帰省本能
「ん?あー今日はもう君の指名は無いから、休んでいいよ。メレニー。」
「そう…ですか…」
娯楽と欲望と夢の国、アスマディスマにある、世界最大の娼館トハ。
ここには世界中から売り払われてきた娘達や、一晩の夢を求める世界中の大富豪達が集まる場所であった。
そこで働く一人の娼婦メレニー・アインは、幼い頃両親に売り払われてからというもの、このトハが我が家であり、職場であり、人生そのものであった。
メレニーはこのトハの中でもかなり高級な部類の娼婦で、その美貌によって数々の富豪達を虜にしてきた。
カーストで言えば、最上位の数人の中の一人と言った具合だろう。
そう、彼女が現れるまでは。
「それじゃあ、今晩もたんと頼むよ。リッテ。」
「…ハイ…ガン…バリマス…」
クリーム色の長髪、若干灰色がかった肌。淫らな桃色の瞳。豊満な肉体の割にはあどけない顔立ち。背より生える、一対の赤い小さな翼。二本の白い小さなツノ。先が矢印の様に尖った、長く艶やかな尻尾
突如トハに現れ、メレニーの上位、最高位に君臨したのは、ハーフサキュバスのリッテだ。
ほとんどの娼婦が元奴隷だったり売られ子だったりするのに対し、リッテは自ら働き口としてこのトハを選び、毎晩巨万の富をトハに齎らし続けていた。
メレニー自体の立場は今までと変わらない。ただ更なる高級品が現れたというだけで、富豪達の注目がリッテに向くのは必然だった。
「今日はお忍びで某国の国王がいらっしゃって、君に会いたいと言っている。だから…」
「スミ…マセン…ニンゲンゴ…ムカシクテ…ソノ…」
「ああ済まない。…その、偉い、人だから、頑張ってね。」
「ハイ…!」
リッテの後ろ姿、歩くたびにゆらりゆらりと揺れる尻尾を、メレニーはただ見ていることしか出来なかった。
「…っち…!」
トハを後にしたメレニーは、まだ夜も深い空の下をとぼとぼと歩いて行く。
毛先の一片まで男を誑かす為に生まれたサキュバス。その血を持つリッテと、純血の人間ではそもそもの構造が違う。最初から別物として捉えるべきと、心では思っていた。
「…ただいま。」
庭を埋め尽くす花々に、メレニーは挨拶をする。メレニーは、趣味で花屋を始めていた。
と言っても、花を店先に飾り代金は有志という本当に簡素なものだが。
「…良いね…貴方達は…昼でも夜でも、花さえ咲けば沢山のお相手が出来るんだもの…」
うわごとの様に呟くメレニーは、そのままベッドで目を閉じる。
「…私も、貴方達の様になりたい…」
メレニーは、ベッドの隅に飾られている二輪の白い花に向けてそう呟いた、
そう遠く無いうちに、この世界が終幕を迎えるとも知らずに。
〜〜〜
「……」
白い灰に囲まれて、ティーミスは手に持っている紫色の命の炎を見下ろしていた。
あれ程憎いと思っていたのに、あれ程この瞬間を渇望していたのに、いざ観てしまえば、理解してしまえば、湧いてくるのは同情の念。
どんなに悪を求めても、結局ティーミスは心の優しいいたいけな少女。
ティーミスを理解してもなお変わらぬ冷たい刃を向けてきた聖騎士とは、そもそもの意志の強さが違う。
(…間違い…ありませんね…)
と同時に、ティーミスは確信を得ていた。
今見た光景と、ジッドの言葉を反芻し、繋ぎ止め分析すると見えてきたもの。
(このダンジョンは、大罪人とやらによって滅ぼされた後の世界。モンスターは、その世界にかつて生きていた人や物達。といったところでしょうか。
…滅ぼされた世界そのものなのか、はたまたそれを模倣して作られた空間なのかは定かではありませんが、いずれにしても、此処はその世界の姿で間違い無いでしょう。)
だとすれば、いつかティーミスは、世界を滅ぼした大罪人の、ティーミスに宿る力の主人達の記憶と触れ合う日が来るだろうか。
大罪人の記憶に触れ、意思に触れ、見たものを見て、聞いたものを聞いて、感じたものを感じ、何を思い世界を破壊したかを知る日が来るだろうか。
ティーミスは、来るとも知れないその日が来るまでは、一片くらいは綺麗な心を残しておこうと思った。
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ダンジョンクリアおめでとうございます!
まもなく、あなたは元の地点に転送されます。
攻略お疲れ様でした。
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ティーミスは視界が光に沈む瞬間、劇場を貫く巨大なキノコが、ボフリと噴煙の様に胞子を放出するのを見る。
◇◇◇
「…う…」
すっかり冷えた焼け野原の上、ティーミスは大胆に大の字に寝転がっている。
ティーミスの関節や筋肉が、ギシギシと危険信号を鳴らしている。
体力は回復したとは言え、ティーミスは今まで、8人の格上の騎士団を退け、3人の絶対的強者を撒き、ダンジョンクリアまでを、ほぼノンストップでこなしていた。
既にティーミスは、11才の少女は愚か、鍛え上げられた戦士ですらの許容量も超えた大労働をこなしていた。
ティーミスは今、今後の発育が心配になる程の疲労を抱えている。
(…動きたく無いです…1ミリも…)
今は朝。
気が付けばティーミスは、ダンジョンの中で半日をを過ごしていた。
もし今あの聖騎士に見つかっても、ティーミスは躊躇うことなく運命を受け入れ…はしないだろう。
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40912EXPを獲得しました。
おめでとうございます、LVが31→36に上がりました。
スキルポイントを10獲得しました。
アスモデウスの小箱を獲得しました。
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「…ただいまって、言える場所…」
ティーミスの愛した我が家は、当然ながらもう無い。それくらいの事ティーミスも承知しているはずだった。なのに。
「…おうちに…帰りたいです…」
ティーミスの目から涙が零れ落ち、黒く焼けた大地に染み込んでいく。
ティーミスは見事にホームシックになった。
「…おうち…」
『…奪い返せ…』
ティーミスは、自らの衝動の声に耳を傾ける。
『…奪え…奪い返せ…お前は何もかもを不当に奪われた。不当に奪い返して何が悪い…!
奪え奪え奪い尽くせ!家も家族も財も権力も何もかも!』
「…ぐす…うん…取り戻す…」
ティーミスは、いまだ疲労の抜けない体で立ち上がる。
「…私の帰る場所…アトゥを…取り戻します!」
ティーミスはスキルボードを開く。
スキルポイントは44ある。
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『怠惰相』×『傲慢相』
アクティブスキル
・《怠惰な支配者の手》習得コスト・12
あなたの所有するアイテムであれば、手を触れることなく自由自在に操作することが出来ます。
投げた武器の回収などに使用することが出来ます。
『強欲相』
パッシブスキル
・《売約済み》・習得コスト・4
あなたに攻撃を加えられた相手に、デバフ【商談】が一定確率で付与されます。
【商談】が10重なった対象は【売約済み】状態となり、【売約済み】状態の敵が倒れされるとあなたは自動的に【奪取した命】と2スキルポイントを獲得できます。
『傲慢相』
アクティブスキル
・《兵舎》・習得コスト・2
あなたが《招集》によって呼び出した兵士を収納しておくことが出来ます。
兵士を呼び出す際に支払われる徴兵力をサイズとし、兵舎の中の兵士の合計サイズが、貴方の徴兵力の最大数を上回る場合、兵士は収納できません。
『色欲相』
アクティブスキル
・《女王の命令》・20
【隷属】状態の対象を、一時的にあなたの味方として使用できます。
あなたの魅力が高ければ高いほど、操作できる時間も長くなっていきます。
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ティーミスは気になっていたスキルをあらかた取り終えると、6ポイントを残しスキルボードを閉じる。
その後ティーミスはふと思い出し、アイテムボックスからサタンの小箱を取り出し開封する。
「…これは…ポーションですか?」
金色の装飾蓋で閉じられた、ティーミスが両手で抱えるサイズの、フラスコに入った血の様に真っ赤なポーション。
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【スキルポーション】
このポーションを使用することで、スキルセット《ガマス監獄式格闘術》が習得できます。
一対一から一対大多数までの幅広いシチュエーションに対応した格闘術で、『怒り』との互換性もあります。
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「…これを飲み干せと…」
大人であれば平気だろうが、ティーミスはいかんせん11歳の小柄な少女だ。
少しためらったが、ティーミスは思い切ってそのポーションの封を開ける。
ポーション特有の鼻の奥をツンツンと触るケミカルな刺激臭がするが、ティーミスは勇気を振り絞り、その大きなポーションのラッパ飲みを始めた。
「…ぐぷ…ごく…げえ……おいしくないです…」
8分の1も飲み切る前に、ティーミスは中断してしまう。
通常のポーションならば、飲みやすいように香草などで香りと味を付けているが、このポーションはそれらしい加工が一切施されていない。
(…薬草の苦みをアルコールに溶かした液体をそのまま飲んでいる気分です…)
ティーミスは覚悟を決めて、座り込みそのポーションを抱え込むように再び飲み始める。
「うぐ…ごくごく…おげ…ぐぷ…ごくごくごく…」
時々戻しつつも、ティーミスはその両手で抱えるサイズの大ポーションを最後まで飲み干す。
「ぐぷ…最後の方、沈殿してたのか何か知りませんがすごく苦かったですね…げぷ…」
苦行とも言えるポーションの使用が終わったティーミスは、獣戦士によって守られた僅かな林の中に消えていく。
少女一人が少しの間雨風をしのぐには十分な大きさだった。
何かと独り言の多いティーミスちゃん。
独り言が多い性格の傾向として、寂しがりやと言う物があるそうです。