羽化の様
「……」
ティーミスは、色々な種類の布を縫い合わせて作ったいびつなローブを身に着ける。
風向きや角度によってはアウトだが、地上に出るまでの間であれば特に問題は無さそうだ。
(際どい…でも、ここは我慢です。)
二年間を過ごした牢屋の扉を、そっとくぐる。
今まで、なんどこの扉を潜りたいと思ったことか。
「…うう…」
感極まり、ティーミスの瞳は微かに潤む。が、今は感傷に浸っている場合でもない。
同じ牢に閉じ込められていた囚人から、毎晩の様に、夢物語の様に聞かされた、ここから外に出るまでの道のり。
脱走犯を惑わす為に、迷路の様に入り組んだ収容所を、ティーミスは導かれる様に、躊躇いもなく突き進んで行く。
「二つ目の十字路を左…ひっく…そこから看守室まで…真っ直ぐ…!」
この収容所には、今や生きている人間はティーミスだけだった。
ティーミスに、脱出への道のりをいつも語っていた獄友すらも、もう。
「…そして、この牢屋の左に…!」
ティーミスが辿り着いたのは、真新しいコンクリートの壁。
道順が割れたと知った看守達が、本来の出入り口を塞いでしまったのだ。
「…ぁぁぁああああああ!!」
だが、今のティーミスには関係無い。
ボコボコと肥大化し、大顎の怪物に変わったティーミスの右腕が、壁をえぐる様に破壊する。
鋼すらも噛み潰す大顎の前には、まがい物の石の壁など霞に等しい。
「…太陽…月…」
何でも良かった。
見上げた空に、果てがなければ、何でも良かった。
バキン!ゴリゴリゴリ…バキバキバキ!
完全に埋め立てられた、地上へと続く階段を掘り進める。
太陽、月、風、雲、虫の声、何でも良かった。
むせ返る様な湿った空気にはもううんざりだ。四方八方を見回す度にトラウマが蘇る様な、陰湿な石壁はもう見飽きた。
待ち焦がれた、恋い焦がれた、
バキリ!ドゴォォォン!
外。
「はあ…はあ……はあ……」
ティーミスを出迎えたのは、星も月も無い真っ暗な空。
ティーミスを包み込む様に、静かながらも力強い雨が降りしきっていた。空気は湿っていた。
「…ははは…あははははははは!」
寒さに凍えるほど、暖炉の炎はより暖かく、より癒しを与える。
「…自由…」
ティーミスは、その寒気と、冷たい雨と、いつまでも共に居たいと感じる。
一体化してしまいたいと、永遠に手放してしまいたく無いと。
雨の寒気と、ティーミスの歓喜が絡み合う。
ふとティーミスは我に返り、周囲を見回して見る。
今見つかってしまっては、元も子も無い。
「建物は…?」
確かティーミスがここに収容された時は、地下空間と同じくらい陰湿な建物が、地下への階段を守る様に建っていたはずだ。
しかしティーミスが抜け出してきた階段は、なんの前触れもなく、ただ草はらにポツンとあるだけになっていた。
跡形は微かに残っていた為、かつて此処には建物があった事は間違い無かった。
短い様で長い、2年という歳月。
今後もこんな事が沢山、ティーミスを待ち受けているだろう。
「………」
ティーミスは、地下へと続く歪な階段をじっと見つめる。
『……憎い……』
衝動の声が、ティーミスの頭に響く。
収容所に対しての、憤怒の声がする。
ーーーーーーーーーー
特殊な条件で、怒りが蓄積されました。
ーーーーーーーーーー
「ふー…ふー…ふー…」
ティーミスの歯の奥がカタカタと鳴り、握った拳から血が滴る。
ーーーーーーーーーー
特殊な条件で、怒りが蓄積されました。
ーーーーーーーーーー
この洞穴は、2年の歳月をティーミスから奪い去ってしまったのだ。
何の罪も犯さぬ一人の少女を、丸2年もの間責め苦しめていたのだ。
『…憎い…憎い憎い憎い!!!』
「…私の時間を……返してください……!」
ーーーーーーーーーー
特殊な条件で、怒りが蓄積されました。
10000/10000
怒りが上限値に達しました。
ーーーーーーーーーー
ティーミスの左拳に、赤黒い稲光がピシャピシャと走る。その瞳は、獄炎の様にオレンジ色に染まる。
「《復讐の始まり》ああああああ!!!」
憎らしげに悔しげに、ティーミスの拳が地面に振り下ろされ、小さなクレーターを作る。
パシャリと、ティーミスの拳を包んでいた赤い光が弾けた、その瞬間だった。
ドゴン!ゴオオオオ…
地下への階段から、土砂崩れの様な音が聞こえる。
周囲の地面が、局所的にボコボコと陥没する。
収容所は、永遠に閉ざされる。
「はあ…はあ…は…はあ…はあ…」
《復讐の始まり》。
この一撃が、ティーミスの復讐の、始まりだった。
「はあ…はあ…はは…」
爽快感か、はたまた達成感か、無邪気な笑みを浮かべながら、雨に打たれるのも構わずに、ティーミスは眠りこけてしまった。
「おうおう、こいつぁまたド派手にやったなぁ。メスガ…き?」
どこにも繋がらない階段のある広場を囲う様に生い茂る林の中から、林檎をかじりながらジッドが現れる。
「おまえ…この雨ん中良くスヤれるな。…そんくれー、疲れてたんか。」
2年間の拷問の日々の中では、気絶はしてもまともは睡眠は取れなかった。
これがティーミスの、2年ぶりの就寝だ。
「…ッチ、しゃあねえな。こいつぁサービスだ。」
ティーミスの纏っていたローブマントを、ジッドは掛け布団の様に掛け直した。
ついでにそこに、バックパックから取り出した赤い水晶も仕込む。
オンアイスと呼ばれる、使い捨てタイプのカイロだ。使い切る頃には完全に気化し、ゴミも出ない優れ物。当然、この世界には何処にも無い、合成化学物質だが。
◇
重たい首輪が、拘束状態のティーミスの細い首に取り付けられる。内側に、ダメ押しの突起物も付いており、ただでさえ痛みが伴う。
「じゃあ先ずは1キロだ!」
「…いや…だ…やめて…お願い…です…!」
鎖で繋がれたら鉄球が、首輪に取り付けられる。
首輪に重さが足し合わさり、ティーミスの首に掛かる負荷はより大きな物になる。
「そうかそうか。じゃあいつも通り5キロまで増やすぞ。」
「い…ういい…」
ガシャンガシャンと、急激な速度でティーミスの首に負荷が追加される。
「…うぐ…げええ…」
メリメリと、ティーミスの首や背骨が不自然な音を立てる。
「よし、じゃ、これで最後だ。…体勢次第では首の骨折れるから気をつけるんだぞ。」
「…え…いげ…」
カシャンと、最後の鉄球が取り付けられた。
「…じゃあ、今日から三日間そのままって事で。」
「いい…ぎい…」
拷問官の姿が、霞の様に消える。
(もう…駄目…意識が…朦朧として…)
ティーミスは一瞬、自分の首に掛ける力を抜いてしまった。
グギリ!
「にぇ!?」
目を覚ますと、そこは林の中の小さな広場だった。
朝露が草木を彩り、雨上がりの空には薄く大きな虹がかかっていた。
ティーミスは真っ先に自分の首を確認する。
首輪は無いが、脈はある。
(…ただの悪い夢ですね。とっとと忘れてしまいましょう。)
ほんのり熱を帯びるボロのローブマントを着直すと、ティーミスはすくっと立ち上がる。
2年間拝む事のなかった陽の光。ただ日を浴びているだけで、ティーミスの心臓はパクパクと加速する。
「…お家…」
ふと、ティーミスの胸がきゅっと締められる心地がした。
小指の関節が痛くなり、胸を中心にゆっくりと熱が広がっていく様な心地だ。
「…帰りたいな…」
収容所は、アトゥ公国の郊外の一角の、小さな森林地帯に建てられていた。
この森を抜ければ、もしまだ現存していればアトゥの街並みが見える筈だ。
「…帰ろう。帰れるか、分からないけれど。」
母と一緒に作った花壇が恋しくて。ふかふかのベッドが恋しくて。
家族の面影が恋しくて。
ティーミスは、迷子の子供の彷徨いの様に、危うい足取りで歩いて行った。
セミは短命とよく言いますが、実は幼虫の時期を合わせたら7年も生きるそうです。
虫にしてはかなり長生きな部類なんですね。