それが救済なら
モダンな家具が程よく並べられた書斎の中、男が一人読書に耽っている。
彼はティーミスの首を切り飛ばした聖騎士、グラハム・バクターだ。
幼少の頃にその才を見出され、帝国騎士学校に国からの推薦によって入学。
聖騎士資格試験に歴代最年少の15才で合格、その後も帝国騎士学校にて次々とその秀才っぷりを発揮し続け見事主席にて卒業。
今は、ミノタウルスの戦士ゴガンと慈愛の聖女リカリアと共に、アトゥ植民区専属の騎士団を率いている。
「リカリア、何か見つかったか。」
「申し訳ございません、グラハム様。やはり【蘇生神の加護】以外の自動蘇生は見つかりません…」
「…そうか。奴が生き返る時、魔法陣や魔法文字の出現が見当たらなかった…古代魔術の可能性もあるな。」
グラハムは今アトゥにある書庫の書斎にて、リカリアと共にティーミス復活の謎を探っている。
現在この世界において、死者を生前の姿で復活させる魔法や技術は数える程しか存在しない。
しかもそのどれも、成功率が極端に低かったり、あるいは莫大な資材を要求したりと、どれも実用的とは言えない物ばかりだった。
心臓の上に刻印を刻む【蘇生神の加護】はそういった中では最も簡易だが、それは刻印を受けた者の致命となる要因を全て取り除き息を吹き返らせるという物。時間もかかるため、戦場の真ん中で発動しても意味が無い。
そんな中、ティーミスの物だけは別格だった。
「一度肉体と装備全て霊体化し、間合いから外れた場所で体を再び再構成する…」
グラハムは一瞬幻術の類を疑ったが、持ち上げた魔剣は確かに重量を持っていて、ティーミスの首に刃が当たり、骨を断ち切り飛ばす感触も確かなものだった。
もしあの魔法の秘密を解明し、帝国の戦力に取り入れる事が出来れば、亜人種国家の侵略も夢では無いだろう。
しかしその前に、まず収容所からの脱走犯を始末しなくてはいけない。
旧アトゥ公国の貴族の者が生きていると知られれば、この植民区の正当性は崩れ去ってしまう。
旧アトゥ公国は、治める貴族達による共有領土制度。例えそれが貴族令嬢であろうとも、生きてさえいれば領有権はその貴族に存在する。
真のアトゥの貴族が一人でも生きている場合、制約も無しに此処を正当な植民地には出来ない。
失効させようにも帝国の法律では干渉できないし、理由も無しに処刑もできないため、あくまでも自然死で片付けるしか無かった。
そして何より、ただ一人の小娘の為にアトゥの地下の魔力の泉を諦めるのは、あまりにも釣り合わない。
表沙汰になる前に、土地の所有者であるティーミスを始末する。
これが最も現実的な方法だ。
「兄貴。」
のしのしと、その書斎に大柄なミノタウルスが入ってくる。
「ゴガンか。本土からの救援要請の件はどうだったか?」
「やっぱり、事が事なんで上も派手には動けないらしいすわ。
アトゥ近郊の外地調査っちゅう名目なら何人かは派遣できるらしいんですが…まあ、ウチらの戦力の足しにはならんでしょう。」
「やはりか…全く、政治と言うものは本当に面倒で参るな。」
「まあ、人間の女の子一人シメるのに、そんな大人数も…」
「忘れたか。奴は隊長含め帝国騎士8人を退けたのだぞ。それに正体不明の自己蘇生魔法まで使う。
驕りとは、時に身を滅ぼすぞ。ゴガン。」
「さすが兄貴でやすね。いつもブレないでやす。」
「我は正義の象徴となる騎士だ。万一にも、敗北などあってはならぬ。」
グラハムはいつもそうだった。
オーガの部族の掃討作戦も、ゴブリンの駆除の時も、遠征の為の移動の時すらも、グラハムは決して準備を怠るようなことはせず、いつも信頼できる仲間二人と共に行動していた。
そしていつも、最後に言う。
我一人で、十分だったなと。
少し考え込み、グラハムは二人に告げる。
「…よし、リカリア、ゴガン、出るぞ。自動蘇生魔法の事は気にかかるが…何だか嫌な予感がする。」
ゴガンはやっとかといった雰囲気で、斧の柄を旧収容所の方に向ける。
「あっちからえげつねえ血の匂いがするんでさぁ。多分ですが、あそこにいるって事で間違いないでしょう。」
リカリアは古木の杖を手に取ると、祈るように目を閉じる。
「はい。行きましょう。…今度こそ、あの少女を救ってあげたいのです。」
3人組のアトゥの英雄達は、弱きを守るため、夜闇へと繰り出す。
目指すは恐怖の脱走犯の隠れる、町外れの林だ。
〜〜〜
「…あったかいです…眠たいです…」
ティーミスは夜闇に沈んだ林の中で一人、小さなキャンプファイヤーの前に座っている。
ティーミスにはグラハムの様な、信頼できる仲間なんてものは居ない。助けを求められる場所も無い。
本当に、一人ぼっちだ。
秋も深まり、身体の芯から冷えるような風が時折吹き荒ぶ。
なのでティーミスは、かつて纏っていた歪のローブマントや焼け野原に残った木炭を使い薪を焚いて身を暖めている。
不安な夜、怖い夜、眠れない夜。
とても臆病な性格のティーミスにとって、夜闇とはまさに恐怖の対象だ。
そして、そんな夜に蔓延る賊やモンスターから、人々の夜を守る勇敢な兵士達に、ティーミスは憧れていた。尊敬していた。
カサリ…
「にぇ!?」
風が葉を撫でた音に向かい、ティーミスは咄嗟に震えながら剣を向ける。
例えそこから現れるのが、人を食うモンスターだろうと、野蛮な賊だろうと、正義の騎士だろうと、全てティーミスの敵。
誰もがティーミスに刃を向ける。敵意を向ける。憎悪を向ける。ただ、静かに人並みの幸せを求める少女を、みんながみんな虐める。怖がる。殺そうとする。
誰もティーミスの生を望まない。誰もティーミスを愛そうだなんて思わない。滅ぼされるべき対象、正義によって裁かれるべき対象としか見ない。
「…はあ…はあ…か…風ですか…」
ティーミスの背負ったそのサガは、11歳の少女が一人で背負うには余りにも過酷で、余りにも重くて、
カサリ…
(また風ですか…)
余りにも、
「処刑の時間だ。罪人。」
「…!?」
無慈悲だった。
ーーーーーーーーーー
《強者への嫉妬》が発動します。
体力以外の全能力値+9950(MAX)
注意!
あなたより非常に格上の相手です!
ーーーーーーーーーー
「ふぎぁ!?」
グラハムの劔による突きがティーミスの首筋めがけて放たれ、ティーミスはそれを黒い炎の魔剣で受け止める。
しかし、グラハムの持つ劔は以前の様には融解しない。ティーミスの武器には当然対策済みだ。
「そこじゃああ!」
体勢を崩したティーミスの真上から、ゴガンの巨斧が両手によって振り下ろされる。
城塞兵器からむしり取って来たかのような巨大な斧、確実に即死だ。
避けようにも、ティーミスとつばぜっているグラハムはそれを許さないだろう。
ティーミスはそれを、
「い…ぎいいい!!!」
左手の突き立てた爪で、手のひらに刃が触れないように巨斧を受け止める。
「な…何ちゅうデタラメな!」
ティーミスは歯を食いしばりながら、右手でグラハムの劔を、左手でゴガンの斧を同時に受け止めている。
歴戦の戦士と、巨漢のミノタウルスの渾身の一撃を受け止め続けるティーミス。
その華奢な腕は、メリメリと痛々しい音を鳴らす。
デタラメではない。
「ひい…ふぃ…ひい…いぎ!」
ティーミスだって必死だ。
「《星撃》!」
そこに更に、グラハムの後方に待機していたリカリアが、星型の魔弾を放つ。
威力より弾速を重視した射撃魔法だが、急所に当たればタダでは済まない。
更にこの状況で、ティーミスが自身の身体にかける力を少しでも緩めた瞬間、真っ二つからの斬首刑だろう。
(…もう…駄目…意識が…朦朧として……)
ティーミスはこれが、悪夢であるように祈る。
ふとした瞬間で、心許ない焚き火の前で目を覚ましますようにと。
しかし、
パシパシ!
「ふぎえ!?」
星弾がティーミスの胸と腹に一発づつ当たる。
ティーミスは吐血するし、極限まで緊張した筋肉に与えられる打撃によってティーミスは数倍の苦痛を受ける。
その痛みは“これは現実だ”と、ティーミスの頭に叩きつけ焼き付けた。
少し力が緩んだことで、ゴガンの斧が更にティーミスの頭に近づく。
(…気を…しっかり…私は…私は…)
リカリアは悲しげに俯くと、更に星弾を生成し始める。
先程の倍ほどの大きさの物を、倍ほどの数だ。
「ああ…可哀想に…いまわたくしが、見送って差し上げますよ。」
「…!」
リカリアがティーミスに向ける目は、憎悪や、敵意とは違っていた。
子を見下ろす母親の様な。自らを囲む孤児に向かい、修道女が等しく慈愛を雨の様に振らせる様な。優しく、暖かい眼差しだった。
(…救われる…?私が…?)
孤独から、恐怖から、苦痛から。
もし全てを受け入れたのなら、ティーミスは今この瞬間を持って救われるのだろうか。
もしそうならば、或いは…
べキリ…
ティーミスの腕のどこかの骨が折れ、その電撃の様な痛みによってティーミスはふと我に返る。
(違う…苦痛の末の死が、救いな訳無い!死を受け入れた先にあるのは、どうあがいても死だけだ!)
もし死が救いならば、良いことならば、祝福されることならば、どうして忌避されるのだろう。
痛覚、恐怖、羞恥、五感、予感、走馬灯、第六感、予知。
もし死が救いならば、どうして人間には、これ程までに沢山の死の回避措置が備わっているのだろう。
答えは簡単だった。
少なくとも死は、そうそう救いでは無いからだ。
「…にあああああ!」
ティーミスは右手に持つ魔剣から手を離す。
しかしその魔剣は、見えない持ち手によって、《怠惰な支配者の手》によって操られ空中に静止し、依然としてグラハムとの鍔迫り合いを続けていた。