到着
太陽が西の空まで移動した頃。
大地主の屋敷の前。
今や馬車で埋め尽くされた大通り。
屋敷に仕える二人の役人が、屋敷の門の横で、馬車と荷物の海を眺めながら駄弁っている。
どちらも年若い男で、この屋敷に来たのは最近の事だった。
片方は鳶色の短髪に鳶色の瞳。もう片方は、黒髪の長髪に黒色の瞳。
どちらも、この屋敷の古くからの制服である濃抹茶色の着物を着ていた。
「しかし、またこの道が税馬車で埋まる日が来るなんてな。」
「こりゃ先代大地主がグータラ野郎だったって噂も立つ訳だ。」
「これも才能の差ってヤツなのかね。そう言えば現大地主様は確か、たまナントカって言う妖怪だろ?どうして人間の都の地主やってるんだ?」
「確かミズキ様は、先代が森で拾ってきただかなんだかで…」
唐突に屋敷の門が開く。
奥から、黒い日傘をさしたミズキがあらわれる。
日傘の影に隠れたミズキの顔は、酷く狼狽している様子だった。
「うわ!?」
「も…申し訳御座いません!決してサボっていた訳では…」
二人の使用人は動揺を見せる。
ミズキはそんな二人の事は気にも留めずに、馬車地帯へと歩いて行く。
(何かある…この中に、何か“悪い物”が。)
ミズキは背後に振り返る。
背後には、そそくさとその場を立ち去ろうとしている二人の使用人が居た。
「おいうぬら!ちと手伝え!」
「ひ!?…は…はい!」
ミズキの招集のままに、二人の使用人がミズキの元にやって来る。
ミズキは、年若い二人の使用人に具体的な指示を始める。
「良いかうぬら。妾が“これじゃ無い”と言った荷物を全て屋敷まで運び入れろ。…きっと何処かの阿呆が、妾に術でも盛るつもりかも知れぬ。」
「か…かしこまりました。」
ミズキはそれだけ言うと、早速馬車の選別作業に取り掛かる。
「…これは何じゃ?」
ミズキは、自身の4倍程の大きさの袋を乗せた馬車を指差す。
馬はこの場所に荷物を置くと直ぐに別の場所に移動させられる為、この場所に馬はおらず、ミズキが馬に踏み潰される心配は無い。
「円国から来た砂糖です。普段良くしてくれた例とかって理由で、予定の倍も送ってきて…」
「これじゃ無い。運び込め。」
「は!」
それを聴くと二人の使用人は、200kgは下らない砂糖の袋を馬車から下ろし、人力だけで軽々持ち上げ、その麻袋を屋敷の方へと運び込んで行く。
(気配が消えぬ…やはりあれは違うか。)
二人がまだ戻って来て居なかったが、ミズキは構わず品定めを続ける。
(胡椒…木材…しなもん…牛乳…米…米…また米…)
荷物の間をウロウロしていたミズキは、不意に足を止める。
最初に感じたのは、魚介特有の生臭い匂い。
そして次に感じたのは、先程から背筋を突き続ける不吉な気配。
(これか…?)
ミズキの目の前には、五つほどの俵の積まれた簡素な馬車があった。
「ふぅ…次はどれにします?」
一仕事を終えた鳶色の髪の使用人の声が、ミズキの元まで届く。
使用人達が、大荷物を運んだ後だと言うのに汗一つ掻かずに戻って来たのだ。
「荷物運びはもうよい。…ちと、この荷物を調べておくれ。」
「こりゃ確か、名前すら付いてないちっさな港町からの奴ですね。判りました。」
鳶色の髪の使用人が、馬車を広い場所まで引いて移動させる。
「俗に言う俵物って奴ですね。日持ちする魚介類や海草類とかを俵できちきちに巻いてですね...」
ミズキが俵の山に向けてひらりと手を払うと、俵はたちまち宙に巻き上げられ、馬車の付近に落下する。
俵の一つを縛っていた縄が緩みかけたが、幸いにも俵達は無事だった。
「み…ミズキ様、何を…」
黒髪の使用人の戸惑いをよそに、ミズキは不安定な下駄のまま、空になった荷馬車の上に登る。
「うぬら!この馬車に札か何か無いか見てくれ!」
ミズキは二人の使用人にそう指示を飛ばすと、荷馬車の上を念入りに調べ始める。
妖怪とは元来より、この土地では邪な存在として扱われて来た。
妖怪の正当な生活権が認められたのさえも、帝国との貿易が行われるようになった最近の事。
巷ではまだ妖怪差別(ごくごく一部のご利益があるとされる存在は除く)が根強い。
妖怪であるミズキが大地主を務めているのを良く思わない者達が、未だに派閥単位で存在していた。
故にそんな“反妖怪派”達は、常にミズキの身を狙っていた。
実際ミズキは、就任してからの半年間で二回も謀略に掛けられた。
一度目は書類の中に仕込まれた呪印によって凶暴化させられあわや大惨事になりかけ、二度目は普通に毒を盛られ殺されかけた。
どちらも運良く助かったものの、ミズキの警戒心は日を追うごとに高まる様になった。
「大地主様。荷馬車の外観には特に異常ありません。」
鳶色の髪の使用人が、馬車の上のミズキに報告する。
「馬車そのものを調べましたが、別に呪いらしきものも見当たりませんね。」
黒髪の使用人も、続けて報告する。
「…ご苦労。もしやただの、妾の思い過ごしか…?ん?」
ふとミズキは、荷馬車の床面の木材の継ぎ目が目に入る。
木材の継ぎ目の間に、小指の爪程の大きさの黒い石が挟まっている。
ただ黒いのではない。
まるでそこに世界の穴が開いているかの様に見える程の、不自然で完璧な黒色だった。
ミズキは、その黒色の石を摘まみ上げ手に取る。
石は、暖かな外気に反し、氷の様に冷たく、表面には結露まで浮いている。
ごく小さな石ころだったが、明らかな異常物体だった。
「なんじゃ…これは…」
齢800程のミズキでも、この石の正体は見当も付かない。
「何か見つけたのですか?」
黒髪の使用人が馬車の上に上がって来て、ミズキの手の中の物を覗き込む。
使用人は最初、ミズキの手に黒い小さな穴が開いたのかと思ったが、それをよくよく見て、ようやくそれが黒色の小石だと言う事を認識する。
当然黒髪の使用人にも、この石の正体はさっぱり判らない。
「…まあよい。これは海にでも捨ててこい。」
そう言ってミズキは、黒髪の使用人にその黒色の石を差し出す。
黒髪の使用人がその石を受け取ろうとした瞬間だった。
“バキリ!”
石の大きさとは不釣り合いな大音量の亀裂音をたてて、その漆黒の石に赤色の亀裂が入る。
「のあ!?」
ミズキは驚いて石を床に落とし、数歩後退する。
「ひぃ!?」
黒髪の使用人はその場で尻餅をつく。
「どうかしたんですか!?」
鳶色髪の使用人が、何事かと馬車の上に登り上がる。
石には、独りでに亀裂が入り続ける。
“べキリ…バキリ…パキンッ!”
石は砕け散る。
しかし、赤色に輝く亀裂はそのままそこに残っていた。
“ベキベキ…バキッ!”
石を起点とした、今や空間そのものに入った赤い亀裂は、みるみるうちに広がり続ける。
「大地主様!一先ず此処をお離れ下さ…」
“ガシャン!”
鳶色の髪の使用人の言葉を遮る様に、空間に入った赤い亀裂が音を立てて割れる。
空間そのものに、いびつに角ばった形の漆黒の穴が出現する。
縦横それぞれ1.5m程の空間の割れ目からは、背筋の凍る様な冷風が吹きすさんでいる。
「何じゃこりゃ…」
鳶色の髪の使用人が、呆然とした様子で呟く。
唐突に、空間の割れ目の闇の中から一人の少女が現れる。
黒地に金色の紅葉の刺繍の入った浴衣。煉瓦の色をした、腰まで続く長い髪。周囲の景色に合わせて、キラキラと色を変え続ける瞳。
袖から覗く手首や、ほんの少し骨ばった足首から、その少女が華奢な身体である事か伺える。
「…すみません、此処は大きな街ですか?」
ティーミスである。