青空外交
王国で一番の駿馬が全速力で引く、飾り気のない黒色の馬車が、背の低い草で覆われた大地を走行している。
丈夫な金属製の馬車の中には、王族法衣に身を包んだ王と王妃と、一人息子の王子だけが乗っている。
周囲には護衛も居らず騎手すら居なかった。
「父上…我々は一体、どうなってしまうのでしょうか…」
ガタゴトと言う車輪の音でやかましい外の様子とは打って変わって、静振機構によって耳鳴りがする程静かな馬車の中にて。
齢16の王子が、不安げに国王に向けて問い掛ける。
「安心したまえ。国には軍隊も、無敵小隊と名高きネクストチルドレンも居る。咎人なんざが国土に入った瞬間、奴は直ぐに捻り潰されるであろう。」
その言葉に反論したのは、王妃の方だった。
「ネクストチルドレンって…この子と同じくらいの歳の子供達でしょう?」
「心配しなくとも大丈夫さ。彼らは。特別なんだ。」
その時だった。
静振装置が作動しているにも関わらず、車内に猛烈な衝撃が襲う。
「何だ!?」
車内の重力が暫しデタラメに移り変わり、やがて馬に背を向け座っていた国王から見て右方の壁が地面になる。
馬車は、横転していた。
「ぐ…君達…大丈夫か…?」
王の頭から、茶色い口髭まで血が流れている。
「僕は…大丈夫…」
「あなた…頭から血が…!」
幸いにも三人は、静振装置によって比較的軽傷で済んだ。
“ギギ…ギガガガ…バギン!”
何かが無理矢理捻じ曲げられる音が響き、現在は天井となっている側の壁が外側から強引に引き剥がされる。
「…ぐるるる…」
逆光によって暗く沈んだピスティナの顔が、王族一家を睥睨する。
駿馬の引く馬車にピスティナは単身で追い付き、更には馬車に飛び付き馬車を横転させる事にも成功したのである。
「き…貴様が咎人か…!」
「………」
ピスティナは国王の襟をを片手で掴み国王を持ち上げると、自身の顔の近くまで寄せる。
そうしてピスティナは、玉座に残っていた匂いがこの男のものかを念入りに確認する。
「手紙は読んだぞ!貴様の目的は私だろう!だから頼む、どうか彼等には手を出さないでくれ!」
「……あ”?」
ピスティナは言語を理解する事が出来無いが、目的は国王だけなのには違い無いので、結果的には当初の行動予定では国王の要望に従う形になる。
何らかの予想外が発生しない限りは。
「おい!」
「…あ”あ”?」
馬車の中から王子が、ピスティナに鋼の剣を向けている。
「ち…父上を返せ!この化け物が!」
「………」
剣を向けたと言う事は、この少年は自身の敵である。
ピスティナはそう判断し、周囲に幾つもの短刀を出現させる。
その鋒は全て、馬車の中へと向けられている。
「ひ…!」
「辞めなさいローン!」
王妃は慌てて王子を抑えるが、王子は既にピスティナの敵意を買ってしまっていた。
「逃げろ…お前達…だけでも…」
国王は苦しそうな声で二人に告げようとする。
「ぐるる…」
ピスティナは宙に揺蕩わせていた短刀を馬車の中へと射出しようとして、不意に中断する。
その場に居る中では、遥か遠方から響くその声はピスティナだけが聴き取る事が出来たのだ。
「がう♪」
ピスティナは捕らえた獲物を主人の元まで運ぼうとしたが、その前に主人の方がピスティナの元に到着した。
「ふぅ…やっと追い付きましたよ…」
「がう♪」
「ピスティナちゃん、もしかして王様を捕まえちゃったんですか?」
「あう♪」
ティーミスはナンディンから降りてナンディンを収納し、ピスティナと同じ様に、馬車の現在天を向いている面に立つ。
ティーミスが、壁を荒々しく引き千切られて出来た穴から馬車の中を覗いてみると、そこには怪我をして怯えた様子の子供と女性が身を寄せ合っていた。
ティーミスはその2人を可哀想だとは思ったが、だからと言ってピスティナを責める気も無かった。
「…ピスティナちゃん。その…取り敢えず降ろしてあげて下さい。」
「が。」
ピスティナはティーミスに言われた通り、先程まで掴み上げていた国王を馬車の外に放り投げる。
国王は乱雑に地面に放り出されるが、幸いにも草地だった為そこまでの怪我は負わなかった。
「…あの…」
ティーミスには色々思う所があったが、今はピスティナに人体の扱い方を説いている時間も無い。
ティーミスは軽く息を吸って心を落ち着かせると、よろよろと体勢を立て直そうとしている国王の前に立ち、ピスティナに次の指示を出す。
「…そうですね…ではピスティナちゃん。取り敢えず、椅子を用意して頂けませんか?」
「がぅ。」
ピスティナはそれを聴くと、横転した馬車の前に降りる。
そのままピスティナは、素手で馬車の車体を掴み、強引に引っ張り始める。
金属製の馬車は、少なくともその場に居る人間全員にとって不快な音をたてながら、ピスティナの手によって解体されていく。
金属の外装が引き剥がされ、かつてこの馬車の窓として存在していたガラス片が飛び散り、“事故車両”はどんどん原型を失って行く。
ピスティナは最早ただのスクラップと化した馬車から、かつて座席だった上等なソファを二つ全て引っ張り出し、ティーミスと国王の方に投げる。
偶然かはたまたピスティナの意思か、椅子は地面に付いてから数度転がった後、会談に丁度良い距離で向かい合う様に置かれる。
ティーミスは、椅子の片方に腰掛ける。
「王様。どうぞ貴方も、おかけになって下さい。」
「………」
現在の状況とティーミスの放つ異様な覇気によって、国王にはティーミスの指示に従う以しか無かった。
「ごほ…」
国王は椅子に腰掛けるや否や、軽く吐血をする。
外見こそ大事そうでは無いものの、実際は肋骨が折れ肺に刺さる重傷を負っていた。
「……え?」
ティーミスは最初、この程度で重傷を負った国王に驚いてしまった。そして次に、その事で驚いた自分自身に驚いたのである。
横転した馬車の中から出てきたと言うのに、ティーミスは国王が無傷の物と無意識の内に錯覚してしまっていた。
ティーミスは余りにも、異常と超常の世界に身を浸し過ぎたのだ。
「…すみません…」
ティーミスは徐に、小指程の大きさの瓶に入った赤色のポーションを取り出し、国王の方に投げつける。
血色のポーションは国王の目の前で弾け、かつて瓶だった硝子片はすぐさま消失し、中の液体が国王の身体に飛び散る。
「咎人殿…何のおつもりです…か?」
ふと国王は気が付く。
身体中から、痛みと言う痛み全てが消え去っている。
折れた骨が肺を刺す痛みも、頭に負った生傷も、持病の右足の痛みも全て、綺麗さっぱり何処かへ行ってしまっていた。
ティーミスが今投げたのは【ロードハート・リボーンズエリクサー】と言う超高濃度の回復ポーション。
通常の人間がこのポーションを全てを飲み干そう物なら、過剰な再生に耐え切れずその肉体は瞬く間に崩壊してしまう。
負った傷を完全に回復させる程度ならば、飛沫を皮膚に触れされる程度で十分である。
「これは…一体…」
国王は自身の掌を見つめながら、狼狽した様子で呟く。
ほんの数刻の間、王は自身の傷が治った事すらも気付けていなかったのである。
それが浮世の人間にとって、どれ程摩訶不思議な体験か。
「…では改めまして。初めまして、王様。私の名前はティーミスって言います。みんなからは、咎人って呼ばれてます。」
ティーミスは国王に、すっかり小慣れた自己紹介を済ませる。
青空の下、怯えた様子の王妃と王子に見守られながらの外交が始まった。
「ああああ。」
ピスティナはすっかりと王子と王妃への興味を失っており、両手をパタパタと動かしながら飛んでいる蝶々を追い掛けていた。