英雄の決意
「フィフィ王国…ですか。」
かつて巡回兵のものだった命の輝きをてまりのようにもてあそびながら、ティーミスは《女帝の尋問》によって得た情報を頭の中で纏めていた。
まず巡回兵はフィフィ王国という、アトゥのすぐ隣の小国によって派遣された騎士達であり、やはりその騎士団が最低限の体裁を保つ以外に特に意味の無いものだった。
ただ、一切監視されていないというわけでもなく、アトゥをぐるりと囲うように既に監視用の結界が張られているとの事。
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手に入れた【奪取した命】が、淡く輝いています。
《無垢なる物欲》の発揮によってアイテムを抽出できるかもしれません。
実行しますか?
[はい][いいえ]
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ティーミスの目の前に、不意にウィンドウが現れる。
ティーミス自身も忘れかけていたパッシブスキルだ。
「手に入るものなら、貰っておきましょう。」
ティーミスの細く美しい指が、肯定のアイコンに触れる。
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記憶の残滓が、形を成していきます…
…
…
…
抽出に失敗しました。
ペナルティ発動!
【咀嚼する狂気】が出現します!
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ティーミスの持っていた【奪取した命】から、見慣れた赤黒い半液がどくどくと流れ出していく。
半液は最初、ティーミスの目の前に液溜りを作り、不気味なほど急速に形を成していく。
液溜りは次第に盛り上がっていき、表面にぽつぽつと、目のつもりらしい黒いくぼみが現れる。最後に、その不気味な塊の中心に真っすぐと裂け目が現れ、生え揃った歯が現れる。
血に濡れたように真っ赤で、そして人間の様に真っすぐと、そして人間の倍ほどの数の不気味な歯だ。
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【咀嚼する狂気】
ペナルティモンスターの一種です。
死魂の残滓によって深淵より復活した、古の狂気です。
注意!
このモンスターは五分間の不死ですが、不死期間中に蓄積したダメージは残ります。
あなたと同格のモンスターです。
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「にゃ?」
五分間、のあたりを読んでいたティーミスだったが、モンスターはすぐさま、半液の塊の体から無数の黒棘をティーミスに向かて勢いよく伸ばす。
咄嗟に手の甲で棘を弾くティーミスだが、貫通属性が少しあるのか、はたまたとてつもない攻撃力だったのか、ティーミスの手の甲にはひっかき傷のような裂傷が刻まれる。
カチカチカチカチカチカチカチカチ…
モンスターは笑う様にその歯を打ち鳴らし、地面の中へと消えて行く。
「逃げた…?」
ティーミスがそう思ったのもつかの間、ティーミスの立っていた地面の真下から、三本の大きな黒棘が突き上げられる。
「にあ!?」
地面の中から、先ほどのモンスターが湧き上がってくる。
口の付いた半液の塊から、尖った巨大な足が八本生えている。その姿は、頭と足のバランスが全く取れていない巨蜘蛛と呼ぶのが相応しかった。
ティーミスは魔剣を握り締め、ティーミスを睥睨するその狂気とやらと対峙する。
「朝の蜘蛛は縁起がいいって聞きますが、遠慮なく潰してやります。」
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ピスティナは今今晩の出撃の為に、フィフィ王国の駐屯所のとある施設で準備を整えていた。
そんなピスティナの元に、一人の騎士が訪れている。
「…わたくしが不甲斐ないばかりに…いたずらに兵を死なせ、何の戦果も得られずに敗走してまいりました!誠に、申し訳ございません!」
騎士は、床に頭をめり込ませんばかりに土下座をする。
そんな騎士の頭に、ピスティナは軽く触れる。
「ギフテッド出現など異例中の異例だ。どんな優れた策士でも、結果は変わらなかっただろう。
そしてお前が齎した情報は、騎士49名の命と十分釣り合う程の物だ。…ギフテッドとは、その一挙一動全てが歴史上に残されるべき重要な情報なのだからな。」
「…はい…!」
ピスティナの必死のフォローが、騎士の悔いをさらに引き立てる。
これ以上自分が居ては毒だと判断したピスティナは、騎士を残し部屋を後にする。
「ん?」
コン、コン、コンと、木に何かが打ち付けられる音が、外から定期的に響いて来る。
ピスティナはふと気になり、窓から外の様子を覗いてみる。
「はあ…はあ…ひい…うわああああああ!」
泣きじゃくりながら、怒り狂いながら、少女が一人、的に向かって訓練用の弓を射り続けていた。
矢はどれも的の中心を貫き、的には既に大きな穴が空いていた。
(あの時…私があの時、胸ではなく頭を貫いていれば…!)
リニー・ベルト。たった一度の狙撃で、戦場に居た誰よりもティーミスに深い傷を負わせた、ゲームで言う所のMVPに当たる人物。
そんなリニーは今、後悔と怒りに任せ訓練用の武器と的を虐待し続けていた。
リニーは初め、確かにティーミスの頭を狙った。
リニーは重圧に負け、その矢先を胴に逸らした。より簡単な方に。より成功率の高い方に。
失敗を恐れた故。叱責を恐れた故。仮に殺しきれなかったとしても、当てたなら何か責められることは無い。
失敗を恐れ、最も安全な道を選び、そして、確かにそれを実行した。
当時ティーミスの残機が二つあったことは、リニーは知る由も無い。頭を貫いてさえいれば、ティーミスを討てたとリニーは思い込んでいる。少なくとも、胴は貫けたのだから。
「ああ!ああああ!ああああああああ!」
ほんの少し照準を上に逸らしていれば、あとほんの少し集中していれば、ほんの少し、勇気があれば。
悔やんでも恨んでもどうしようもない。
何度矢を射ようと、あの日の一本は取り戻せない。
トシュン!トシュン!
簡素な作りの矢が放たれる。
トシュン!トシュン!
的に向かって放たれる。
トシュン!トシュン!
指が焼き切れる程に。
トシュン!トシュン!
瞳が乾き、涙が出てもなお。
次の矢をつがえ弦を引き絞ったその時。
「落ち着け!」
「!」
ピスティナに押さえつけられ、リニーはふと我に返る。
手にはとっくに弦の切れた弓。目の前には、夥しい数の矢によって跡形も無く破壊された的が一つ。
リニーの全ての指の皮は切れてしまい、ポタポタと流血している。その手は、あるいはリニー自身が痙攣している。
「…ピスティナさん…!」
「記録によれば、奴は未知の自動蘇生呪文を使う。
成功率の低いヘッドショットを狙わなかったのは良い判断だったし、君が矢を当ててくれた事で、奴の弱点が貫通属性だと言う事も割れた。
君は既に想定以上の役割を果たしたのだ。そう気に病むな。」
「は…はい…!」
今にも泣き出しそうな声で、リニーはピスティナを抱き締める。
ピスティナは、内心非常に迷っていた。
本当に今、自分が出撃するべきなのか。
ギフテッドの討伐は、毎回天下無双の英雄達が無数に犠牲となる。
自らもその連なる殉職者達の中に入る事になるのだろうかと、ピスティナは内心恐れていた。
(私が死ねば…残された者達はどうなる…?)
ピスティナは、ふと自らが首にかけているロケットに目をやる。
今は亡き夫と娘の写真が入った、ピスティナが命よりも大切にしている物だ。
夫と娘が山賊のサーベルの錆になった時、ピスティナはただ震えて見ていることしか出来なかった。グラハムとゴガンと言う二人の若者が村を救うまで、ピスティナはただ、家の隅で泣いている事しか出来なかった。
(…私も、誰かを守れるのだろうか。…いや、守って見せる。帝国の未来を。私の正義を。そして、未来に生まれるであろう子供達の為の、平和な未来を!)
ピスティナはリニーを抱きしめながら、その拳を堅く握りしめる。
血が、或いは、刺し違えてでも必ず倒すと言う決意が、拳から滲み出ていた。