自粛疲れ
中世を彷彿とさせるレンガや漆喰を基調とした街並みが、昼下がりの太陽の光を浴びて輝いている。
教会と民家の間を二羽の鳩が飛び、レンガの道を老婆が箒で掃いている。
そうして綺麗になったレンガの道を子供達が駆け下りていき、再びレンガの道は土埃に汚れる。
老婆はそんな子供達の後ろ姿を見てにこりと笑うと、再び汚れた道の掃除を始める。
その町は、正に平和そのものだった。
グオーケス連合首都、グオキエ。
とある高級宿の一室にて。
「では、今月の定期報告会を終わりたいと思います。皆様に、母なる祖樹の加護があらん事を。」
食卓机の上に、羽の生えた美しい7人の妖精が立っている。
1人は実体だったが、残る6人は全員が魔法により投影されたホログラムだった。
『『『母なる祖樹と共に。』』』
ホログラム達は一斉に同じ台詞を唱えると、直ぐ様パチパチと消えて行く。
残ったのは、7人のうち唯一の実体だった妖精の少女だった。
白い花びらで出来たワンピース。鳶色の長い髪。色白の肌。尖った耳。極薄の二対の羽。赤と緑のオッドアイ。
エル・マーナス・ネル・ドル。
グオーケス連合南の大森林を治める、グオーケス連合においての妖精の女王である。
“コンコン”
エルの泊まっている部屋のドアを、何者かがノックする。
エルは4枚の羽を使って離陸し、ドアの直ぐ近くに向かう。
ドアの前に到着すると、エルはドアに向かって腹の底から声を出す。
「はい!どちら様ですか!」
「お客様。昼食のご用意が出来ました。お部屋までお運びしましょうか?」
「分かりました!中へどうぞ!」
エルは目一杯の声で応対する。
が15cmの身体では、目一杯の声でやっと人間の耳にギリギリ届くのである。
妖精用の拡声器も一般で市販されてはいるが、大きさの割には重く、好んで使う者はそう多くは無い。
「ケホッケホッ…」
エルは咳き込みながら、ヨラヨラとした軌道で再び食卓の上まで戻る。
異種が人間社会で暮らすとなると、苦労も多かった。
部屋の中に、キャスターを押す宿屋の従業員が入って来る。
「お待たせ致しました。こちら…」
従業員はエルの姿を見て、一瞬だけ息を呑む。
人間の国において、妖精など滅多に見られる者では無い。
人間にとって妖精とは、幸運を齎す実に縁起の良い存在だった。
「どうかしましたか?」
先程とは違いドア越しでは無く、部屋の中は静かだったので、小さなエルの普段の声は従業員にはっきりと届く。
「いえ、失礼しました。何でも御座いません。」
従業員は、エルの注文の品をテーブルの上に置く。
野菜と果物とヨーグルトの盛り合わせ。
小皿に盛られてはいたが、それでも料理はエルの半身ほどの大きさだった。
「ではごゆっくりどうぞ。」
従業員は部屋から出るまでの間、終始エルの事を見つめていた。
その視線は好奇の目以外の何者でも無かったし、エルはその事について特段気分を害する事も無かった。
エル自身も、珍しい虫や動物を見つけたら暫くは見ていたいと思う。
縁起物ならば尚更である。
そこに差別など無く、ただの無害な好奇心しか無かった。
従業員が去り、部屋は再び静かになる。
エルは懐から、木屑から削り出した小さなスプーンを取り出し、サラダにたっぷりと掛かっている無糖のヨーグルトを食べ始める。
数年振りの摂食活動だった為、エルは口や体内に違和感を覚える。
(…また直ぐに慣れる。大丈夫。)
森の中ならばエルに食事など必要無いが、あいにく此処は人間の領域。
森と違い空気中を漂う純粋なマナなど無い。
計らずとも此処は、人間の決めた理屈が支配している。
エルは、少し酸味の効いたドレッシングが良く絡むレタスの端を、千切って取り食べる。
不意にエルは罪悪感に駆られる。
(森では紛争が絶えず毎日多くの命が失われていると言うのに、私はどうして安全な場所で、こんな…美味しい物を食べて…)
エルが安全な場所に移されたのは、正にその紛争が原因だった。
帝国により際限無く行われるグオーケスの領土侵害により、平和だった森は奪われた。
森に住む者達は、どうにもならない本当の原因から目を背ける様に、残った住処や資源の為に毎日共殺しを行なっている。
そして紛争が活発化する度に、エルだけは人間の都へと移される。
人間にとって、魔力の源泉のある森を統治出来るエルが重要な存在だからだ。
グオーケスにとって必要なのはエルそのもので、彼女が大切にしている国や、魔力の源泉で無い森の事は二の次だった。
(…どうして、私は…)
それで良いと思っている自分が、エルの中の何処かに居た。
自分だけが助けられるこの状況に快楽を覚える自分が、何処かに居た。
地位にあぐらをかく自分が居る事を、エルは確かに自覚していた。
それが自然な事なのか、はたまたエルの本性なのかはエルにも判らない。
エルはサラダの中に、真っ赤に熟したトマトを見付ける。
人為的に品種改良されたそのトマトは、エルの知っている姿よりもずっと形が良く、小さかった。
エルはサラダの中から、その小さなトマトを抱え上げて引っ張り出す。
サラダから取り出したミニトマトに向けて、エルはその小さな手を翳す。
「目覚めよ。最も朴なる生命よ。命ずる。汝の許すまで、我が僕となれ。」
エルは呪文を唱える。
ミニトマトはいびつに肥大化を始める。
トマトの赤い皮を突き破り、いびつな根や細い蔦が生えて来る。
やがてトマトは全体が黒ずみ始め、数秒の内に腐り潰れ原型を失った。
それ以上の事は、何も起こらなかった。
エルが使用したのは、植物の種子から即席のモンスターを生み出す簡単な魔法。
ただ今回は、失敗した。
エルは、自分よりも小さな生き物を生み出し劣情を紛らわそうとしたが、そんな些細な企みは失敗した。
エルはこの数分間の間、特に何もしなかった。
森の為に何か貢献する様な事も、人間の為に何か役に立つ様な事も。
ただ、食べ物で遊んだだけである。
一体どうして、こんな自分が最重要保護対象なのか。
エルには判らなかった。
自身の半身程の大きさのサラダを、エルは二時間ほどかけて完食した。
〜〜〜
昼下がりになって、ティーミスはやっと目を覚ます。
痛めた腹の上に載せていたカイロは、すっかりぬるくなっている。
「…?」
城の中から、自分以外の気配が消えている。
ふとティーミスはセスベドの言葉を思い出し、ベッドから床に向かって転げ落ち、そのままセスベドに与えた部屋へと移動する。
部屋は無人だった。
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未既読のメッセージが一件あります。
件名 無題
差出人 副団長
内容 短い間だったが楽しかった。せっかく手に入れた自由の身。俺はまた此処でのらりくらり暮らす。
ps.世間は広い様で狭い。直ぐに会えるさ。
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「…」
ティーミスは床に寝転がった状態のまま、空虚感に浸る。
ティーミスの友人は皆、ティーミスの元を去って行く。
彼等に悪気は無い。
ただ、各々の事情や運命がそうさせただけである。
ティーミスにはどうやら、重度の別れ癖があるらしかった。
「……」
セスベドがユミトメザルに滞在していたのは、たったの三日間である。
それでも、
「…さようなら、セスベドさん…」
三日振りに戻って来た孤独は、ティーミスに堪えた。
ティーミスは冷えた床に仰向けに寝転がり、量の掌で顔を覆う。
涙は出なかったが、鉛の様な物が心臓を押しつぶして行く感触に陥る。
「…もう…耐えられない…」
ティーミスは、孤独にうんざりしていた。
孤独と共にある人生が、嫌になった。
「…出かけましょう。」
その日の夜、ティーミスは焦げ地を後にする事となる。