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航海日和

昼下がり。

大海原を行く漁船の、小さな船室の中。

貫禄のある、短い銀髪の中年の男が、操縦輪を握りながら物思いに耽っていた。


(波模様は穏やかだ…天気も良いし、嵐の前兆も見当たらない。海風すらも俺達を祝福しているみたいだ…)


今日の海模様は完璧だった。

余りにも完璧過ぎて、男にとってはそれが不自然に見えた。


(…俺の知っている海じゃ無い…)


男は船室の壁に刻まれた、海中探査用の魔法陣に目をやる。

どんな短距離の航海でも、どんなに嵐やしけの気配が無くとも、海に繰り出す上では必ず留意すべき脅威がある。

海に潜む怪物、それと海賊である。


「…居ない…」


少なくとも海洋性モンスターは探知魔法陣には写っていなかった。

普段ならば、必ず一体は何処かに写るはずなのに。

その代わりにあったのが、数年に一度レベルの沢山の魚群。

事実、この船の直ぐ隣を航行する漁船が、魚で満杯になった漁網を引き上げている最中である。

その様相は最早、海が人間を歓迎し、もてなしている様にさえ見える。

人生の半分以上を海の上で過ごした男にとってそれは、今まで信じてきた物に裏切られたも同義である。


男はそのまま、視線を甲板の方に向ける。

甲板には、柵から身を乗り出して水平線を眺める少女の姿がある。

アミ。少なくとも自身をそう名乗り、港の者達からそう呼ばれている、ある日港に現れた少女の姿があった。


「ふわぁ…!」


水平線を初めて船上から眺めたアミは、その美しさに思わず感嘆の声を漏らす。

本来、新人の船乗りが海に抱く初めての感想は、恐ろしさや険しさと言ったもの。

しかし、アミが初めての海に対して抱いた感情は、愛おしさだった。

アミは海を心の底から愛し、海もまた、この日限りは全ての人間を愛し受け入れていた。


「いつか見て見たいなぁ。海の果てってヤツ。…何処までも、進んでいってさ。」


「本気か?」


アミの背後から、男の声が聞こえる。


「うわ!船長!?操縦とか大丈夫なんすか!?」


操縦輪を握っていても特に何もやる事が無かった為、船長は船室から出て来た。


「しかし参ったな。クラーケンの一匹でも現れてくれりゃ、見せ場の一つでも出来たってのにな。」


船長はそう言いながら、バツが悪そうなはにかんだ笑みを浮かべる。


「クラーケン…」


アミは船長の台詞を、感慨深そうに復唱する。

心の海の奥底で蠢く何かに、そっと触れるかの様に。


「っ!」


次の瞬間、アミの脳裏に鮮明な情景が浮かび上がる。

月も無い暗闇。叩き付ける雨。夜色の真っ黒い大波。木材の壊れ軋む音。沢山の悲鳴。そして、海から顔を出す、何本かの巨大な触手。

妄想にしては余りにもリアルに、白昼夢にしては余りにも生々しかった。

それは、波の音と船長の発した単語によって触発された、追憶だった。


「…した、…どうした…どうした!」


「!?」


アミは、船長の言葉に“呼び戻される”。


「どうした。ぼーっとして。まさか船酔いか?」


「ち…違うやい!」


「別に恥ずかしがる事じゃ無いさ。俺だって新米の頃は良く…」


ふと船長は、アミと初めて出会った日の事を思い出す。

肌を刺す様な寒気の支配する秋の嵐の夜。アミは、海水と雨で全身がびしょ濡れになって海岸に打ち上げられているのを、夜警に発見された。

飲まず食わずのまま一週間は漂流しており、発見当初は夜警から死体と間違えられる程だった。

今でもアミは、療養所のベッドの上で目を覚ます以前の記憶は無い。

しかし明らかに、アミは同年代の他の少女との相違点があった。


「アミ、お前さんはどうして、海がそんなに好きなんだ?」


「別に好きって訳じゃ無いさ。ただ…」


アミは、遥か彼方の水平線に視線を向ける。


「海の果てがどうなってるのか、底には一体何があるのか。あたしの家族は何処にいるのか。海に関して色々気になる事が多いってだけだよ。」


アミは只ならぬ海への探究心、或いは執着心を抱いていた。


「…お前は冒険者にでもなるつもりか?アミ。」


「それで知りたい事が全部解るなら、それもあるかなって。」


「そりゃ良い。お前さんにゃこんな貧乏臭い港町よりも、どっかの誰かが作った人工島の方がお似合いだ。…そこで、男でも引っ掛けて幸せに生きな。」


「何か言いました?」


「別に。」


それだけ言うと船長は、アミと同じ方角の水平線をアミと共にぼうっと眺める。

背後からは、海に沈めていた漁網を巻き取るホイルの音が聞こえる。


「そうだ、アミ。」


船長は、目の前の宙に向けて両の手を翳す。

そこに、何も無い場所から出現した砂色の粒子が集合していき、やがて一本の三又の矛、トライデントが形成される。

大きさは1.5m程。錆色をしているが、実際に錆びている訳では無かった。


「やるよ。」


船長は、今し方出現させたばかりのトライデントをアミに、押しつける様に差し出す。


「うあ!?い…良いんすか?」


「別に大したモンじゃ無えよ。どうせ、」


船長は再び手を翳す。

砂色の粒子が再び出現し、集結し、今度は5本のトライデントを出現させた。


「俺のスタミナさえありゃ幾らでも作れるしよ。」


出現したトライデントは、受け取る手が無いのでそのまま落下する。

5本のトライデントはぼちゃぼちゃと、重力に任せ海に落ちる。


「あ…ありがとうございあす!」


「良いって事よ。…ただその代わり、もしもお前さんが何かどえらい事して、有名になって、新聞にでも乗る日が来たら、それ持って映れよ。良いな。」


「はい!」


船長は誰にも気づかれぬ程度に微笑むと、アミの元を後にし船室に戻る。

アミは、船長から受け取ったトライデントを軽く素振りする。

胸の奥をくすぐる様な独特の風切り音が響く。


(凄い…触った感じは金属なのに、空気みたいに軽い。)


「あ。」


トライデントのその軽さ故に、アミは手を滑らせる。

トライデントはバシャリと音を立て、海に落ちる。


「うっそ…」


次の瞬間、アミの手元に砂色の粒子が集結し始める。

粒子はやがて、アミが海に落とした物と同じトライデントになった。


「こりゃ、嫌でも失くせないな…」


アミはトライデントを天に掲げる。

日の光がトライデントの表面に反射し、槍身の中央に一時的に二つ目の太陽が現れる。


「お?何だ?」


「見ろ!新入りがあの三又銛持ってるぞ!」


三又の矛を掲げるアミの姿は実に凛々しく、船に乗っていた全ての者の記憶に焼き付けられた。



〜〜〜



昼下がり。

東の大陸で二番目に大きい都、『環の都』にて。

アミの居る港町から沢山の魚介類などを税として乗せた馬車が、天を貫く程の巨大な屋敷の前に留まる。

街は上空から見れば碁盤の目状になっており、1区につきそれぞれ10〜15軒ほどの建造物が建っている。

その1区を完全に占領する形で、屋敷は建っていた。

幕府から環の都やその周囲の市町村の統治を任せられている、大地主の屋敷である。


屋敷の三階。

この屋敷の中で、最も豪勢に作られた大地主の部屋。

税を乗せた馬車達によって埋め尽くされた道路を、最上級の生地の着物を纏った小太りの男が窓から眺めている。


「ほっほっほ。いつ見ても壮観じゃのぉ。ほれ、貴女も見て見ぬか?」


小太りの男は背後を振り返り、自らの上司である大地主の方を見る。

大地主は部屋の隅の方で、畳の上に寝そべっていた。


「はあ…悪いが妾は夜行性なんじゃ。こっから動きたく無いのじゃ。」


よく手入れされた、艶やかな鳶色の髪。見た目は13歳前後の小柄な体。赤い目。八重歯が目を惹く、可愛らしい顔立ち。

腰からはあげ色の9本の狐の尻尾が、頭には一対の狐の耳がそれぞれ付いている。

非常に高価な黒色の着物を着ていたが、管理の悪さと年季が相まってその着物はくたびれていた。


「しかし、人間は良く昼間に動ける物じゃ。室内にでも行かない限りは、ずっとお天道様を浴びる羽目になるのじゃぞ?」


大地主の少女はゴネる。

小太りの男はふと思い出し、懐から一冊の御経を取り出す。


「そう言えば、実際の所【玉藻前】には夜行性の生態は無いらしいぞ。」


「…これは妾個人の生活りずむの話じゃ!妾は夜の方が好きなんじゃ!」


「ほっほっほ。うちの大地主兼大妖怪ミズキ様は、今日もわがままのようだ。」


「ふん。誰のお陰で飯が食えると思っておる。」


クレン・ミズキ。

環の都の大地主にして大妖怪、九尾の狐の亜種、【玉藻前】の少女である。


「…?」


ミズキは唐突に黙る。


「どうかしましたか?」


「今…なんか嫌な感じがしたぞ…外から…」

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