一輪の花を添えて
「源泉を得る為には、ある程度の“融通”も必要だ。…それ以上文句があるなら、軍法会議で話そうか。」
「!…いえ、もう結構です。」
呆れ半分失望半分、ピスティナはアトゥに関わった重役への聞き込みを取り止める。これ以上続けても、進展らしい進展は望めないからだ。
調べれば調べる程、ピスティナが今まで目を背けてきた帝国の裏側を突き付けられる。
本当の悪が、ギフテッドなのか帝国なのか分からなくなってくる。
正義の探求者たるピスティナに、迷いが生じる。
件のギフテッドを討つ事が、本当に正義の執行に繋がるのだろうか。
帝国は何も変わらなくて良いのだろうか。このままの帝国に、ピスティナの目指す正義は有るのだろうか。
「ピスティナ殿。こちら、例のギフテッドに関する帝国の資料でございます。」
「ご苦労、ワインズ君。」
初老の軍法官から、ピスティナは数枚の紙を手渡される。
ティーミス・エルゴ・ルミネアの、出生から現在までの記録を要請した、筈だった。
「…は?」
帝国の記録上では、ティーミスは二年前に、捕虜として捕縛された直後に死んでいる。
しかも、9才の少女じゃ絶対に有り得ない様な罪歴(強姦だの、酔っ払って暴行だの)まで並んでいる。それも、仮にティーミスが生まれてから今まで、一年に10回罪を犯しても足りない夥しい量だ。
「…おい、何だこれは。彼女は自分が生まれる五年も前に3回窃盗を働いたのか?」
「え?」
「彼女は、今年で11歳になるそうだが?」
「い…いえ、違います!これは…」
「帝国軍法書記部は、一体いつから幼稚園になったんだ!」
隠蔽と改竄の限りを尽くされた、最早何の役にも立たない紙切れを、ピスティナは苛立った様子で地面に叩きつける。
「アトゥ関連の全資料と、資料作成に携わった全ての人間を集めろ!貴族だろうが皇子だろうが全員だ!」
「しかしピスティナ殿!これも全て泉を手に入れる為に、第三皇子が…あ!」
ピスティナは、軍法官の胸ぐらを掴み持ち上げる。
「隠蔽するにしても、こんな三歳児に筆を持たせた様な記録で誤魔化せると思ったか?
そもそもいざ使おうとした時に、嘘だらけの紙切れを渡されてどうしろと言うのだ!」
「ぐ……」
軍法官を地面に放り出し、ピスティナは突き放す様に呟く。
「既に七等級の聖騎士が一人死んでいる。事が済んだら、貴様らにも責任を追及するからな。全員纏めて、たっぷりと縄をくれてやる。覚悟しておけ。」
これも原因は第三皇子にあった。
貴族達の収容を正当化する為に公の記録に罪歴を加筆すると言う作業が生じ、時間がない中量も量であった為手違いが頻発し、是正する猶予も無かったのだ。
(全く…どいつもこいつも金に目を眩まされて…駄目だ、こんなでは貴族令嬢がギフテッドになった経緯が辿れない。)
ピスティナは、ポケットから手帳を取り出す。医務室で休む兵士や作業員達から聞き出した、ギフテッドに関する情報をメモした物だ。
(“腕が怪物になった”“超人的な身体能力”“弾幕攻撃が可能”“レイドモンスター”“とても美しい”…何だ、彼らの方がまだまともな情報をくれるじゃないか。)
ピスティナは、兵士の譫言から受け取ったその情報を頭の中で組み合わせようとするが、どうしても上手くいかない。
別々のパズルから取り出されたピースを、目の前に大量に撒かれたかの様な不快感ともどかしさをピスティナは抱く。
転送魔法で辿り着ける距離に人智の及ばぬ何かがいる。ただその事実が、ピスティナを一層鼓舞し続けていた。
(あー…もう朝か…二日間こんな調子だ。そろそろ寝ないと、身体を壊してしまいそうだ。)
〜〜〜
「ひ…ひ…ひぃ…」
ティーミスは奥歯を噛み締め、目は虚ろに虚空を見つめている。
既に両手足は切断されており、腹は切り開かれティーミスの臓物が露わになっている。
「この様になっております。如何でしょう。」
「ふうむ…肝臓が若干血の気が悪いが、後は申し分無い。特に、少女の胆嚢は今価格は高騰しておりましてね。ネクロマンサーが儀式に使うとか何とかで。」
尋問官と痩せこけた男が何やら商談をしている。
ティーミスは薄々、それが何の取引なのか気が付いていた。
何でもいい。胆嚢でも何でも持って行けばいいから、頼むからとっとと殺してくれとティーミスは心の底から思った。
痩せこけた男が、小動物か何かを見る目でティーミスの臓物を眺める。
「おや?心臓が動いていますね。まだ生きているのですか?」
「ええ。まだ意識もあるはずですよ。」
「はえ!?…いえ、何でもありません。おたくの事情に干渉する気もありませんから。」
と、その痩せこけた臓器ディーラーとティーミスの目が合う。
「…失礼、これは心臓や脳なども買い取れるのですか?」
「ええ。ご自由に。その子はもう記録上は死んでいますので。」
ディーラーは何かを決心した様に、ポケットから一本の注射器を取り出す。
「では、丸ごと買い取りましょう。」
男はティーミスの喉に注射器を押し込み、内容物を流し込む。
ティーミスは、甘美なまどろみの中に誘われていく。
痛みが消えていき、意識が薄まっていき、そして。
「こいつはサービスだ。」
ディーラーはジッドに変わっており、拷問官は付近で灰と化している。
ティーミスは右手に、燃え盛る魔剣を握りしめており、気が付けばそこは、積み上がった骸の山の頂上だった。
「……んー…」
アトゥの城門の上。ティーミスは快晴の空に向かって伸びをする。今日は珍しく穏やかな目覚めだ。
ティーミスの記憶では、あの日から数日間生きたまま臓器を抜き取られては再生魔法で無理やり生かされると言う日々が続く。
ティーミスのお腹の上に乗っていたはずの本は消えており、代わりに目の前に小さなウィンドウが漂っている。
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あなたは、滅びた世界についての知識を深めました。
スキルを習得しました。
『傲慢相』
《戦術模写》
【古文書の断片】とあなたの記憶を使用して、【精鋭のスクロール】を作成する事が出来ます。
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「…邪魔です…」
ティーミスは寝ぼけ眼でウィンドウを払いのけ、自らの脇腹のあたりをポンポンと確認する。
ジッドと出会ったあの時も、ティーミスの体内はほとんど空っぽの状態だったのだ。
しかし【奪取した命】での復活と共に元どおりになったと、今更ながら実感する。
ぽりぽりと頭をかき、アトゥ周辺の様子を観察する。
数名の巡回兵が居たが、朝日が昇る現在でさえ門の上に立つティーミスに気付く気配も無い。
視線を落とし、たまたまティーミスは視界に、自らのへその左側に刻まれたユウガオのタトゥーを捉える。
「あれ?」
タトゥーであるはずのユウガオは蕾になっていた。昨日まではこんな事は無かった筈だ。
ティーミスは、ポケットに突っ込んであったこのタトゥーの説明書を取り出す。
「“十分な日光を与え、定期的に水で濡らして下さい(唾液、血液等の体液でも可)。
ユウガオはその名の通り、夕方から夜にかけて花を咲かせ、翌朝にはしぼんでいきます。
こちらのタトゥーを消したい場合、又は花から伸びた蔓や葉を消したい場合は、新鮮な灰を混ぜた水で軽く洗って下さい。”
…何ですかこれ、タトゥーと言うよりただのお花じゃありませんか…」
ティーミスのへその左に描かれた、美しく精巧なユウガオの蕾を軽く撫でる。
ただ本物の植物を模倣して作られただけなのか、はたまた本当に共生生物の類がティーミスに宿ったのか。
ただそのどちらだとしても、そのタトゥーはティーミスの孤独な生を、ささやかに飾りたて癒してくれる存在となっていた。
「…そうですね。体の再生でまっさらな状態に戻るとは言え、たまには水浴びくらいした方が良いですね。」
ティーミスは花が好きだった。
それもただ遠くから、近くから、ぼうっと眺めているのが一番好きだった。
手間の掛からない子供だの、つまらない子供だの言われたが、ティーミスはそのひと時が一番の幸せだった。
「…と、こんな事をしている場合でもありません。」
ティーミスは目を閉じて、しばしその場で立ち尽くす。と、ティーミスの身体を包み込む様にゆっくりと靄が出現していき、数分の間にティーミスの姿は完全に消え去る。
《盗人の礼法》。姿、匂い、音、気配、その全てを外界より遮断する長期詠唱型の隠密スキルだ。
パキン…
小石の弾ける音がする。
「?」
巡回兵の一人がその音に気が付き、音のした方へと歩いていく。
アトゥの城門の丁度裏側だろうか。
(何だ、風か何かだったか。)
巡回兵は確認を済ませ、再びアトゥの外周に戻ろうとした時だった。
「!?」
巡回兵が振り返ると、先程まで誰も居なかった筈が、少女が一人立っている。
赤と黒の縞模様の明らかにダボついているズボンを履き、同じ柄の服を腰に巻いている。上半身は、胸に細身の黒革ベルトが巻かれている以外は何も身につけては居なかったが、へその隣に、実に精巧で美しい花の蕾の刺繍が施されていた。
明るいレンガ色の長髪。その瞳は、果実の様な淫乱なピンク色をしていた。