思い出に質量は無し
フィフィ王扱、市街地。
「閣下!…ああ…何と言う事だ…」
操る能力は変質し、自我を失ったピスティナ。
しかしその容姿は、太刀筋は、戦法は、兵士達の良く知るピスティナそのものであった。
「……」
ピスティナが何も言わずに手を払うと、無数の短刀がピスティナの周囲に出現する。
皮肉にも、魔力と言う本質的な枷から解放されたピスティナの能力は、以前よりも強大なものになっていた。
魔力と言う制限から解放された故に、出現させられる短刀に上限数は無い。
ピスティナの体に宿る“それ”が尽きるまでは、好きなだけ出現させられる。
「ピスティナさん…それが貴女の…」
ただ、ピスティナを止めようと対峙する兵士達は、その空いっぱいに広がる短刀を見上げ、少し勘違いをしていた。
ピスティナをアンデッドだと認識した為に、この強化版の能力がピスティナの本気だと思い込んだのだ。
身内にも決して見せる事の無かった、本当の全力だと。
ピスティナが兵士達の方を指差すと、空に展開されていた短刀が一斉に自身に向かって降り注ぐ。
「《三連星》!」
と、ピスティナに、背後から飛来した三本の矢が突き刺さる。
ピスティナの傷口からドクドクと赤黒い半液体が流れ出し、刺さった矢はそれに押し流される様に地面に落ちる。
ピスティナは、普通の人間と同じ様に振り返ると、そこには短弓を構えた一人の少女が立っている。
騒動を聞きつけ、帝国に向かう所を急遽予定変更して駆け付け、状況を目の当たりにし、顔面を青白くさせたリニーだ。
「…嘘…」
「…うううううああああああああああああ!!!」
ピスティナはその白い歯をむき、何かの発作を起こしたかの様に、首をカクリと曲げ、地面に刺さった短刀を自身の周囲に引き寄せ浮遊させる。
ピスティナは四つん這いになり、肉食獣の様にリニーに向けて駆け出す。
変わり果てた恩師の姿に、それでも変わらぬ恩師の姿に、リニーは、周囲に居た兵士は、暗い絶望感を抱く。
「…!こっちですよ!ピスティナさん!」
リニーは、ピスティナの敵視が自身に向いた事を悟ると、ピスティナを引きつけるべく駆け出す。
出来るだけ、中央病院から離れた場所までピスティナを誘導する為に。
「はあ…はあ…《スネアアロー》!」
リニーは時々妨害技を繰り出しながらピスティナを引き付け、中央病院からかなり離れた場所にまで移動する。
住宅街の中心部にある、祭事や行商人が店を出すのに使う大きな円形の広場だ。
障害物は一つとして無く、広さも充分。“バトルシューター”が本職であるリニーにとっては最高の環境だった。
ピスティナは四つん這いの状態から立ち上がり、ベルトから二本の短刀を取り出す。
ピスティナが時折見せる“ピスティナらしさ”に、リニーはどうしようもない遣る瀬無さを感じる。
「なああああああああああああああああ!!!」
ピスティナは歯を食いしばったまま、雄叫びの様なうめき声をあげる。
「…ピスティナさん…待っていて下さい…すぐに、楽にして…あげますから…!」
リニーは、必死に冷静さを取り戻そうとしながら、ピスティナへの立ち回り方を見極める。
「…うう…」
ピスティナの戦法や動きを記憶から呼び起そうとする度に、思い出も一緒に蘇っていく。
そんな思い出の中のピスティナが、目の前のそれに重なる。
リニーは、更に苦しむ。
「…ピスティナさん…!」
それはリニーがまだ騎士学校の生徒だった頃。
とある野外訓練の夜だった。
「アンデッドが出たぞ!ゾンビの群れだ!」
森の中でキャンプファイヤーを囲む静かなひと時に響く、警告の声。
そしてその数刻後に、ゾンビ特有のうめき声が少しづつ。
「…これは…少し不味いな。」
ピスティナがマシュマロを口に放り込みながら、周囲を見渡してそう呟く。
「恐らくは下級だが、数が数だ。…森林隠密行動が完全に裏目に出たな…」
森の中に身を潜めるのは、主に夜行性の魔物から身を守る為の典型的な行動だが、視覚では無く生者の体温によって獲物を認識するアンデッドが相手の場合、逆に不利な立場になる。
アンデッド対策として最も懸命な行動は、周囲に集落などが存在しないかを確認する事だ。
ゾンビの場合、洞窟などに身を潜めていた者が、自己防衛力の弱い集落などを夜襲し、仲間を増やし大軍を作る。
ヴウウウウ…
ヴウウウウ…
アアアアアア!
「やはり付近に滞在していた遊牧民共か。“シスター”はキャンプ内で待機し、感染者の治療準備に徹してくれ!
奴らは遠隔攻撃に弱い。レンジ部隊を中心に据え奴らを撃た…」
ピスティナはふと思い出す。
今回の野営訓練に参加した研修生は23名。ただその中に遠隔魔法兵は7名、遠隔物理兵に至っては、たったの3名だ。
ゾンビの襲撃を退けるには、少し心許ない。
ピスティナは周囲を見回し、遠隔武器を持った研修生を探す。
「ひ…ひいいい!来るなあ!」
「待て!落ち着いて狙いを定め…」
「ぎゃあああああ!やめろおおお!」
ピスティナは咄嗟に短刀を飛ばし、そのボウガンを持った研修生に襲いかかるゾンビを斬り伏せ、間一髪でその研修生を守り切る。
「うわあああああ!」
「落ち着け、…っち、こいつは駄目か…」
錯乱状態になったその研修生を木陰に放り込み、別な者が居ないかと探る。
研修生ともあり、アンデッドを見るのが初めての者も多い。
大抵の場合は、アンデッドのそのおぞましい容姿によって錯乱してしまう。
と、別な研修生の悲鳴が聞こえる。
ピスティナは頭を抱えながら、悲鳴の聞こえる方へと走る。
そこには、短弓を持った一人の少女と、脛や頭を見事に貫かれたゾンビ達の骸があった。
バトルシューターだろうか。
「初アンデッドにしては随分と肝が…」
次の瞬間、ピスティナは気が付いてしまった。
少女は、失禁していた。
「あ…ああ…」
「……」
少女もまた、錯乱状態にあった。
そしてそんな状態でなお、少女の弓は寸分のブレもなかったのだ。
「お前、まだ矢はあるか。」
「は…はい…!」
「援護する。奴らを撃退するぞ!」
それが、ピスティナとリニーの出会いだった。
震える手で弓をつがえ百発百中の矢を放つリニーと、リニーに近付き過ぎた敵を瞬きの間に殲滅するピスティナ。
今晩がはじめての共闘だと言うのに、その連携は長年連れ添ってきた冒険者を思わせる程に鮮やかだった
「全く…この様子じゃこいつらは、野営をするのに傭兵を雇わなかったんだな。」
最後の一体が無力化するのを確認したピスティナは、腰を抜かしてへたり込んでいたリニーを助け起す。
「あの…あの…ありがとう…ございます…」
「礼など要らん。周辺の地理を良く調べなかった私の失態だ。それより…」
と、二人の元に慌てた様子の研修生が一人。
「せ…先生!大変です!」
「はあ…今度は何だ。」
ピスティナはリニーを連れ、その研修生に導かれ、即席で据えられた医療用のテントの中に入る。
「ああああ“アアアア”あがああああああああ”!!!
ベッドに縛り付けられた一人の研修生が、獣の様な呻き声をあげながら暴れている。
「申し訳ございません…既に10箇所以上に傷を負い…ここに来た時には…私の手では…」
涙で目を潤ませながら、シスター見習いが申し訳無さそうにピスティナに報告する。
「こいつ…俺達を庇って…」
「……帰還まではどれくらいかかると思う。行軍指揮者志望者。」
「は…はい…最寄りのアンデッド治療が可能な街は、54km先にあるボエ連邦フロスビン支国領。
道中には…川が3本に…強力なモンスターの根城であるローワイン湿原…どんなに楽観的に見積もっても…3日は掛かるかと…」
「正解だ。では、シスター志望者。」
「…はい…」
「彼の容体は。」
「既に…体がアンデット化を始めています…もう…数刻も持たないかと…」
「合格だ。シスター。…次は。この場にいる全員に問う。この状況下で最善の策を言ってみろ。」
誰も、何も言わない。
テントの中を、ベッドの上で苦しみ悶える研修生のうめき声だけが包み込む。
「…済まない。君達にはまだ少し酷だったか。」
ピスティナは、アンデッドになりかかっている青年の方を向く。
「おいお前。名前を教えろ。」
「…ロデロ…ゴーヒューク…アアアアアアアアアアア!!:”
「ゴーヒュークか。私が土に還るその日まで、私はお前の名前を忘れはしない。…おい、そこのバトルシューター!」
ピスティナは、リニーを指差して手招きする。
リニーは、たどたどしくピスティナの元へと歩いて行く。
「こういった状況は本来ならば、即死魔法を得意とする“ダークウィザード”が送り出す物だが、あいにくこの編隊では無理だ。
そうなった場合は、代わりの役職の者がこの役目を引き継ぐ。
一撃の威力が高い、一撃で終わらせられる者がな。」
リニーは、自分が呼びつけられた理由を理解する。
「わ…私には出来ません!」
「…良いかよく聞け。戦場では、人命は道具だ。道徳なんざは何の役にも立たない。
此処に居る全員を危険に晒し一人を助けるか、留められる内に被害を最小限に抑え込むか、どちらが善策だ。」
「……」
「もしもその覚悟が無いなら、お前は騎士になるには優し過ぎる。…自分に合った、もっと良い居場所を見つけられるさ。」
リニーはしばしの間立ち竦んだが、やがて徐に弓をつがえる。
基本的なアンデッドの弱点は頭だ。充分な貫通能力と威力を兼ね備えたショートボウならば、この役目には最適だ。
リニーは弓を引き絞り、決意を固めて狙いを定める。
「アアアアアアアアアアア!!!!!」
赤黒い液体が体のあちこちにこべり付き、ピスティナとして産まれ生き死んで行った筈の何かに、その矢を向ける。
そのピスティナの口からは、ドクドクと赤黒い半液が流れ出していた。