師と子と死
朝。
ユミトメザル、城外。
「この女も、ティーミスの仲間なのか?」
セスベドは、非常に遠くまで飛ぶ金属性の黒いフリスビーを投げながら、傍で体育座りをしているティーミスに問う。
「まあ…はい、今は…」
遥か遠方からフリスビーを咥えたピスティナが、四足走行でセスベドの元まで戻って来る。
見た目は人間の女性だが、その走り方は犬や狼のそれに近かった。
「がうがう♪」
セスベドは少しかがみ、ピスティナの頭を軍帽越しに撫でる。
無邪気に喜ぶピスティナのその姿は、よく躾けられた飼い犬を彷彿とさせる。
「まぁ…慣れれば可愛いんだろうが…」
セスベドはピスティナの口からフリスビーを取ると、再び遥か彼方へと向けて投げる。
「がう!」
ピスティナも再びフリスビーを追い、駆け出す。
「…で、結局あれは何なんだ?ティーミスが、彼女に催眠術か何かを掛けてああしたのか?」
「いえ…その…」
ティーミスは答えに少し困るが、直ぐに腹をくくり正直に話し出す。
「ゾンビです。」
「そうか。」
セスベドは何かを察した様にそれ以上は何も聞かず、ただ遠くの方を眺めるだけだった。
ティーミスが何者かなど、セスベドには関係無い。
この世界にどんな常識があるのか、どんな法則があるのかなど、セスベドには興味は無かった。
「ぐふ!」
フリスビーを咥えたピスティナが、再びセスベドの元に戻って来る。
この遊びはセスベドが思い付いた物だった。
「…そうだな。そうだ。」
セスベドはフリスビーをピスティナから回収する。
「ティーミス。お前はこの先、何かと戦う予定はあるのか?因みに俺は、多分無いな。」
「私は…」
ティーミスはふと、残った左手を眺めて見る。
門の無い壁に囲われたユミトメザルに居れば、身の安全は確保される。
ティーミスが自衛と言う理由で戦う事は、もう無い。
否。
ティーミスの罪は深いし、向けられた正義の力がどれ程の物になるかなど、ティーミスには想像する事が出来無い。
いつか、常世から見ての奇跡が起こって、ティーミスの身の安全が正義の名の下に脅かされるかも知れない。
「…きっとまだ、リタイアは出来無いと思います。」
「そうか。」
セスベドは、背負っていた大剣を構える。
構えられた大剣の刀身は、何かに呼応するかの様に黒炎で包まれる。
「ティーミス。剣は扱えるか。」
「にぇ?」
「この場所でただ食っちゃ寝しても、体が鈍って仕方無い。どうせもう使わない剣術だ。必要な者に受け渡すのも悪くは無い。多分な。」
「にゃ…」
ティーミスは両足と片腕を器用に使い、つかえる事無く立ち上がる。
立ち上がったタイミングで、ティーミスは思い出す。
かなり前に、自身が大剣を失っている事に。
「有難い申し出、ありがとうございます。しかし…」
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スキル【騎士王の剣術】の教導者を検知しました。
弟子として指定するあなたの従属者を選んで下さい。
・【戦風】(選択可能)
・【龍精】(適正無し、選択不可)
・【夜略者】(習得済み、選択不可)
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「…にぁ?」
唐突に目の前に現れたウィンドウに、ティーミスは首を傾げる。
「どうかしたか?」
セスベドはティーミスに問うが、ウィンドウに気をとられているティーミスからの返答は無い。
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【戦風】を選択しますか?
(選択を確定したら変更ができません。)
《はい》《いいえ》
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ティーミスは、ウィンドウの確認を肯定する。
「あ?」
次に変化が起こったのは、セスベドのウィンドウだった。
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おめでとうございます、セスベド様。
どうやら貴方様は、そちらのBPT実体の女性の教導者に指定された様です。
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「がう。」
ピスティナはセスベドの足元まで来ると、おすわりの姿勢で座りこむ。
「おい…もしかしてだが…」
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あの少女の体内から、『Lpnt』の反応が検出されています。
信号やコードを分析した結果はヘンドリック社の旧型モデルですが、認証コードが後から書き換えられており判別が出来無ません。
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「ヘンドリック社とは、まさかあの…」
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はい。
無数の世界を股にかけて商業展開する、言わずも知れた最高級ITブランドです。
私の様な会話機能やイメージ投影機能は旧型モデル故にまだありませんが、基本スペックは彼女の物の方が数段は上かと。
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「成る程。まあ恐らくだが…」
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あのモデルが製造されていた頃の記録では、ヘンドリック社が窃盗や詐欺の被害に遭った事実はありません。
バイコードも記録されている所を考慮すると、正当な方法で購入された物かと。
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「ジッドとか言う男は、時渡の旅行者の上に相当な大金持ちらしい。…おっと、そうだそうだ。」
セスベドは、自身の足元に座るピスティナに目をやる。
「お前さんが俺の弟子か。」
「がう。」
ピスティナ自身は、自分が何に指定されたのかは判っていなかった。
〜〜〜
正午。
馬車の中。
“キエラ。お昼になりましたよ。”
リテは、布団の中でうずくまるキエラに向けて優しく声を掛ける。
「今日は…良い…外に出たく無いの…」
“…判りました。キエラさん。では、買い出しは私が行ってきますね。”
キエラとリテは劇団のキャラバンと共に、馬車の中で寝泊まりする生活をしていた。
“では、行ってきます。キエラ。”
布団の中が少しもぞもぞと動いたが、返答は無い。
リテはキエラの入っている布団に軽く微笑みかけると、出来るだけ音を立てぬ様に馬車を後にした。
「ぐす…ぐす…」
「うええええええん!パパああああああ!」
「何で…何でこんな…」
外の世界でリテを出迎えたのは、聞く事すらも堪え難い程の、ドロウ共和国民の悲痛な哭き声だった。
リテはこの国が、数日前に大規模な戦争を行った事だけは知っていた。
敗戦後の光景としては、リテの中では目の前のこの光景は妥当な物だった。
(全く…相変わらず人間とは愚かですね。人の命を兵器か何かと一緒に平気で使い捨てるなど…)
キエラ達が馬車を止めたのは、ドロウ共和国の中にある大きな公園の片隅である。
数本の植樹木や小川、野原に小高い山もある。
昔は貴族家の裏庭だった場所が寄付され、公共の公園として整備された場所である。
「こちら、ンドック氏です。」
そして今その公園は、家族への遺体の引き渡し所になっていた。
「え…?」
一人の女性が、兵士から小箱を受け取る。
女性は直ぐに小箱を開き、やがて小箱を渡した兵士に泣き付く。
「これはどう言う事!?夫は…私の夫は何処なのよ!?」
小箱の中には焦げた皮の断片と、数粒の塵だけが入っていた。
「申し訳御座いません…それだけしか、残っていなかったんです…身元が分かっただけでも奇跡だったんですよ!」
「ぐ…ああああああああ!」
女性は小箱を抱きしめ、その場でしゃがみ込み哭き叫ぶ。
(…しかしこれは…余りにも酷いですね…)
一体この国はどんな相手に負けたのか。
戦場は一体どれ程の惨状だったのか。
リテには想像も出来無かったし、想像もしたく無かった。
「こちら。ベイク氏です。」
「嘘…お父さん…そんな…」
少女が兵士から、白い布で巻かれた一本の黒焦げの一本の腕と一本の足を受け渡される。
その時だった。
(…?これは…)
リテは、遠くの方から風に乗って微かに漂って来た臭いを嗅ぎ取る。
リテは、その焼ける様な独特の異臭に覚えがあった。
焦げ地の臭いだった。
リテは商店街に向かおうとしていた足を兵士に向ける。
“すみません。”
リテは、兵士に話し掛ける。
「少々お待ち下さい。貴女のお名前をお伺いしても…」
“いえ違うんです。一体何があったのか、少しだけでも良いので教えて頂けませんか?”
兵士は少し俯き、やがて無気力に答える。
「さあ…何があったんでしょうね…戦地からの定期連絡が無い事を不審に思った軍部、斥候を放ったらしいんです。しかし、その斥候が現地に辿り着いた頃にはもう、一面に広がる焦げた残骸しか無かったそうです。」
リテは続けて質問をしようとすると、リテの後ろから二人の子供が現れる。
少女と、少年だ。
少年が、兵士に向かって声を掛ける。
「すみません、お兄ちゃんに会いたいって言ったら、ここに来てって言われました。」
「君、名前は?」
「僕はエギって言います。こっちは、ロージーです。すみません、お兄ちゃんは大丈夫ですか?何処か、け…怪我とかしてますか?」
「…付いて来て。君達のお兄ちゃんは少し特別だったから、お部屋の中に居るんだ。」
兵士はロージーとエギを連れて、小山の上に設営されていたテントに向かって歩き出す。
リテは何故だかその光景から目を逸らしたくなり、早足で背負い店外の方に向かって行った。