非情なまでの魅力
バシュン!バシュバシュバシュン!
リカリアから放たれた大量の星弾は、7割ほどがティーミスの右手によって受け止められる。
否、受け止めたのではなく、胴体が受ける分を全て手のひらに直撃させただけだ。
「…えええええい!」
流血する右手のひらで拳を作り、ゴガンの大斧を右方向からの拳撃で逸らす。
「うおの!?」
ゴガンが体勢を崩した所でティーミスは3人からかなりの距離を取る。
「く…おのれ、一体どうなっている!」
グラハムは依然として、空中を漂うティーミスの魔剣との攻防をしている。
魔剣の挙動は全てティーミスの操作によるもの。当然、ティーミスは常に集中力をすり減らし続ける事となる。
「くう、なんちゅうガキやねん!」
「落ち着いてくださいゴガンさん。あの子もかなり消耗しているはずです。わたくしたちで掛かれば、勝てるはずです!」
ゴガンとリカリアのそのやり取りに、当たり前だが何の悪意も感じられない。
ただ目の前の敵を打倒そうとする、その一直線な思いだけが二人…否、足止めを喰らっている聖騎士グラハムも、その思いにて突き動かされていた。
ティーミスは、滅ぼされるべき悪。
11歳の少女でも無く、アトゥ公国の貴族令嬢でも無く、ただの悪。
「うおらああああ!《大地割》うううう!!!」
ゴガンの持つ大斧が黄色い光を放ち、ティーミスからかなり離れた位置ではあるが地面に振り下ろされる。
振り下ろされた斧は草原の地面を割り、その亀裂がティーミスの元まで走っていく。
地割れに巻き込まれまいとティーミスは跳躍するが、空中で身動きが取れないところに
「《聖撃》!」
先の尖った光の筋がリカリアの杖から放たれ、ティーミスを貫かんと空を走る。
「…ううぐ!?」
手で受けようとしたが、魔弾はティーミスの手のひらを貫通する。
あわや心臓が貫かれようとしたところを、ティーミスは手を貫通しきる前にその手を外側にずらすことで、間一髪で急所から魔弾を逸らす。
手のひらを何かが貫通する感覚。
その痛みは、ティーミスに様々なトラウマを蘇らせる。
ティーミスは地面に着地したのち、記憶の中の苦痛に軽く身震いをする。
(…そうです…結局は同じことなんです…)
冒涜的な拷問も、正義の名の元の戦いも、結局は同じこと。
他者を痛めつけることを正当化しているかしていないかの違いだけだ。
「…拷問官だ…」
ティーミスは、地に膝を付けながら呟く。
ミノタウロスの戦士も、博愛の聖女も、秩序の聖騎士も、全員ティーミスの拷問官。
彼らはティーミスを苦しめて殺そうとしている。
そんな時、今のティーミスならどうするか。
そんな事、決まっている。
「うおおおおおお!!!《大衝撃斧》ううううう!!!」
ゴガンの巨斧が更に巨大化し、隙を見せるティーミスに向かって振り下ろされる。
「はあ…はあ…はあ…《復讐の始まり》…」
ティーミスの右の拳に赤黒いオーラが纏わりつき、ティーミスは振り下ろされるゴガンの斧に向けてその拳を突き上げる。
ティーミスが拳を傷めるのが先か、纏っていた光が弾けるのが先か、ゴガンの大斧は見事にはじき返される。
のけぞったゴガンにティーミスは駆け出し、倍ほどの図体を持つミノタウルスの脛を掌底で崩す。
「ぐがぁ!?…このガキぃ!」
ゴガンの大振りの斧が、力一杯に振り回される。
威力は高いが動きが鈍い。ティーミスは、頭ではそう理解している。
しかし、空振ったゴガンの斧が大地にヒビを作るたび、ティーミスは身の凍る様な恐怖を覚える。
もし寸分でも判断が遅れたら、もし判断を誤り避ける方向がずれてしまえば。
ティーミスはどうしてもそんな事を考えてしまう。
ゴガンの斧が何も無い地面に振り下ろされ、ティーミスは前のめりの体勢になったゴガンの胸部に三発のジャブを入れる。
ゴガンがその斧を持ち上げるまでの時間を使い、ティーミスは斧を駆け上りゴガンの頭に蹴りを一発入れる。
(体が軽い…思い通りに動く…殴る感覚が、蹴る感覚が、気持ちい…)
スキルポーションの効果によって、残忍な格闘術と共にサディズム的な思考も芽生えたティーミス。
だが、ティーミスは直ぐに我に返り、自らに吐き気の様な恐怖を感じる。
「く…的が…」
リカリアは目を細めしきりに狙いを定めようとするが、ティーミスのスピードは瞬きの間に大きく変化を繰り返すうえ、ティーミス自身も小柄。
仮に運よく当たったとしても、あくまで牽制程度の威力しか無く決め手に欠け、本来勝負を決める筈のこのパーティの切り札と言えば、
「おのれ!いつまで続くのだ!」
空中を揺蕩う魔剣を相手に、延々と剣舞を繰り広げている。持ち手が居ない故に、勝負の決めようも無いのだ。
「ぐう…ぐああああ!?」
ミノタウルスの強靭な肉体と言えど、一方的に攻撃を受けづつければ必ず限界が訪れる。
「これで…おわりで…」
ティーミスは、ゴガンの表情が目に入る。屈辱、苦痛、そして恐怖に歪む表情。
振り上げた手が止まる。
ティーミスの体が、情の鎖で縛られる。
「そこだあああ!」
ガキンと、グラハムはティーミスの魔剣を弾き飛ばし退ける。
「《大星撃》!」
リカリアから放たれた星形の魔弾を避ける為に、ティーミスは横たわるゴガンから距離を取る。
「このクソガキがぁ!よくも…」
「…《売約済み》」
ティーミスは、身が裂けそうなほどの後ろめたさと共にそう呟く。
とその瞬間、ゴガンの体を黒紫色の鎖の紋様が縛る。
「ぐう!?」
攻撃のたびに抽選を行う《売約済み》と、手数の多い格闘術とでは相性がいい。
ゴガンの体には、既に無数の【商談】の烙印が刻まれており、とうの昔にティーミスの物となった。
ティーミスの物、つまり《怠惰な支配者の手》のコントロール対象である。
「こちらへ。」
ティーミスがゴガンに向けて手招きをする。
「ぐ…うがあああ!?」
ぎこちない足取りで、ゴガンはティーミスの方へと歩み寄っていき跪く。
ティーミスの瞳が、灰色と金色のオッドアイから、淫乱なピンク色へと変容する。
「が…あ……」
ゴガンの目はうつろになり、プルプルと震えていた体は鎮まる。
彼もまた、ティーミスの『魅力』に呑まれてしまった。
「…ゴガン?」
グラハムは異変を察知し、ゴガンを援護しようとしていた足を止めその場で剣を構える。
弾き飛ばされ転げていた魔剣が浮遊し、再びティーミスの右手に戻る。
「《女王の命令》。ゴガンさん…と言うのですね。私を手伝ってくれませんか?」
「…リッテ様の…仰せのままに…」
「リッテ…?違います。私の名前はティーミスです。」
「…大変…申し訳…ございませんでした…ティーミス様…」
ゴガンは血の様に赤く輝く眼光を、かつての仲間達に向ける。
体のあちらこちらから、マリオネットの様に赤い糸が伸びていて、全てティーミスの左手の指に繋がっている。
「ティーミス様の名の元に。はああああ!」
ゴガンの巨斧がリカリアに向かって振り下ろされるが、間一髪でグラハムの劒がそれを受け止める。
「おいリカリア!あれは一体なんだ!何の魔法だ!?」
グラハムは、焦燥と怒りに満ちた語気で問う。
「…魅了です…恐らくですが、規格外の拘束力を持つ魅了魔法です!」
「はあ!?」
グラハム達の知る、否、この世界の通常の魅了魔法には、せいぜい敵の動きを数秒止めたり、魔法の使用を制限する程度の物しか存在しない。
意識すらも掌握し完全に傀儡と化し操るなど、魅了系のプロフェッショナルであるヴァンパイアやサキュバスすらも軽く凌駕している。
「ごああああ!!!」
振り下ろされたゴガンの斧を華麗に回避したグラハム。
そこへ更にティーミスが追撃を入れる。
「ぐう!貴様!ゴガンに何をした!我の…僕の家族に何をしたぁ!!!」
「…!」
直後、ティーミスは自覚する。
自身が今どれだけ邪悪で、残酷で、冒涜的な戦法を取っているかを。
「ゴガンさん!貴方の相手はわたくしですよ!…お願いします、グラハムさん…」
大声を上げゴガンの注意を自身に引き付けたリカリアは、そのままグラハムとティーミスから遠く離れたところに移動していく。
「ゴガンを…帰せええええええええ!!!」
光り輝くグラハムの聖剣が、ティーミスの息の根と業を絶たんと迫り来る。
一見感情に任せた乱打だが、その一太刀一太刀は正確にティーミスの急所を狙っている。
対して『怒り』による攻撃力バフも消え、既に両腕を粉砕骨折しているティーミス。《強者への嫉妬》による能力強化のみで互角に渡り合っている。
(招集を使って頭数を増やしますか…?いえ、あれは格上相手ではほとんど機能しません。
…おまけに、彼はこちらを睨んでいるように見えてしっかりと目を逸らし。《隷属への褒賞》も使えません。…ここは…)
腕が折れた今、剣では絶対に勝てない。数でも厳しい。
しかし、ティーミスにはまだほぼ無傷な部位がある。
「はあ!」
少しの斬り合いの末、ガキンと言う音と共にティーミスが後方に吹き飛ばされる。
がしかし、ティーミスは受け身をとり見事に着地をし、魔剣をアイテムボックスに収納する。
「はあ…ぜえ…ゴガンを…あいつを元に戻せ!」
「…戻せません。一度隷属状態になれば、解除は死を伴います。私は今のところ他者を蘇らせることは出来ませんし…そもそも…」
そもそもそんなことをする義理も無い、と言いかけたティーミスは、心に何かがつかえそれ以上は何も言葉を出せなかった。
「…もういいでしょう。これで分かりま…」
「死ねええええええ!!!」
グラハムは渾身のダッシュ切りを放つが、ティーミスの振り上げた膝によって上に弾かれる。
「…!」
「《顎割り》」
腕への痛みを最小限に抑えるため、ティーミスは両腕から力を抜いている。
その両足だけで、歴戦の聖騎士を打倒そうというのだ。