騎虎
薄く藻を纏った天然の石壁。氷柱の様に地面に向けて伸びる尖った岩。地面には濁った水が溜まり、洞穴全体にはカビや埃の臭気が充満している。
下級洞穴型ダンジョン、【ゴブリンの巣穴】である。
「じめじめーじめじめー」
ティーミスは愛らしい独り言を呟きながら、ピチャピチャと言う足音をたてその洞窟を進んでいる。
その格好は、ミニスカートと胸に巻くベルト、それから細々とした装飾品のみである。
じめじめした場所で色々着込むと、布が水分を吸い重くなってしまうのである。
否、それは自身に対する後付けの言い訳で、実際はただ着替えるのが面倒だっただけである。
「-@¥#@-@…%@@;#/@?」
「※〒€€,€[£,〒,€.〒]£€‘々“・€」
不意にティーミスは、自身の知らない言語で何者かが囁く声を聞く。
次の瞬間だった。
“ガアアアアアアアア!”
天井から、武装したゴブリン達が雨あられの様にティーミスの元に降り注ぐ。
「…と。」
ティーミスは自身の真上から落下して来たゴブリンに右の拳でアッパーを繰り出す。
ゴブリンは、落下の時の数倍の速度で天井に叩き付けられ、木っ端微塵に粉砕された。
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【槍使いのゴブリン兵】を倒しました。
以下のアイテムを入手します。
・小さな槍
・皮のヘルメット
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グルル…
ガ…アア…
ティーミスを取り囲んでいるゴブリン達には、あからさまに動揺の色が伺える。
同胞が目の前で。たった一撃で跡形も無く消し飛んだのだ。
例え低俗モンスターの代表であるゴブリンと言えど、れっきとした知性と文明を持つ生物である。当然の反応だった。
“ガ!ウーハ!ヘリヘハ!イーラ!”
群れの中でも一際目立つ装備を纏っているゴブリンが、サーベルを掲げながら何かを叫ぶ。
次の瞬間、群れを包んでいた見えない何かが吹き飛ばされ、ゴブリン達は再び戦意を取り戻す。
「…気色悪いです…」
他の大多数の美少女と同じく、ティーミスもまた、ゴブリンに対して本能的な嫌悪感を抱く。
と同時に、ゴブリンの群れを前にティーミスの腹がコロコロと鳴る。
ティーミスは今、空腹だった。
「………」
先程の地下水路ダンジョンで出会った【ヘドロスライム】や【毒ネズミ】に比べれば、捕食対象としてはゴブリンはまだ喰える方である。
後はティーミスの精神の問題だ。
ゴブリンがその包囲網を狭めて行く。
後十数秒もすれば、ゴブリン達による一斉攻撃が始まるだろう。
ティーミスはギリギリまで迷った末、決断を下す。
ティーミスの右腕に赤黒色の半液が纏わり付き、肥大化し、顎腕を形成する。
幾らそれが醜い存在だとしても、噛み砕いてしまえばただの肉脂である。
普通の人間ならば、その大顎の化け物の様な姿になった腕に怯えるのだが、あいにく彼らはそこまで利口では無い。
顎腕は前方に見えるゴブリン達を、地面ごと抉り取り捕食する。
かつて地面だった土や岩やゴブリンの一部が、湿った瓦礫となって顎腕から零れ落ちる。
“キエエ!”
数体のゴブリンが、ティーミスの背後から飛び掛かって来る。
顎腕は武器として小回りが利かない為、ティーミスは左腕一本と両足で対処するしか無い。
否、それだけあれば充分だった。
パシリと音がする。
ティーミスの払った腕がゴブリンに直撃し、ゴブリン達は空中で砕け散る。
攻撃力と防御力の織りなす現象は時に美しく、時には物理法則すらも外れる。
“グルガアアアアアアアアア!!!”
顎腕が、黒色のタール状の液体を撒き散らしながら咆哮を挙げる。
この行為自体は技でも何でも無い。ただの周囲への威圧である。
“ギギ…ギャアアアア!”
残されたゴブリン達が、その威嚇に恐れ戦き一斉に敗走をする。
数体は壁などに開いた横穴などに身を潜めたが、大部分はダンジョンの奥へと走って行った。
「…簡単ですね。一本道のダンジョンって。」
ゴブリン達が命からがら全速力で駆け抜けて行った道を、ティーミスは至極ゆっくりとした足取りで歩んで行く。
初級ダンジョンは一様に、その構造は一本道か、限り無く一本道に近い。
道に迷う事も無く、ボスを探す手間も省け、初心冒険者でもサクサクと攻略出来る優しい間取りだ。
何と残酷なのだろう。
こうして一歩踏み出したら踏み出した分だけ、ダンジョン内のモンスターは確実に追い詰められて行く。
彼らには逃げ場など無く、最深部のボスに縋る他無いのである。
超級以上ならばまだしも、ティーミスの目から見ればダンジョン攻略など基本的にただの弱い者虐めである。
力があるからこそ哀れむ事が出来る。
それなのに、ティーミスはもう真っ当には生きられない。
ティーミスは独り、一本道の暗い洞穴を進み、やがて拓けた場所に到着する。
無数の松明によって明るく照らされた、岩壁に囲われたドーム状の巨大な空間である。
その空間にはいくつもの小さな藁の家が立ち並び、その空間の最奥には、絵の具の様な塗料によって乱雑に装飾された巨大な椅子の様な構造物がある。
“グギ!デーダ!ギギエアアア!”
玉座の上には、一際大きな体格を持ったゴブリンが鎮座している。
その風船の様に醜く肥大化した腹には、ティーミスも思わず顔をしかめる。
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充分なサンプルの取得、分析が完了しました。
これより自動翻訳を開始します。
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ティーミスの視界の隅にそんなウィンドウが出現する。
ゴブリンの王の次の言葉は、ティーミスにも届く。
“早く!奴を!引っ捕らえろ!お前ら!何してる!”
“し…しかし…”
「…………」
ティーミスは溜息を吐く。
人類の文明も、ゴブリンの文明も、結局は同じだと悟ったのである。
権力者が横暴を働き、民がそれに従い、最後は、
“ガアアアアアア!”
「………」
先程までのゴブリンの倍ほどの大きさの、棍棒を持った筋肉質な個体がティーミスに迫って行く。
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【近衛ゴブリン】
【キングゴブリン】の近衛兵です。
通常個体を遥かに上回る攻撃力と耐久力を兼ね備えています。
あなたよりも非常に格下のモンスターです。
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近衛ゴブリンは計4体向かってきている。
ティーミスは裏拳で2体の上半身を両手で同時に砕き、続く2体は殺傷性を持った手刀で真二つに切り裂く。
素の攻撃力さえあれば、ティーミスの柔らかで儚げな身体すらも凶器に変えた。
“な…”
「…降伏しますか。それとも、死にますか。」
“え…ええい!者共!老人でも女子供でも関係無い!全員出て来い!早く奴を仕留めるんだ!早く!”
ゴブリンの王は豚の様な声で空間全体に向かって号令を飛ばす。
「……?」
ティーミスは周囲をキョロキョロと見回すが、増援らしき者は見当たらない。
王の号令に、民は誰も応えなかった。
「降伏しますか?死にますか?」
ティーミスは玉座の下から、ゴブリンの王にもう一度問う。
“よ…余はやがてこの地上を収める魔王へと昇華する者ぞ!下等生物一匹、この余が直々に手を下してくれよう!”
ゴブリンの王は玉座の後ろから、玉座の物と同じペンキで装飾された木製の杖を引っ張り出す。
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【ライトウッドワンド】
練習用武器にも指定されている、下級の魔法杖です。
魔力+24
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一見すればただの玩具にも見えるが、実際人間から見れば玩具程の魔力しか宿っていないが、一応はれっきとしたマジックアイテムである。
“さあ!食われる前の家畜の様に、丸焼きになるが良い!【ファイアーボール】!”
ゴブリンの王の持つ杖の先から、拳大の火の玉が放たれる。
火の玉はティーミスは左目の辺りに直撃するが、ティーミスは左目を閉じる以上の防御手段はとらなかった。
雀の涙程の魔力から繰り出されるのは、ティーミスにはカイロ以下の熱量しか感じられない【ファイアーボール】。
“…何だと…”
ゴブリンの王は火球を飛ばし続けるが、ティーミスの目が熱の為に一時的に閉じる以上の事は何も起こらなかった。
“ぐ…えええい!平民どもよ!早く余を運ぶのじゃ!余を安全な場所に運び、その上で此奴を!”
ティーミスの背後に小柄なゴブリンが一匹現れる。
ゴブリンは震える手で棍棒を握っており、その棍棒は王に向かって構えられている。
“貴様!何のつもりだ!この余に武器を向けるとは!えええい!何たる不敬!”
ゴブリンの王は、その小さなゴブリンに魔法杖を向ける。
ティーミスにとって、王の【ファイアーボール】はそよ風程度でしか無いが、このゴブリンでは訳が違う。
ティーミスは背後に居るゴブリンから棍棒を奪い取ると、その棍棒を王に向けて叩き付ける様に投げる。
棍棒と王は砕け散る。
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ダンジョンをクリアしました。
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ティーミスは少し目を細め、周囲の様子を伺う。
案の定、玉座の裏に帰還用の転送魔法陣が出現していた。
下級でも上級でも、それがダンジョンである事に変わりは無い。
ティーミスがこのダンジョンを出た瞬間、この集落はものの数分で少なくともこの世界からは消え去ってしまうだろう。
“あ…あの…”
「にゃ?」
ティーミスが、声を掛けてきたゴブリンの方を振り返る。
次の瞬間、ティーミスはその光景を見た。
集落のゴブリン達が皆、ティーミスに平伏している。
“貴女様こそが新たな統治者!我々の新たな女王です!”
「………」
ティーミスはゴブリン達にぷいと背を向けると、帰還用の魔法陣に向けて歩み始める。
“ま…待って下さい!貴女は憎き暴王を倒しました!つまり貴女が最強!つまり、貴女がこの集落を治める者です!”
「すみませんが、私は此処に残りません。」
“何故ですか!我々には貴女が…”
ティーミスは少し考え、やがて一つの回答を捻り出す。
「私は神様ですので。」
“……!”
神は絶対的な力を持っているが、統治者では無く信仰対象である。
信仰対象は玉座に座って民に命令する事は無いが、忘れられる事も無い。
「…私の名前はティーミスって言います。」
ティーミスはアイテムボックスから魂奪の剣を一本取り出し、玉座を貫く様に地面に突き刺す。
ふとティーミスは無意識の内に、現在、そして未来の自分を納得させる行動動機を思い付く。
「私は、何かを変える神様です。」
これにて第3章、騎虎は終了となります。今回は少し静かな終わり方にしてみました。
次回より第4章、絢爛をお送りしします。
次回より少し投稿ペースが落ちますが、賞ごとのブランクは設けない予定です。
御意見、御感想等あれば、お気軽に、是非是非お寄せ頂けると幸いです( ´ω`)




