自信を抱いて居た。

と言うよりは、ただ何かをするのが面倒臭くなっただけだ。



〜〜〜



空は一日中赤黒く、晴れているのか曇っているかも分からない。

へパイトスは、そんな空を眺めながら、コーヒーを片手に、しきりに電子モニターを眺め続けていた。

厳重警戒区域に突如出現した、自らを生物兵器と名乗る正体不明の少女と共に、【赤空の遠銃士】としてNo.28、骸鳥を退けた。


「…やはり、あのNo.28の挙動は明らかに不自然だ。」


本来、基地全体はNo.1328の研究成果であるジャミングパルスによって守られており、何か外的要因が無ければ、“黒害”は近寄りもしない筈だった。

しかしあの巨鳥は、パルスなど無視して真っ直ぐとこの基地に向かって来た。

狙いは、明らかに少女だった。明確に、あの自らを怪物と名乗る少女を狙っていた。


「鍵を手に入れたら、また此処に来る…鍵とは何だ?」


考えれば考えるほど、へパイトスは、人類は、黒害に対して無知である事を思い知らされる。

行動パターンや対処法は、あくまでも先人達が遺したデータとケースの蓄積でしか無く、そもそも黒害がどう行った原理で発生するのかさえ分かっていない。


黒害やあの少女を説明するのに、概念が一つ足りない。

へパイトスはふと、そんな考えに至る。


ピー…ピー…ピー…


リズミカルな電子音が、へパイトスのデスクの上の内線電話から発せられる。

へパイトスは、赤く光っている“研”のボタンを押すと、ガチャリと言う後付けの電子音と共に、内線電話は研究室に繋がる。


「どうした。」


『へパイトス!直ぐに来て!…とうとう…“cord sampling”が成功したのよ!』


人妻を思わせる大人の女性の声が、明らかに普段出さないであろう大声で、電話越しにそう告げる。


「!」


cord sampling。

へパイトスの祖父が遺し、今の今まで成功する事の無かった進捗項目。

内容は単純に、黒害が何で出来ているかを調べるのサンプルを採集すると言う物だ。

が、黒害の体は死滅すれば急速に気化し、組織を切り離した場合も、切り離した組織は死滅時同様に気化し、一酸化炭素やアルゴン、水素や少量のダイオキシン等のガスに変わってしまう。

故に、ただ一つの方法として、生きたままの捕獲が挙げられたが、当然現実的とは言えず、進捗項目は実質凍結状態にあった。

そんな中、あの日鳥と対峙する少女の身のこなしを偶然記録した者がおり、その記録を用いた訓練によって一部の戦闘員のスキルが格段に向上した事により、有志によってその試みは行われた。


「はあ…はあ…はあ…」


へパイトスが研究所に到着する。

ビニールで包まれた手術台を取り囲む沢山の白衣衆の中に割って入り、へパイトスは祖父が遺した進捗結果と対面する。


「No…723…!」


黒い甲殻と、8本の長く鋭い爪を持つ脚が特徴の、カブトガニに似た黒害が、試薬瓶の中でもがいていた。

サイズは大の大人の掌ほどだが、その触脚にある爪は超硬化したテフロンプラスチックの様な性質を持っており、本来ならばこんな厚紙程の厚さしか無いガラスなど、ひとたまりも無いはずだ。


「脚が全て切断されている…こいつを捕獲した者は何処だ!」


「現在第二十四医務室にて切断されてしまった右人差し指の縫合手術を受けています。」


「…特別褒賞を手配しておけ。」


「かしこまりました。」


もがく黒害を眺めるへパイトスの手元に、白衣衆が続々と様々な種の書類を提出していく。


形成物質(個体ままに成分分析器によるスキャン結果)

・未知の型のDNAを持つ、人間の物に非常に酷似した凝固血(主要)

・大量の、非可燃性のタール状の黒色油(主要)

・超硬化プラスチック顆粒

・軟骨成分に酷似したガム質

・カルシウム

・多種多量な金属

・紅色をした未知の物質(死後の肉体昇華、物理法則を無視した肥大や縮小に関係すると推測される。)

・外的要因により付着したとされる不純物多数

・黒素放射線


上記特徴より、これらの混合物を“ブラッドプラスチック”と呼称する。


身体構造

カブトガニを模した人口生物と推測される。

体の部位毎にその形成物質は様々な性質を持っているが、材質自体は一律。

体内に、黒素性放射線を放つ赤色の水晶状物質が存在(コアと仮呼称する)し、これより別離した身体組織が気化すると考えられる。

コアには永久機関性があり、故に黒害は食物を捕食する必要は無いとされる。

コアを取り囲む様に硬質組織が存在する事から、コアには耐久性は殆ど無いと推測される。


へパイトスの手の中で。この研究所の中で。次々と未知が既知へと変わっていく。

へパイトスにはこれが、この宿題を遺した祖父からの御褒美に思えた。


「…違うな…」


少なくともこの世界で暮らす人類は今、突如現れ霞の様に消える少女と言う絶大な未知を抱えている。

人が未知を抱えすぎない様に世界の法則が働いたと、へパイトスはふとそんな事を考えた。


(…俺たちの世界を…返して貰うぞ…俺たちの故郷を…返して貰うぞ…!)


未知が既知に変わった次には何が起こるか。


「見て下さい!黒害のコアの位置を特定するセンサーの、試作品が完成しました!」


未知は既知へ、そして、進歩へと変わる。

或いは、元の平和な世界への、長い帰路を一歩進んだか。

これにて第1章最終回ですが、明日後日談的な物を投稿します。

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