後始末
ティーミスの入浴スタイルは独特である。
両膝を手で抱え込んで体育座りの様な姿勢になり、出来る限り体を縮めて浴槽の隅でじっと過ごす。
家一軒が建てられる程の面積を誇るユミトメザルの地下大浴場においても、その習慣が変わることは無かった。
「…」
それは側から見ればリラックスとは程遠い状態だが、ティーミス自身にとってはそれが最高に落ち着く姿勢だった。
人間として暮らしていた頃から、この癖は変わっていない。
「…っ…眠ってしまう所でした…」
仮にうたた寝してしまっても、この体勢なら問題無い。
浴槽の水深も然程深いわけでは無いので、溺れる心配は無い。
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実績を達成しました。
【怠惰で狡猾な傍観者】
戦場に赴く事無く、1日の間に二国以上の軍を壊滅させる。
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「…にゃあ!」
次の瞬間ティーミスは昨日の事を思い出す。
昨日ティーミスは、騒音源となっている戦争を行なっている両国陣営に赴き、強そうな者を適当に見つけ、本人にも気付かれぬ様に、魅了状態にし命令を下した。
静かにして欲しい。
その一声で、数百万の兵が死んだ。
本人すらも忘れる様な簡単な工作によって、数百万の人間が死んだ。
「………」
ティーミスは暫くの間、茫然自失する。
湯に浸かっているはずが、何故だか触れる水も空気も全てが鋭く冷たく感じる。
「ふ…ふひゅ…」
プレッシャーによって、ティーミスは上手く呼吸が出来無くなる。
黒鎧の軍勢やシュレアに任せれば、戦場跡地の骸の山など直ぐに片付きはする。
ただティーミスは、それで良いとは思わなかった。
自分の手で殺した者に向き合わなくなれば、いよいよ本当の魔物になってしまう。
少なくともティーミスは、そう考えている。
「すー…ゴホゴホ!」
ティーミスは深呼吸をしようとして、湯気を吸ってむせる。
湿った空気が喉にへばりつく感触で、ティーミスは自分が今風呂に入っている事を思い出す。
「…後回しでも、良いですよね…」
ティーミスは少し体の力を抜き、やがて腹をくくった様に立ち上がる。
「やっぱり、後回しは駄目ですよね。」
ティーミスは浴槽から上がる。
戦場の死体の処理など、本来は第三者がわざわざ腰をあげてこなす仕事では無い。
その国の遺体回収員が全て持ち去ってくれる。
そうで無くとも肉骨は土の中の生物の餌に、鎧劔は戦場跡を漁るスカベンジャー達によって綺麗さっぱり持ち攫われ、数週間もすれば何も無くなる。
しかし、この土地では少々勝手が違う。
焼き固められた陶器の様な大地に生物は居らず、世界屈指の禁足地と化したこの大陸に、態々戦場の残骸を拾いに来る様な酔狂な輩も早々居ない。
戦地に死体を放っておけばやがてそれらは腐敗を始め、ユミトメザルの郊外一帯は酷い悪臭に支配されてしまう。
当然ながら、誰もそんな事は望んでは居ない。
ティーミスは濡れた体のまま身支度をする。
黒色のミニスカート。胸に巻くベルト。フード付きの、胴体までの長さの留め具の無い上着。素足には編み上げの黒いサンダル。
見るも薄着な、いつものティーミスの姿である。
ティーミスは、地下大浴場の壁の前に立つ。
ティーミスの目の前に、ドアの様な形の空間の歪みが出現する。
その向こうには僅かに屋外らしき風景が見える。
ティーミスは、空間の歪みの中へと入って行く。
ユミトメザル。
防壁の上。
そこが、ティーミスの辿り着いた場所である。
「!」
ティーミスは、防壁の上から戦場跡を睥睨する。
只の死体の海と化した戦場の真ん中で、二人の戦士が激闘を繰り広げている。
モーニングスターを持った巨漢の戦士と、ブラッドプラスチック製の短剣を振るう少年。
どちらも、ティーミスに“あてられた”者達である。
「ウゴアアアアアアアア!!!」
「アアアアアアアアアア!!!」
二人は、自我を失っている。
ティーミスの下した命令の元に、お互いがお互いを抹殺しようとしている。
両者が“静寂を齎す”と言う命令を遂行しようとした結果生まれた永遠試合だった。
力量は最早同格。
どちらかが、又は双方が餓死するまで続くだろう。
「…ああ…」
ティーミスは一つ嗚咽を漏らす。
一度隷属状態になれば元に戻る事は無いし、隷属に下された命令が覆る事も無い。
彼等を解放する方法は、ティーミスは一つしか知らなかった。
「…ごめんなさい。」
ティーミスはアイテムボックスから、一本の巨弓を取り出す。
石英の彫刻からそのまま奪い去ったかの様な弓身には、黒色の棘が巻き付いている。
クピードーピース。
ティーミスの持つ攻撃方法の中で、最も遠距離に対応した物である。
「…はああ…」
ティーミスは、実に不愉快そうな溜息を吐く。
ティーミスは、槍の様に大きな黒色の矢を一本つがえる。
細い菌糸の糸を引き絞り、剣火を飛ばす二人の隷属に狙いを定める。
ティーミスは、不愉快だった。
罪の無い二人の人間を殺す事もそうだが、何より、人を殺める行為に慣れ切ってしまった自分が、不愉快で仕方が無かった。
ティーミスは、槍ほどの大きさの矢を射る。
音ほどの速さの矢が、戦い続ける二人の付近の地面に突き刺さる。
突き刺さった矢は、すぐさま水ぶくれの様にブクブクと肥大化して行き、
“ドオオオオオオオオオ……”
天まで届く程の弾幕を伴った大爆発を起こす。
戦っていた二人は勿論、戦場に散らばっていた死体も物品諸共木っ端微塵に吹き飛ぶ。
焦げて砂の様になった肉片が、爆風に乗って僅かにティーミスの頰を撫でる。
かつて戦場だった場所は、元通りの一様な焦げ地に戻る。
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《偽姿の勇士》《本勇の勇者》を倒しました。
以下のアイテムを獲得しました。
・上級合金のモーニングスター
・洒落た軍帽
・[山]ダンジョンキー
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「…“倒しました”?」
ティーミスは、ウィンドウに向けて拳を突き出す。
ティーミスの拳は、ウィンドウを虚しくすり抜けるだけだった。
「どうして“殺しました”って言わないんですか…貴方は!…いつもそうです。私が生き物を殺める度に、貴方はそれを当然の事の様に言って、私を薄ペラに賞賛して…何なんですか…貴方は…」
ティーミスは突き出していた手をだらりと垂らし、膝から崩れ落ちる。
実際の所、八つ当たりの対象は何でも良かった。
それがたまたまシステムウィンドウだっただけである。
ティーミスはただ、何かに怒りたい気分だっただけである。
「……」
ティーミスはその状態のまま、暫しの間じっとする。
高所の風がティーミスの体をなぞり吹去って行く物だから、ティーミスの体はすっかり乾いていた。
ティーミスの心も、どうしようもなく乾き切っていた。
「…ごめんなさい。変な事言ってしまって…貴方にはいつも感謝していますよ…」
システムウィンドウは最早無い。
ティーミスは虚無に向けて謝罪を述べる。
仮にアイテムウィンドウがそこにあっても、返答は返っては来ない。
ティーミスはアイテムウィンドウに適当に手を突っ込み、適当な物を掴んで引っ張り出す。
ティーミスの手の中には、釘が3本とボロボロの軍帽が一つ。
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【洒落た軍帽】
どこかの国の、お洒落な軍帽です
防御力+1
魅力+3
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ティーミスはその軍帽を、特に意味も無く被ってみる。
軍帽は既にクタクタで、サイズもティーミスの頭よりも弱化大きく、合わない。
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余剰経験値800を使用しアップグレードしますか?
《はい》《いいえ》
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ティーミスが肯定すると、ティーミスの手首から黒色の煙が立ち昇る。
煙はティーミスの被っている帽子に纏わり付き、やがて帽子の中へと吸収される。
「!」
被っている帽子が突然縮んだ様な感触を覚えたティーミスは、軍帽を脱ぎ様子を見てみる。
軍帽は、その様相を大きく変容させていた。
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【シェルトトラズ獄卒目】
オーデオーレンから南南東に進んだ先にある、魂を捕らえる橙色の監獄の獄卒が身に纏う装備。
ニーアイアイの牙の粉の兵士すらも見つける事が出来るし、ウオンゲエンのドゥアラとそれの追従者たる巨人すらも容易く屠る事が出来る。
自動回避LV3(MAX)
シェイプシフト所要時間−50%
シェイプシフト時全能力値+80%
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「…何だか…その…」
硬い黒革製。黒いつば。この世界のどこの国の物でも何処の組織の物でも無い金色の紋章。
「…何だか、恥ずかしいです。」
現在の格好にこの帽子は流石に似合わないと悟り、ティーミスはそのアップグレードした帽子を再びアイテムボックスの中に突っ込む。
ティーミスの腕が、アイテムボックスから再び引き抜かれる。
その手には、小さな緑色の鍵が握られていた。
「…気分転換でもしましょう。」