先行
コロシアム。
今やギスルとティーミスの為の巨大ゲームボードとなった場所にて。
「ギズル、教えてくれ…一体何が起こってるんだ…」
「兄貴。咎人と言う存在を知っているか?」
「咎人…?確か、新しいレイドモンスターの名前だよな。それがどうして…」
「此処は、そいつの動きを鈍らせる為に我が用意した場所だ。」
ギズルはそう言うと、紅色の光が降臨した戦場を見下ろす。
戦場を覆っていた土埃は次第に晴れ始め、やがてギスルの位置からでも様子を目視出来る状態になる。
「…何…?」
戦場の中心にベッコリと空いたクレーターの中心には、二本の角を持つ奇妙な様相の獣と、それに跨る一人の女性が居る。
ナンディンと、ナンディンを駆るピスティナである。
「…閣下…?」
「ピスティナ先生…!?一体これはどう言う事だ…」
「ピスティナ!あんた生きてたんだね!やっぱあんたが死ぬ訳無いんだよ!」
「…ピスティナ閣下…まずい!あれは咎人の眷属だ!」
土埃は晴れたが、ピスティナを知る様々な人物によって現場に混乱が齎される。
「奴め…早速先手を打ってきたか…」
ギズルは目まぐるしく変化していく下界の様子を観察しながら、忌々しそうに呟く。
(成る程…ピスティナを戦力としてだけでは無く、生前のピスティナの立場や人脈をそのまま戦場の撹乱に使うとは…やはり奴にも、何かを考えられる程度の脳はあるらしい。)
否、実際はただの偶然である。
ピスティナが開幕の特攻要員に選ばれたのは、ティーミスがたまたま、ナンディンに跨る姿が一番しっくり来るのがピスティナだと判断したからである。
今回はその判断がたまたま、ピスティナの特質を引き出すに至ったのだ。人目に付く場所に存在するだけで現場を撹乱させると言う、ピスティナの特質を。
「陛下!陛下!大変です!」
慌てた様子の従者が一人、ギスルとドナファロスの元に駆け込んで来る。
「どうした。」
ギズルは冷静な声色で、従者にそう問い掛ける。
「コロシアムが、ギルティナイトの軍勢に包囲されました!」
「…そうか。報告、感謝する。」
ギズルは相変わらず落ち着いた声で、従者に労いの言葉を掛ける。
今のギスルは、本当に冷静だったのだ。
戦場の包囲など、戦法としては基本中の基本。
先程のピスティナの登場とは違い、この程度ならば既にギズルは想定済みである。
「……!」
不意にギスルは、否、その場に居た全員が、同時に背後に悪寒を感じる。
ギズルは自身の胸をトントンと軽く叩くと、禍々しい気配のする方へと振り返る。
いつの間にやら実況席と廊下を隔てる壁が消え去っており、その向こうにはティーミスが壁を背に佇んでいる。
「クソ…何者かは知らないが、陛下には指一本…」
ティーミスの瞳が淫乱な桃色に輝くと、完成席に居た全ての人物が、一瞬にして自我を失い、暫しの間二足で立つ肉塊となる。
否、全員では無かった。
「御機嫌よう。ティーミス。」
「…………」
魅了耐性の首飾りを身につけているギズルだけは、隷属では無くギズルのままでいた。
「どうかね。我の用意した舞台は気に入ってくれたかな?」
「……!」
ティーミスは力任せに黒炎の大剣をギズルに向かって横に振るうが、ギズルの身につけているピアスが青く輝き、ギズルと大剣の間に水の障壁を展開する、
いくら黒炎と言えど、流石に反対属性で阻まれては歯が立たない。
「そう慌てるな。我は今回、貴女と話をしたいのだ。」
「…話…ですか…?貴方が…どうして私と…」
「分かっているさ。貴女は我等を心の奥底から恨み、我が偉大なるケーリレンデ帝国を、愚かにも灰塵に還そうなどと考えている。」
「…無理だとでも言うんですか…?」
「さあな。しかし少なくとも今現在は、帝国は無傷だ。」
ギズルは軽い嘘を付いた。
帝国は決して無傷などでは無い。
ジョックドゥームの吹雪により帝国の属国には深刻な食料問題が発生し、僅かではあるが帝国はティーミスによってその規模を削がれている。
「そしてもう一つ言える事があるとすれば、このままでは貴女はいずれ御命を落とされる可能性が高い。確かに貴女の地頭は良いとされているが、“貴女の”アトゥは我々が滅ぼした為、貴女は充分な教育を受けていない。」
「…何なんですか…貴方…私を馬鹿にしたいだけですか…?」
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特殊な条件で、怒りが蓄積されました。
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「ああそうだ。こんな話は知っていますかね。長い間拷問を受け続けると、人間の脳は萎縮し、様々な障害を患ってしまうらしいですよ。そうやって情緒が不安定な所を見るに、貴女もきっとそうなのでしょう。」
「…私がおかしい事くらい…そんなの分かってますよ…もう…いい加減にして下さい!」
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特殊な条件で、怒りが蓄積されました。
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ギズルはわざと、自分の事を怒らせている。
内心ティーミスも、そんな事は理解していた。
それでも、怒りと衝動が抑えられなかった。
ティーミスの拳に黒紅色の稲光が纏わり付く。
ティーミスはギズルの方を向くが、ギズルは不自然な程身動ぎ一つしない。
冷静にその様子をみれば何か裏がある事くらい誰でも分かったが、今のティーミスは冷静では無かった。
「どうした?掛かって来ないのですか?我が憎くないと?…貴様の母親を、ゴミと一緒に海に捨てた我が、憎くないのか!?」
「うわあああああああ!!!」
ティーミスの“怒り”の宿った拳が、真っ直ぐとギズルの方に繰り出される。
不意に、ガラス同士がぶつかった様な、高くどこか心地良い音が鳴り響く。
「……が……」
ギズルの目の前には、魔法陣の浮かび上がった一枚の氷の盾が浮遊している。
ギスルの目線の先には、自身の技の威力弾き飛ばされ、瀕死の重傷を負ったティーミスが床で悶えている。
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《ミラーアイスカウンター》により、あなたは直前に繰り出した技の理論値ダメージの80%と、以下のデバフを付与されました。
【HP除く全能力値−95%】
【氷耐性減少・特大】あなたは氷属性が弱点となります。
【低体温症】移動に関する様々な制限が設けられます。
【凍傷】一定時間毎に、あなたは氷属性ダメージを受けます。
【封せし氷】一時的に、あなたのパッシブスキル(装備スキル含む)は無効化されます。
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「…あ…貴方…御強いんですね…」
「この技は相手の攻撃を反射し、更に反射した技の威力に応じて相手に状態異常を与えると言う物だ。もしそう感じたなら、強いのは貴女の方だ。」
ギズルは指先で氷の槍を形成しながら、ティーミスの方へとにじり寄って来る。
ティーミスは気温に似合わぬ白い息を吐きながら、ギズルをじっと睨む。
「…ただ、貴女には素晴らしく便利な自己蘇生能力があると聞いた。もしそれが貴女のパッシブスキルならば、今此処で貴女を殺せば良い話だ。だがもしそうで無いのなら、死ぬのは我々の方だ。」
ギズルは、ティーミスの肘や膝と言った関節部分に、小ぶりな氷の槍を突き刺して行く。
「あう…うああ…」
ティーミスの傷口からは猛毒の血が出るが瞬く間に凍り付き、流れ出る事は無かった。
「ティーミス殿。此処は一つ、ゲームをしようじゃ無いか。せっかく対局盤が用意されている事だし。」
「…げーむ…?…ゲホゲホ…」
「貴女が勝てば、我から一つ、贈り物を差出そう。」
ギズルは懐から、数枚の書類が一冊に纏められた物を取り出す。
「アトゥルルイエ奪還計画に関わった全ての人物の名簿だ。安心したまえ。人物だから人外の名前は載っていない、なんて引っ掛けは無いからして。…ああそうだ。此処にいる第二王子の首もおまけしておこう。」
「……!」
「そして我が勝てば。」
ギズルは今度は、ポケットから一つの宝石を取り出す。
草のモチーフが描かれた、掌サイズの金色の丸い台座にはめ込まれた、水色の丸い宝石だ。
「貴女の復讐は此処で終わる。これは“永劫封の眼”と言って、どんな強力な存在でも、それが例え山ほどの大きさの怪物だったとしても、たちまちこの宝石の中に閉じ込め、名前の通り未来永劫封じ込めてしまうと言う物だ。」
ギズルはティーミスの耳元まで顔を近付け、囁く様に脅迫する。
「噂によると、このアーティファクトに封印された者は、死ぬ事も許されず永久の苦痛を与え続けられるそうだ。…これに貴女を封印したあかつきには、これは海にでも沈めてしまおうか。貴女の母と同じ場所にな。」
「…では…とっとと私を…封印すれば良いでは無いですか…」
「普通はそうするのだが、いかんせん貴女の境遇は我々帝国に責任がある。せめてもの同情とでも受け取っておいてくれ。」
「………」
ティーミスは、若干霜の掛かる瞼を僅かに下げる。
「…随分と…性格の悪い方なんですね…分かりました…受けますよ…」
「良かろう。ならば一つ、参加条件を満たして貰おうか。」
「…まだ…言いなりになれと…」
「そうだな…まず一つ。ジョックドゥームの吹雪を停止せよ。そしてもう一つ。観客共には危害を加えるな。良いな。」
「………」
ティーミスが返事を返す前に、ギズルはティーミスを地面から生やした氷の腕で掴み上げる。
「!?」
氷の腕は、ティーミスをそのままコロシアムの戦場に放り投げる
「…あれが本当に、あの日檻の隅で死にかけてた子供とは…」
どうやら瀕死のティーミスですら、ギズルの膝を痙攣させるには充分な気迫を放っていた様だ。
ギズルはふと、自身の持っていた宝石細工に目をやる。
「…永劫封印の瞳…か。本当にあれば良いのにな。」
このアーティファクトの正しい名前は、【氷竜の宝玉】。
所有者の氷魔法の威力を底上げする、非常に希少な装飾品である。
当然、封印とは何の関係も無い。