辺獄
セリアの店の摘発から一週間。
つまりティーミスが皇帝の城に来てから一週間。
ノネとティーミスは、世間一般から見ると贅に満ちた暮らしを送った。
朝食はベッドに運ばれてくるし、ノネが少しねだると、いつでも最高級の茶菓子が出てきた。
週末に開かれる舞踏会にも参加し、二人ともにオーダーメイドのドレスが渡された。
何でもできるし、何をしても大体は許される。
この生活が続けば、どんな人間でもそのうちダメになるのだろうなと思いながら、ティーミスはノネに追従する様にして、城での生活を送っていた。
その間ティーミスは無口で過ごし、ノネにも名前を明かす事は無かった。
変化が訪れたのは、そんな日々が続く八日目のある日、夕食前の時刻だった。
"コンコン"
二人の部屋の扉が、静かにノックされる。
ティーミスは無言で過ごし、ノネは
「どうぞー!」
と、大きな声で来客に答えた。
ドアが開く。
現れたのは比較的ラフな格好の皇帝、シューレルだった。
「やあ二人とも。少し、大事な用事があるんだ。少し来てくれるかな。」
「大事な用事?うん!分かった!」
いつものようにノネが先行しようとするが、今回は先にティーミスの方が皇帝の元までやってくる。
「おや、今回は君が一番乗りか。」
ティーミスに次いで、ノネも皇帝の元にやってくる。
皇帝は二人が揃ったのを見計らい、二人を連れてある場所へと歩き始める。
「どこに行くんですか?皇帝陛下。」
「今日は特別に、私の部屋を見せてあげよう。」
「本当ですか!?やったぁ!」
飛び跳ねて喜ぶノネ。
その少し前を行くティーミスは、静かに警戒態勢に入っていた。
「さあ、こっちだよ。」
三人は壁に隠されていたエレベーターに乗り、一気に最上階まで上る。
最上階は、普段は使用人ですら気安く立ち入る事は出来ない。
目的地に辿り着き、ドアが開く。
そこは巨大なドーム状の空間で、クローゼットやデスクといった皇帝の私物などが置かれている。
床に刻まれた転移魔法陣に目を瞑れば、そこはただの大きな私室だった。
「わあ!瞬間移動できる模様だ!」
「【フェアリードア】と言う魔法だ。いつも使っている魔法陣は、全部私が書いたものなんだよ。」
「皇帝陛下すごい!」
「まあ趣味の延長だけどね。さ、あれに乗るんだ。」
ノネは駆け出すが、やはり此処も一番乗りはティーミスだった。
それも、片足を魔法陣の外に出した状態での待機。
この状態だと魔法陣を起動する事は出来ないので、戦場では良く妨害に用いられる手法だ。
「おや、随分と警戒している様だね。万色眼の少女よ。」
「転移先を言ってください。」
「行きたくないなら別に良い。ノネはどうする?」
皇帝は、魔法陣の上に立ち、魔法陣の中心付近に立つノネに問いかける。
「大丈夫だって!きっと皇帝陛下が、ノネ達に素敵なサプライズを用意したんだよ!だから早く行こ!」
「………」
ノネを止められそうに無かったので、ティーミスは魔法陣の外から足を離す。
その瞬間に魔法陣は起動し、三人を別な場所に連れて行った。
この城の地下深くに。
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床と壁と天井と、柱が全て大理石で出来た巨大な屋内空間。
天井から垂れ下がるシャンデリアの光を大理石が反射し、地下だったが昼間の様に明るかった。
空間は一本道に続いており、通路の途中は大きな赤いカーテンで区切られている。
「さあ。ついておいで。私のコレクションを見せてあげよう。」
皇帝は歩み始める。
ノネもそれに続く。
ティーミスは、帰還用の陣が周囲に無い事を確認し、二人に続く。
三人は最初のカーテンをくぐる。
ティーミスの感覚は、今回は視覚よりも先に嗅覚が働いた。
漂ってきたのは、蝋の様な独特な臭いだった。
「わあ!…え?」
ノネはそれを見て一瞬だけ歓喜し、すぐに当惑する。
壁の両側には沢山の額縁がかけられており、それを展示していた。
煌びやかな衣装に身を包んだ少女の人形達。
否。
それは本物の人間の骸だった。
「………」
ティーミスは周囲を見回す。
(何かあるとは思ったけれど、これは流石に趣味が悪過ぎる…)
「い…いやああああああ!」
ノネは恐々とした様子で、皇帝とは反対方向に走り出す。
皇帝が一つ指を鳴らすと、ノネは皇帝の直ぐ目の前に転移した。
「きゃあああ!?」
ノネはそのまま、皇帝の目の前で尻餅をつく。
そんなノネに皇帝は、相変わらず優しい笑みを向ける。
「毎日の食事に、魔法陣を書いた食材を少しずつ混ぜていたんだ。最も、切って煮て焼けばどうやっても解らないと思うがね。」
皇帝は、ノネの頭をポンポンと撫でる。
「大丈夫さ。痛くも苦しくもしない。まあ、先ずは私のコレクションを全て見て言ってくれ。」
「ひ…いい…」
ノネは視線で、ティーミスに救いを求める。
ティーミスはいつも通り、冷たい視線を返す。
ティーミスはそのままノネの方まで歩いて行き、手を差し伸べる。
「行きましょう。ノネさん。一緒に進むんでしょう?」
「…うん…そだね…」
ノネはティーミスの手を取り、立ち上がる。
「強いね。君。」
「ええ。強いんです。手、繋ぎますか?」
ティーミスはノネの手を離さずに、前へ進む。
“ドールハウス”の奥のカーテンの方からより強い異臭が漂っていたが、ティーミスは直ぐにはそこには行かなかった。
ティーミスはノネと共に、皇帝のコレクションを見て回る事にした。
「………」
先ず目に付いたのは、ゴシックドレスに身を包んだ黒髪の少女。
額縁の劣化具合や布地の色褪せ方から、既に相当年数が経っている事が分かる。
展示品は棺の様な構造になっていたが、額縁を立たせる為に中の少女は細く目立たないワイヤーで固定されている。
「………」
額縁の内側に、僅かにくすんだ様な汚れが付いている。
ティーミスがそれが涙の跡だと言う事に気付くのに、然程の時間は掛からなかった。
(きっと、とても怖かったんだ。)
一方骸は、いつ目を覚ましてもおかしく無い程に綺麗な状態を保っている。
恐らく、冒涜に近いレベルでの徹底的な防腐処理が施されたのだろう。
ティーミスはそんな事を考えながら、次の展示品へと向かう。
「…はぁ…」
次の展示品。
赤いチャイナドレスを着させられた、茶色い短髪の少女。
彼女を固定しているワイヤーには僅かに緩みが見られており、最期まで抵抗しようとしていた事が見て取れる。
「素晴らしいだろう。彼女達は私の手によって、永遠の美を手に入れたんだ。彼女達もきっと本望だろう。」
「………」
ティーミスは皇帝よりも先に、次のフロアへと進む。
「………」
「………」
ティーミスはいつも通りだったが、ノネも無口になっていた。
次のフロアには、無数の水槽が立ち並んでいた。
その中には魚はおらず、代わりに
「し…シグニちゃん!」
岩や海藻に彩られ、様々な衣装で着飾った少女達の骸があった。
此処で展示されている骸はどれも、今にも目を覚ましそうな程に綺麗だった。
「そんな…シピちゃん…ルアニちゃん…みんな…!」
色々な水槽を回りながら阿鼻叫喚するノネ。
一方ティーミスは、部屋の中心にある円筒形の水槽の上にいるそれを凝視していた。
純白の羽衣に身を包み、天に祈りを捧げる様な姿勢で展示されている少女の水槽の上。
「今回は随分と上玉を連れてきたな。シューレルよ。」
水槽の上には、一体のグールが腰掛けていた。
それはティーミスの知る姿から一片も違わない、チウゥデーンだった。
「君がそんな事を言うなんてな。今回は本当に当たりだったらしい。まあ、これが一目惚れと言う奴かな。」
少し遅れて、皇帝も水槽の間に入って来る。
チウゥデーンは皇帝の言葉を聞き、呆れた様に笑う。
チウゥデーンは皇帝から、ティーミスの方に視線を移す。
「それでお嬢さん。もう“始め”るかい?」
「…いいえ…もう少し見てみたいです…」
「分かった。良かったなシューレルよ。お前の美を理解する奴が現れたぞ。」
ティーミスは軽く会釈をすると、ノネの方へと向かった。
「うう…ううう…」
ノネは水槽の前にしゃがみ込み、泣いている。
ティーミスはその水槽を観察してみる。
(成る程。前のフロアの物が試作品だとしたら、この部屋にある物が本番ってところかな。)
水槽の中には、あいも変わらず少女の骸があった。
少女は白いローブに身を包んでおり、照明や水流は、そのローブの質感や少女の白い髪がより背景から映える用にセッティングされている。
人徳諸々を無視すれば、確かにそれは芸術作品たり得た。
「お姉ちゃん…どうして…」
「………」
ティーミスはチウゥデーンの方へと振り返る。
彼はグールだが、死に敬意を払う男だ。
こんな事が彼の本意で無い事くらいは、ティーミスも察していた。
「…どうやって作ったんですか…これ…」
「注射一本。筋弛緩剤を改造し呪いを掛けた物だ。最初は身体が麻痺していき、次第に末端から動かなくなっていく。作用は次第に拡大していき、最期は眠る様に息絶える。」
「…それだけですか…?」
「この薬物に掛けられた呪いは死後に発揮する。死んでも、魂は肉体を離れる事が出来なくなるんだ。そんな事をする理由など、防腐処理をしやすくする為だけだがな。」
「…成る程…それでですか…」
ティーミスの耳には聞こえていた。
何も感じず、何も解らず、ただ久遠の暗闇の中で泣く少女達の声が。
きっと皇帝には、水音と水を循環させるモーターの音しか聞こえていないのだろう。
「私が憎いか。」
チゥウデーンはティーミスに問い掛ける。
「いいえ。」
ティーミスは水槽に背を向ける。
「…貴方が死を尊重する様に、私も貴方を尊重します。なので貴方には、二つの選択肢を提示します。」
白いワンピース一枚に身を包むティーミスは、虚空に手を突っ込む。
「これから此処で起こる事を、見るか、見ないかです。」
ティーミスは虚空から、古びたスクロール紙を取り出した。