二日酔いと居候
ユミトメザル。
正面エントランス。
「…ひっく…」
ティーミスは、自身のしゃっくりで目を覚ます。
目を覚ましたティーミスが最初に感じたのは、今までの人生の中で一度も体験した事が無い、根拠の無い高揚感。
次にティーミスは、後頭部を鈍器で殴られたかの様な激しい頭痛、続けて倦怠感と吐き気に襲われる。
ティーミスは一滴も酒を“呑んで”いないにも関わらず、生まれて初めて二日酔いになった。
「うぷっ…一体全体…何が…」
ティーミスの持つ最後の記憶は、ダンジョンで出会った見知らぬ男の腕の温もりである。
そこからどうやって自分が家に帰ったかを、ティーミスは知らなかった。
腕。
ティーミスはふと思い立ち、自身の右腕に状態を確認する。
腕は最後に見た時よりもさらに短く、肩の辺りまで切断され包帯で巻かれ手当てされていた。
「…?」
ティーミスは、カーペットの上でうつ伏せに眠るピスティナを見つける。
ピスティナは既に元の形を取り戻していたが、本人がまだその事に気付いていなかった。
ティーミスは身を起こして立ち上がろうとして、
「うわっ」
右腕を失った事による身体の重量バランスの変化と二日酔いによって、左に向かって倒れる。
「がうっ!?」
突然の物音に、ピスティナは自身が溶けていた事も忘れて飛び上がる。
「こんにちは。ピスティナちゃん。」
ティーミスは倒れた姿勢のまま、ピスティナに話し掛ける。
「がうがう。」
ピスティナは窓を指差す。
空は既に、星空の帳に包まれていた。
「…こんばんは。ピスティナちゃん。も…ひっく…もし宜しければ、私が眠っている間に何があったのか教えて頂けませんか?」
「がう。」
窓を指していたピスティナの指が、そのままエントランスから繋がる廊下のうちの一本へと移動する。
食堂のある方角である。
「……?」
ティーミスはよろよろと慎重に立ち上がり、ピスティナの指差した方向へと歩き始める。
異変は直ぐに察知出来た。
自分以外の何者かの気配。
従属者が決して放ち得る事の無い、生者の気配だった。
廊下を進めば進む程に、食堂に近付けば近付く程に、その気配は強くなって行く。
家の中に自分以外の誰かを感じるのは、ティーミスにとっては新鮮な経験だった。
ティーミスは食堂の前に辿り着く。
二枚扉が両方とも開けっ放しだった為、椅子に座るその姿を直ぐ様に目視する事が出来た。
「…にぁ…ひっく…」
「ん?おお、起きたか。お嬢さん。」
漕ぎ椅子気味に椅子に座り、二人用の机につき、腕を頭の後ろで組み、大変くつろいだ様子の中年程度の男。
男の前には、かまどで作られた物と思しき御馳走が並んでいた。
「その…えっと…」
ティーミスは言葉を話そうとしたが、喉元につかえて出て来なかった。
敵意の無い者と接する機会が極端に少なかったティーミスはいつの間にか、人見知りになっていた。
ティーミスが食堂の入り口付近でまごついていたその時。
「お待たせ致しましたわ♪こちら御注文の、ポークのハーブ添えですの♪キュフフフフ〜♪」
壁の中から、メイド服を纏い大皿を運んでいるシュレアが、ウキウキの様子で食堂に入って来る。
シュレアは男の前までスキップ気味に移動すると、二回転ほどした後手に持っていた大皿の料理を男の前に置く。
丁寧に切り分けられ焼いた豚肉が付け合わせの野菜達で着飾っている。そんな料理だった。
男の前に並んでいた御馳走は全て、かまどが作った物では無くシュレアの手料理だった。
「それとこちら、先程ダンジョンから拝借して来た赤ワインで…」
不意にシュレアは、出入り口の前に立つティーミスに気が付く。
シュレアは腰に付けていた赤ワインのボトルをノールックで男の方に放り投げると、ティーミスに向けて猛突進する。
「…ぅにゃ!?」
シュレアは、勢いそのままでティーミスに抱き付く。
「おはようございます♪ティーミス様♪」
消え切らなかった勢いが、そのまま二人を廊下の壁まで押し飛ばす。
シュレアは嬉しそうにティーミスの顔を見つめるが、ティーミスの頭の中は疑問符で一杯だった。
「その…一体何があったんですか…?あの叔父様は誰ですか…?」
「今、ティーミス様の命の恩人様をおもてなししていた所ですの♪」
「命の恩人…ですか?」
ティーミスは頭の中で、今のシュレアの言葉と自分の持ちうる記憶を自分なりに解釈して見る。
直ぐに全てが繋がった。
「私が…助けられた…?誰かに…?」
続いてティーミスは混乱を始める。
自身の住む世界ならば決して起こり得ない事に直面すれば、人間ならば誰しも平静では居られない物だ。
ただティーミスには、誰かに助けられた経験が無い訳では無い。
その場合は、必ずとある単語が関わっていた。
「…まさか。」
シュレアはティーミスの意図を察し、一瞬で床へと消える。
ティーミスは立ち上がり、駆け足で食堂の男の元に向かう。
「お嬢さん。あんた、随分と良いメイドを持ってるじゃ…」
「私の名前はティーミス・エルゴ・ルミネアって言います!単刀直入に聞きます!貴方も、異世界から来たんですか?」
「……」
男は手に持っていたワインボトルをラッパ飲みで一気に飲み干すと、空便を机の上のトンと置き話し始める。
「俺の名前はセスベド・ヨゥライ。単刀直入に言う。お嬢さんの言う異世界ってのが、『次元基質』を跨いだ先の別世界と言う意味だった場合、イエスだ。」
「!」
ティーミスの反応を見て、セスベドは不敵に笑う。
「貴方“も”って事は、この世界には他にも『ホッパー』が居るって事か?もしかして、お嬢さんがそうなのか?幾つ渡った?10か?20か?」
「えっと…ほっぱあ…とは…」
「成る程。お互いがお互いに、興味があると言う訳か。」
セスベドが宙に向かって手をかざすと、履いているグローブの甲に付いている丸い模様が青色に光る。
食堂にあった別の椅子が一人でに動き出し、ティーミスの背後まで移動する。
「俺は何でも聞く。だからお嬢さん、あんたも何でも聞いてくれ。」
ティーミスはそっと席に付く。
いつの間にやら二人のテーブルの傍に、メイド服姿のシュレアが佇んでいる。
「ご注文はお決まりでしょうか?キュフフ♪」
実際のところシュレアはただ、ウェイターごっこを楽しんでいるだけだった。
「俺は…そうだな。ウィスキー一本。」
「私は紅茶で。」
「かしこまりましたわ♪」
シュレアは数歩程歩いた後、落下する様に床の中へと消えて行った。
「じゃあ先ずは、お嬢さんの番だ。何でも聞いて良いぜ。」
ティーミスは二日酔いの頭で少し考え込み、最初の質問を決める。
「どうして、ダンジョンの中に居たんですか?」
「まあ、ちょっとした事故で出られなくなていたんだ。お嬢さんがモーガスを弱らせてくれなかったら、あと何人待つ羽目になったか。」
セスベドは続ける。
「次は俺の番だ。この世界には、異世界から来た様な奴は居るのか?例えば、この世界に存在しない教団を名乗る様な奴とか。」
「…私は、ジッドさんって言うお兄さんに牢屋から助けられました。ジッドさんは、私の知らない道具を沢山持っていて。異世界転生についてを調べているって言ってました。」
「ジッド…?どんな奴だ?今何処にいるか分かるか?」
「背が高くて、茶髪で、レンズまで黒い不思議なゴーグルを掛けていて、多分良い人です。今はもうこの世界には居ないと思います。」
「ジッド…聞いた事無いな。そいつが本当に異世界から来たって証明になる物は何か無いか?例えば、其奴から貰った不思議な物とか。」
ティーミスは少し考えた後、ジッドから貰った一番不思議な物をセスベドの前に提示する。
鳩尾から出現する3本目の腕。赤黒の半液から生まれる兵隊。化け物になる腕。魅了する桃色の瞳。飛ぶのが下手なハーピィの身体。
摩訶不思議な、統一性のかけらも無い、無数のスキル群。
それがティーミスが、ジッドから授かった最も摩訶不思議な物だった。
「これが、ジッドさんから貰った一番不思議な物です。…証明に、なりますかね?」
ティーミスは、セスベドの顔色を伺う。
セスベドの顔は、先程までの余裕に満ちた表情とは一変して、血の気が引いた青白色をしていた。
「…どう言う事だ…奴らは全員ベルフェゴールの水牢に…」
「その…大丈夫ですか?」
「…まさか…いや…」
セスベドは、ティーミスに続けて質問する。
「お嬢さんがその、ジッドと言う男から受け取ったスキル。そのスキルは、最初から全開で使える状態だったか?」
「い…いえ…最初は殆ど何も出来ませんでしたが、ぽいんとを振り分けて…」
「………」
セスベドは少しの間俯き、やがて再びティーミスの方を向く。
「世界線を移動出来る存在を、俗世ではホッパーと呼ぶ。」
「成る程。つまり、ジッドさんはその…」
「いや、恐らくだが違う。」
「にぇ?」
「本来、お嬢さんが持つそのスキルは抹消されるべき物、既に抹消された筈の物の筈なんだ。それを集めるには、世界線、時間軸、次元、そして時間、空間すらも超越する必要がある。
そんな事が出来る存在など、本来ならば有り得ない、いや、あってはならない。」
「……にぇ?」
「…そのジッドと言う男は、恐らくは『アンリミテッドトラベラー』。全てを超越した旅行者。ある種の神に近い存在だ。」
「神様…?ジッドさんが…?」
その時、二人の元に再びシュレアが現れる。
「こちら、御注文のお飲物でございます♪」
シュレアは、右手に持っていたウィスキーボトルをセスベドの前に、左手に持っていたティーポットとティーカップの乗ったコースターをティーミスの前に置く。
「ごゆっくりどうぞ♪キュフフ♪」
シュレアはその場に飲み物と台詞を残し、再び床に沈み何処かへと消え去る。
「三日後に、世界線を飛ぶ為の装置の充電が完了する。それまで此処に居させて欲しいんだが、構わないか?」
「良いですよ。お部屋の九割は何にも使っていませんし、それに、」
ティーミスは、しっかりと応急処置が施された自身の右腕のあった場所に目をやる。
「少しは、何かお礼がしたいです。」
〜〜〜
昼も夜も存在しない場所。
煌々と明るい純白の宮殿の中。
「おや?貴方は転生者ではありませんね。一体何処からこの場所にやってきたのですか?」
神々しい金色の長髪。宮殿と同じく穢れ一つ無い純白のローブ。一目見ただけで誰しも息を呑むほどの美しい顔立ち。
転生者を迎え入れ、転生先の世界で幸せに暮らす為の加護を与える女神が、目の前の男に問う。
女神に疑問符を投げかけられたジッドは、女神の前に一枚のコインを突き出す。
何処かのカジノで拾ってきたかの様な、何の変哲も無い普通のコインだった。
「表か裏か。選べ。」
「はい?」
「でなきゃ俺が決めるぜ。」
ジッドはコインを弾き、落ちてきたコインを手の甲の上に手のひらでパンと止める。
「どっちだ。」
「えっと…表で。」
ジッドは、手の甲の上にかぶせていた手のひらを退ける。
コインには羊の模様、表面の模様が描かれていた。
「当たりだ。」
ジッドの物腰が、少し柔らかくなる。
「そろそろ次の転生者が来るぜ。じゃあな、達者でな。」
ジッドはそう言い残すと、音も光も何も無く、その場から消え去る。
「……?」
女神は首を傾げる。
数秒後、ジッドの予言通りに、この宮殿に新たな転生者が現れた。
〜〜〜
「表か裏か。選べ。」
「はい?」
「でなきゃ俺が決めるぜ。」
ジッドはコインを弾き、落ちてきたコインを手の甲の上に手のひらでパンと止める。
「どっちだ。」
「貴方…良い加減にして下さい。聖域に土足で踏み込んだ挙句、訳の分からないお遊びで私をおちょくるおつもりですか?」
「どっちだ。」
ジッドは繰り返す。
「良いでしょう。私を怒らせるとどうなるか。貴方に見せてあげましょう。」
「表。」
ジッドはそう言って、手の甲にかぶせていた手のひらを退ける。
コインには城の模様、裏面の模様が刻まれていた。
「ハズレだ。」
ジッドは再びコインを弾く。
「全く、おかしな話だよな。世界線が分離するのに、コイン一枚で十分なんてな。」
ジッドは懐からポケットピストルを取り出すと、女神に向ける。
「ふふふ。粗末な人間の武器など、この私には効か」
“パン!”
ピストルが発砲される。
女神の額に2センチほどの穴が空き、女神は即死する。
「そうだな…実はお前は、自分の事を神だと思い込んだただの人間。後付け設定はこれで行こう。」
そう言ってジッドは、女神の骸を抱え上げる。
ジッドの目的は、女神の持つ能力だった。
「仕留めたぞ。チテンミ。」
『こちらも〜スキルメイド生成の準備が完了した所ですよ〜』
「っしゃあ。どうせこんな世界寄り道するとこもーねし、とっととオサラバだ。」
次の瞬間、ジッドは音も光も無くその世界から消え去る。
ジッドが消えて数秒後、コイン一枚によって生まれた別世界線は消滅した。