生き物1つに、生活1つ
ダンジョンから戻ったティーミスは、萎えきった足取りでフィフィ城の壁に寄りかかり、そのまま背を壁に擦る様に座り込む
「はひゅ…」
巨人の一撃は武器こそ巨剣だが、その圧倒的な巨大さ故に、ティーミスの体に裂傷を刻む事は無かった。
ティーミスの全身は痛々しいアザに覆われ、特に直撃を食らった右半身が酷い。
見るに耐えない、痛々しい重傷だ。
アドレナリンを出し切り、戦いの高揚感から醒めたティーミスが次に抱いたのは、どうしようもない空虚感だ。
誰に褒められるでも無く、誰に尊敬されるでも無く、どこで休めるでも無く。ティーミスの戦いの証といえば、100のEXPと、銀色の小さな鍵と、
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【亡滅の巨剣 ランページ=ギルティ】
ルージェ帝国によって開発された、巨剣型巨大戦術兵器です。
専用のバリスタに装填し、主に攻城戦や、対超大型モンスター戦において用いられます。
あなたがこの武器を装備している間、この武器は一定時間毎に【破気】を獲得します。
【破気】
10スタック獲得した場合、アクティブスキル【天地亡滅剣】を使用する事が出来ます。
【天地亡滅剣】を使用するか装備を解除した場合、このスタックは消滅します。
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この、5mはあろうかと言う巨大な漆黒の巨剣だけだった。
そろそろ慣れておくべきだが、文字通り血反吐を吐きながら死闘を生き延び、その対価が、何の賞賛も無くただ物をポンと渡されるだけなのは、やはりティーミスの心に応える物がある。
「…辛いです…」
ティーミスは目の前に巨剣を出現させ、《怠惰なる支配者の手》で操作して地面に突き刺し、よろよろとその巨剣の前に移動し座り込む
ティーミスの残機は、30個だ。
ガン!ガン!
巨剣の平部に、ティーミスは頭を打ち付け始める。
ティーミスは、自己破壊を始めた。
(どうして…こんな事になったのでしょう…)
素朴な貴族家に生まれて、学業も真面目にこなして、曲がった事なんてただの一度もせずに、普通の貴族の一生を送ろうと努力した。
成績は優秀。少し体が弱かったが運動も人並みにはこなした。色々なマナーを丁寧に覚えて、昼下がりに眺めるマーガレットの花を楽しみに毎日を生きてきた。
それがどうして、地面に突き刺さった大剣で頭骨を割って自殺する羽目になるのだろうか。
ティーミスは、一生分の笑顔と幸せを売り払い、不幸な人喰い猟奇殺戮モンスターとしての一生を受け取った。あの、ジッドと言う男から。
ティーミスはほんの一瞬、ジッドに対する恨みを抱いたが、直ぐに消え失せる。
手を差し伸べたのはジッドだが、後先考えずにその手をとったのはティーミス自身の意思だ。
絶望の中の一筋の可能性に手を伸ばしたのは、ティーミス自身の意思だ。
ほんの少しでも考えれば良かったのだ。果たして、牢屋から出た先に元どおりの生活があるのかと。
ただ、幾ら後悔しても、ティーミスが殺した、ティーミスのせいで死んで行った者達は戻っては来ない。
ドシャ...
ティーミスの頭蓋骨が割れ、傷口から脳漿が滲み出し、鼻や頭から流れる血に混ざり滴り落ちる。
ただ、ティーミスはまだ死ねない。
どんな時でも、生きてさえいれば必ず上手く行くと、母からはいつもそう教わっていた。
故にティーミスは生存の道を選んだ。或いは、極限状況故に何も考えて居ないだけだったかも知れない。
その結果は、どうだろうか。
ティーミスの知っている場所で、知らない場所で、ティーミスによって大勢死んだ。そして、これからもティーミスによって大勢死ぬ。
こんな事は誰も望んで居ないし、誰も幸せにはしない。
孤独と痛みと不幸と死を撒き散らすくらいならば、あの牢獄で、一人で勝手に死んでいれば、この世界の為だったので無いか。
(…違う…)
ティーミスは悪役だ。
悪役が誰かに望まれているなどおかしな話だ。
ティーミスは悪役だ。
望んで悪役になる者は少ない。
孤独でも痛みでも撒き散らせばいい。それが悪役の使命なのだから。
ティーミスはティーミスらしく、いつかそんな自分を打ち倒してくれる勇者を待っていればいい。
貴族らしい見え透けた長い一生でも、悪役らしい靄に掛かった一生でも、それがティーミスの人生だ。
べキリ!
絶命の瞬間、ティーミスはふと悟る。
もう少し楽な死に方もあったのでは、と。
頭の潰れたティーミスの骸と、付近に過剰なまでに飛散したティーミスの脳漿や血といった体液と、近くの瓦礫の上にポツリと落ちて居た、血まみれの欠けた歯が、青白い炎に包まれ、物質としての形を失う。
青白い炎は宙を滑る様にツルツルと移動し、地面に突き刺さる巨剣の柄の上で集結し、そこに傷一つ無いティーミスを再生する。
「…へくちっ」
高地の風に鼻を撫でられ、ティーミスは小さくくしゃみをする。
アイテムボックスから再び上着を取り出しいつもの様に羽織り、ボタンを止めようとしてボタンが存在しない事を思い出し少し赤面する。
これが今のティーミス。これがこれからのティーミス。
一般貴族令嬢も極悪非道のモンスターも、食って寝て息をすると言う点では同じだ。
「…帰りましょうか。」
その巨剣の上からの眺めを一頻り堪能した後、ティーミスはその巨剣をアイテムボックスの中に消し、瓦礫の街となったフィフィを後にする。
次にこの街に人が来るのは、二週間も先の事となる。
〜〜〜
夜。
とある渡りのドラゴンの休憩所にて。
「コイツラ、スジガナイ。シボウバッカリダ…」
生まれて初めて、屈強な戦士以外の人間を喰らった少女型ドラゴニュートが、指に付いた血をチュッチュとしゃぶりながら呟く。
フィフィか、アトゥかは分からないが、彼らが喰らった者達はほとんどただの一般市民なのだ。
ショートボブ程の美しい白髪が目を惹く彼女の名前はカーディスガンド。
ドラゴンの中でも由緒正しき血筋である、ヨルムンガンド種の竜人、十七匹兄妹の中で、唯一ドラゴニュートとして生まれたドラゴンだった。
“あゝ…これが人間の味…もっと喰いたいねぇ…!”
「ダメダ。オキテヲ、ワスレタカ。クッテモイイニンゲンハ、ワレラガリョウイキヲ、オカシタモノダケダ。」
“分かってるよ。…全くお堅いお嬢さんだ事。ん?そういえばあんた、どう見ても卵を抱えてる様には見えないが、何でここに?”
「…アネウエノ、ツキソイダ…マッタクメンドウクサイ…」
“あゝ成る程。…そりゃ面倒だねぇ。”
「…」
カーディスガンドは夜空を見上げると、頭に血を巡らす様に軽く翼を震わせる。
「シュッパツハ、アシタノソウチョウ。コンヤハミナ、ユックリヤスンデクレ。ミハリハ、ワレガウケオオウ。」
“あゝそいつは助かるねぇ。じゃ、あたしはお言葉に甘えて休ませて貰うよ。”
カーディスガンドと駄弁っていた桃色巨龍は、翼で体を包み、四肢を折りたたむ様にして、そのまま眠ってしまった。
ドラゴンは、互いを見た目によって区別する様な事はまずしない。
言葉を話せる者が知性を持たない者を下に見る様な事はしないし、人間に似た姿を持っている竜人を、差別や偏見の対象にする事も無い。
ドラゴン社会は、完全に功績社会。どんな矮小種でも何かしらの功績さえ挙げられれば、一躍名家の仲間入りだ。
「…スンスン…」
カーディスガンドはふと、嗅ぎ慣れない匂いに鼻をひくつかせる。
人間の集団が、こちらに向かってきているのだ。
「ッチ…ドラゴンスレイヤー…カ…?」
ドラゴンスレイヤー。
他のモンスターには目もくれず、ただ竜を斬る事だけに一生を捧げた、言わば対ドラゴン特殊部隊。
くくりとしては冒険者の中の役職の為、決まった国籍は持たず、種も人間のみとは限らない。
ドラゴンスレイヤーとは、この世界で数少ないドラゴンに対抗できる存在だ。
正体不明の集団は、明らかにこのメサ地帯を目指して進行している。
もしも全てドラゴンスレイヤーであれば、流石にカーディスガンド一体では対処しきれない。
(タタカエソウナモノヲオコスカ…?シカシ、ソンナコトヲスレバハラノコ二ワルイ…)
カーディスガンドは取り敢えず、ドラゴンスレイヤーとの交戦が予想される場合の対応手順に沿って動き始める。
「《竜炎》」
カーディスガンドの喉元が夕焼け色の激しい閃光を放ち、カーディスガンドは普通のドラゴンがそうする様に、四つん這いになってその頭を遠巻きに見える街に向ける。
普段ドラゴニュートが吐炎する時は上品に、二足歩行のまま口元に手を添える物だが、今回はカーディスガンドを見る者は居ない。
これが竜人にとって最も狙いが定め易く、最も楽な姿勢だ。
「…ッカ!」
かなりの広範囲をあかるく照らす、白い光の粒がカーディスガンドの口から放たれ、一直線に人里の方へと飛んで行く。
数秒後、かつて街のあった場合は巨大な火球に飲み込まれ、次いで街全体から、空へと昇る竜を連想させる火柱が吹き上がり、最後は街の倍ほどはあるだろう大爆発が、周囲を数刻昼間の様に照らした。
ドラゴンスレイヤーとの交戦準備の基礎の基礎。
“目に入る全ての人工物は破壊せよ”だ。
「シュウウウゥゥゥゥ…」
カーディスガンドは、口から細い白煙を立ち上らせたまま立ち上がり、先程匂いのした方向へと向き直る。
「お…おい…何で…こんな…」
騎士と言う理由だけで掃討から逃れた、主にフィフィで療養していた騎士を中心とした別働隊が、何も知らずにこの竜の領域に足を踏み入れてしまっていた。
「ナンダ…タダノ…ヘイシカ…」
カーディスガンドはホッと一安心し、ほぐす為に右手をグーパーさせる。
「…ウマソウダ…」
「ひ…ひいいいいぃぃ!もも者共!構…」
「《竜爪》」