召喚獣
「誓…約?り…リテさん、その、私達まだ出会って1日も経って…」
「素敵じゃないですか。出会ってその日に結ばれるなんて。」
リテはティーミスに、右の手の甲を向ける。
リテの手の甲には蔦を模した様な、光り輝く紋章が浮かび上がる。
「私とキエラも、そうでしたよ。」
「…にぇ?」
次の瞬間、ティーミスの視界は白く染まる。
「…何ですか…?目眩し…?」
光が晴れ、次第にティーミスの視界は回復していく。
「…失礼、強制転移でしたか。」
ティーミスは、森の中の広場に居た。
ティーミスを取り囲む様に生い茂るのは未知の種類の草木達。周囲を飛び交うのはホタルの様に光る虫。空は夜の様に暗かったが、虫達や光るキノコによって辺りはぼんやりと幻想的に照らされていた。
木々が曲がる様に避けて、広場を取り囲む木々の壁に一本の道が出来上がる。
そこから、木彫り細工の巨大なグローブを手に嵌めた、リテが歩いてきた。
「素敵でしょう。此処、私の故郷の森なんですよ。…勿論本物では無く、実体幻影術の一種ですが。」
リテの四肢に蔦が巻きついて行き、蔦は次第にリテの四肢を覆う木彫り細工を形成する。
リテが前かがみになるとリテの体にも蔦は巻き付き、リテの体をすっぽりと覆う“外殻”を形成する。
最終的にリテは、奇天烈な姿をした木製の奇獣に姿を変えた。
“私はかつて、キエラさんと契約を結んだ召喚獣でした。そして今私は、貴女との契約締結を望みます。”
「…キエラさんが、そう頼んだのですか?」
“キエラは、貴女を見つけて欲しいとだけ言いました。今の私は、私の意思に従っています。”
「…そうですか。」
リテの周囲に、数個の青色の鬼火が浮かび上がってくる。
鬼火は直ぐに、リテの正面に終結する。
“では、おて柔らかにお願いしますね。ティーミスさん。”
「…やっぱり戦うんですね。」
リテが、青色の炎を纏い突進する。
その突進の瞬間速度は音速にすら達したが、ティーミスは足元に生えていた花を踏み潰し、その足を軸にして悠々回避する。
“………”
「どうかしましたか?」
“いえ、別に。《フォレストタイフーン》!”
次いでリテの面が赤く光り、その目の前に一本の緑色の竜巻を出現させる。
強大な植物魔力を帯びた、リテの持てる中で最も攻撃力のある技。
「有色の竜巻に隠れようと言う魂胆ですか?そうは行きませんよ。」
ティーミスは、その竜巻の中を堂々と突っ切って、そのままリテの元まで辿り着いた。
“……ふふ。”
リテは乾いた笑いを零す。
ティーミスはリテの面をグーで殴ると、リテを包んでいた外装が木っ端微塵に吹き飛んだ。
その瞬間、周囲も元の焦げ地の景色に戻った。
「完敗です。ティーミスさん。」
「体裁って大変ですね。さっきのは最早、戦いと言うよりも儀式に近かったですもの。」
「…あの竜巻、結構頑張って撃ったのですよ?」
本来は、“不合格者”を勝負から脱落させる為の技だった。
回避させるつもりも、防御させるつもりもない、強制退場の一撃として用意した筈だった。
「ええ。範囲も広く周囲の物も巻き上げる上に、おまけに広範囲にダメージまであったので、妨害技として充分一級品だと思います。」
ティーミスにとってそれは、なかなかに鬱陶しい妨害、でしか無かった。
「そうですか。ふふふ。本当ならあの後森に隠れて、奇襲作戦の筈だったんですけどね。」
ヤケになったリテは、根も葉もない嘘でティーミスに話を合わせる。
「何はともあれ、これで契約は締結です。これからこのリテアンリエルは、貴女の召喚獣として貴女を守護し…ふふふ、ごめんなさい。私に、貴女を守る程の力は無いですね。お腹が空いたり、喉が渇いたりしたら言ってください。美味しい果物を差し上げますから。」
リテは、生まれて初めて人間に対して劣等感を覚えた。
この神予定者に対して、果たして自分は一体何が出来るのだろうかと。
実際はティーミスが底抜けにおかしいだけだったが、リテは自分への自信を無くしてしまった。
謙虚な性格のリテにも、折れる程度の自尊心くらいはあった。
「ありがとうございます。リテさん。…では宜しければ、最初のお願い事をしたいです。…聞かせて欲しいです。キエラさんのお話を。」
「キエラさんの…?ええ、勿論ですとも。」
ティーミスが花を踏み潰すまでは、リテは心の何処かで、ティーミスが次のキエラであれば良いなと思っていた。
しかし結局、ティーミスはティーミス。キエラはキエラだった。
当たり前の事だった。
「キエラさんは、お花が好きな方でした。」
〜〜〜
旧レミーエル領。
農村。
「また灰色の雨が降ってるよ。ママ。」
金髪の少女が、灰色に染まった外の景色を眺めながら呟く。
「肌が爛れてしまうから、外に出てはダメよ、ティーシャ。」
少女の母親が、編み物をしながら応答する。
「じゃあ、今日もパパは帰ってこれないね。」
「…ええ、そうね。」
母親の名前は、キティ。キエラの孫である。
少女の名前はティーシャ。出会う事の叶わなかった、キエラのひ孫である。
「…ねえ。ママ。」
「なあに?」
「もう、ティーシャとママだけになっちゃったね。」
「…そうね…」
「なんでティーシャとママは平気なのかな。」
「きっと、神様が守ってくださったのよ。」
「じゃあ、神様って酷い人なんだね?」
「どうしてそう思うの?」
「他の人は誰も守ってくれないんだもん。」
「ふふ。そうね。」
屋根が溶け、雨漏りが始まる。
有害な、灰の雨である。
「雨、入ってきちゃったね。」
「そうね。」
屋根が、中心から溶けていく。
「あら、酸も混じっていた見たいね。」
キティは編み物を机に置くと、徐に立ち上がる。
「ねえ、ティーシャ。右手の甲を私に向けてドアの方を向いていて。絶対に振り返らないでね。」
「…え?何?どうして?」
「ふふ、貴女に魔法をかけてあげるの。良い、絶対にこっちを向かないでね。」
「う…うん。分かった。」
ティーシャは母親の言う事を素直に聞く。
毒の雨が家に入ってくるなど常人ならば発狂する様な状況だったが、あまりにも絶望と長く連れ添ってきたため、この親子は至極落ち着いている。
雨漏りは次第に酷くなっていったが、ティーシャの立っている場所はまだ幾分か猶予があった。
「ママも直ぐにそっちにいくから、待っててね。」
キティはそういうと、零れ落ちて地面に溜まった灰と酸で出来た黒い水を手で掬い、飲み込む。
「……っ!」
喉も掌も焼けるように痛んだが、娘が怖がるといけないのでキティは悲鳴をぐっと堪える。
「ゴホッ…ゴボッ…」
「ママ?」
「向いちゃダメ!…良い子だから。」
声を出せるのは今のが最後だったらしいと悟ったキティは、今度は先ほどの倍ほどの酸を飲み込んだ。
「クフッ…」
咳をおさえるように口を手で覆いながら、キティは酸の中に倒れた。
「…ママ?ねえ、ママ?」
最初に雨漏りが始まった地点の屋根はすっかり溶けて穴が空き、ティーシャの居る場所にも雨漏りが迫ってきていた。
不安になったティーシャは振り返ろうとしたとき、琥珀色に輝く霊体の手がキティの頬を撫でる。
「あ、ママ!」
羽衣を来た琥珀色の霊体が、ティーシャの背後に現れている。
ティーシャの手の甲には召喚獣との誓約の印が浮かび上がっており、霊体の露出している腹の脇腹にも同じ印があった。
(神様は酷い人だと言うのなら、私が貴女の神様になってあげるわ。ずっと一緒よ。ティーシャ。)
霊体の発する声は本来、霊的存在、又は霊媒師の類にしか聞こえない。
「うん!ずっと一緒だよ!ママ!」
(ふふふ。じゃあ先ずは新しいお家を探しましょうか。ティーシャ、もうお出かけしても良いわよ。私が守ってあげる。)
【エンシェントホーリーライトスピリット】。
それが、ティーシャに憑いた召喚獣の種族だった。
ティーシャは家を出る。
当然雨は降りかかるが、ティーシャを包む見えない球体によって弾かれる。
毒によって死んだゾンビがその身に毒を宿す様に、酸によって絶命したキティには強力な科学毒耐性が付いていた。
「ねえねえママ。これからどこに行こうかな。」
(そうねぇ…じゃあ、焦げ地、なんてどうかしら。私のおばあちゃんが住んでいた所よ。)
「焦げ地…?それって、この世?それともあの世の場所?」
(ふふふ。さあ、どっちでしょう。貴女の目で見て、貴女の意思で決めてみて頂戴。)
ティーシャは不思議そうな表情のまま頷くと、水分ゼロのぬかるみ道を歩き始める。
家の方に振り返る気配の無いティーシャを見て、我が子の為に肉体を捨てたキティはほっと胸を撫で下ろした。
内側から溶けていく自分の“ぬけがら”は、とても我が子に見せられる代物では無かったからだ。
「何だか変な匂いがするよ。」
(きっと、みんなの家が溶けていく臭いよ。)
酸の雨にあてられた人工物達が、数日、或いは数ヶ月かけてその機能と形を失っていく。
雨はずっと振り続けるので、再来月には此処も更地に変わる。
こうしてこの街と言う名の小さな文明は、この世界から消える。
小さな文明達から、この世界から消えていく。
まるでそれが当然の摂理だとでも言わんばかりに。