英霊冒涜
まだ日の上らぬ早朝のフィフィ王国。
中央病院より遥か離れた地区にある、とあるスラム街。
そこはかつては繁栄していた街だったらしく、豪勢な造りの建物や、よく考えられ整備された街道などが比較的そのままの形で残っていた。
ただ既にその町は荒れきっており、建物はベニヤ板や端材によって雑に修繕され、そこら中に様々な種類のゴミが散乱している。
そんな場所に、一人の女性が訪れる。
簡素ながらもしっかりと手入れされた麻のドレスに、比較的新しい皮のコルセット。目はつばの広い帽子に隠れてしまっているが、艶のある美しい鳶色の髪が、薄明かりを反射し目を惹いている。
スラムには実に似合わない、村娘の様な出で立ちだ。
「へへへ。お嬢さん、迷子ですかい?よろしければ、道案内でもしましょうか?」
スラムに住み着くならず者が三人、その女性を取り囲む。
「道案内か…頼む…」
女性は意外にも、そのならず者達の申し出を受ける。
「…そ、そうですか。この地区の出口はこっちですよ。」
世間知らずの、馬鹿で不運な村娘。
ならず者達がその女性に抱いた印象は、そんな物だった。
ならず者は女性を連れて、一際目立たない場所へと連れ込む。
四方を建物の壁に囲まれた、薄暗い路地裏だ。
「ヘッヘッヘ…大人しくしてりゃ、痛い目は…」
ならず者の背中に、赤黒色の腕が突き刺さり、青白い炎の塊を引っ張り出す。
「…へ?」
ならず者が一人、白い灰へと還る。
「な…何だ!」
うろたえる残り二人のならず者。
女性は懐から赤いビー玉状の物を取り出し、それを指で弾き、最も近くにいたならず者に弾き当てる。
「う!?」
ならず者の体が赤いオーラに包まれ、ならず者はピクリとも動けなくなる。
ーーーーーーーーーー
【絶対拘束の魔導玉】
対象を[絶対拘束]状態にする強力な物体型魔法です。
ーーーーーーーーーー
[絶対拘束]状態の二人目のならず者も、その身から命を奪い取られる。
そして最後の一人は、
「なんなりと…ご命令を…」
既に隷属状態に堕ちていた。
「その、ピスティナ“ちゃん”。さっきのが最後の魔導玉ですか?」
「あう。」
ティーミスはその鳩尾から赤黒の悪魔の腕を伸ばし、最後の一人からも命を回収する。
鳩尾を完全に露出させる必要があったため、胸に巻いているベルトは外していた。普段ベルトの下にある物は今はボタンも何も無い上着だけで隠れており、風が吹いたり動いたりすればアウトだ。
ただ、もう気にする必要は無くなったが。
「…そろそろ日が昇りますね。」
ティーミスがこの“連れ込まれ作戦”で手に入れた命は合計で31個。元から持っていた物を含めて、奪取した合計で32個。
多少分解しても、残機は十分に確保出来る量だ。
「帰りますか。」
「ぎゃう!」
ピスティナはティーミスを右手に抱えると、三足歩行で朝焼けに染まる路地裏を駆け抜けていく。
かつては戦場の風と謳われたスプリンター、子供一人を抱えて、誰の目にも止まらずにその場を撤退する事など朝飯前だ。
フィフィ王国は小国ながら、独特な行政のシステムを持っている。
国土は地下遺跡に沿うようにほぼ完全な円形で、区域と呼ばれるまちまちの大きさのが存在する。
区域の境界線は、色の違う石畳や簡素な壁によって明確に示されており、上空から見たフィフィ王国は、バラバラの大きさに切り分けられたピザの様にも見える。
「…っと。」
ティーミスがピスティナの背にしがみつくと、ピスティナは四足(二手二足)状態になり、さらに加速する。
人間としての尊厳を亡くした故にピスティナは皮肉にも、生前は決して到達する事の無かった速度に達する。
既にこのフィフィと言う国家は、ティーミスの意思表示には手頃な国家だ。
ケーリレンデ程の規模は無いが、かと言って見向きもされない程の規模でも無い。
「ピスティナちゃん。」
「あう。」
「一回だけ、共闘に付き合ってくれますか?」
《兵舎》の中が一体どんな場所なのかはティーミスには分からないが、外の世界で獣の様な醜態を晒し続けるよりは幾分かマシなはずだ。
必要な時に、必要な分だけ。それが、使役する死者に対する、英霊に対する敬意だと、少なくともティーミスの考えはそうだ。
「一回だけ、許してくれますか…?」
ピスティナに自我は無い。意思もない。ただのティーミスの傀儡でしか無い。答えなど、決まっている。
「あう!」
〜〜〜
匠の意匠が光る煌びやかなステンドグラスから差し込む朝日が、その絢爛な王室を照らしている。
「ギフテッド?それが、今回の騒乱の原因と?」
王室の最深部に据え付けられた、赤いクッションに重厚感のある濃茶色の木材で形作られた玉座に、一人の青年が腰掛けている。
男性にしては少し長めの金髪。薄青の瞳。貴公子と言う言葉が似合う、整った顔立ち。
彼こそ、第42代フィフィ王国国王、テニ・フィフィだ。
「はい。旧アトゥ公国収容所にて発生した、人間のギフテッドです。」
そんな若き王と謁見する中年の男性は、国一の賢者と称される大魔導士グラス。
地味な紺色のローブで全身を覆い、丸メガネを掛け黒い無精髭を生やした、見た目は少しむさ苦しい男だ。
「成る程。それで、怨念の対象である帝国兵を囲った我が国に矛先が向いたと。
対応には、どれだけの時間が必要だ。」
「率直にわたくしの意見を申し上げます。全ての身分を捨て、出来るだけ遠くへと逃げ延びましょう。」
「…は?」
「ギフテッドとはいわば自然災害の様な物です。その矛先がこのフィフィに向いたのならば、我々の出来ることはただ一つです。
国王としてでは無く、私は私で、陛下は陛下として、自己保存に徹する事が得策でしょう。
陛下が存命である限り、フィフィは滅びはしません。」
グラスは、ただ淡々と“最善策”を述べる。
それが、遠い異国からグラスが雇われた理由。グラスに与えられた、職務の一つだからだ。
「貴様…ふざけているのか?」
「この17年間、私があなたに冗談を言った事がありますか?
率直に言いますと、この国の持てる全ての戦力を集約しても、ギフテッドを退けるなどと言う事は現状では不可能です。
これが、私の意見でございます。」
フィフィ王は憤慨した様子で玉座から立ち上がり、グラスの胸ぐらを思い切り掴む。
「貴様…このフィフィ4000年の栄華を愚弄するか!」
「お言葉ですが陛下、先月新たに二つの地区がスラム化しました。区主の汚職合戦にも、もう歯止めが効かない状態です。
いい機会ですので、ここで一度やり直してみては如何でしょう。
…もし陛下に一国を収めるだけの素質があるのなら、再興も容易でしょう。」
「もう良い!…この城から出て行け…フィフィの聖域から、出て行け!」
「……結局は馬鹿者か…では、失礼いたしま」
ガラスに何かが当たる様な音を聞き、グラスは何気なく玉座の間の大窓に目をやる。
「…?」
下から伸びる人の左の掌が、ガラス窓に張り付いている。
程なくしてもう片方の手もガラス窓に張り付き、持ち上がる様に胴体も。
窓枠に足をかけそこに立っていたのは、鳶色の長髪を持つ女。
「…貴様!何者だ!」
フィフィ王国は問いかけるが、女は答えない。
「何者だと聞いて…」
「うあああああああ!!!」
「!?」
女は猛獣の様な咆哮を上げ、手袋を口に咥えて脱ぎ、異様に尖った人差し指の爪で窓をなぞり、窓に大きな丸い穴を開ける。
くり抜かれた窓の穴から、女は四足歩行で玉座の間まで侵入する。
「…ピスティナ…?」
グラスはふとそんな事を呟く。
「グラス!ああ…あれを何とかしろ!」
フィフィ王は、先程までの威厳ある態度から一変し怯えている。
フィフィ王自身は、ろくに剣すら握ったことも無い。
「《結晶障壁》陛下、今のうちにこちら。」
ピスティナと自分達の間に水晶の壁を展開したグラスは、フィフィ王を連れ玉座の間から退避しようとする。
「その…通行止めです。」
しかし玉座の間の出口の前には、既にティーミスがスタンバイしている。
「き…きき貴様!我を誰と心得る!我が名はテニ…」
「決めました。」
ティーミスはゆっくりと、フィフィ王へとその人差し指を向ける。
「先ずはあなたにします。」