冰帝の世界
ジッドは、今朝がたオープンしたばかりの真新しいカフェの前に居た。
通りすがりと入店希望者を見分けられる自動ドアが無音で開き、外界に店内の賑わいを一時だけ解き放つ。
ジッドは入店する。
「あ。ジッドさ~ん。こっちです~。」
テラス席に座る小柄な女性が、ジッドを呼んでいる。
黒く長い髪に黒い目。
頭にはチェックのベレー帽。大きな丸眼鏡。秋口と言う事もあり、チョコレート色のコートとロングドレスを着ている。
ジッドはそれを見つけると、一度カウンターに行き、チョコとキャラメルを主体とした超高カロリーマキアートを注文し、受け取った後に女性と同じ席につく。
「珍しいですね〜ジッドさ〜ん。貴方の方から呼び出すなんて〜。」
「ああ。ちょっと面白い事が判明してな。」
ジッドは、マキアートを一口飲む。
「七罪一咎シリーズの実験体に選んだ世界、覚えてるか?どうにも例の世界には、こっからの転生者がもう一人居たらしい。」
「成る程〜。まあそこまで新しい世界でもありませんし〜。」
「それがどうにも被験者の少女の先祖に当たる人間らしい。それも下手すりゃ4000年前のな。」
「へぇ〜4000年前の〜」
不意に、女性もジッドが言いたい事に気付く。
「身元〜解ったんですか〜?」
「本名は鈴木 省吾。平成14年生まれ。良く使うペンネームはエルゴ。交通事故により18歳で転生した。因みに、照美はその翌年に転生した。結構調べたが、二人に血縁関係は見つかんなかったぜ。」
「1年が〜4000年ですか〜…。」
女性は、コーヒーを一口飲む。
「ちょっと気になりますね。」
「ここまでずれてるとなると何か原因がある筈だ。はぁ。あっちの世界の管理女神は、否が応でも生け捕りにすべきだったか。」
「仕方無いですよ〜。管理女神と言うのは殆どが傲慢ですからね〜。みんなこの世界の女神様みたいに心優しくて、決して人間を下に見ない方だったら良いんですけどね〜。」
〜〜〜
ケーリレンデ帝国上空。
ティーミスとチウゥデーンは、宙に浮かぶ魔法陣の上で崩れゆく帝国城を眺めている。
地下が崩落した事により、城の立っていた地面一帯が大規模な陥没を起こした。
それにより浮島全体の重量のバランスも崩れ、島全体が数度傾き、それにより城以外の建造物も倒壊やドミノ倒しなどの被害を受けていた。
「…下があるから…上もあるんですよ…」
ティーミスはポツリと呟く。
「…聞こえてますか…セリアさん…」
『うお!ヒルが喋った!それもうちの看板娘の声で!』
「………」
『悪かったって。にしてもやったじゃねえか。文字通り国家を転覆させちまうなんてな。で、このままじゃ私も建物ごと潰されちまうんだが、ちぃと手を貸してくれねえか。』
「…耳からヒルを取り出して、その辺に置いておいて下さい。私の“友達”がそっちに向かいます…」
『オーケー。お前を信じるぜ。』
通信が終了する。
魔法陣が輝き、上に乗っていた二人を別の場所に転送する。
「…ありがとうございます…ノネさんのお姉さん…」
次の瞬間には、二人は地面に居た。
魔法陣の外には、ノネを抱いた【被獄者・遷移者】が居る。
「…カチカチカチ…」
キャリアーは歯を鳴らしながら、ノネをチウゥデーンに預ける。
チウゥデーンはそれを受け取ると、キャリアーと位置を入れ替える様に移動する。
「もう行くのか。」
チウゥデーンは地の底から響く様なおぞましい声で、それでいて何処か暖かい声で問い掛ける。
「…ええ…」
ティーミスは答える。
上空には二隻の亜人連合の大型船があり、ケーリレンデからの避難民を受け入れていた。
しかし、その船に乗る者はそう多く無い。
「…あれは?」
ティーミスは問う。
「セリアは恐ろしく顔が広い。四大勢力全てに舎弟を持つくらいにはな。しかし、ケーリレンデへの助け舟に亜人を使うとは、奴も性格が悪い。」
チウゥデーンのその言葉で、ティーミスはある事を思い出す。
セリアはこの間、新世界への下準備がどうとか言っていた。
「…きっと、選別なんだと思います。ケーリレンデの思想に染まりきらなかった人間の…」
「は、奴が考えそうな事だ。」
二人は暫し、斜め上の空で繰り広げられる救出劇、或いは人類の選別作業を遠巻きに眺める。
「…では、私はそろそろ行きますね…」
ティーミスはそう言うと、一瞬だけ自身を虚無の中に沈める。
次に現れた時には、上下の囚人服を腰に巻き、サンダルを履き、ピアスとロザリオを付けた状態になっていた。
ただベルトが無かったので、胸には代わりに布切れを巻いている。
その際どさは、ベルトの時よりも僅かに上である。
「気を付けてな。」
キャリアーは祈祷の姿勢をとる。
魔法陣が起動し、ティーミスとキャリアーをその場から転送した。
〜〜〜
その世界の全ては、氷で出来ている。
床は、何処までも底の見えない透き通った氷。
天井も透き通った氷。
壁は無い。
「…お久し振りです…魔界さん…」
ティーミスが辿り着いたのは、そんな世界だった。
「カチカチ…カチ…」
寒さに耐えきれず、キャリアーが兵舎の中に引っ込む。
此処で活動できるのは、地形影響を無視できるサンダルを履いたティーミスだけだった。
「…こっちですね…」
ティーミスは、誘う様に吹く冷風を辿って歩み始める。
旧魔界内は明るい。
この明るさは氷の反射による物だが、どれ程氷が光を反射しても、光源が無ければ明るくなる筈は無い。
つまり、何処かに光源があると言う事だ。
「……」
暫く歩いていると、ティーミスは地平線に微かな歪みを見つける。
暫く歩いていると、ティーミスはそれがこちら向きの、氷で出来た玉座だと言う事に気付く。
暫く歩いていると、玉座にギズルが座っている事に気付く。
玉座の真上の天井には穴が空いており、天の階の様に、太陽光が玉座を照らしている。
かつて、ティーミスが誤って放ったゴーレムが開けた穴である。
「やあ。ティーミス。」
ギズルの姿もチウゥデーンと同じく、ティーミスの記憶から一部の差異も無かった。
「………」
「世界を滅ぼせたみたいだね。おめでとう。」
「…あれは貴方の国じゃ無かったのですか…?」
「ケーリレンデには我の理想は無いと気付いたのだ。故に、我から出来るだけ離れる様に空に浮かべた後、我は此処に来た。」
「…そうですか…」
ギズルは、数歩ティーミスに近付く。
「で、貴様は此処に何をしに来た。今の貴様にとって、最早我は無害の筈だが。」
「…ええ…確かにそうかも知れません…」
ティーミスは虚無より、黒刃の魔刀を召喚する。
「間違えました。貴方は私にとって、とっても有害です。」
ティーミスは魔刀を一振りする。
刀と空気が振動する甲高い音が、氷に反響し鳴り響く。
「貴方は私の人生そのもの、悪夢そのもの。」
「ふ。」
ギズルに、冷気が集結していく。
ギズルの纏う皇帝法衣に氷の装飾品が付け足されて行き、素肌の部分には氷の甲冑が現れ、その手には氷の大槍が出現する。
「餓鬼がほざけよ。あの日瓦礫の下より貴様を引っ張り出したのは我の部下だぞ。礼の一つでも言って欲しいね!」
「勝手に攻め込んできて、勝手に私を生かして、弄んで、何にお礼を言えと言うの?」
「この世に善悪など存在しない!あるのは二つの思想と、その思想が持つ戦闘能力のみだ!弱きは死して然るべき!それを我が玩具としてでも生かしておいてやった恩、忘れたとは言わせぬ!」
「………」
男は力に取り憑かれていた。
最初から。
そしてティーミスも、男を追う日々の中で、いつのまにか男の思想に近付いていた。
あるのは思想のみ。
結局、誰も悪く無いのだ。
「分かった。ギズル。」
「そうかそうか。今謝罪をすれば、また我が奴隷として生かしてやっても…」
「貴方は私の悪夢、私の人生そのもの。だから此処で私の人生を、ティーミスの物語を終わらせる。」
「ふ…哀れだな。汚らわしき混血種風情が!」
床や天井から無数の氷柱が生えてきて、氷柱はそのままティーミスに狙いを定める。
「【氷晶奥義・五月雨】!」
氷柱が折れ、弾丸の如き速度でティーミスに飛来してくる。
ティーミスはそんな全方向攻撃を、目にも留まらぬ剣技で弾いて行く。
「愚者が!」
ギズルは氷の槍を投擲する。
ティーミスはそれを刀で弾こうとしたが、直ぐに氷柱より早いそれには間に合わないと気付く。
なのでティーミスは、それを思い切り蹴り上げる。
槍は、回転しながら真上に飛んで行く。
「此処は我が世界なり!故に、我に敗北などありはしない!」
天井から氷製の一本の手が生えてくる。
手は槍を掴み、向きを調整し、槍を再びティーミスに放つ。
「………」
ティーミスは弾幕の隙を見つけ後方に飛ぶ。
一瞬だけ五月雨の弾幕を巻いたので、ティーミスはその隙に、今度は槍を開いてる手でキャッチする。
「…!」
槍は直ぐに変形し始める。
槍だった氷は高速でティーミスの手を伝っていき、ティーミスを氷像にせんと侵食していった。
「…また…」
「貴様に行動妨害は効かぬ。だが、貴様を物理的に拘束し、拘束した物を行動妨害で固めれば問題無い。違うか?」
「前回は氷人形でそれをやったんだね。貴方はやっぱり強いよ。ギズル。」
「ギズル様と呼べ!身の程知らずが!」
ギズルはそう言って、右手に2本目の氷槍を形成する。
「貴様に永遠の美など勿体無い!此処で砕け散るが良い!」