最適合相・傲慢
「ぶえっくしょん!」
デスクに足を乗せ、先程までいびきをかいて眠っていたセリアは、自分のくしゃみで眼を覚ます。
青い眼。金色の長い髪。
20代前半頃の若々しくスマートな体躯に、そのよく手入れされたスーツが似合っている。
そのクールな顔立ちからは、常に自信が満ち溢れていた。
「何処のどいつだぁ?あたしの噂してんのは。」
セリアは机から足を下ろし、不機嫌そうに立ち上がる。
体が若返ったとしても、精神まで退行する訳では無い。
よって今のセリアは、異様なまでに貫禄のある美女と言う状態になっていた。
「さてと…おーい、ティーミスんとこのガキ。書類整理は終わったか?」
セリアは、目の前のゴミ山に向けて言う。
部屋は壁も床も天井も石英で出来ている豪華な作りになっていたが、積み上げられた書類、放置された無数の機材、散らかされた道具によって、その景観は跡形も無く汚されていた。
「終わる訳無いでしょ!」
書類の山を抱えながらせわしなく働くシシュトが、大声で返答する。
セリアと違いシシュトは、格好も容姿も何一つとして変わっていなかった。
「て言うかこれ完全に違法だよね!こんな幼気な子供を馬車馬みたいにこき使うなんて!」
「幼気な子供だぁ?ティーミスはもうあーんなにべっぴんさんになっちまったんだぜ?あれと一緒に生きてきたお前等が、いつまでも子供な訳無いだろぅ?それに、こりゃ本来あいつの仕事だ。どうしてあたしがやらにゃいけないんだ?」
「おばさんが勝手にティーミスに押し付けただけでしょ!勝手に人集めて、勝手にケーリレンデの貧民街改造して。争いの無い世界を此処からとか何たらかんたらとか調子の良いこと言って、要するにティーミスの力を利用したいだけでしょうが!」
「利用だなんてそんな人聞きの悪い。あたしはただ、あいつの能力を世の為人の為になる事に向けてやっただけだよ。」
「ああもう…じゃあ二億歩譲ってそうだとして、どうしてボクばっかりがこんなこき使われなきゃいけないんだよ!」
「そらおめえ、言葉が通じるあいつの召喚物の中で、おまえが一番まともだからさ。あのヴァンパイアもどきには断られちまったし、龍人お化けに任せるのは流石にやばい気もするし、ってな。」
「そんなの理不尽すぎるよぉ!うわあああああ!」
シシュトは泣きわめくが、その体は本人の意思とは関係無しに労働に励む。
セリアはその様子を、にやにやと笑いながら眺めていた。
「…あ、そういや今日は三頭会合の日だ。あーめんどくせー…って事で、シシュト、オメーさんちょいと行ってきてくれよ。」
「はぁ!?それってティーミスさんの仕事でしょ!?流石のボクも怒るよ!」
「その割には行く気満々みたいだが?」
「え?うわ!?や…辞めろ!止まれボクの身体!うわあああ!こんなの酷いよおおおお!」
「行ってらっしゃい。可愛い坊や。」
「ボクは女の子だい!」
〜〜〜
「………」
雲の上の大きな椅子の上に、シシュトは座っている。
絶え間無く冷や汗を垂らし、少し離れた所で同じ様に座っている鬼の大男を上目遣いで眺めていた。
「おいキョンシー!今日もあいつは来ねえのか!?」
「ぼ…ボクはキョンシーって訳では…」
「来ねえのかって聞いてんだよ!」
鬼もといぬらりひょんは立ち上がるとシシュトの下までずかずかと歩いて行き、その細い首を力一杯握り締め、持ち上げる。
「ず…ずみまぜん…ごないどおもいまず…」
「ざっけんじゃねえぞ!おい、お前に喋った事はあのガキにも聞こえてるんだよな!良いかよく聞け!妖怪は人とは違う!良い加減に永夜都を認めやがれ!人間は日が無くても生きていけるが、俺達は太陽があると生きられねえんだよ!」
「だぞうですティーミス…なにがいっであげだらどうでじょう…」
シシュトは必死にティーミスに呼び掛ける。
此処で起こっている事を、ティーミスが知らない訳が無い。
「…でぃーみずのいぢわる…」
呼吸を必要としないシシュトが窒息死する事は無い。
故にシシュトは、首を絞められる苦しみを永遠に味わう羽目になっていた。
「まあまあ辞めないか。その子に責任は無い。」
そんな二人を仲裁すべく席を立ったのは今回の会合の三人目の参加者、ティターニアである。
場所は天界予定地の異界。
今此処に居るのは、会合に出席する3人だけだった。
「おめえもおめえだダメガミが。何だってあんな奴に肩入れするんだ。」
「私はティーミスを信じている。だからお前も、誰かから信じられるリーダーになれ。」
ティターニアはそれだけ言うと、再び自分の席に戻る。
会場は、雲の上に椅子を三角形を描く様に置いただけの簡素な物である。
「ッチ…」
ぬらりひょんは手を離す。
どさりと音を立て、シシュトは椅子の上に落ちる。
「あう…うう…」
首に出来た握られた跡を、シシュトは首を捏ねて修復を試みる。
従属者の体は形状記憶能力を持った粘土の様で、小傷であれば、少し捏ねれば直ぐに元の形に戻る。
シシュトもそれを解っていた。
「中々戻らない…うう…」
ぬらりひょんは再び椅子に座ると、ティターニアに向けて話し始める。
「で、オメーさんは本当に上手く行くと思っているのか。あの…何だっけ?」
「“罪咎の女神”計画だ。」
罪咎の女神計画。
罪咎の女神と言う神格を主神とする宗教を文明全体に広め、住人の根底思想そのものを書き換える計画である。
この計画の成功は即ち、ティーミスの抱く野望の成就を意味する。
この新設された天界は、その信者達の為に用意された物である。
統治や魂の管理はかつてと同様にティターニアが行い、天使の代わりにタルタロステイルズが運営を行う。
「計画は必ず成功する。ただ、それにはまだもう少し時間が必要と言うだけの話だ。」
「やっぱり天使の長ベルゼブブともなればお考えになられる事が違うな。どうせまた、世界の理気取りてえだけだろうお前は。」
「ふん!地下にすら適応できなかった魔族くずれが何を言う。確か妖怪とか言っておったっけ?妖しい怪物を自称するとは、随分と身の丈を弁えているじゃないか。」
「んだとテメエ!」
「我とやろうと?面白い。」
二人は立ち上がる。
「ストップ!ストーップ!喧嘩はダメですよ!」
その開戦を、シシュトは何とか阻止しようとする。
「ああ!?そもそも誰のせいでこんな奴とつるんでると思ってる!いい加減テメエの主人を出せ!」
「そ…それをボクに言われても…」
「そうじゃそうじゃ!今罪咎の女神は何処で何をしておる!早く出さぬか!」
「だからボクに言われてもどうしようも出来な」
その時シシュトは、喉に違和感を覚える。
最初はぬらりひょんに握られた所為だと思ったが、直ぐにそれでは無いと言う事を知覚する。
締め上げられる感覚では無く、喉の奥から何かが込み上げてくる感覚だった。
「あが!?」
シシュトの口から、手が伸びてくる。
手はシシュトの頭を掴むと、喉の奥から残りの身体を持ち上げる為にシシュトの顔に体重を掛ける。
出て来たのは、黒いタールでほんの少しだけ汚れたティーミスの上半身だった。
「もう良いです。」
ティーミスは一言言うと、シシュトの口を喉まで引き裂き、残りの身体も引き出し、地面、雲の上に降り立つ。
「ずっと見ていました。今日も、前回も、前々回も。しかし、貴方方はシシュトの言葉に耳を貸そうともせず、そうやっていがみ合い続けていました。仮にも頭を自称する者同士が、まるで子供みたいな言い合いまでして、流石に無責任過ぎます。」
喉まで裂かれたシシュトは倒れる。
パリパリと音を立てながら喉元から再生を始めているが、暫くは掛かるだろう。
「ご…誤解だティーミスよ。我は決して貴女の意思に反そうなどとは…」
「ティターニアさん。私は、お互いを尊重する様に言いました。貴女はこの三回で、一度もそんな様子を見せはしませんでした。三度とも戦闘態勢に入り、三度ともシシュトに止められ、一度はそのシシュトを、ズタズタになるまで虐めていましたね。勇敢にも御二方の間に入ったシシュトを。」
「それは…」
ティーミスの頭上に、大きな金棒が振り下ろされる。
ティーミスはそれを片手で受け止める。
「良い加減にしろよテメェ。俺は天界のベルゼブブ以上にテメェが一番いけ好かねえんだ!突然現れて、全ての生物の為の文明を作るから来いとか勝手な事言ってよぉ!」
「でも貴方方は、付いて来てくれました。だから今此処にいるのです。一つ補足を入れますが、あの時点で既に、貴方が私の地位を狙って取り入って来ている事は分かっていましたが、それでも私は受け入れました。何故だと思います?」
ティーミスはほんの少し肘を曲げ、再び伸ばす。
その手で受け止められていた金棒は逆側からの途方も無い力を受け、ぬらりひょんごとティーミスから弾き飛ばされた。
「貴方のその戦意を尊重し、機会を与える為でした。私に挑戦し、私よりも優れた存在である事を示し、私の負っている物を肩代わりしてくれる可能性のある、貴方の為に。ですが、」
ティーミスの姿が消える。
次の瞬間、ぬらりひょんは膝裏に強烈な打撃を受け、一瞬跪く様な姿勢になる。
そのコンマ数秒後に、今度は前方から頭への打撃を受け、彼は上体が仰向けになる様に倒れる。
そして最後に、そのぬらりひょんの額に、ティーミスの人差し指がそっと添えられる。
一切力を加えていないはずなのに、ぬらりひょんはそれだけでピクリとも身動きが取れなくなった。
「残念ながら、貴方はそれに値しませんでした。なのでもう、三領主制はおしまいにします。」
ティーミスは立ち上がる。
「これからは私一人が最高指導者です。二方にはそれぞれ適切な役割について貰います。ティターニアさんは依然として天界の管理者に、ぬらりひょんさんは、思い付いたら連絡します。以上。」
ティーミスはそう言うと、シシュトの下まで歩いて行く。
シシュトは相変わらず喉から引き裂かれており、再生は殆ど進んでいなかった。
ティーミスはそんなシシュトの鳩尾のあたりに人差し指を突き刺し、そこから一気に胴体を引き裂く。
そうして出来た裂け目に入り、ティーミスはそのままその場から消え失せた。
『中々サマになっているじゃ無いか。良いぞ良いぞ小娘よ。中々に余好みに育っているじゃぁ無いかぁ。クッヒィッヒィッヒィ!』
「貴方からも学ぶ物はありましたよ。傲慢の王様、ガーザさん。」
「ん?お客様、何かおっしゃられましたか?」
料理を運ぶウェイターが、ティーミスに問う。
ティーミスは今、レストランの個室で昼食を摂っている所だった。
「いえ、その…独り言です。癖なんです、ごめんなさい。」