バチ
何処かの山岳地帯の山頂付近の高原。
空は雲一つ無い灰色をしている。
高原の至る所にはポツポツと、藁や乾いた植物の茎で作られた家が建てられている。
建材の植物は既に風化しており、家自体かなり古い物と伺える。
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【[山]ダンジョンキー】
ダンジョン、[飢えた高原]を生成するダンジョンキーです。
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「はぁ…はぁ…はぁ…」
高所の薄い空気で必死に呼吸しながら、ティーミスはその場所をゆっくりと散策している。
土埃が霧の様に辺りに立ち込めており、視界が非常に悪かった。
「…にぇ?」
不意にティーミスは、自身の背に視界を得る。
其処には簡素な布の服を纏い、通常では有り得ない程やせ細った体の人影があった。
それは一見すれば人間の様に見えるが、両目とも瞳が無く虚ろな穴が空いているだけだった。
次の瞬間ティーミスは、背後から途轍も無い力によって前のめりに押し倒される。
ティーミスは咄嗟に抵抗しようとするが、次の瞬間にはそれと同じ様な体型の人影が、土埃の霧の中からわらわらと現れる。
「に…にぇ…?」
不意に、ティーミスの目の前にシステムウィンドウが出現する。
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Quest Over
生存時間 2分21秒
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「い…一体どう言う…?」
痩せ細った群衆が、倒れたティーミスの元に群がっている。
その見た目からはとても想像出来ない程の力で、ティーミスをも凌駕する力で、ティーミスを押さえ付けている。
それでもこの時点ではまだ、ティーミスの体には傷一つ付いていない。
「痛!」
ティーミスは、腿の辺りを齧られる様な激痛に襲われる。
腿は黒化し硬質化しているが、それでもティーミスに噛み付いてきた歯は構わず食い込み続ける。
「や…嘘…そんな…いだあ!」
ティーミスの腕の肉が、痩せ細った老婆の数本の小石の様な歯で喰い千切られる。
次の瞬間ティーミスは思い出す。
ピスティナを殺めた時の事を。
システムウィンドウが出現した直後の時点では、ピスティナはにはまだ息があった。
「あ…あぐ…いが…」
身体のあちこちを噛まれ噛み千切られながら、ティーミスは久方振りの死の恐怖に本気で怯える。
ティーミスはここ最近はずっと殺してばかりで、殺される事が早々無かった。
もしもティーミスを見ている神が居るのならば、この状況は差し詰め“バチ”だろう。
「ぅ…がっ…!?」
首の皮を噛まれた為に、猛毒の血が吹き出す。
痩せ細った群衆はその血を浴びるが、弱るどころかその血を我先にと舐めあっている。
何かを砕く音がする。
ティーミスの骨を、干物の様に痩せた赤子が咀嚼している。
その赤子の口には、歯が一本も無かった。
「ぅ…うぎぇ…」
薄れ行く意識の中で、ティーミスは自らの身体が少しづつ失われて行く感覚をひしひしと感じている。
ティーミスはうつ伏せに倒されていた為、その視界には自分の血が染み込んだ地面しか無い。
不意にティーミスは、ボロボロになった髪の毛を掴まれ持ち上げられる。
その頃には既に、ティーミスは両手足と下半身を失っていた。
「…ぁ…」
ティーミスは僅かに目を開ける。
そこには、先程までのミイラ達とは打って変わり普通の人間らしき男が居た。
恐らくは中年。褐色の肌。小柄なティーミスの目から見ても分かる程の高身長。分厚い毛皮の服の上からでも分かる筋肉質な体。オールバックにした茶色い髪。整った顔立ちだが、額の右側から鼻にかけて、細い稲妻の様な古傷がある。
「…はぁ…助けられる側として物申すのは烏滸がましいかも知れないが…頼むからもう少しちゃんとやってくれよ。」
「…?」
男はティーミスの髪を掴んだまま、物でも扱うかの様に乱雑に振るい、ティーミスの顔を男とは反対側の方に向ける。
其処には、切り刻まれパサパサの木屑の様な状態になった先程のミュータント達の姿があった。
「良いかよく聞けよ。見ての通り奴等には物を見る目が無い。よって、奴等は音と匂いを頼りに獲物を探す。」
男はそのまま、ティーミスを土埃の霧の中に放り込む。
零れ落ちたままの臓物が地面に叩きつけられる湿った音が、周囲に響く。
「お嬢さん。あんたがどれだけ残機を持ってるかは知らねえが、このダンジョンでは3回死んだら終わりだぜ。」
「…にぇ…?」
ティーミスはうつ伏せの状態から、胴体と首の力だけを使い辛うじて男の方を向く。
既に、男はティーミスに背を向け何処かに立ち去ろうとしていた。
「まあ、頑張れ。あと二回だ。」
ティーミスは、男が霧の中に消えて行く所を見る事が出来無かった。
その前にティーミスは、無数に現れた人間の干物達によって、血の一滴も残さずに貪り喰われてしまった。
ティーミスが今まで経験した中で、最も苦しく惨たらしい死だった。
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【奪取した命】
所持数1→0
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「は…は…はぁ…」
ティーミスは目を覚ます。
茶竹によって雑に編まれた、小さなドームの様な家屋の中だった。
此処が、ティーミスがこのダンジョンに来てから最初に飛ばされた場所である。
相変わらず空気が極端に薄く、ティーミスは開始早々苦しそうな過呼吸を開始する。
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task1
村人達に見つからずに、山頂に向かいましょう。
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「…悪夢の様で…でも…これも現実なんですね…」
ティーミスは、先程の経験を反芻しながらゆっくりと呟く。
「…音…も、消える筈です…」
ティーミスは少し屈む。
ティーミスの姿がみるみるうちに薄くなって行き、数分後にはその場から完全に消失する。
気配も音も姿も周囲から完全に隠す事が出来るティーミスのスキル、《盗人の礼法》である。
「はぁ…はぁ…はぁ…行き…ます…」
ティーミスはよろよろと立ち上がり、その始まりの家屋から出る。
音と姿が消えた今、懸念すべきは相手に直接触れる事による位置バレと、酸欠によって集中力が切れる事によるスキルの解除だった。
(うわ!?)
霧が少し晴れ、ティーミスは目的地である山頂の場所を確認する事が出来た。
周囲には、途方も無い数のゾンビの干物達が蔓延っている。
その内の数体が、明らかに透明化状態のティーミスの方を向いている。
このスキルは姿は隠せても、匂いまでは隠す事は出来無い。
(辛い…です…でも…)
この場所には、自らが望んで飛び込んだのである。
ティーミスは改めて自分にそう言い聞かせると、痺れる足を進め始めた。
〜〜〜
「…ん?」
ティーミスを“見送った”後、男はいつの間にやら服に付いていた黒色の塊に気が付く。
塊は一見すればゼリーかゲル状に見えるが、触ろうとしても手は物体を透過してしまう。
男の右腰にくっついていたのは、霊体物質だった。
“カカカカ…カカカカ…”
乾いた草を擦り合わせた様な音がする。
男の背後からは、数体のミイラが迫ってきていた。
男は少し面倒そうに息を吐くと、背負っていた巨剣を構える。
その時だった。
男の腰にくっ付いていた霊体物質が弾ける様に飛び、男の大剣へと吸い込まれる様に消えて行った。
鉄色をした大剣は、インクを垂らした様にみるみる内に黒色に変色して行く。
継目などからは僅かに赤い光が漏れている。
(アップグレードスピリットだと?いやまさか、この世界にそんな物居る訳…)
“カアアアアアア!”
「…るっせえぞ!」
男は、その黒化した大剣を横に一振りする。
振るわれている間だけその大剣は黒色の炎を帯び、高熱の黒い斬撃を放ちミイラの群れを一瞬で溶断してしまった。
大剣の刀身全体にかけて真っ直ぐな赤い亀裂が入り、亀裂はバックリと割れ巨大な赤い目が出現する。
目は暫しの間周囲を見回した後、再び目を閉じ、大剣は元の状態に戻る。
(…ほう。こりゃ、あの嬢ちゃんのか。)
男は、先程大剣に現れた目に見覚えがあった。
ついさっき現れた異世界からの挑戦者が、捕食される直前に背中に出現させた物である。
タローエルはティーミスのユウガオのタトゥーから、この男の大剣へとその住処を変えた。