決戦準備
澄み切った青空。
沸き上がる民衆。
盛大に舞い上げられた、色とりどりの紙吹雪。
ケーリレンデ帝国の首都の大通りでは、次期皇帝の就任式が盛大に祝われていた。
国の人々は働く手を止め、その手でケーリレンデ帝国の国旗を降っている。
国で一番の大通りを、演劇の舞台の様に大きな神輿がゆっくりと通っている。
神輿の上には、豪華絢爛な装束に身を包んだ一人の男が、民衆に手を振りながら座っている。
その男は、次期皇帝に就任した第一皇子、フリッツだった。
「就任おめでとうございます、兄上。せいぜい前座としての役目をしっかりと果たしてください。」
ギズルは、就任式の様子をケーリレンデ城の20階から眺めている。
ギズルは次期皇帝の座を、第一皇子に譲った。
と言うよりも、第一皇子以外で最も皇帝の座に近かったギズルが皇帝争いを降りたので、誰も第一皇子を落とせなくなっただけだった。
第一皇子の皇帝就任は、ギズルの計画通りだった。
(…これで、心置き無く咎人と向き合えるというものさ。)
ギズルは振り返る。
そこには、黒いトレンチコートに身を包んだリニーが居た。
「ギズル殿下。私は貴方の事を信用しています。が、個人的には貴方が嫌いになりました。正直言って、貴方の近頃の行動は、あまりにも倫理から外れすぎてます。」
「貴様、不敬だぞ。我が貴様にそう言うだけで、明日には貴様は断頭台の上だ。我に何か申すのであれば、まずその事を重々理解する事だな。」
「それで、どうするんですか?強化人間実験のせいで、もう孤児院一つ分の子供があの世に行きましたよ。」
「あれで自由に使える子供の死体が山ほど手に入ったのだ。結果は上々だ。」
「…咎人よりも、貴方の方がずっと化け物ですね。」
「人ならざる者に勝てるのは人ならざる者だけだ。もしも化け物と申すのならば、我は謹んで受け入れよう。…しかしながら、」
ギズルは、右手に氷の刃を形成する。
「貴様、不敬だぞ。」
目にも止まらぬ速さで、ギズルの刃がリニーの首めがけて振るわれる。
“カキンッ!”
ギズルの氷の刃は、黒いスーツに身を包んだ剣士によって受け止められる。
リニーとの契約により、その若さを取り戻したウーログである。
「では、俺の剣にて免罪符を織ろうか。」
ウーログは、ギズルに向けて淀みない殺気を向ける。
「良かろう。その免罪符、受け取った。」
ギズルは数歩後退すると、半笑いで答える。
ウーログの持つ剣が次第に凍りつき、物理的にはありえない程の急激な冷却により、刀身にヒビが入っていく。
ウーログは、かつて剣だったそれを放り捨てる。
剣は、氷細工の様に粉々に砕け散った。
「…次に散るのは、我かもな。」
ギズルは薄笑いを浮かべたまま、粉々になった剣を眺め呟く。
「あの、ギズル殿下。そろそろ行きましょうか。」
リニーは廊下の向こう側を指差しながら、ギズルを急かす。
城の召使いが数名、ギズル達の元へと歩いてきていた。
「ふ…亡霊騒ぎになっては困るな。」
ギズルはそう言うと、懐から取り出した転移魔法石を握り潰す。
ギズルを中心に一瞬だけ青色の光の爆発が起こり、次の瞬間にはそこから誰も居なくなった。
少しして、ギズル達の居た場所を二人の使用人が通り掛かる。
掃除用具を抱えた、二人のメイドだった。
「しかし、まさかあのギズル殿下が、就任式の一月前に、持病の悪化で“お隠れ”になられるなんて…」
「大丈夫ですよ。あのお方のことですし、きっと神の御元で、この就任式を見ておられますよ。」
〜〜〜
「…はあああぁぁぁぁぁ…」
チゥウデーンは、ギズルに渡された子供の死体に黒緑色の薬剤を注入しながら、長いため息を吐いた。
チゥウデーンの背後には、無数の死体により作られた異形のアンデッドが2体。
一体は、12本の手が足として生えている、人体のパーツだけで形作られた狼型のゾンビ。
もう一体は、太った男の様な形をした、肥大化した胴体と腕を持つ人型のゾンビ。
どちらも形だけが出来上がっているだけなので、まだ動き出したりはしない。
チゥウデーンの視界の端で、僅かに青色の閃光が発生する。
「全く酷い匂いだな。此処は。」
ギズルが鼻をつまみながら、転移早々クレームをつける。
ギズル、リニー、ウーログの3人が、チゥウデーンの死体安置所に現れる。
此処は冒険者協会の、今は機能を停止している病院の、地下だった。
「そうか。なら今すぐにでもその嗅覚神経、摘出してやるぞ。」
チゥウデーンはギズルに錆だらけのメスを向けながら、憎しみの篭った視線を向ける。
「悪いがこの鼻は、北から取り寄せたローズティーの香りを堪能するのに使うんでね。」
チゥウデーンの握るメスが、先端から刺々しい霜を纏い始める。
霜はすぐにメスを覆い、それを握るチゥウデーンの手にも広がり始める。
チゥウデーンには、一切動じる様子は無い。
「ふん。まあ良い。」
チゥウデーンが手を軽く払うと、霜は呆気なく払い落された。
地下室に、階段からもう一人入ってくる。
純白の鎧に身を包んだ、眼鏡の美青年。
アルベルトである。
「アルベルト、No.1の育成はどうなっている。」
チゥウデーンは、腐肉まみれのアルベルトに向けて問う。
「そろそろ僕も手加減出来なくなってきたかも。あれは剣の振り方を覚えたと言うよりも、思い出してきたって感じだと思う。あの剣には、確かにグラハム先輩が宿っていたよ。」
アルベルトは、腐肉のこべりついた頭蓋骨をチゥウデーンに返却する。
当然ながら、その頭蓋骨はグラハムの物では無い。
「しかしチゥウデーンさんも、中々面白い事を考えますね。奴が殺めた数だけ復活するのならば、最初から死人をぶつければ良い、なんて、アンデッドならではの発想ですね。」
「私はあくまでも打開策を提案したまでだ。上手く行く保証など無いし、成功させたいなどとも思わない。正直言って、もう一層こんな世界など、一度咎人に壊されてしまった方が…」
チゥウデーンの胸部に、細く鋭い氷の矛が突き刺さる。
「チゥウデーン殿。貴殿の助力に免じて、今回の失言には目を瞑ろう。」
ギズルは、僅かに冷気を帯びる指先にふっと息を吹きかける。
「しかし、貴殿はあくまでも【ゾンビ】と言うモンスターである事を忘れるな。今此処で我がうっかり貴殿を殺したとしても罪にはならぬ。この世界では人類こそが至上主だ、良いな。」
「……」
チゥウデーンは、自身の胸から氷の矛を引き抜く。
この場には誰一人として、ギズルに心から協力している者は居ない。
地位、財産、家族、命。
様々な物を、ギズルに人質に取られた者達の集まりだった。
「しかしチゥウデーンさん。確かにさっきの【ゾンビナイト】は、僕が今まで戦ってきたどんなアンデッドよりも強かった。けど、とてもあの子に通じるとは思えないかな。」
「今作っているのは、あくまでも奴と交戦し続ける為の物だ。倒す為の物では無い。」
チゥウデーンは、手に持っている頭蓋骨にほんの僅かに魔力を流し込む。
頭蓋骨の表面からは瞬く間に腐肉が滲み出ていき、腐肉は瞬く間に胴体を形成し、肉の中からは鎧や剣と言った金属製の武具が内側から押し出されるようにして出現する。
黒いフルアーマーに包まれた身体。背中に背負った一本の長剣。鎧の継ぎ目から絶えず漏れ出るのは、死の魔力の具現である黒い瘴気。
ただの頭蓋骨だった物は、ものの数秒で元の【ゾンビナイト】の姿になった。
「先ずはこいつを、咎人にぶつけても瞬殺されないレベルにまで育成する。それが済んだら次は、より少ない魔力で、より素早く、より確実に復活出来るように改良する。」
「それってもしかして、ティーミスがくたびれるまでそいつと戦わせ続けると言う事ですか?」
「それが、私の提案した策だ。仮にどれほどの力を持っていようとも、血の通った人間であるのならば、永遠に戦い続ける事など不可能だ。少なくとも、我々の常識に当てはめた場合はな。」
チゥウデーンの説明に、リニーが割り込んで来る。
「そして、咎人がアンデッド達と戦っている間に、私達で眷属のどれかを討つ。眷属の戦闘力は強力ではあるけれど、理不尽と言う程では無いらしいからね。」
主力を足止めし、周辺から先に倒して行く。
奇しくも、かつてティーミスがグラハムに対して行った戦法だった。
「咎人がいつまた暴れ出すかは誰にも解らない。決行は出来るだけ早い方が良い訳だが。」
ウーログはそう言いながら、暦の書かれた手帳を開く。
「二ヶ月。二ヶ月あれば、少なくとも足止め用の屍兵は完成させられる。」
チゥウデーンは、先程再生したばかりの【ゾンビナイト】の鎧をパンパンと叩きながら言う。
「では、決戦は二ヶ月後だ。異論は。」
ギズルは、冷たい声色で皆に伺う。
異論は出なかった。