タルタロステイルズ
「従属者達は私と共にあります。意思は有りますが、本質的には私の体の一部です。しかし独立もしているので、ミトコンドリアみたいな物ですね。」
ティーミスは、足元に落ちていたガラス片を一つ取り、少し弄って直ぐに捨てる。
「ですので私が死んでも、彼女達は生きているでしょう。それはもしかしたら数時間かもしれませんし、永遠かも知れません。」
ティーミスは、前のフロアへと続くカーテンを潜りながら続ける。
空間全体が、ティーミスの足首まで浸水している。
「もしかしたら私は、とても無責任な事をしているかもしれません。この世界が終わりでもしない限り、それも、本当の意味で全てが消えて無くなる様な終焉でも訪れない限り、私は彼女達の永遠に付き添う事は出来ません。」
ティーミスは、割れた額縁が散乱する“ドールハウス”を抜け、最初に転移してきたフロアへのカーテンを潜る。
そこでは、皇帝が交戦していた。
「展示品の分際で、この私に楯突くつもりか!消えろ!消えろ!」
皇帝が指を鳴らすと、皇帝に飛びつこうとしていたチャイナドレスの少女が消える。
それでもまだ、皇帝の周囲には無数の従属者達が居た。
「【被獄者】。66柱で一つ。貴方の嘘に夢を見た者達の、成れの果てです。」
従属者の群れの最後方には、白ローブの少女が胡座で座っている。
白ローブの少女型の従属者の背後では矢継ぎ早に魔法陣が展開しており、そこから皇帝によって強制転移させられた者達が戻ってきていた。
従属者達は僅かに肌が灰色がかっている事を除けば、生前の姿と何の差異も無かった。
皆が死後に着せられた召物を纏い、生前の様に動き、復讐或いは正義の為に皆一様に皇帝に向かっていく。
ティーミスはまだ、彼女達に何の命令も下していないにも関わらず。
「チウゥデーンよ!早く此奴らを何とかしろ!」
皇帝は喚く。
ティーミスの背後からチウゥデーンが現れるが、特に何をしようとするでも無く、ただその光景を見ているだけである。
「済まないな。“無機物”は管轄外だ。」
チウゥデーンはそれだけ言い放つと、一つ大きな欠伸をする。
チウゥデーンの腕の中には、スヤスヤと寝息を立てるノネが居た。
「…ノネさんは大丈夫なんですよね…」
「【スリーピングスペル】で眠っているだけだ。私が抱いていては不安か?」
チウゥデーンはそう言って、ノネをティーミスの背中に下ろす。
ティーミスはそのままノネを背負うと、体勢を整える振りをして少しだけチウゥデーンから離れる。
「“カチカチカチカチカチ”」
転移魔法を展開し続けていた少女が、唐突に歯を鳴らす。
その目には煮えたぎる様な怒りの炎が宿り、まっすぐと皇帝を見据えている。
「クソ!何故だ!何故お前には効かない!」
皇帝は数度指を鳴らすが、転移魔法の少女はその場からピクリとも動かない。
その様子を見たチウゥデーンは、呆れた様子で呟く。
「奴は自分が使っている魔法が、元は誰のものだったのかも忘れたのか。」
次第に、皇帝への攻撃に光が混じり始める。
少しづつ、少女達が自身のスキルに目覚め始めた。
と言うよりも、少女達の内に秘められ、遂に目覚める事の無かったスキルの“仕様書”を元に、ブラッドプラスチックが目覚める筈だったスキルの再現を始めた。
「この!この!何故転移陣を用意したのに、誰も来ないのだ!」
皇帝は騒ぎながら、唯一の攻撃手段である強制転移魔法を繰り返す。
「覚えておけよ万色眼の悪魔め!軍勢を組織し、貴様を地獄の果てまで追い詰めてやるからな!」
皇帝がそう言うと、皇帝の足元に魔法陣が展開される。
魔法陣が閃光を放つと、皇帝はその場から姿を消した。
「あーりゃりゃー。使っちゃったー。」
猫耳に犬の尻尾を備えた少女が呟く。
身長はティーミスよりも少し大きい。燻んだ茶色い髪。鳶色の瞳。衣類は、娼婦が着る様なヒラヒラの下着だけを着ている。
その猫耳と犬の尻尾は、後から縫い付けられた物だった。
「…貴女…お喋りですね…」
今回大量に生成した従属者は66体居たが、大体は何も発さないか唸るか、たまに獣の様な鳴き声を上げるかだ。
そんな中この後付け獣人の少女は、流暢に喋った。
シュレアですら、笑い方や感嘆符が少しおかしくなった。
「あり、もしかして変?」
「…いえ…その…まあ、珍しいですね…」
「ふーん。」
他の従属者達は、沈んだり前のめりに倒れこんだりして、肉体はブラッドプラスチックに、中身は兵舎の中へと帰っていく。
そんな中、後付け獣人の少女だけはその場に残っていた。
「あ。実はボク、生きてた頃はすっごくお喋り好きだったんだ。もしかしたらそのせいかも。」
少女は手を頭の後ろに回す。
「はあぁ。やっと成仏出来たと思えたのに、気付いたら恥ずい格好で変な場所に居て、目の前にはグールと美少女を背負う美少女が居て。」
少女は目を閉じるが、直ぐに目を開ける。
「あ。そうだ。そう言えば自己紹介がまだだったね!ボクはシシュト!名前とか口調はこんなだけど、見ての通りの女の子だよ。君は?」
「…ティーミスって言います…」
「ティーミス!?ティーミスってあの!?うわぁ!歴史の教科書に出てくる人に会えるなんて夢みたいだ!」
「………」
シシュトの明るい雰囲気は、最初はティーミスの気分が良くしていた。
しかししばらく続くと、今度はティーミスは疲れてきた。
(少し可哀想だけど、今はまだやる事が…)
「ボクもね!シシュト・エルゴ・シレーネって言うんだ!もしかしたら遠い親戚だったり!?」
「…へぇ…」
「それにしても、あの皇帝もおバカだよね。術式が書き換わってる事も知らずに自分を転送しちゃうなんてね。」
「…にぇ?」
「皇帝はあのまま、太陽に転移しちゃったんだ。あ、太陽と言えば。太陽の中には太陽の宮殿って言う最高位の精霊達が暮らす場所があるんだって。そしてなんと、そこに人類で唯一辿り着いたのも大冒険者エルゴなんだって!」
「…へぇ…」
太陽の話を皮切りに、シシュトの長い長い話は始まった。
ーーーシシュトによるエルゴの話ーーー
昔々のそのまた昔。
人類は、一つの大陸にだけ住んでたんだ。
そこはとっても豊かな土地で、人類はそこで毎日平和に暮らしてたんだ。
エルゴもそこで生まれたの。
狩人のお父さんと、聖女のお母さんの間に。
両親は真面目だったけど、エルゴはとっても不真面目だったらしいよ。
学校はサボるし、暇さえあれば色んな女の子を誑かして回ってね。
でもエルゴのお父さんもお母さんも、そんなエルゴを殆ど叱らなかったんだって。
たまに叱る時は、エルゴが誰かを傷付けたとき。大抵は、自分が4とか5又の相手だって知った女の子とか。
お母さんはそれでエルゴの女誑しが治ると思ったけど、実際は逆だった。
エルゴは何又しても女の子を傷付けない様になって、どんどん器用になっていってね、いつしかモテモテになったんだって。
そしてエルゴはね、17歳の頃に最初の運命の人と出会うんだ。
エルゴはある日、お父さんと森に入って狩りをしていたんだけど、お父さんと逸れちゃったんだって。
森を一週間くらい彷徨ったエルゴは、無自覚の内に、まだ誰も入った事が無い領域に入っちゃったんだって。
どんどん禁足地に入っていって、此処ってさっき通ったっけとか言いながら歩くエルゴを、不意に一本の矢が襲った。
エルゴは喜びながらその矢を躱した。
きっと他の狩人だ!って。
で見上げると、木の上には狩人じゃなくて女の子が居たの。
それも普通と違う子。
髪がうっすら緑がかった白色で、花弁みたいな物で出来た白い服を着てて、耳がつんと尖ってて、とっても可愛くて美しい子。
マニーナって言うエルフの女の子。
それがエルゴの最初の運命の出会いであると同時に、始めての人類と亜人種の交流だって言われてる。
………
「よお。お前も迷子か?」
「出てけ。此処は余所者が入って良い場所じゃ無い。」
「ん?余所者?何言ってんだか良く聞こえねえし、取り敢えず降りて来いよ!」
「出ていけ。今直ぐ。これより先は我らが領土だ。」
「はぁ?こんな森の中に人が住んでる訳ねえだろ?てかそういや俺迷子なんだが!出たくても出れねえんだが!」
「迷子?」
マニーナは大枝から降りる。
「うお!お前ちっちゃいな!どっから来たんだ?隣村のやつか?」
「さっきからお前の言ってる事が理解出来ない。トナリムラとは何だ。」
「はぁ?」
「そもそもお前は何だ。その服は何で出来ている。」
「そりゃこっちの台詞だぜ。お前のそれも、布の類いじゃねえだろ。」
「ヌノ…?ヌノとは何だ。花の名前か?」
「だーもう!さてはお前学校行ってねえだろ?」
「ガッコウ…済まない。それも知らない。」
「はぁ。もう良いよ。て言うかそれより、もう一週間はまともなもん食ってねえんだ。済まないが、お前の領地とやらに連れてってくれねえかな。」
「駄目に決まってるだろ。」
「お前が誰でも俺は行く。この先だな?」
そう言ってエルゴは歩み出す。
そんなエルゴの背後から、弓を引き絞る音が響く。
「駄目だ。通りたければ、森守の私を倒してから行け。」
「倒す?何で。」
「私がこの場所の森人だからだ。」
「出来ねえよ。だってお前、可愛いもん。」
「…は?」
………
結局エルゴは森の中に入っていって、そこで人間界の直ぐ近くにあった、エルフの領域に入って行ったの。
学者によっては、これがエルゴの最初の冒険だって言われてる。
エルフも人間も、最初はお互いの事を知らずに色々悶着があったけど、最終的にはお互い無害だって事が分かってエルフと人間は仲良くなった。
そのままエルフは技術と文明力を、人間は森に関する豊富な知識を手に入れて、二種族は共に繁栄して行った。
そしてエルゴは、二十歳になった時にマニーナと結婚したの。
ーーー
「そしてエルゴはマニーナの名前に自分の名前をくっつけたの。これが苗字の始まりだって言われてる。」
「…すぅ…すぅ…すぅ…」
「ん?」
ティーミスは眠っていた。
シシュトは頰を膨らますと、ティーミスの頭を手刀で叩く。
「にぇ。」
「おーい。起きてくれー。」
「…にぇ…」
いつのまにか地面に寝転がって眠っていたティーミスは、むくむくと起き上がる。
シシュトはその様子を、腰に手を当てながら眺める。
「まあ良っか。続きはまた別の日に話してあげるよ。てか、目覚めさせた責任として、そろそろボクに服を恵んでおくれよ。こんな格好で何年も晒されてたって知って、正直かなりメンタルに来てる所なんだから。」
「…にぇ…」
ティーミスは虚空に手を突っ込んでみるが、少し前に手持ちの服を別の者に貸してしまった事を思い出す。
「……にぇ……」
〜〜〜
「………」
薄暗い部屋の中。
ティターニアは、ベッドの上で目を覚まし、また目を閉じる。
現在正午。
「何処で道を間違えてしまったんだ…」
ティターニアはただ、自分の瞼の裏と、灰色がかった天井を交互に見つめる。
リテの船は航行中、何も無い限りは一切揺れず静かである。
個人的な物思いに耽るには、最適の環境だった。
(死を拒むのは生命の本能だ。その点に関しては、誰も責められやしない。
そしてティーミスは、地天の狭間を破壊する事で死を拒んだ。
………)
「いやそうはならないだろぉ!」
ティターニアは突如大声を上げると、両の拳で自身が身を横たえるベッドの布団を叩く。
幼女の体の全力は全て、ふかふかの布団に吸収される。
だが、ティターニアはそれで少しすっきりした。
(いや、もしや設計段階で欠陥があったのか?
もしも従来通り昇天した魂を直接回収する方式を続けていれば、あの事件は起こらなかった。
と言うか、誰があんな場所に予備領域を作ったんだっけ。)
ティターニアは溜息を吐く。
(…そうだ…我だ…)
ティターニアは、自分を抱く様に縮こまる。
(でも仕方なかったんだ。天使達が消耗品の様に使い捨てられる姿を、あれ以上見ていられなかったんだ。)
「ティターニア。」
不意に、ティターニアはハスキーボイスで名を呼ばれる。
「…何用だ。咎人の眷属よ。」
「辛いんですの?」
いつの間にやら、シュレアがティターニアと同じ布団の中に居た。
「貴様には関係の無い事だ。出てけ。我の個人的な孤独に入ってくるな。」
「辛い時はどうすれば良いか、教えてあげますの。」
シュレアはティターニアの耳元に顔を寄せる。
ティターニアは、拒む様な動きはとらなかった。
今のティターニアには、動く気力も無かった。
「誰かのせいにしてしまえば良いのですわ。」
「貴様、巫山戯て居るのか?」
「天地の境を壊したのはティーミス様なのでしょう?でしたら、直接の原因の所為にするのが道理かと。違いますの?」
「………」
シュレアは声を潜める。
「全部をティーミス様の所為にして、ティーミス様に全ての罪を浄化して貰うのです。」
「貴様、咎人の眷属では無いのか。お前は主人を悪人にし」
シュレアは、ティターニアを抱き寄せる。
「全ての罪を、ティーミス様に委ねるのです。そうすれば救われますわよ。」
「な…」
あなたは悪くない。
この言葉は魔法が掛かっている。
胸の内にどれ程深い罪悪感を抱いていようとも、この一言で全てが消え去る。
抱える罪が深ければ深い程、この言葉はより甘く響き、より深く染み込んでいく。
あなたは悪くない。
この言葉の魔力はとても危険で、とても強力だった。
「…我は、悪くないのか?」
「ええ、そうですわ。全てをティーミス様の所為にすれば良い。全ての罪を、ティーミス様に差し出せば良いのですわ。」
実際のところ、シュレアはそこまで深い事は考えて無かった。
ただ、ティターニアの事を慰めているつもりだった。
それがティーミスへの信仰心と合わさり、ワードがおかしくなっただけだった。
「全て、ティーミスに…」
天界の元最高神が最初の“信者”になるとも知らずに、シュレアはその後も暫く適当を抜かし続けた。