戦士の夢
正午。
ユミトメザルより少し離れた場所に設営された、大規模なベースキャンプ街。
ゼズは炊事場のベンチに座っており、多数の好奇心旺盛な若年兵に囲まれていた。
「おい新兵聞いたぞ!あの“豪傑将軍テンダン”の率いる軍を追っ払ったんだって?」
「い…いやまああれは…」
「確かお前無能者だろ?一体どうやったんだ?」
つい今朝まではただの一新兵だったゼズだが、今ではドロウ軍全体の注目の的になっていた。
一目見ただけで誰しも恐怖に震える様な敵軍の主力の一人を、殆ど単騎で退けたと言うのだから当然の結果である。
「どうした新兵。もっと堂々としてても良いんだぜ?そうだ、お前名前何て言ったっけ。」
ふとゼズは、腰の辺りを何者かに引っ張られる様な心地を感じる。
ベルトに据えておいた黒い短刀が、何か見えない力によって引っ張られている。
「お…俺、少し軍事物資の整理を手伝って来る。あの様子じゃ、きっとまた戦場に柵を建てるだろうし。」
「あ、おい!」
ゼズは若年兵から逃げる様にして、そそくさとその場を立ち去って行く。
「なあ、もしかして俺達、ちょっと五月蝿過ぎたか?」
若年兵の一団から少し離れた場所で武器の手入れをしていた兵士が、一団に向けてぼそりと告げる。
「もしわしだったら、二時間前にはもう逃げ出してるな。」
ゼズは炊事場を抜け、短刀を引っ張る力に誘われキャンプ街の比較的閑散としている区域まで移動する。
ゼズが今居る場所には、実践で使うが大して重要では無い物資(柵や土嚢等)を保管するテントと、それを見張る必要最低限の見張りだけしか居ない。
(此処か?)
その中のある一つのテントの前にゼズは立つ。
その瞬間、短刀を引っ張っていた力は消え去る。
(此処らしいな。)
ゼズはゆっくりとテントの中へ入って行く。
テントの中は非常に薄暗く、何に使うかも分からない木材が無数に積み上げられている。
積み上げられた木材の山の上に、少女が1人座っている。
「…教えてくれ。君は一体何者なんだ…」
ゼズは問う。
「私は何者か…その答えは、一生を賭けて探して行くつもりです。」
答えが返って来る。
永久に聴いていたいと思える程の、月夜を走る微風の様に、美しく静かな声である。
「いや、そう言う事じゃ無くて…」
「大丈夫です。私は有名人なので、直ぐに解ると思います。」
テントの中は薄暗く、ティーミスの姿は殆どが闇に沈んでいる。
にも関わらず、その瞳は外から漏れる僅かな光を反射し闇の中ではっきりと映えている。
故にゼズは、瞬きの間に起こったその変化に気が付く事が出来た。
「ん?君の目の色、そんな…」
ティーミスの瞳を視認した瞬間、ゼズは両手をだらりと下げその表情を虚ろに変える。
ティーミスは木材の山から降りると、ゼズの直ぐ横まで移動する。
「助力の褒賞は、身体で払って貰いますよ。」
ティーミスは、ゼズの左腰に右手をポンと置く。
「文字通り、です。」
ゼズは何も言わずに、ゆっくりとテントから出て行く。
ティーミスはゼズを見送った後、ゆっくりと細い息を一つ吐く。
「もう1人、“向こう”にも1人必要です。」
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注意
能力の行使は身体に多大な負荷を与え、あなたの体調不良が悪化する可能性があります。
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「…ですよね…分かってます…」
ティーミスは少し息を切らしながら、痛み出した膝を軽く摩る。
ティーミスの熱は、少し上がっていた。
「…これも、静かな休暇の為です。」
〜〜〜
「…ん?」
テントの前で、不意にゼズは我に返る。
テントに入ってから今までの記憶だけが抜け落ちた状態で。
ゼズは再びテントの中を覗いてみるが、案の定、積み上げられた木材以外の物は何も無い。
ゼズは首を傾げつつも、元いた炊事場へと歩を進める。
「……?」
何者かの視線を感じ、ゼズは振り返る。
居眠りをしている倉庫番以外は、ゼズの背後には誰も居なかった。
〜〜〜
同時刻。
連合国陣営本陣。
外はまだ明るいが、その大きなテントの中に松明以外の光は無い。
ぴったりと隙間無く縫い合わせられた分厚い布は、招かれぬ者ならば外光の侵入すらも許さなかったのだ。
50人程を収容する事の出来る広さのテントだが、今は二人の人物だけがその中に居た。
「何故だあああああ!何故負けたああああ!」
連合軍の総大将を務めていたのは、銀色の短髪に緑色の目をした中年の男。
その男は、自らの権力を周囲に知ら占めるかのように、優美な金装飾の施された鎧を纏っている。
「…お前に聞いているのだぞ。バンパ将軍“代理”殿!」
「も…申し訳御座いません総大将殿!後衛を守護していた部隊の中に、妙なスキルを持った少年兵がおりまして…」
そんな総大将の機嫌を必死でとろうとしているのは、筋肉も脂肪気も無い、薄い布服を纏った小柄な男。
つい数時間程前までは誰しも見上げる程の巨漢を持ち、モーニングスターを振り回し前線を崩壊させていた男である。
「私は貴様に期待していた。だから敵に悟られぬ様に【脂被の術】を掛け、彼がかつて愛用していた【牙樹の鎧】と【堅鋼の鉄槌】を与え戦場に送り出したのだ。」
総大将は一度、細く深く息を吐く。
「そして帰ってきたのは、前線を抑え込んでいた同胞達の骸と、ゴーレムの残骸と、仲間達からたっぷり時間を渡された筈なのに手ぶらの部隊一つだ。」
総大将は拳を握り締め、思い切り机を叩く。
「俺をバカにしているのか!俺を!この国を!ラデゥド王国を!」
「も…申し訳御座いません!申し訳御座いません!」
「えええい!」
総大将は、懐から刃長のサーベルを引き抜く。
「貴様の様な役立たず、叩き斬って…」
その時、テントに一筋の外光と一言の声が入り込んで来る。
「止めなよ父さん。流石にみっともないよ。」
テントの入り口では無い場所の布を押し開けて入って来たのは、総大将と同じ様式の、これまた豪勢な黒色の鎧を纏った凛々しい青年。
少し癖っ毛の薄い茶髪。緑色の瞳。薄いながらもかっちりと筋肉の付いた身体。
常人ならば一目見るだけで、彼が手練れの戦士だという事を理解できる様な、そんな雰囲気を帯びている。
「ヴィア…済まない。しかしこやつは!」
「その人はただの農兵だろ?幾ら良い道具を渡したからって、バンパさんと同じ事をしろなんて余りにも酷だと思わないか?」
ヴィア・デリペ。
それが青年の名前である。
「聞いたよ。この農兵に、あの人の口調や姿形まで真似させたらしいじゃ無いか。全く…現実逃避も良い所だよ。」
「違う!これは敵軍友軍共々に、バンパ将軍の存在を…」
「存在?何言ってるんだ!あの人はもう、とっくの昔に死んだんだろ!?」
ラデゥド王国には昔、バンパと言う巨漢の戦士が居た。
バンパの実力は、無双と言う単語が世界で一番似合うとさえ言われる程の物だった。
バンパの存在をチラつかせるだけで、近隣の諸国はラデゥド王国に平伏した。
ラデゥド王国は、源泉を持っていないにも関わらず、一人の戦士の力だけで近隣との外交面での絶対的優位を得ていた。
バンパは齢70を迎えた時、秘密裏に戦士を引退した。
ラデゥド王国は戦争の際には、バンパの影武者を用いて部隊の士気を挙げた。
バンパは齢93歳で、人間の寿命に従い秘密裏にこの世を去った。その当時は、軍部以外では彼の一人娘以外にこの事を知る者は居なかった。彼の孫すらも、今もこの事を知らない。
その日から戦場に立つバンパの影武者は次第に若返り始め、最終的にはバンパの全盛期の姿をとるようになった。
ラデゥドはこの事に説明を付けるため、バンパは実は人間と巨人の混血亜人種だと言う声明を発表した。
バンパのその容姿や実力も相まって、この声明は直ぐ様民に受け入れられ、ものの二週間でこの国の常識と化した。
そして今この戦場にも、バンパの影武者が5人程で代わる代わる戦場に立って居た。
事情を全て知っている者からすれば、この状況に対する感想は一つしか無かった。
「こんなのイカれてる!」
ラデゥド王国はいつしか、無双の戦士の見せた夢に狂っていた。