眠り姫
「……っ」
ティーミスはベッドの中で目を覚ます。
付近にピスティナの姿は無い。
何処かで紙を破る音がする。
ティーミスは、異様に倦怠感の残る体で掛け布団からもぞもぞと抜け出す。
「…ぅ…くちゅんっ!」
ティーミスは、布団の中よりは圧倒的に冷たい外気に触れた瞬間に至極愛らしいくしゃみをする。
「……」
寝起きとは言え、明らかにいつもより気怠い。
寒気を感じる。
熱っぽいし、節々も痛い。
ティーミスは、自身のこの状態に覚えがあった。
「久し振りに風邪をひきました…」
生まれつき身体の弱かったティーミスは、かつては二月に一度程は風邪を患っていた。
それが咎人になったからと言っても、無病息災とまでは行かない。
ティーミスは人間である。
人間誰しも、不摂生が重なればいつかは体調を崩す。
しかも、今回は直ぐに思い当たる原因があった。
「身体が凄く冷えてます…多分…」
多分、常温より低い体温を保っているピスティナに添い寝したのが原因である。
人と言うのは、眠る時に一番体温が低くなる。
体温が低くなれば、それだけ免疫力も下がり色々な物を患い易くなる。
故に人は布団などを用いて、眠っている間に出来るだけ体を暖めるのである。
「ぃ…くちゅんっ。」
自身の体温よりも微妙に低い物を抱いて寝るなど、以ての外である。
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あなたに【風邪】デバフが付与されました。
【風邪】
以下の効果が発生します。
・[倦怠感]
行動速度が低下。
・[寒気]
体温を維持しない限り、永続的に行動速度が大幅に低下。
・[熱]
毎分2ダメージを受ける。一時間経過後治療措置が施されていない場合、このダメージが1増加します。
・[食欲不振]
一部アイテムの消費に制限が掛かります。
ランダムクエストが発生しました。
『療養』
クエスト期間
4day
概要
断続的に発生するタスクを全てクリアして下さい。
報酬
【風邪】デバフの解除。
最大HP +150(初回限定)
【王宮医の秘薬】×50
称号『病み上がり』
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ウィンドウは大きく、下へとスクロールしなければ報酬欄を読む事が出来ない。
が、今のティーミスには、ウィンドウに指を伸ばし上に揺蕩わせる気力も無かった。
指示通りに動けと言う事が分かれば十分である。
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『自室のベッドで休息した時間が50hを超える』 +40p
『3日間連続で健康的な体温を維持する』 +40p
クエストクリアまで
0p/150p
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「……」
ティーミスは、自身の直ぐ右隣に自分の身丈と同じ大きさの空間の歪みを発生させる。
ティーミスは再び寝転がり、寝返りを一つうつ。
ティーミスが再び仰向けになる頃には、ティーミスはピスティナの部屋では無く自室のベッドの上に居た。
まだ朝焼けが見えたが、ティーミスは再びベッドの中に身を収める。
「…ほぉ…」
風邪の日に潜るベッドは、ティーミスにとっては格別だった。
何もしなくて良いし、何もしない事に飽きる事も無い。
風邪は辛いが、風邪の齎す安息は今のティーミスには確かに価値のある物である。
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累計休息時間
00/00/01
累計体温維持時間
00/00/01
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カウントが開始される。
ティーミスの、客観的に見れば世界で一番楽なクエストへの挑戦が始まった。
今のところはただ寝ているだけで良い。
こんなクエスト楽勝で終えられる。
この時点では、ティーミスはそう思っていた。
「すぅ…すぅ…」
寝ていれば、何もしなければ、何も起こらない。
ティーミスが、そんな甘い幻想の中で眠っていた時だった。
“バン!ダンダンダン!”
「にゃ!?」
自室のドアが、外側から途轍も無い力で叩かれる。
ティーミスはその騒音によって、朧げだった意識を叩き戻される。
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累計休息時間
00/25/30
累計体温維持時間
00/25/31
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休息時間のタイマーが停止する。
当然である。
今のティーミスの鼓動は、動機を起こした様に早まっていた。
緊張状態でベッドに居ても、休息など取れやしない。
“バンバン!ダン!”
強い衝撃を受け、扉が吹き飛ばされる。
ティーミスの部屋に、気が立った様子のシュレアが飛び込んで来る。
「人!人!汚らわしいヒューマノイド共が!」
「な…何事ですか…?」
次の瞬間、外から轟音が響く。
何か大きな物が爆発した様な、ティーミスを叩き起こすには充分な轟音である。
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警告!
『守都の壁』が攻撃を受けています。
『守都の壁』耐久値
残り99.98%
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「………」
ティーミスは布団にくるまったまま、ベッドから起き上がり部屋の窓辺まで歩く。
門の無い黒い壁でユミトメザルの地には埃一つ立っていないが、壁の外側が明らかに騒がしい。
「シュレアさん。ヒューマノイドが、どうしたんですか?」
「貴女様が創造した焦げ地の大陸に、船や航行を使って大挙して押し寄せて来たんですの!」
「…そうですか。」
ティーミスはそれだけを聴くと、再びベッドの上に戻り寝転がる。
「ティーミス様?」
「放っておいて結構です。別に、この場所は私の物と言う訳ではありませんから。」
ティーミスはそれだけ言うと、騒音避けに掛け布団で耳を覆い再び眠る。
シュレアは戸惑いつつも、ティーミスの穏やかな寝顔を見るなりその表情を綻ばせる。
「…そうですの。では、醜いヒューマノイドは放っておきますの。」
シュレアは、破壊され外れたドアを持ち上げる。
シュレアは部屋の出入り口にそのドアを叩きつけドアを元の位置に戻し、そのドアを開けて部屋から出て行く。
ドアは裏表が反対の状態で付いていた。
「害はありません。…何もしなければ…何も起こりません…」
ティーミスは寝言の様にブツブツと呟く。
爆発音が再び鳴り響く。
「………」
ティーミスは無視をする。
今度は、何か巨大な物が勢い良く防壁に叩き付けられる音が鳴る。
それでもティーミスは、無視をしようとする。
今度は反対側から、雲の中で唸る無数の雷鳴の様な音が聞こえる。
ティーミスは耳を塞ぐが、その騒音によって臓物を奥底から揺さぶられる心地を覚える。
食欲不振も相まって、ティーミスはとうとう気分を悪くする。
「はぁ…」
ティーミスは不愉快そうに寝返りを打つ。
一体外で何の騒ぎが起こっていると言うのか。
気になりがしたが、今のティーミスには外に出てまで確認する気力も無い。
ふとティーミスは、ある事を思い出す。
「私の所有物が…本当に全て私の体の一部なのだとしたら…」
ティーミスは目を閉じて、出来るだけ体を楽にして、“外の様子が見たい”と思う。
次の瞬間、ティーミスは防壁の外に視界を得る。
防壁の別々の場所に、それぞれ小さな目が出現した。
「…にゃ…?」
防壁の外。否、大地の彼方此方で、人間同士の大規模な戦闘が起こっている。
焦げ地のそこら中にあった筈のダンジョンは影も形も無く、代わりに様々な規模の砦や戦車が立ち並んでいる。
ユミトメザルの壁には、爆発魔法かはたまた火薬兵器によってボロボロに損壊した巨大ゴーレムが壁に凭れ掛かる様に倒れている。
これが、先程の騒音の原因である。
ティーミスは続いて。戦場の様子を注意深く確認する。
ユミトメザルの北側、爆発音のした方では、白を基調とした鎧の軍と、恐らくは二カ国の連合軍が戦っている。
対して南側、雷鳴が聞こえた方では、北側と同じ白鎧の軍と、山賊の集まりの様な衆が戦っている。
先程の雷鳴は、白鎧軍側の魔導師の手による物だろうか。
「……」
ティーミスは壁に開けた二つの目を閉じ、再び瞼の裏の闇に帰還する。
何が起こっているのかは分からないが、取り敢えず迷惑だと言う事だけは確かである。
「…疲れます…」
ティーミスは、アイテムショップを開く。
普段着では露出が多過ぎて、体温維持には適さないのだ。