自滅妖精
焦げ地の真ん中で、戦艦龍が眠っている。
時刻は正午だったが、空が灰に覆われているので太陽が朧月にしか見えない。
外はいつも暗いのでいつからか此の世界の住人からは昼夜の概念が消えてしまっており、皆眠たくなれば好きな時間に眠っていた。
それは、ティーミスも例外では無かった。
「……すぅ……すぅ……すぴぃ……」
かつては戦艦だった龍の中の仮眠室の中。
ティーミスは、変容前よりも幾分か豪華な物に変わっている二段ベッドの下の段で眠っていた。
天井に付いている鉄格子で囲われたランプ状の照明が、僅かに赤い光を放っている。
が、部屋唯一の光源であるそのランプには、ティーミスの眠りを妨げる程の力はなかった。
「………ルイ………あなたは……どこか…………お兄様に似てる気がする…………」
ティーミスは、愛らしい囁き声で寝言を呟いている。
“ブツッ!”
部屋の壁に取り付けられているスピーカーに電源が入る。
ティーミスは、その音で目を覚ます。
「…どうかしましたか…リテさん…」
自分に話し掛けてくる者などリテしか居ないと確信していたティーミスは、至極不機嫌な様子で話し掛ける。
『貴女がティーミス…?ヒックッ…ただのでっかいドラゴンじゃない…ヒックッ…声は可愛いけど…てかねえどっから出してんのその声!』
「…誰ですか…」
ティーミスの話し相手は、酷く酔っ払っていた。
ティーミスは心の底から外に出たく無いと思いつつも、放っておいても状況は変わらないと思ったので、突然の客人に顔を見せる事にした。
〜〜〜
一方その頃龍の外では。
「あ…あの、ティーミスさんはまだお休み中だと思うので、その…」
「何よ!ヒックッ…森の奇獣が、森の女王に楯突く気!?…ヒックッ…」
リテが、龍の耳元で騒ぐ妖精の少女を必死に諭そうとしていた。
妖精は、白いビロードのワンピース一枚だけを着ている。
「はぁ…そのご様子では、また相当呑んだようですね。」
二人の背後に空間に歪みが出現する。
歪みからはティーミスが、眠たげに目をこすりながら現れる。
「…誰ですか何事ですか静かにしてもらって良いですか。」
二人は一斉にティーミスの方を見る。
只ならぬ気配を察知したリテがそそくさとその場を後にしたので、その場にはティーミスと妖精だけになる。
「その声…ヒックッ…あなたがティーミス?」
「ええ。それで、貴女は誰ですか小さなお嬢さん。」
「私…ヒックッ…私こそは森の女王エル・マーナス・ネル・ドル!私は森の…森…森って何処のだっけ…」
「………」
しびれを切らしたティーミスは、エルの方へとズカズカと歩み寄る。
「ん?何?…ヒックッ…」
ティーミスは、エルを鷲掴みにする。
「ふぎゃ!?」
本気で潰さんとばかりに、力を入れて。
「な…何するの…?私はただ…うぷ…くるぢい…」
「何の用ですか酔っ払いさん。」
ティーミスは、かなり怒っていた。
突然訳の分からない酔っ払いに叩き起こされたせいである。
「お…お願いはなぢて離してお願いじまず…」
ティーミスは力を緩めず、もう片方の手でエルの頭をつまむ。
「ぃひぎ!?」
「何の様ですか。早く答えないと死んでしまうかも知れませんよ。」
怒ったティーミスがエルに対して加虐を働いていると、リテが慌てた様子で戻って来る。
「ティーミスさん!その方をそっちに向けて下さい!」
「にぇ?」
ティーミスはエルの頭を離すと、エルをリテの方へと向ける。
リテは、シャボン玉の様に薄い膜で包まれたポーションをエルに向けて投げつける。
エルにぶつかった瞬間、ポーションを覆っていた膜が弾ける。
「うわっぷ!?」
ティーミスに掴まれたまま、エルはポーションを思い切りかぶる。
「…リテさん。これ何ですか。何だか、皮が剥けてしまったのかと錯覚するほど手がスースーするのですが。」
ティーミスはたまらず手を離したので、エルはそのまま地面に落下した。
「気付け薬でございます。普段はお湯に溶かして飲んで使うのですが、今回は一刻を争っていた様なので…」
それを聞いたティーミスは、ほんの少しだけ気分を害する。
「安眠を邪魔しただけの酔っ払いを、本気で殺す様な事はしませんよ。」
「おや、それは失礼致しました。」
と、地面で気絶していたエルが目を覚ます。
「ん…うーん…」
エルは焦点の合わない目を、ティーミスの姿を見つめる事で調整する。
「…あら貴女…よく見たら可愛いじゃない…」
エルはそう言った後、再び気を失った。
「………」
ティーミスは、びしょ濡れで気絶しているエルに軽蔑の込もった視線を送る。
少しして、箒と塵取りを持ったリテがエルを掃き、塵取りの上に乗せて持ち上げる。
「申し訳ございません。ティーミスさん。昔は聡明な方だったのですが、治めていた森が焼けてからと言うものの、すっかり酒浸りになってしまって…」
「その方が、貴女のもう一人のお仲間ですか?」
「はい。そうです。」
リテはそう言って、現在の状態に至るまでの経緯を話し始めた。
エルは元々、グオーケス革命軍と言う組織の長だった。
しかし時の経過と共に、組織は少しづつ衰退していった。
先ず、メンバーの80%を占めていた人間が、負傷や病気、寿命によって次々とこの世を去っていった。
残った長命な亜人種達は、組織に見切りをつけて皆亜人解放軍へと行ってしまった。
そして、リテとエルだけが残った。
「…ふ…」
「…今笑いましたね。ティーミスさん。」
「手伝いはします。ですが入隊はしませんよ。」
「ええ。構いませんとも。貴女は貴女のやり方で、物語を紡いで下さい。」
リテはそう言うと、エルを持ったまま、何も無い地平線へと向かって歩み始める。
「…そう言えば、先程からリテさんは何処に行っているのですか?船はあっちですよね。」
「え?…ああ、そう言えば、ティーミスさんにはまだ見せていなかったですね。付いてきて下さい。私達の家をお見せ致します。」
そう言ってリテは進み始める。
ティーミスはそれに着いて行く。
ティーミスの目の前の景色に、不意に波紋が広がる。
「…にゃ…?」
先程まで目の前にあったはずのリテの姿が、ティーミスの視界から消えていた。
ティーミスは辺りを見回してみたが、地平線と、遠くに停留している戦艦龍の姿しか無い。
何も無い空間に再び波紋が広がり、波紋の中心からリテの右手が出てくる。
手招きするリテの手を見て、ティーミスは漸く状況を理解する。
「成る程。ポータルですか。」
憂いの消えたティーミスは、早足でリテの方へと向かう。
先程まで、ティーミスの見ていた地平線だけの景色が破れる様に変化する。
「……にぁ……?」
ティーミスが“ポータル”だと思っていた物の向こうの景色は、ティーミスの想像以上に想像以下だった。
焦げ地に直接括り付けられた、乱雑に立ち並ぶ大小様々なテント。
あちこちで煙をあげる焚き火、或いはその残骸。
あちこちにはこの場所の住人らしき人間や獣人が居たが、痩せ過ぎという事も無く、環境の割には大分健康そうだった。
「彼らを養っているのって、もしかして貴女ですか?」
ティーミスの隣に立っているリテが、大通りを走り回る子供達を愛おしそうに眺めながら答える。
「…私に出来るのは、彼らをただ飢えから遠ざけてやる事だけです。」
リテはそれだけ言うと、スラムを貫く道を辿り始める。
「あの、私はどうすれば…」
ティーミスはリテの後ろ姿に声を掛ける。
「私はこのスラムの中心にある、一番大きなテントの中に居ます。エルさんの再起にはまだ時間が掛かりそうなので、この場所を見て回った後にでも顔を出していただければ幸いに思います。」
リテはそう言うと、再び歩き始める。
スラムにおける直接的な食糧源の割には、リテが周囲から慕われている様な様子は無かった。
「…」
特に何の気なしに、ティーミスは首をかしげる。
"バキリッ"
年端も行かぬ少女の首からは到底鳴ることの無い様な音がしたので、ティーミスは暫く此処で休む事にした。