教弟
剣闘大会が開かれるコロシアムへと向かう、贅の限りを尽くされた馬車の中。
上等なクッションの設えられたふかふかの座席の上で、二人の厚着の人物が話し込んでいた。
「…宜しいのですか陛下、もし陛下の計画通りに事が進めば、あのコロシアムは…」
「外を見てみろ。」
ギズルに命じられ、側近はカーテンをずらし外を覗く。
馬車の外は、降りしきる雪により一面の銀世界と化していた。
「次期皇帝の事しか考えていない今の帝国では、奴と真っ向から向き合うのは不可能だ。がしかし、時間を掛け過ぎればこの雪によって人類の文明が危うくなる。…今我々に必要なのは時間。これは、その時間を稼ぐ為の計画だ。」
「しかし、幾ら何でも危険過ぎます!どれだけ優秀な護衛が居ようとも、相手はあの化け物ですよ!」
「ああ、そうだ。奴を止めるのは、帝国側もそれなりに本気を出さなければいけないだろう。」
「では尚更…」
「…視野を広く持て、ヴルト。我が後先の考えも無しにこんな事をすると思うか?」
「…?」
と、ギズルの側近ヴルトは、ギズルが首から掛けている見慣れない桃色のブローチに気が付く。
普段のギズルは、こんな物は身に付けていない。
ヴルトの視線の動きを察知し、ギズルは説明を始める。
「これは、装備者とその周囲の人間に魅了への耐性を付与する、【サキュバス狩り人のブローチ】。懐には国庫を切り崩し手に入れたリコールストーン。解毒のポーション。奴の大剣に対抗する為、護衛は全て水属性。後続の馬車には転移魔法術師の一団。考えうる限りの全てのリスクへの対策は打ってある。」
「…大変申し訳御座いませんでした。陛下。無知な私めは、実に愚かで不敬な態度を…」
「今回の事は君にとっての、有意義な経験となった事を願うよ。」
と、馬車の先導が声高らかに、馬車に向かって報告する。
「陛下!そろそろコロシアムに到着します!」
ギズルはそれを聴くと、膝の上に敷いてあった外套を羽織り出発の準備をする。
「ヴルトよ。君はこの馬車に乗ったまま大会事務局へと向かい、何かしらの不備や問題が無いかの点検を行ってくれ。」
「…?陛下?この馬車は事務局まで止まりませんが…」
「今の我々の抱える最大の問題点は、ゆっくりして居られる時間が無いと言う事だ。ゆめゆめ忘れるな。」
そう言うとギズルはドアを開け、移動中の馬車からそのままコロシアムの周囲に設営されたテント街に降り立つ。
「のあ!?へ…陛下!?」
「騎手よ。君の役目は、少しでも早く我の部下を事務局に送り届ける事だ。良いな。」
「は…はぁ…」
馬車の進行速度は決して速くは無く、馬車の構造からも、その気になれば途中下車など容易である。
まさか皇族がそれをするとは、誰も思って居なかっただけである。
「…いつでも此処に来てみろ、ティーミス。お前の為のステージを用意してやったぞ。」
ギズルは続々と開業準備を進めるテント街を、コロシアムの西側を目指し歩く。
元々何も無い平地だったこの場所に、土魔法によってこの堅岩のコロシアムは生まれた。
故にこのコロシアムの建造物としての作りは、実に簡単な物だ。
中心に巨大円形闘技場、その外周にはひな壇式の観客席、さらにその外周には何層にも折り重なった屋根付きの廊下、そして後は実況席や王族席等のいくつかの物が外付けされている。
ギズルの動員する事の出来る最大人数である、総勢400名の土魔術師と増幅魔術師によって作られた、過去最大規模のコロシアムである。
ギズルの計画の副産物とは言え、この場所で戦う事はその戦士の人生にとって最高の栄誉となるであろう。
ギズルの計画はこうである。
剣闘大会自体は元々今年の何処かで開かれる予定だったが、ギズルはまずそれを数ヶ月前倒しして開催させた。
そして次に、優勝報酬を過去で一番の物にし、出場者を占める帝国騎士の割合も増やし、外部からも出来る限りの強者をコロシアムに集めた。
そうしてギズルは、まず一時的に世界で一番安全な場所を用意したのだ。
そして次に、ギズルは報道操作をした。
ギズルはレイドクランのコネを使い、冒険者協会から発行される新聞記事を直々に監修したのだ。
本来ならば新聞には場所と日時だけを掲載するのだが、今回は目玉出場者の紹介と称し、ギズルの指定した帝国騎士の名前と顔写真を掲載したのだ。
このギズルによって指定された帝国騎士こそ、かのアトゥ攻略戦の参加者達である。
これで、ティーミスをこのギズルにとって世界で一番安全なコロシアムまで誘き出すのだ。
(…あまり我を舐めるなよ…ティーミス…お前がどれだけ強大な力を持っていようと、知略の前では無力と言う事を教えてやろう。)
もしもティーミスが来れば、ギズルの計画は第2段階に進む。
もしもティーミスが来なければ、現状のティーミスは情報収集能力に乏しいと言う事が分かる。
今回の計画は、どう転んでもギズルの利となる様にしか出来ていないのである。
否、ギズルの想定範囲内で起こりうる範囲ではの話である。
「…来たか。」
ギズルの目は、平原の彼方から此方へと向かって来る一台の馬車を捉える。自分の乗ってきた馬車の数倍は豪勢な作りのそれに、ギスルは多少の苛立ちを覚える。
ギズルは、その馬車を迎えようとしている使用人達の一団を見つけ、自らもその中に混じる。
「ん…?ぎ…ギズル陛下!?」
「どうした。何かやましい事でもあるのか?」
「いえまさかそんな事は御座いませんが、此処は屋外で冷風も吹いています。万が一陛下がお風邪を引かれては…」
ギズルは、そう話す使用人の一人に手を翳す。
ギズルの手からは一瞬だけ吹雪が放たれ、その使用人の衣服や毛を凍てつかせる。
「ひぃ!?」
「我がこの程度の低温で病を患うと。お前はそう言いたいのか。」
「いいいえ!めめめめっそうもごごごございません!」
使用人は寒さでガタガタと震えながら、必死でギズルに弁明する。
「…久々に、実の兄に会えるのだ、コロシアムの中で待っているなど出来ないさ。それより、君の方こそ早くあったまると良い。そのままでは凍死するぞ。」
「が…あ…え…ででででは、おおおお言葉に甘え…」
震える使用人は他の数人の使用人に連れられて、熱魔法によって温められたコロシアムの中へと消えていく。
その様子をギズルは、少し得意げになって眺める。
馬車の音はまだ遠いが、その前にギズルは兄の出迎えの為に身構える。
ギズルはその背後に、鋭い殺気を感じる。
「ギズルううううう!!!」
けたたましい怒号と共に、長剣を構えた青年がギズルに向かって飛び掛かってくる。
「ひぃ!?」
「な…何事だ!」
残った使用人達はパニックになるが、当のギズルは冷静だった。
「はは。懐かしいな。」
ギズルは自身の目の前に、大きな丸い氷の盾を出現させる。
青年の剣はギズルの氷の盾に阻まれるが、不意にその剣が放電し氷の盾を打ち砕く。
「ほぉ。」
ギスルは感嘆を漏らす。
かつて盾だった氷の破片は不意に浮力を持ち、無数の氷の刃となって体勢を崩している青年を襲撃する。
「はああああ!」
青年は懐からもう一本の剣を出し、双剣術によって氷の破片を全て迎撃する。
「チェックメイトだ。」
「何!?」
ふと青年は、自身の背後に巨大な氷の槍が控えているのに気が付く。
青年はその氷の槍も破壊しようと後ろを向く。
自身に背を向いた青年の背中に、ギズルは小さな氷のナイフをぶつける。
「…な…」
「目の前の脅威へ対処しようとする姿勢は確かに間違っていない。が、だからと言ってそれ以外の事に関して盲目になってしまっては意味が無い。…と、何度も教えている筈なんだがな…」
青年は、気まずそうにギスルの方を向く。
ギズルは先程とは一転し、にこやかな笑顔を以って青年を出迎える。
「久し振りだな。兄貴。」
この無鉄砲な冒険者の様な青年こそ、かのケーリレンデ帝国第二皇子、ドナファロス・ケーリレンデである。
タイトルの読み方は、教弟です。