空っぽでも愛
昼下がり。
旧アトゥ公国の外れの、昼日を反射して煌めく、小川のほとりの草原で。
「…ふぐぃえ!?」
ティーミスは、腹わたを抉り出されるかの様な激烈な痛みによって叩き起こされる。
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あなたの兵士が倒されました。
【獣戦士】徴兵力×40
40ダメージ
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「う…うううぐうう…」
お腹を抱えながら、ティーミスはしばしの間、軽く痙攣しながら身悶える。
少女にとって最大の急所である腹に激痛を受けた故の、当然の反応だ。
唾を拭い、ティーミスは目覚めから不機嫌になる。
外的な要因によって受けた痛みからは幾分かの快楽を得られる様になったが、こう言った代償ダメージはただただ不快でしか無い。
ティーミスが手をかざすと、目の前の空間は歪み、テレポーテーションの為の穴が出現する。
穴の向こうに、薄っすらと別な場所の景色を見る。
「繋がるんですね。」
ティーミスは立ち上がると、少しの躊躇いの後その穴の中へと入って行く。
その先は、大きな無人の体育館の様な場所だった。
ティーミスが出たのはその大部屋の壁際で、付近にはベッドに腰掛けるピスティナの姿もあった。
「あれ、此処で休んでいた騎士達は何処に?」
ティーミスはふと周囲を見回した後ピスティナに問う。
ピスティナは何も言わずに、自身の服にこべりついている半透明の粘土の様な物質を払い、向こう側の壁に空いた大きな穴を指差す。
獣戦士を撃退した騎士団によって“元”騎士団は皆救助され、その際にピスティナは、スプリンター最大の弱点である行動低速化魔法を何重にも喰らい、阻止は叶わなかったのだ。
「そうですか…でも、無力化は出来ましたよね。」
「あう。」
ピスティナは言葉では無い返事をすると、そのままベッドから腰を上げ、ティーミスの前に座り込む。
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【戦風】が待機状態に入りました。
《兵舎》による格納が可能です。
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そう言えばそんなスキルもあったなと重いながら、ティーミスは一先ず手をかざしてみる。
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【|戦風】のサイズがあなたの《超兵力》の上限を上回っている為、格納できませんでした。
100000/46400
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「な…」
先程可能だと言ったでは無いかと心の中で文句を言いながら、ティーミスはピスティナをリリースしてみようとする。
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警告
一度手放してしまった従属者は再召喚する事が出来ません。
本当に兵士を手放しますか?
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「………」
ティーミスは困り果て、ピスティナは犬のおすわりの体勢で、そんなティーミスの様子を(さほど落差は無いが)上目遣いで見つめている。
「えっと…よしよし…」
軍帽越しに、ティーミスはピスティナの頭を撫でる。
ピスティナは目を閉じて、少し頭を前かがみにさせる。その仕草や反応は、良く飼い慣らされた忠犬の様だった。
「しばらくは一緒に居ましょうね、えっと、ピスティナ“ちゃん”?」
「あう!」
最初はこのピスティナに対して大きな違和感を抱えていたティーミスだが、ピスティナの忠犬の様な愛らしい挙動を見ている内に、次第に愛着が湧いてくる。
「取り敢えず此処を離れましょう。」
「あう!」
ピスティナを収納できるだけの《徴兵力》が手に入るまでの間の、ピスティナとティーミスは、しばしの間の行動を共にする事になった。
徴兵力の上限を上げる為には《軍師》と言うパッシブスキルを何度も解放する必要がある。
ティーミスの本来の最大徴兵力は800で、そこにティーミスの現在のレベルである58が乗算されている。
一度の開放では2900上昇し、ピスティナを格納可能な10万まで到達するには19回の開放、38のスキルポイントが必要だ。
「…ダンジョンに潜ってレベルアップを狙いましょうか…いえしかし…」
ティーミスはアイテムボックスを開く。
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装備品
・【憤怒の輝剣・ビスク=ツィーゼ】
・【クピードーピース】
・【罪鋼刀】
消耗品
・絶対拘束の魔導玉×21
・[火]ダンジョンキー
・狂気のかけら
・奪取した命
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「奪取した命からどんな物が出てくるのか、もっと見たいです。」
ティーミスはそんな好奇心を抱く。
と次の瞬間、ティーミスは胸の底から湧き上がる嫌悪感に唐突に襲われ、激しい目眩に見舞われる。
「…嘘…ですよね…」
ティーミスはほんの一瞬、誰かの命をガチャ石か何かとしか見て居なかった。
命の価値も、死の意味も理解していたティーミスだが、あまりにも多くを殺し、あまりにも沢山の死を経験した故に、命の重さを忘れてしまっていた。
「これじゃあ…まるで…」
悪魔。
他人の命をただの道具としか認識しない、非徳の怪物。
「う?」
今となっては何の記憶も知性も持ち合わせていないピスティナは、何も知らずに自らの主人の事を眺める。
このピスティナもそうだ。
かつては美しく気高くあったはずのピスティナ。沢山の人々を愛し、愛されたピスティナ。
今や安らかに眠る事も叶わずに、自我も奪われティーミスの“犬”になっている。これがどれほど冒涜的な現実か。
ティーミスの手足から血の気が引き、過呼吸によって酸欠に陥る。
10度の死罪を受けても、到底償い切れない程の罪。
「これが…悪…うっぷっ…」
ティーミスは嘔吐する。
悪の道を一歩進むたびに、悪はティーミスに、その真理を一つづつ提示する。
引き返す事は、叶わない。
「償い切れるかなぁ…」
涙声で、ティーミスはそう呟く。
一日で良いから、あの幸せだった日に戻りたい。
目一杯甘えて、目一杯温もりと愛を吸い込んで、暖かな布団の中で眠りたい。
失われる日が来ると知っていれば、あの日を大切の過ごせたのに。
「う…うう…わああああああん!」
大医務室全体に響き渡るほどの大きな声で、ティーミスは泣きじゃくる。
今はただ、辛かった。疲れた。悲しかった。
「うう…ひっぐ……?」
ティーミスはふと、誰かに抱かれる心地がする。
暖かくて、柔らかくて、優しい誰かに。
「つー…きがー…やさー…しく…微笑み…静かな帳が…そっと…そっと…あなたを…い抱ー…いて…」
たどたどしくて優しい子守唄が、ピスティナによって紡ぎ出される。
ピスティナの、母親としてのピスティナの、微かに残された、反射行動だ。
「……」
ピスティナの口からタール状の漆黒の粘性液がティーミスの頭や肩に滴り落ちるが、ティーミスはそんな事は気にしなかった。
「悪い夢でも…見たのかい…?」
「…ええ…」
「ふふふ…大丈夫…ただの…夢さ…今日は…ママの所で…眠ると良い…」
ピスティナのその言葉に、行動に、ピスティナの意思は無い。
意思は無いが、愛はあった。
「…ママ…」
空っぽで、暖かくて、冷たくて、ヘンテコで、純朴な愛。
ティーミスが二年ぶりに受け取った愛は、そんな愛だった。
「えへへ…」
普通ならば、中身が無い紛い物だと唾棄される様な愛。
それでも、否、ティーミスにはむしろ、そんな愛の方が合っているのかも知れない。
天涯孤独と言う暗い安らぎを崩す事のない、あって無いような愛の方が、ティーミスには合っているのかもしれない。
「…良い子…良い子…」
ピスティナは、ティーミスの頭をぎこちなく撫でる。
ティーミスは、嬉し涙を目に溜めながら、そんな仮初めの愛を目一杯受る。
無人の大医務室の一角で、ティーミスはピスティナに寄り添いながら、静かな午後を過ごした。
「明日から本気出します…」