怠惰の果て
星の無い夜空。煌々と輝き立ち並ぶ長方形のビル。無人の歩道。車道を走る沢山の無人車。
その光景は、今までとは打って変わり近未来的だ。
「にゃー!」
田舎者が都会に来た時の様に、ティーミスは天に突き刺さる勢いの高層ビルを見上げる。
ティーミスの生涯で一度たりとも見たも聞いた事もない街並みだったにも関わらず、ティーミスはビルや車に対しては懐かしさすらも感じていた。
(ああそうです。ここは異世界でした。)
ティーミスは車道に沿って進む。
発展しきった近未来大都市と言うイメージにも関わらず、外にもビルのガラスの向こうにも、何かの店と思しき場所にも、人の姿はまったく見当たらない。
“こちら、ビルフィーゴー入出者管理システムです。5L-782G通り、第3プレートをご利用中の方は、そのままの状態でお待ち下さい。”
「…?」
ティーミスの立つ金属製の歩道に、3と数字が浮き出る。
向こう側から黒塗りの車が、通常よりも若干の高ペースでティーミスの隣までやって来て、後ろの荷台から4体の人型のロボットがドカドカと降りて来る。
“こちら、ビルフィーゴー入出者管理システムです。入国許可証の提示と、個人管理マイクロチップの提示を行なってください。”
艶のある黒色をした超硬度プラスチックの体。関節部から覗く暗い色のワイヤー。機械装甲ヘルメット越しに、青いランプの瞳がティーミスの瞳を捉えて離さない。
“こちら、ビルフィーゴー入出者管理システムです、入国許可証の提示と、マイクロチップの提示を行なってください。提示を行わない場合、ビルフィーゴー入出者管理保護法第31条への違反行為として、直ちに一次留置されます。”
ロボットは、赤いホロレーザーを使いティーミスの体を隈なく調べて行く。
“未知の型番のマイクロチップを発見。個人管理マイクロチップ、入国許可証、共に発見されず。違法入国者として、これより同行を願います。”
ーーーーーーーーーー
【怠惰の街の警備兵】
リーマス社により製造された、高性能警備兵です。
【7mm式非殺傷ピストル】と、【留置用標準型スタンガン】を携帯し、条例違反者を留置すべく駆動します。
あなたより格下のモンスターです。
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“同行の意思、検出されず。これより、武力行使による捕縛を開始します。”
警備兵達の瞳が赤色に点灯し、一斉に拳銃を取り出し発砲を始める。
非殺傷とは言え、無事でも居られないだろう。
「!?」
ティーミスは、無傷だった。
ティーミスが頭で考えるよりも先に、体が先に銃弾の回避をする。
ただでさえステータスの高いティーミスが、踊り系のスキルによって更に反射能力が底上げされているのだ。
軽い銃声が響き続けるが、ティーミスは最低限の動きだけで回避して行く。
突き出されたスタンガンをティーミスは拳で叩き折り、そのまま魔剣を正面に居た警備兵の胸部に突き刺す。
ジジジバチバチと不安定な音が鳴り、警備兵が一体スクラップへと変わる。
「…私は…人外の域にでも達してしまったのですかね…」
ティーミスは魔剣を握りしめ、残った3体の警備兵を睨む。
やはり、一番最初に気が付くのは本人だろう。
〜〜〜
アトゥ植民区領主ビクターは、いつもの仕事机に座り、いつも通りに書類整理の仕事をやっつけ気味でこなしていた。
自らの身代わり。肩書きのみの領主であるルーベンが、何者かの使役下にあるモンスターに殺され、不穏な物を感じ取ったビクターは、定時連絡の滞っていた旧アトゥ収容所へ調査隊を派遣した。
案の定収容所は破壊されており、脱走者が一名。しかも、憎きルミネア家の令嬢と来た。
報告員として一人で帰還したきり、他の誰も報告に帰って来て居ないので恐らくは全滅したのだろう。
(…しかし、革命でここが手に入ったのは大体2年前…で、ルミネアの令嬢がもしアンデットにでもなってない限り、今でちょうど11歳か?
11歳の女の子が、大人の兵士9人を同時に倒せるのか?…いや、奴らは正規部隊じゃ無い。スキルに恵まれていたら不可能でも無いか。)
そして、今日未明にアトゥ植民区騎士団の団長達が出撃したと言う知らせを受けたビクターはほっと胸を撫で下ろし、またいつも通りの心意気で業務に戻った。
何も気にする事など無い。ただここに座って、彼らが仕事を終えたと言う知らせを待てば良いだけなのだ。
ガチャリ
ビクターの居る仕事部屋のドアが開き、一人の召使いが入室する。
いつもなら“失礼します”と言う召使いだが今日は黙って主人の部屋に入って来たため、ビクターは不審に思い召使いに問う。
「どうしたのかね?具合でも…」
「…グラハム・バクター、ゴガン、リカリア・エレイの三名の…生命の停止が確認されました…」
「…ん?」
まるで突然外国語で話しかけられた様に、ビクターは一瞬それを言葉として認識出来なかった。
ある一定以上の実力を持つ騎士は、とある簡単な魔法を受ける事が義務付けられている。
【命測石】と言う魔石に、自身の血を登録すると言う物だ。【命測石】は文字通り、登録された者の心臓とリンクして赤く点滅すると言う代物で、登録者が絶命すれば石は未登録の状態に戻る。
そして今日の明け方、兵舎にて保管されて居た例の3人の命測石が、ほぼ同時刻に停止した。
ゴガンの命測石に至っては、停止する前に青く燃え上がっていたと言う。
「…死んだのか?グラハムが。」
「残念…ながら…」
ビクターの顔と手足から血の気が引き、小刻みに震え出す。
その姿はまるで、死罪を宣告された囚人の様だ。
今まであれだけ大きく見えた存在。
絶対的な正義と秩序を齎してくれた存在。
神にも等しい存在が、一瞬にして敗れた。
ビクターは思い知る。改めて実感する。
グラハムは、秩序の化身でも何でも無く、腕のたつだけの一人の男だったと言う事を。
「あ…あり得ん!この世に正義の神は居ないのか!居たのなら、何故彼奴を…見捨てた…何故悪の味方をした!」
「…そんな者が居たとしても、我々の味方でも無いでしょうね…」
「何!?貴様!それはどう言う…」
「…ご主人殿だって、分かっておられるでしょう。この土地の抱える事情を。」
「な…!…畜生…」
それ以上は、誰も何も言えなかった。
ケーリレンデ帝国の成す事全てが正しいと人々は言う。少なくとも、帝国による正義に対する不忠な行いによって恩恵を預かる超大多数の人々は。
しかし、その事によって特に利益などの無い人々や、不利益を被る者。ましてやティーミスの様に人生そのものをどうしようもなく破壊されれば、それはただの不正行為。
そんな状態で天に何かを訴えるのも無為だろう。
「…本国に電報を送れ。領土も爵位も全て返す故、この土地から外してくれと。」
「かしこまりました。ご主人殿。」
召使いが退室し、室内は再びビクター一人になる。
ビクターはデスクの上の書類全てを床に払いのけ、両手でそのオレンジ色の長髪頭を抱え、様々な思慮に耽る。
帝国はこの事を知っていて、自らを失脚させる為にわざとこんな場所に配属したのか。
いや、もし事前に知っていたのなら動かない筈がない。相手は少なくとも、国家的精鋭と認められる七等級以上の実力があるのだから。
そもそも、11歳の少女が一体どんなスキルを持てばそこまでのレベルに達するのだろうか。
いや、そんな事は今のビクターにはどうでも良かった。
帝国なんて知った事か、地位も名誉も、命には替え難い。最低限の財産さえあれば食うには困らない。
一刻も早く妻と子と自身の安全を確保し、帝国と縁を切って何処かに逃げなくては。
ティーミスから見れば、ビクターは自身の土地を不当に占拠している悪党でしか無い、
しかし、下手に動けば今度は帝国からも狙われかねないだろう。
「…頼む神さま…私は今まで貴方に不誠実だったかも知れない…だから、今から心を入れ替えるから、頼む!私を…せめて、家族だけでも助けてやって下さい!」
開け放たれた小さな窓から覗く昼始めの空に、ビクターは懇願する様な祈りを捧げる。
時に罪に濡れた者ほど、神への信仰心は増していく。
向き合うべきものから目を背け。流れるがままに他者に全てを委ねた彼の罪は、怠惰。