スティグマータ
孤児院の、宿泊用の個室。
そこは、1人用のベッドと小さなタンスだけがある小さな部屋だった。
「ごめんねベンソン。結局18発も撃たせちゃって。今日はもう、ゆっくりお休み。」
外地探索から帰ってきた機関銃の少年は、ベンソンと言う名前の付いた愛用の機関銃をそっと壁に立てかける。
彼の名前は、ルイ。
短い金髪に青い瞳。どこか英国風土を思わせる、愛らしさのある美少年である。
部屋のドアが不意に開く。
「おいルイ。いつまで武器弄ってんだ早く来い。みんなもう待ちくたびれてるぜ。」
槍使の少年が部屋の中に入ってくる。
槍使いの彼の名前は、スグレイ。
筋肉質の体。僅かに褐色がかった肌。短く黒く、刺々しい髪。
「あ、ごめんごめん。すぐ行くよ。」
ルイは去り際に機関銃を軽く撫でると、その部屋を後にした。
食堂の長テーブルには既に、スグレイとルイ以外の全員が席についている。
それぞれの席には、水の入った小さなペットボトルと、ネズミの干し肉と、今朝少年達が拾ってきた高カロリーの乾パンが少量づつ並べられている。
「ごめんごめんお待たせ。」
ルイは軽く謝罪をしながら、自身の席につく。
スグレイも、無言なのを除けばルイと同じ事をする。
「全員揃ったみたいですね。」
テーブルの先端の席の、汚れたシスター服姿の少女が立ち上がる。
「主の御心の元、我々は今日も潔き食を食せし加護を讃えん。」
少女が祈りの言葉を唱え終えると、各々は簡略化された祈りを唱えた後食事を始める。
これは、孤児院がまだ本当の孤児院だった頃から続く慣習だった。
(うーん…やっぱりだいぶ湿気ってるなぁ。)
ルイは、自分達が拾ってきた乾パンを食べる。
味自体は何の問題も無かった為、一先ずカビの心配は無い。
「はむっ…しゃくしゃくしゃく…」
左隣の席から小動物の食事の様な音が聞こえてくるので、ルイはそちらの方を見る。
そこにはいつもの様に、煉瓦色の髪の小柄な少女が座っていた。
「どう、ティーミス。やっぱり、美味しく無いかな。」
ルイは、ティーミスに声を掛ける。
ティーミスからの返答は無い。
よく見るとティーミスの顔からは血の気がひいており、表情も酷くひきつっていた。
「ど…どうしたのティーミス。もしかして具合悪いの?」
「……!」
ティーミスは漸く、自分が声を掛けられている事に気付く。
「いえ、大丈夫です。どうやら少し寝不足みたいです。」
ティーミスはそれだけ答えると、再び食事に戻る。
先ほどのルイの言葉を意識してか、ティーミスの顔色や表情は普段通りに戻っていた。
ルイは、そんなティーミスが心配だった。
「そ…そう…」
ルイはものの2分で完食してしまっていたが、ティーミスは少しづつゆっくりと食べていたのでまだ半分以上が残っている。
手持ち無沙汰だったルイは、何の気もなしに、不意にティーミスの頭に手を乗せる。
ティーミスの体は一瞬だけピクンと跳ね、ルイの方を向く。
そしてティーミスは、特に嫌がったり払ったりせず、そのまま視線をテーブルに戻した。
「……」
髪を伝って、ティーミスの体温がルイの手に届く。
いつまでもこうしていたい。
ルイがそう思った矢先だった。
「……!」
ティーミスが、怯えた様子で背後を振り返る。
「ん?どうしたの?」
「……?」
ティーミスは不意に、何も無い宙で指を動かし始める。
ティーミスがここに来た時からずっと持っている、いつもの手癖である。
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[通知を表示します]
急襲予報
0:09:53
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「…?」
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[表示を切り替えました]
00d09h53m
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「………」
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[表示を切り替えました]
緊急クエスト発生まで残り
9時間53分
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ティーミスは手癖を終えると、糸の切れたマリオネットの様にぐったりと椅子にもたれかかる。
「ティーミス…本当に大丈夫?」
「…大丈夫です…少し…疲れただけです…」
ティーミスは水を飲み干すと、食事を半分ほど残し早々に離席してしまった。
「あ、ちょっと!」
ルイはティーミスを目で追っていた筈なのに、その姿を見失ってしまった。
近くに他の部屋への出入り口は存在しない筈なのに、ティーミスは何処にも見当たらなかった。
残ったのは、4枚の高カロリー乾パンと、手付かずのネズミの干し肉。
「なあ、今日こんだけかよ。」
「俺全然足りねーぞー。」
いつもの様に駄々を捏ね始める2人の子供達。
目の前には、ティーミスの残し物。
湿気った乾パンと干し肉では、常温放置は向かない。
ルイは一瞬、これは駄々を捏ねている子供達にあげようとし、冷静になり思いとどまる。
この子供達に残り物をあげたら、確かにこの2人は満足するかもしれない。
しかし他の子達はどうだろうか。
あの2人がたまたま声を出して言っているだけで、食事が足りないのは全員が思っている事である。
仮に乾パンを1人一つづつ与えても、自分とティーミスを抜いても5人分足りない。仮に、割ったりして全員に行き渡らせたとして、干し肉はどうする。切り分けるにはあまりにも小さすぎる。
幸いにも、ティーミスの残しにはルイ以外まだ誰も気付いていない。
ルイは暫し悩んだ末、ティーミスの残した物を、得意の早食いで全て平らげた。
これで誰も幸せにはならないが、不幸にもならない。
これがルイの導き出した最適解だった。
「主に感謝を。潔き食に祝福を。糧となりし命に賛美を。」
ルイは食後の言葉を終えると立ち上がり、ティーミス探しを始めようとして、
「ルイ。」
いつのまにか付近に居たスグレイに呼び止められる。
「スグレイ?どうかしたかい?」
「直ぐに次の狩りの打ち合わせだ。俺たちゃもう3日前からネズミ一匹見つけられていないが、こいつらを餓死させる様な事だけはあっちゃならねえからな。」
「解った。いつもの場所で良いかい?」
「ああ。出来るだけ急げよ。」
「解ったよ。直ぐに行く。」
スグレイはルイのその言葉を聞くと、既に食事を終えた子供達と一緒に食堂の外に出ていった。
前までは全員揃って食後の祈りも行なっていたが、こちらはいつのまにか風化し消えて行った。
(さて、とっとと狩り班の部屋に…)
ふとルイの脳裏に、先ほどのティーミスの姿が浮かんでくる。
(…その前に、少し寄り道してもバチは当たらないかな。)
ルイは食堂を出て、そのまま建物の外、教会の中庭まで来る。
灰色の空。乾いた茶色い芝生。面積は居間二つ分程。枯れた花の並んだ花壇。酸で溶けた枯れ木。地面に突き刺さったままの不発弾のミサイル。色々な要因で生き絶えていった血の繋がらない兄弟姉妹達の、簡素な8基の墓。
そして、枯れた花をぼんやりと眺めて座る小柄な少女。
「ティーミス。」
ルイは、少女の名前を呼ぶ。
ティーミスは、ルイの方を向く。
「…いつ来ても、此処のお庭は退屈ですね。」
ティーミスは枯れた花々に視線を戻し、呟く。
ティーミスの隣に、ルイが来る。
「ティーミス。何かあったのかい?」
「…特に何も…貴方が求めているのは、こんな答えじゃ無いですよね。」
酸っぱい風が吹き抜け、枯れ草が微かに音を立てる。
「…ルイさん…もしも今日世界が終わるとしたら…貴方ならどうしますか…?」
ルイは暫し考える。
「何もしないし、何も出来ない、かな。世界の終わりがどう言う状態の事を指しているかにもよるけど。」
「…そうですか…」
「それでも僕は、全力で足掻こうとは思う。僕の兄弟達の誰か1人でも生きていたいと思っている限り、僕らの役目はその兄弟を守る事。誰かが生きようとする限りは、僕も生きていなきゃいけないからね。」
「……」
きっとティーミスは何かを見て、或いは知ってしまい、この世界に怯えてしまったのだろう。
ルイはそう考えた。
「ティーミスは、この世界が好きかい?」
ルイは聞いた。
「…嫌いです。でも、生きたいと縋った以上は、生きている限り生きなきゃダメなんです。」
「じゃあ君がそう思い続ける限り、僕は君を守り続ける。」
ふとルイは思い付く。
「ごめん。やっぱり、誓いに逃げちゃダメだよね。」
「…?」
「ティーミス。」
「君が好きだ。」
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9h21m
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