断罪
大地はまだ、薄く灰を被っている。
見渡す限りには何も無く、虚ろな地平線だけが広がっている。
「…虚の海も、こうやって出来たのでしょうか…」
虚の海の地面は、草一本生えていない荒れ地である。
それも不自然な程平坦で、枯れた土地である。
かつてあそこに生命が栄えていた時に、きっと自然現象以外の何かが有ったのだろう。
ティーミスはそんな事を思いながら、目の前のそれを見つめた。
「…しかし、まだ残っていたなんて驚きですね…」
並ぶ様に立つ、二本の石柱。
かつてティーミスが、自分で作った石碑を叩き斬って出来た物だ。
もう彫られていた文字は無くなり、頭には灰を被っている。
「…此処に来て欲しかったのでしょう…?」
ティーミスは虚空からコインを一枚取り出し、親指と人差し指で弾く。
コインは何も無い場所で突如跳ねると、石柱からかなり離れた場所に落ちる。
コインが不自然に跳ねた場所から波紋が生まれる。
波紋は、石柱の足元にある見えない大きな塊を囲う様に広がっていった。
『魅了属性か…すっかり忘れていたよ。』
そこにあった物のステルスが解ける。
石柱の前に大きな氷の塊があり、その中には枯れ果てた老人が座っていた。
老人は氷の中の空洞に居り、石柱に寄りかかる様に座っていた。
「随分と変わりましたね。ギズルさん。」
『お前は何も変わらぬな。ティーミス。』
「…私を冷凍保存出来たくらいですし、貴方も老いから逃れている物と思っていました。」
『我にその様な力は無い。自覚は無いかも知れないが、貴様は自力で抜け出したのだ。』
「自力で…?」
『我はずっと観ていたぞ。貴様が氷の中でゆっくりと衰弱していく姿をな。』
「…」
『そしてある日、貴様は旧帝国の地下冷凍保管庫で死んだ。するとどうなった?貴様の体は独りでに青く燃え上がり始め、氷の外で集まりふたたび貴様を作った。あの日、我があの檻の中で見た姿の貴様をな。』
「…あの廃墟、冷凍庫だったんですか…」
『こんなのは余りにも不条理だ。正しき者は滅んでいき、巨悪だけが残り続けるなどとは。』
ギズルは、ティーミスの方に弱々しく手を伸ばす。
次の瞬間、氷の障壁が変形しティーミスに向けて数本の棘を伸ばした。
ティーミスはそれを、避けも受け止めもせずに、ただ受けた。
「…痛いです…」
ティーミスの胴体を、7本の棘が貫通する。
流血はせず、代わりにそこには赤い氷柱が出来る。
「…痛くて冷たい…それが貴方。」
ティーミスは大剣を握り、頭上に掲げる。
黒い炭の様だった刀身は再び白く輝き出し、鎮火していた時は一切目視不能だった8つの紋章が再び浮き上がる。
『我は諦めぬぞ。ティーミス。何度生まれ変わろうとも、我は必ずや貴様を見つけ出す。何度でも貴様に刃を向ける。何度でも貴様を殺してやる!貴様に平穏など来ない!覚悟しろよ…咎人おおおおお!!!』
「【断罪】」
剣先の、天秤に座る目隠しをした女神の紋章が輝き出す。
剣が白色の光を纏い、天より降りる一筋の光柱の様に巨大化する。
『うおおおおおおおおおお!』
ギズルを閉じる氷塊が分厚くなる。
それ以上の事は起こらなかった。
「…もし私が生まれ変わる様な事があったら、」
女神の座る天秤が傾く。
その皿の上には何も無かったが。
「今度は一緒に考えましょう。幸せな世界の作り方を。」
ティーミスは剣を振り下ろす。
轟音が響く。
爆発音では無い。
まるで山が勝手に崩れる時のような、或いは地響きの様な、自然の織り成す轟音だった。
「…」
ティーミスの持つ剣は、力を使い果たし鎮火する。
ティーミスの目の前の地面は、一直線に赤く焼け焦げていた。
そこには石碑もギズルも、その跡形の一片も無かった。
「…そう言う事ですか…」
ティーミスはその焼けた道に一歩踏み出す。
ジュウっと言う音が、ティーミスの素足の裏を焼く。
「貴方の先にも、道は続いているみたいですね。」
ティーミスは、石碑とギズルがあった場所を踏み越えて、赤い道を歩き出す。
「…にぇ?」
ティーミスは道の外側、焦げた大地の真ん中に、小さく不自然な割れ目を発見する。
割れ目の奥からは、細い茎を持ちあげ、天に双葉を掲げる小さな命があった。
・・・
「ねえねえギズル。」
「ん?」
遊び疲れたギズルとカピスは、同じ木の下で身を寄せ合っていた。
二人が付けた雪上の足跡は、降り積もる粉雪によって微かに消えかかっている。
「ギズルはさ、もうすぐおうさまになるの?」
「多分ならない。俺には兄貴が二人も居るからな。」
「お兄さんが居たらなれないの?」
「ああ。血統法って言うらしい。この国が出来た時から続くしきたりさ。まあ三男ってのも、ある意味一番恵まれた身分かな。」
ギズルは後頭部に手をあて、身を更に倒し木の裏を眺める。
「地位はいっぱし。金も権力もそこらの貴族100人分。でも次期皇帝としての重圧も責務もほぼ無し。最高さ。」
「ええーそんなのやだよー!」
「は?」
「だってギズルのお兄さんたち、とっても怖いんだもん!おひげの人は獣人達を奴隷にしていじめてるし、背が高い方はいっつも剣のお稽古をしているし。」
「でもどっちの兄さんも、きっとこの国を更に強くしてくれる。まあ流石にあいつは奴隷を買いすぎだとは思うけど。」
「だめだめだめ!私はギズルがおうさまの国が良い!」
そう言ってカピスは、ギズルの上にのしかかる。
「うわっぷ!?重いぞ降りろ!」
「ギズルは優しいし頭もいいし、何より優しいもん!私はこの国にも、ギズルみたいに優しくなって欲しい!だからお願い!ギズルがおうさまになって!」
「だから…無理なものは無理なんだよ法律だから。」
「ギズルは頭がいいんでしょ?だったら何とかしてよ!私も手伝うから!」
「んな事言われてもなぁ…」
その時カピスは、一瞬動きを止める。
「あ、じゃあこうしよう。ギズル、もしもギズルがおうさまになったら、私、ギズルと結婚する!」
「は!?」
「お願いお願い!私、ギズルのおきさきさまになりたい!なれるんだったらなんでもする!」
「ちょ…待ってくれよ!いくら何でもそんな…ていうかいつにも増して我儘だなお前!」
「だって…だってだって、どうしてもギズルが良いんだもん!ギズルじゃないとダメなんだもん!」
「おい…ふさけるのもいい加減に…」
その時カピスは急に、のしかかっていた状態から覆いかぶさる状態に姿勢を変える。
カピスはギズルに顔を近付ける。
完璧な不意打ちである。
「…」
「!?」
それは冷たかった。
氷の様で、しかしガラスの様に滑らかでもあった。
幾ら外気を完全に遮断する最高級の外套と言えども、超至近距離の冷源が放つ冷気だけは防げなかった。
「…」
5分程が経ち、カピスは顔を上げる。
「じゃあ先ずは、私の初めてをあげるよ。これでもうこの日の事を忘れられなくなったでしょ?ギズル。」
「あ…ああ…」
「じゃ、皇帝にもなってくれるよね!ギズル!」
「ああ…そうするよ…あ。」
次の瞬間、ギズルは我に返る。
「いや違う!今の無し!無しったらなし!」
「へへ~ん。聞いちゃった聞いちゃった。嘘ついたらハリセンボン飲ませてあげるよ~。チクチクするよ~」
カピスは悪戯っぽく笑い、ギズルから急いで離れていく。
「あ、おいこらまて!待ってってばー!」
・・・
(…カピス…我は…俺は何かを間違えたのか…?)
歪な氷面の向こうに、光柱がそびえたっている。
ギズルにはそれが、天からのお迎えに見えた。
(奴は俺の5倍は殺した…なのに何故…奴なんだ…?)
しおれた手を握りしめる。
その目からはもう、涙が流れる事は無い。
(どうやら俺は…お前が思ってるほど賢いわけでも無かった様だ…奴なんかよりも…ずっと…)
「うおおおおおおおおおお!!!」
ギズルは雄たけびをあげる。
シャウト効果が働いただけかもしれない。
だが、それは起こった。
"パキパキパキ…"
ギズルを覆う氷が、微かに分厚くなった。
少なくとも、その事象はギズルが意図して起こした物では無い。
(…カピス…お前なのか…?)
『…もし私が生まれ変わる様な事があったら、今度は一緒に考えましょう。幸せな世界の作り方を。』
ティーミスが何かを言っているが、ギズルの耳には届いていなかった。
(ずっとそこに居たんだな…ごめんよ…カピス…)
ギズルの目が微かに湿る。
ひずんだ視界と、氷の織り成す不可思議な光の屈折が相まって、そこにありもしない物を形作る。
(…カピス…?)
次の瞬間には、二人は塵芥すら残さずに消えた。
残り三話はエピローグ的なお話です( 'ω')ノ
中二病真っ盛りな二年前、思い付きで始めたこの物語の始まりから、気付けば二年が過ぎており何とも感慨深いです。
少し早い気もしますが、此処まで読んで下さった全ての方々に感謝の意を標します。
どうも、ありがとうございましたm(__)m