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一弦マリオネット

ユミトメザルの前。

“魔素入り琥珀の地下遺坑”を巡った、ドロウ共和国と、複数の小国や傭兵団から成る連合軍による中規模先頭の最中。


「は…は…はぁ…は…」


軍で支給されたオリーブ色の厚手の軍服と軍帽を身に付け、短い鳶色の髪と青い目を持った少年は息を切らしながら、ドロウ軍側の後方で剣を杖代わりにして辛うじて立っていた。

教官の声では無く兵士達の命懸けの怒号が飛び交い、向かってくるのが案山子ではなく本物の人間で、地に落ちるのが汗だけでは無い戦場を、少年はこの日始めて経験した。

ただ不思議な事に、少年は度重なる敵襲による極度の疲労以外の物を、あまり感じては居なかった。


「おい新兵!何処見てやがる!敵の雇った傭兵の奴らが、また裏から侵攻してきたぞ!」


「は…はい!」


「ボサッとすんじゃねえ!此処は訓練所じゃ無えんだ!一瞬でも油断した瞬間あの世行きだぞ!」


上官の怒声に背を叩かれ、少年は杖代わりにしていた剣を構え直す。


「…待ってろよ、ロージー、エギ。帰ったら兄ちゃんが美味い物、沢山食わせてやるからな。兄ちゃんが帰たら、もう二度とひもじい思いはさせないからな。」


少年は極限の疲労の中でも、その常人離れした精神力によって再び戦闘態勢に入る。

実力自体は第一等級にすら及ぶか分からないが、この戦場では剣を振れる人間と言うだけで十分価値があった。

この戦場では、前線に立ち一人でも斬れば、家族一つが5年は暮らしていける財が約束される。

故に少年は、後方部隊の中でも最も危険で過酷な、後方侵攻反撃隊を選んだ。

少年は自身の胸を革製の小手でとんと叩き、割と大きな声で独り言を言う。


「頑張るんだ、ゼズ。何なら、どっちにしても、これが最初で最後の本物の戦争だ。頑張るんだよゼズ。あの隙間風のよく入る家で待つ2人の為にも!」


彼の名前はゼズ・カイルリヒ。

親無しの身の上で弟と妹の2人を養う、ドロウ国の少年兵である。


「戦闘が始まった。…っし、行くぞ!」


ゼズは駆け出そうと足を踏み込み、不意にズボンをちょいと引っ張られる様な感覚を覚える。

気の所為かはたまた虫か何かの仕業かと思い、ゼズは無視して戦場に駆け出そうとする。


「もしもし。」


ゼズは、背後から少女の様な声を聞く。


「のあ!?」


ゼズは思わず、前のめりで倒れ俯せで地面に転ぶ。


「な…何だ!まさか敵の斥候…」


ザズは軽い身のこなしで直ぐさま立ち上がり、背後に向けて剣を構える。

そして、背後に立っていたそれを見た瞬間、ゼズは一瞬凍りつく。


「安心して下さい。向こうの騒音源の方々と私は関係ありません。」


ゼズの背後には、至極暖かそうなつなぎを纏った1人の少女が立っている。

通常ならば、明らかに場にそぐわぬ者や物を見つけた場合、当然ながら人と言うのは戸惑う物である。

しかし、この瞬間のゼズだけはその“通常”から外れてしまっていた。

と言うより、相手の方が通常では無かったのだ。


「あ…あぐふっ」


「?」


お前は誰だ。こんにちは。一体何が起こっている。仲良くなりたい。親は居るのか。可愛い。こんな所で何をしている。

平常不和な無数の思考が、ゼズの喉元で詰まる。

そんなゼズの様子を見て、今この状況で一番不可思議な少女に不思議そうな顔をされるので、ゼズはそれに羞恥心を覚えますます思考がパニックになる。

有象無象の思考の濁流が起こるが、それでもゼズは何とかその中から文字を拾い集める。

数秒で良い。数秒会話が繋がれば良いのだ。数秒の間だけ、思考を整理する時間を稼げれば良い。


「あの!ボタン空いてますよ!」


「…ええ。何度直しても直ぐに空いてしまうので、もうこのままにしています。」


「そ…そうなのか…」


ゼズは空返事を返しながら、ゆっくりと呼吸を整える。

そうしてゼズは、最初の質問を投げ掛ける。


「先ず、お前は一体誰だ。どうしてこんな格好でこんな場所に居る。此処は戦場だぞ。」


眠たげに半目を閉じたままの少女は、右手を頭の横まであげ、右方に向けて親指を立てる。

指の先、戦場から十数キロ離れた場所に、この大陸の数少ない障害物である黒色の巨大な壁が聳え立っている。


「あそこに住んでいます。あそこはユミトメザルって言います。私は風邪をひいてしまったのでゆっくり休もうと思ったのに、此処が煩過ぎて眠れないんです。

なので、この騒ぎの責任者にクレームを入れに来ました。」


「あそこに住んでるって…」


ゼズは指し示された先に聳える黒壁の方を向く。

実際がどうであれ、少なくともゼズ含めた軍の全員が、あれをダンジョンだと認識している。


「つまり君は、モンスターなのかい?」


「…ええ。少なくとも、今は。」


その時だった。


「おい新兵いい加減にしろよ!こっちは敵襲に前線を押されてるんだ!剣が握れねえなら、せめて柵の一つでも建てるんだ!」


「あ…!ごめんなさい!でも変な子供が…」


ゼズは再びティーミスの立っていた方を向く。

そこにはティーミスの影も形も無かった代わりに、一本の赤黒い短刀が地面に転がっているだけだった。


「…?」


「早く来い!役に立たない奴に此処に居る資格は無えんだ!」


「は…はい!直ぐに行きます!」


何かを考えるよりも前に、ゼズは地面に落ちていた短刀を拾い上げ、本陣後方から迫る敵軍へと向かう。


(直感で分かる。今まで使っていた鉄の剣よりも、きっとこのナイフの方が強い。)


次第にゼズの視界の中で、敵軍の姿が大きくなって行く。

既に死体も出ていたが、ゼズの心は依然として強くあった。


「うおおおおおおお!」


不意に、友軍から怒号が一つ飛ぶ。


「待て新兵!そっちは…」


「え?」


次の瞬間、ゼズの視界から、先程まで立ち並んでいた筈の味方の背中が消える。

棘の付いた直径2m程の鉄球が、ゼズの鼻先をかする。

ゼズの鼻先には、ゼズの物では無い血が付く。


「…一体…何が起こって…」


前線に出ていた友軍が一瞬で全滅した為、たまたま遅れて来た為に初撃を免れたゼズは孤立した。

血まみれの巨大な鉄球が、付いていた鎖に引き寄せられ持ち主の元に戻って行く。


「あ〜?な〜んで生きてる奴が居るんだ〜?」


後方から進行して来た敵軍の先頭に立つのは、異様な風体の大男。

4m程の身長。スキンヘッド。脂肪により首が消滅した顔。分厚い黒鉄の鎧。一見すれば肥満体形だが、四肢にはがっちりとした筋肉がついている。

その大男が、反撃部隊を一撃で屠った巨大モーニングスターの使い手である。


「生意気なピンがよ〜。とっとと死ねば良い物をよ〜」


大男が、モーニングスターをぐるぐると振り回し始める。

大男の周囲には暴風が巻き起こり、敵軍すらも大男から離れて行く。


「まあ〜良い。おまいは特別に、このおいら様直々に、狙って叩き潰してやるぞ〜。」


モーニングスターの回転速度が次第に上がって行く。

それと同時に、鉄球が赤熱まで始める。


「じゃあ〜死ね〜」


大男の手から、最高加速されたモーニングスターが放たれる。

不思議な事に、大男の持っていた時と比べれば明らかに鎖が伸びていた。

ゼズは咄嗟に右方に飛んで避けようとするが、鉄球はまるで生きているかの様にゼズを追尾する。


(まずい!当た…)


不意に、短刀を持っているゼズの右手が明らかに不自然に動く。


“ガコキン!”


金属と金属よりももっと軽い物がぶつかり合う音が響く。

ゼズは恐る恐る目を開ける。


「…え?」


ゼズの持っていた短刀が鉄球に深々と突き刺さり、鉄球はゼズの目の前で静止していた。

正面に突き出されていたゼズの右手が、今度は上へと持ち上げられる。

否。

動いているのはゼズの腕では無く、ゼズの持っていた短刀そのものだった。


「な〜!?そんな馬鹿な〜!圧縮製錬したウォギ合金の鉄球だぞ〜!?」


その光景はゼズ以外の全ての人間から見れば、ゼズが片手で鉄球を受け止め持ち上げているように見える。

実際に鉄球を受け止め持ち上げているのは短刀そのものだが、当然本人以外は誰もそうとは思わない。

短刀が右に払われ、鉄球がゼズの右方に力無く放られる。

短刀はそのまま、その大男の方へと向けられる。

唐突に、ゼズは敵軍に向けて挑発を始める。

これは短刀の力では無く、敵を可能な限り遠ざける為のゼズ本人の反射的な行動だった。


「も…もしまだ俺に挑むのなら、次に転がるのはテメェのそのぶよぶよの頭だ!死にたく無けりゃ、今すぐ俺の前から消えるんだな!」


敵軍はあからさまに動揺を見せる。


「ど…どうしましょう隊長…」


「ぐ〜あのガキ〜変なスキルを持ってるからって調子に乗りやがって〜」


唐突に、大男の首元の肉が急激に萎み始める。


「おまけにこっちは時間切れ…ぐ〜!」


大男は鉄球を手元に引き戻すと、後方の軍隊に指令を飛ばす。


「撤退〜!」


「は!」


大男の号令によって、敵軍がそそくさと立ち去って行く。

ゼズはその後ろ姿を認めると、その場でへなへなとへたり込んでしまった。

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