残すと言う罪
「…すー…すー…」
簡素なデザインながら、非常に機能性に優れたベッドの上。
女性が一人眠っている。
ビロードの様な煉瓦色の長い髪は、ベッド一杯に広がってなおその美しさを保っている。
履いているジーンズは、その女性の長くスレンダーな足を引き立てている。
対して灰色のシャツは、豊満なバストによりかなり突っ張られている。
「…ん…」
女性は目を開ける。
カーテンより僅かに差し込む昼下がりの日光を受け、女性の目は部屋を写した暗い藍色になる。
「…外が明るい…今何時かな…」
女性は窓辺に置いてあるデジタル時計を確認する。
「…お昼…」
女性は体を持ち上げると、ぐいっと一つ伸びをする。
その時、部屋の扉が突然開く。
「たた…大変です!ティーミスさん!また!」
「…?」
ティーミスの名を呼んだのは、リテだった。
◇◇◇
「もう我慢ならない!人間の領土に奴らが居ていい筈が無い!」
「この世界で言葉を話すべきは人間種のみだ!」
「文明とは人間だけのものだ!よってこの文明は、我々人尊派の物だ!」
領主館の前に群がり、プラカードや旗などを掲げ騒ぐ人々。
ティーミスはそんな者達を、すぐ隣に立つ高層マンションの最上階の廊下から見下ろしている。
その隣には、リテも居た。
「今朝からこんな状態で…」
「………」
ティーミスは一つあくびをする。
人々が領主が居ると思っている館は、現在は無人である。
領主としての実際の仕事を他に任せ、ティーミス自身は一般人と変わらぬ暮らしをしているからである。
「…彼等にも彼等なりの主義主張があるんです…ですが今の私では…それを汲んであげる事は出来ません…だから同じ月に3回もこんな事が起こるんです…」
ティーミスは床に足を片足づつ突っ込む。
虚空から引き出された足には、スニーカーが履かせられていた。
「…いつかきっと…彼等とも分かり合いたいとは思っています…ですが今は…」
「ティーミスさん…」
ティーミスは軽く後退し、自身が先程まで覗きに使っていた大窓から距離を取る。
ティーミスはそこから助走を付けて、ガラス張りの窓に飛び掛かる。
ガラス片は一片たりとも飛び散らない。
ティーミスはガラスを透過し、そのまま飛び降りたのだ。
“タスン!”
スニーカーでの着地音が大音量で響く。
ティーミスが降り立ったのは、領主館と外界を隔てる鉄柵扉の前。
ティーミスが降り立った瞬間、先程までの動乱が嘘の様に静まり返る。
「…今回の扇動者は誰ですか…?」
ティーミスは冷たく問い掛ける。
先程まで猛々しく己が思想を叫んでいた人々は一転し、その目は絶対的な支配者に対する恐怖の目に変わっていた。
群衆が割れ、その中から一人の若い男が現れる。
「お…俺だ!」
「…一体何があったんですか…私が話を聞きましょう…」
男は下唇を噛みながら、ティーミスの気迫に少し後ずさりする。
男は冷や汗を垂らしながら、一瞬背後を振り返る。
そこには男の主義に共感し共に着いてきてくれた仲間達の、希望に満ちた眼差しがあった。
ティーミスの放つ暗黒のヴェールの中で輝く光を見る様な、そんな視線だった。
男はそれを見ると、覚悟を決めた様に鉄柵のすぐ前まで来る。
「俺は昨晩、高級レストランで家族とディナーを楽しんでした。そしたら隣の席に狐人族共が座りやがったんだ!」
「…それで…?」
「せっかく高い金払って娘の誕生日を祝ってたのに、あんなのが同じ部屋に入ってきたんだぞ!?お陰で飯も不味くなったわ!」
「…それだけですか…?」
「それだけって…此処はまるで檻の無い動物園だ!あんなケダモノ共が、人間の文明に居て言い訳が無い!俺達の要求はただ一つ!奴らをこの町から追い出せ!出来なければ領主の座を渡せ!」
「…嫌なら貴方達が出て行けば良いでしょう…あと、此処はみんなの町です…」
ティーミスは頭を抱える。
こう言った人種には何を言っても無駄だという事は、もう散々解らされていた。
「…なので、彼等を追い出す様な事は絶対にしません。」
「だったら…」
不意に鉄柵が開け放たれる。
鉄柵の両側に現れていたタルタロステイルズは、それだけを済ませると直ぐにまた兵舎へと消えていった。
「…領主の名において、今から此処で起こる全ての事象には、一切の法律が適応されない物とします。そんなにこの街が欲しいのなら、現領主を“暗殺”して勝ち取ると良いでしょう。」
「な…」
「貴方方と同じ様に、私にも自分の主義があります。私だけが不当に虐げられるのは、私が認めません。」
ティーミスは一歩前に出る。
「私は私の主張に命を賭けています。貴方方にもそれなりの意思があると言うのなら、信じる思想に命を賭ける覚悟があると言うのなら、掛かってきてください。」
ティーミスは、群衆に向けて両腕を広げる。
それはまるで、こちらに向かってくる子供を受け止めようとする母親の様であった。
「お…おい…本当に良いんだな…!どうなっても知らないからな!」
男はあからさまに狼狽する。
ティーミスはその様子を、相変わらずのジト目で眺める。
「行くぞみんな!」
群衆の中から、快活な一声が響く。
その声は群衆の中の、扇動者とは別の人物の物だった。
「「「うおおおおおお!」」」
群衆の一部が、ティーミスに突撃を開始する。
スキルエフェクトが散見される事から、何人かはスキル持ちである事が伺える。
扇動者だった男は、ただただその様子を見ているだけだった。
「…お見事ですね。」
ティーミスは、一瞬で群衆の正面から右側面に移動する。
最初に突っ込んできた群衆達が丁度一直線に見える所から、一番側面の者、つまりティーミスから最も近い場所に居た者に、蹴りを食らわせる。
最初に蹴られた者は後方に吹き飛び、そのまま玉突きの要領で第一波は壊滅した。
「これが見えますか。扇動者さん。」
ティーミスは、折り重なる様にして倒れる第一波を眺めながら問う。
「貴方がそこでそうして見ている間に、貴方に付いてきた方々は、貴方の主張の為に命を掛けました。」
ティーミスにより負傷したデモメンバー達は、壁や床から現れてきたタルタロステイルズ達によって次々と運び出されて行く。
全員、打撲以上の怪我は負っていなかった。
「思想とは、人を動かす力があります。それは時に、それを宿す本人以上の力を持っています。」
ティーミスは、扇動者の元へとつかつかと歩み寄る。
「思想とは、小さな神様なんです。生み出したからには、大きな責任が伴います。」
ティーミスは、扇動者の至近距離まで進む。
その淡く輝く瞳に見つめられた扇動者やその背後の者達は、蛇に睨まれた獲物の様にその場から動けなくなっていた。
「貴方には、彼等の覚悟を背負う意思は、彼等の命を背負う覚悟はありますか?」
平均未満の身長しか無かった子供時代とは裏腹に、今のティーミスの背は195cmに達していた。
その体格差が、追加の威圧感を発生させていた。
「その覚悟が無いのなら、今すぐ何処かに消えて下さい。」
「ぐ…クソッ!」
扇動者はティーミスに怖気ずき、後先考えずにその場から逃げ去る。
残された者達も、おずおずと解散して行く。
負傷者の搬送も済み、ティーミスと少量の野次馬だけが残される。
「…はぁ…」
ティーミスは、糸が切れた様に背中から倒れる。
地面に激突する代わりに、ティーミスはそのまま地面の下へと沈んだ。
“ボフッ”
次の瞬間には、ティーミスは自室のベッドで仰向けに寝転がっていた。
「…駄目ですね…こんなんじゃ…」
一見すれば、一事を解決した様に見える。
実際、見ていた野次馬は全員そう思っていた。
ティーミスさんがまたやったと、群衆達はそう称えていた。
実際は違う。
武力と上辺だけの正論で、論点を無理矢理逸らしただけでしか無かった。
「おい。」
窓辺から声がする。
九本の尻尾を持つ、ティーミスの隣人。
ミズキである。
桜色のパーカーに、短ジーンズを履いている。
「…どうも…」
ティーミスがそう返すと、ミズキは言葉の代わりに書類をティーミスに投げる。
「妖怪絡みで起こった警務沙汰のリストだ。今日だけで100件を超えている。」
「…そうみたいですね。」
「ティーミス。確かにうぬの理想は立派じゃ。自らが受けた苦しみを、二度と他の誰にも与えさせぬとな。じゃが、ちと現実を見ろ。我々はうぬらとは違うし、うぬも我々とは違う。永夜都の件、良い加減に検討してはくれぬか?」
「…住処を分けてしまうと、そこには境界が出来ます。境界が出来ると、そこには壁が生まれます。それで良いならそうします。ですが、それでは駄目だったでしょう。」
「じゃから、そこをうぬの力で…」
「私に、その種を隔てる壁を守れと。」
「何もお主だけとは言わぬ。わしらも自らの境界くらいは守ってやるさ。」
「…そうして、お互い境界を背に睨み合って暮らすんですか。今はそれでも良いかもしれません。ですがその先1000年後、2000年後、3000年後はどうなると思いますか。」
ティーミスは目を閉じる。
瞼の裏で、天高く浮かぶケーリレンデ帝国とその下の貧民街の光景が交互に蘇る。
「そこには国が生まれ、差異が生まれ、やがて差が生まれます。差が生まれれば嫉妬が生まれ、じきに危険な強欲と傲慢が生まれます。それらは争いの背中を押し、争いは傷と死と不幸を生み出します。」
ティーミスは身を起こし、ミズキの方を向く様にベッドに座る。
「後先考えずに楽な方を選び、それで自分だけ満足して死んで、その寄り戻しを後世の誰かに押し付ける事それこそ、」
「!?」
ティーミスとミズキは地下牢の中に居た。
ミズキは檻の中におり、鉄格子の向こうにはティーミスが座っていた。
しかしその檻の外、ティーミスの居る場所も、檻の中になっていた。
「償う事すら叶わない、重罪だと思います。」
次の瞬間には、二人はティーミスの部屋に居た。
「あ…?」
ティーミスの想いを直接叩き込まれたミズキは、狼狽し後退しへたり込む。
「幸いにも、やろうと思えば私の時間は幾らでも伸ばす事が出来ます。しかし私は、永遠に生きようなどとは思っていません。」
時間と聞いて、ミズキは一瞬だけ動揺する。
ティーミスはそれを見逃さなかった。
「私が居なくなった後、この都は私以外の誰かの物になるでしょう。その方が居なくなれば、さらにその方以外の誰かに。そう言った事が四代も続けば、この都の何処にも私の想いは残っていないでしょう。」
ティーミスは立ち上がり、窓辺まで歩く。
多種様々な建築様式の建造物が混在し、天にも地にも、実に様々な容姿の者達が居る。
今ティーミスの見ているこの景色こそ、ティーミスが一先ずの目標としている物だった。
「ぬらりひょんさんの提案も、確かに魅力的でした。しかし残念ながら、彼自身には他種族への尊重が感じられませんでした。あの方にこの社会は任せられません。…貴女だって、心の何処かでそう言った考えがあるのでは無いでしょうか。貴女の場合は、人間に対する忌避ですかね。」
「そ…そりゃ誰のせいだと思って…」
「さあ。誰でしょう。少なくとも私では無い筈です。」
ティーミスは振り返り、壁に寄りかかり座ったままのミズキを見る。
「貴女の御屋敷には、片手で数えられるほどの使用人しか見当たりませんでした。明らかに御屋敷の規模と合っていませんでした。」
ティーミスは目を細める。
「貴女だって被害者なのですよ。ミズキさん。」
「………」
ティーミスは微笑む。
「もう二度と、貴女の様な思いをする方は生みません。私がこの街を作ったと言う事実がある限りは。」
ミズキも、もうやけくそになって笑う。
「この街を作ったのは、あのセリアとか言う仙女じゃぞ?」