鋭利な恐怖
土ぼこりが光を反射し、靄のカーテンを映し出す、暗い教会の廃墟の中。
聞こえるのは、遥か遠くの戦乱の音。弦がキリキリと軋む音。呼吸と、心臓の音。ポニーテールが擦れる音。バクバクと鼓動する心臓の振動が、ささやかなバストを伝って木製の窓枠を揺らす音。
第四等級アーチャー、リニー・ベルトに課せられた任務はただ一つ。この一本の矢で、エルゴの娘を貫く事。
数多の速度補強魔法。七種の威力増大エンチャント。更に、今は亡き博愛の聖女リカリアによって付与された、最高峰の貫通属性。
その全てを、このたった一本の矢に宿したのだ。
リニーの頰に、一筋の汗が伝う。
チャンスは一度きり、これを外せば全てが終わりだ。
「…ダメ…私には無理…!」
今にも泣き出しそうなリニー。
それもそのはず、リニーはスナイパーとしてはまだまだ新米。これほどの超遠距離狙撃は今までやった試しが無かったのだ。
「…?」
ふと、リニーは手首に何かが触れる感触を覚える。
日の位置が変わり、窓から射す光がリニーの手の甲を照らし、暖めていた。
(お師匠様も、いつもこうやって私の手に触れててくれたな…)
緊張で手が震えれば、射撃精度は当然落ちる、
アーチャーとして最も重要な物、それはどんな時でも揺るがぬ平常心だと、リニーは師匠より教わっていた。数年前に他界した、偉大なる師匠。
(…見てて下さっているんですね…そこに、居るのですね…)
リニーは、誰にも聞かれぬ声でポツリと呟く。
「…ギザーリ師匠…」
リニーは深呼吸を一つすると、少しの間息を止め、目を細め、心を鎮め、そして、射る。
「…!」
何かがこちらに来る。
ティーミスがそう察知した瞬間には、その矢は既にティーミスの心臓を貫通し、煙をあげて地面に突き刺さっていた。
「!や…奴の体力が!」
「これは…!」
先程まで見るものに絶望感すら与えていた紫色のティーミスの体力ゲージは、一気に半分程まで減った赤色の物へと変わっていた。
「うえげ…!」
数瞬遅れて激痛に襲われたティーミスは変な声を出す。
ティーミスにはまだ残機はまだ一つある。しかし、その普通じゃ無い削れ方には、騎士団は戸惑いと希望を覚えた。
矢には特段何の属性も無い。つまり、ティーミスの弱点が属性以外の何処かにあると言う事だ。
「…そうだ…奴はドラゴンでも無い、魔王でも無い、ただの人間だ…」
矢に付いていたのは、速度強化、威力強化、そして、貫通。
どんな手で誤魔化そうとも、人間の命と言うのは実に脆く儚い。
「防御力だ!奴の膨大な体力の正体は、桁外れの防御力だ!」
絶望に沈んでいた騎士団の目に光が戻り、一斉に準備に取り掛かる為に後退する。
防御力を無視する攻撃は、普段はあまり使われないがいざ必要になってもそこまでの手間もかからない。武器に専用のエンチャントを付与し、貫通属性を持つ弓や槍を中心に陣を形成すれば良い。
「はあ…はあ…かっは…り、《復讐の始まり》」
吐血をしながら、ティーミスはその右手に「怒り」を宿す。
今の騎士団はティーミスから距離をとっている上に対処法も割れている。流石のティーミスも、敵陣に突っ込んで殴り飛ばしに行く様なことはしない。
「…ふん。」
ティーミスが拳を宙に突きすと、周囲の空間が余りの圧力で一瞬歪む。
見た目はただのジャブ。故に威嚇としては十二分だ。
「…繰り返し伝えるが、奴は他者の命を奪うことにより回復する。決して、あれに被弾してはならない。」
この威力の物はそう簡単には放てないが、騎士団は幸いティーミスのスキルに関しては無知だった。
全く違う8つの世界のスキル。この世界には決して存在しない筈のスキル。
「よし、前衛に槍兵を配置し、魔法兵はバフに専念、遠距離部隊は全て弓兵に置き換え…」
流石に貫通属性で攻めて来られれば、今のティーミスでは流石に危ない。
そして何より、200人以上の騎士を全て倒すなど、今のティーミスではまだまだ至難の業。
方法は、一つ。
「《晩餐》」
ティーミスの左肩から、ボコボコと赤黒の液体が湧き上がってくる。
液体はティーミスの左手を包み込み、大顎の怪物を形作る。
「な…!」
「《変身》…!?部分的に!?」
ティーミスはその顎腕をガチガチと打ち鳴らした後、まだ陣の整っていない左翼方面へ突進を始める。
「構えろ!奴から弓兵を守るんだ!」
先程から指示を飛ばし続けている、大鎧の戦士。
ティーミスの顎腕の双眼が、その戦士を睨む。
「…あなたは鎧が硬そうですので、良いです。」
「何を…」
かなりの重量を持つ顎腕を持ち上げたまま、ティーミスは騎士団の陣の左翼の槍兵から貪り始める。
勇気ある物はティーミスに槍を向けたまま喰らわれ、勇気無い物は背を向けたままかぶり付かれる。
ティーミスは体力を回復し続けた。
傷が消えるまで、痛みが消えるまで。
「弓を構えよ!あれを…なんとかしろ!」
弓兵達が顎腕に向けて矢を放つが、顎腕自体はティーミスの数倍の耐久力を持つ。
この場合はティーミス本人を狙うのが正解だ。
「…こっちに来る…ぎゃああああああああ!」
一人、また一人、顎腕に咥えられ、鎧ごと咀嚼され、消えていく。
矢や槍が何本刺さろうが、神経の通っていない顎腕が止まることは無い。
強制初見縛りからの初見殺し。
そして、
「ひ…ひいいいいいい!」
「もう嫌だもう嫌だもう嫌だ…」
強烈なトラウマの付与。
圧倒的多数にティーミスが勝つための、姑息かつ卑怯な手。
勇気のありそうな兵士の目の前で、臆病な兵士を噛み砕く。
蠱惑的な兵士は出来るだけ素早く飲み込む。
そうして騎士団に恐怖を植えつけ、士気を削いでいく。
「う…うわあああああああ!!!」
兵士の敗走が始まる。
ティーミスの殺めた騎士は50人も行かない。が、統率は既に崩れ去り、覚悟の無い者から順に、蜘蛛の子を散らす様に逃げて行く。
中には、実に悔しそうに歯を噛み締めたまま撤退して行く騎士も居た。勝ち筋が見えていた状態での敗走、それはつまり自分らの力量不足を認める様な物だった。
「…逃げて下さい。そして、出来ればもう二度と剣を握らないで下さい。」
逃げ遅れた最後の一人を顎腕で喰らう。
鎧が薄かったから、多分弓兵か魔法兵だろう。
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《三等級帝国騎士》を48体倒しました。
183190EXPを獲得しました。
おめでとうございます!
LVが51→53に上がりました。
スキルポイントを4獲得しました。
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静寂の戻ったアトゥ植民区。
既に民も逃げ去り、アトゥには本当の静寂が訪れていた。
あの騎士団は途中から、アトゥ植民区の住人の避難の為の、避難誘導と時間稼ぎも兼ねていたのだ。
「…これは…防衛成功と言う事で良いですかね。」
ティーミスはアトゥの地下湖に戻ろうとして、直ぐにその歩を止め、自らの姿を省みる。
身体中に矢や裂傷を浴び、自分の血と相手の返り血によって汚れきっている。左目は矢で潰れたままだ。
これでは泉を汚しかねないし、泉に住むアクアジュレスに怖がられてしまうだろう。
ティーミスは身体のあちこちに刺さった矢を引き抜きながら、代わりに別の場所に向かう。
小高い丘の上にある、ティーミスのかつての我が家。
「………」
ティーミスはアイテムボックスから、一本の弓を取り出す。
石膏の彫像に、黒い茨と花が巻きついている見た目の、大振りの弓だ。
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【クピードーピース】
とある花屋に飾られていた、キューピッドの石膏像が持っていた弓。
魔力と毒を帯びた花の蔦によって、異常な自然魔力を帯びています。
攻撃力+1330
猛毒属性
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メレニーの命から取り出した弓に、狼の頭の形の物体をつがえ、細い菌糸の弦を引く。
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『強欲相』
アクティブスキル
《接収狼魂》
狼型の霊魂を放ち、あなたへ向かう飛び道具を奪い取ります。
奪い取った霊魂は【蝕弾】として入手でき、様々な遠距離攻撃の際の弾薬として使用出来ます。
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「…さようなら…」
ティーミスは涙で潤む目をこすりもせずに、魔弓を放つ。
赤黒い矢が一直線にその屋敷に放たれ、矢は着弾した瞬間に赤黒い爆柱を起こす。
かつて屋敷があった場所は円形の禿げ地に変わり、アトゥルルイエへと繋がる地下室は埋め立てられる。
ティーミスの我が家は、これで物理的にも消え去った。
ティーミスは一体、誰に向けてさよならと言ったのだろうか。
地下に住むアクアジュレスだろうか、甘美な思い出だろうか、それとも、過去のティーミス自身だろうか。
それは、ティーミスにすらも分からなかった。