運命と変化
ジョックドゥーム雪原地帯、中心付近より若干南。
雪原の真ん中に、少女が一人佇んでいる。
鈍い艶のある銀色の長いツインテール。同じく水銀の様な色の、どこか無感情に見開かれた瞳。背中から伸びるのは純白の二枚の翼。精巧な装飾の施された天界の甲冑を身に纏い、その手には大きな槍を持っている。
神の国からの使者、天使である。
「こちらタローエル。X-8ポイントに敵影やその他特筆すべき事象は無し。」
『了解。全地点からの報告が完了するまで、その場で待機。』
「命令受諾。」
天界との通信を終え、タローエルは雪の上に座り込む。
雪が静かに降りしきっている。
タローエルのその甲冑は腹、脇、太腿が露出する構造の上、超低温対策も何もとっていない。
人間目線では、ジョックドゥーム寒冷地でのそんな格好は自殺行為である。
天使には、そう言った過酷な環境への耐性があるのだ。
(…寒い…)
ただ、完璧に平気と言う訳では無い。
無限に蘇る地獄の亡者と、神によって量産される天界の兵士達の戦いは泥沼化の一途を辿り、均衡状態にあった戦局は、天使の劣勢へと変わって行った。
亡者は受けた呪いによって蘇るのに対し、天使は魔力と資材によって生み出される。
この状態が続けば、いずれ天界は敗北する。
よって何かしらの打開策が挙がるまでの間、天界は地上の何処かに駐屯所を設置し、そこにいざという時の為の兵力を隠して置く事にした。
そして、人やその他の脅威が寄り付かず、かつ魔力が豊富に確保出来るこのジョックドゥーム雪原が、駐屯所の場所として選ばれたのだ。
(皮肉な話だね…あの特異存在のせいで戦争が起こっているって言うのに、その特異存在が作った土地に救われるなんてね…)
ティーミスの出現以来、天界は地上で起こる事の制御を失った。
もうこの世界の誰も、未来の事が分からなくなっていた。
『全地点からの報告を確認。これより聖域生成を開始する。各自、マーカーを起動せよ。』
タローエルに次の指示が届いたのは、タローエルの体の四分の一が雪に埋もれた頃だった。
「命令受託。」
タローエルは立ち上がり、付近に置いてあった槍を、自身の目の前の地面に突き刺す。
地面に突き刺された槍からは、天に向けて一直線に光柱が伸びる。
光柱からの伸びた光柱は、この一本だけでは無かった。
巨大な円形を描く様に、一定の間隔を空けて何本も光柱が出現している。
「《聖域展開》。」
タローエルがそう呟くと、今度は槍の側方から、隣り合った次の地点の槍まで光柱が伸びる。
光線によって地上には巨大なサークルが出現し、サークルはやがて巨大な魔法陣へと変わる。
外界からその存在を隠すと共に、魔法陣内部を天使達にとっての最適な環境に変えると言う物である。
「…ふぅ。」
その身に宿る全ての魔力を使い果たしたタローエルは、今や突き刺さったまま地面に固定された自身の槍に寄りかかり、そのまま座り込む。
これで、タローエルのその生涯に課せられた任務は全て達成した。
後はただ此処で見張りでもしながら、ゆっくりと朽ち果てるのみである。
タローエルの存在価値はもう、使い果たされたのだ。
「…運命…か。」
下級天使など、所詮は使い捨ての運命だ。
定められた運命に従い、最後は後を濁さず消えて行く。
それが、使い捨てとしての美学であった。
タローエルの意識は、微睡みよりも早く薄れて行く。
天使は魔法生物故に、本来の器官だけでは生命維持が出来無いのだ。
「…認めない。そんな運命。」
咎人と呼ばれる人間に関わった者は、運命が捻じ曲がるらしい。
それが運命の仕様なのか、はたまた咎人の能力なのかは分からないが。
そんな噂が、ある日から天界に広がっていたのだ。
「どうせ死ぬくらいなら…堕ちてやる…」
タローエルは震える手で、付近に積もっていた雪を掬い口まで運ぶ。
僅かに魔力の宿る雪を食み、自らの静かに消えゆく命を繋ぎ止める。
ティーミスに、運命を捻じ曲げる能力は無い。
誰かが勝手に被害を被り、誰かが勝手に利用して、誰かの運命が勝手に書き換えられるだけだ。
「…はぁ…はぁ…」
雪を掻き集め、貪り喰い、雪の中の微弱な魔力を体内に蓄積させて行く。
タローエルは身体を内外から冷やされ身震いするが、雪の摂食は止めなかった。
次第に、タローエルの身体は変化を始める。
堕天である。
燻んだ銀色だった髪と瞳は、微かに水色掛かった白色に変わる。
純白だった羽根は、透明な薄白色の水晶質の物に変質する。
タローエルはこれより、ブリザードエンジェルとなった。
「…堕ちた…」
もうあの異様な倦怠感も、身体中に抱えていた違和感も無い。
タローエルは天界のコントロールを外れ、完全に独立した生命体と化したのだ。
通常ならば聖属性の天使は闇属性の堕天使と化すが、ごく稀に周囲の環境によって変異を起こす事があるのだ。
ブリザードエンジェル、フレイムエンジェル、ウィンドウエンジェル。名前は違えど、純性の天使で無ければ全て堕天使である。
「…成る程。」
タローエルは、咎人についての新たな解釈を得る。
咎人は運命を捻じ曲げるのでは無く、関わった存在を定められた運命から脱線させるのである。
タローエルは、そう解釈した。
実際はどうかは、分からないが。
「じゃあね、天界。もし私の魂が辿り着いたら、また使い捨てにでもしてね。」
天界がその機能を大きく落とした今、死した魂は無軌道に様々な道を辿る。
輪廻に従い生まれ変わる物、霊魂として現世に留まってしまうもの、天界か地獄に辿り着くもの、様々である。
他の天使に気付かれる前に、タローエルはその水晶の羽を羽ばたかせる。
タローエルに吹雪が纏わり付き、その身体を浮き上がらせる。
氷の翼は天使の翼よりは飛行性能面で大きく劣るが、その分魔力制御に長けているのだ。
「…行こう。無軌道に。…いや、自分の選んだ運命に。」
〜〜〜
ユミトメザルの城。
「すぅ……すぅ……」
ティーミスは、かつて国王が使っていた最高級のオンボロベッドの上で昼寝をしていた。
地の底から鳴り響く様な低い音が響き、やがて大地は小刻みに震え始める。
「…何事ですか…」
ティーミスは、ごろごろと回転し寝転がったままベッドから降りた後立ち上がる。
開いた窓から、驚いた様子のピスティナが部屋の中に飛び込んで来る。
「がう!がうがう!」
「どうしたんですか?」
「上空に敵影確認。恐らくはレイドモンスターだ。」
「分かりました。貴女は少し、隠れていて下さい。」
ティーミスはピスティナの頭にポンと手を乗せると、ピスティナは半液に戻りティーミスの手首へと消えて行く。
ティーミスはその後上着を羽織り、窓から顔を出してみる。
上空には、布を巻いて形作られたかの様な巨人が、こちらを睥睨する様に浮遊している。
ーーーーーーーーーー
【スカイジャイアント】
スカイメイジを束ねる、無数の精霊が集結して生まれた巨大霊です。
出現した地には、暴風地帯へと変貌します。
警告
・レイドモンスター
ーーーーーーーーーー
ティーミスは、またあの時の様に城の屋上まで瞬間移動をする。
この土地は全てティーミスの物の為、ティーミスはユミトメザルの何処にでも移動する事が出来るのだ。
「また貴方ですか!」
『一度肉体を壊したとて、この我が討ち滅びる筈が無いであろう!集え!アトラスのつむじ風よ!万物を破壊し、無に帰し、新たなる創世の糧としてしまえ!』
上空からは、暴風と共に次々とスカイメイジが降りて来る。
「そうですか。でしたら…」
ティーミスは、右手にソウルドレインソードを出現させる。
「何度だって追い返してやります。」
ソウルドレインの剣身が、紅色の光に包まれる。
ティーミスはその紅色の剣を、空に向かって一振りする。
剣身を包んでいた紅色の光はそのまま紅い斬撃となり、スカイジャイアントに向けて一直線に放たれる。
紅い斬撃はティーミスから見て点にしか見えない距離まで飛んで行き、やがてスカイジャイアントに直撃する。
その遥かなる巨体にとっては、ティーミスの紅色の斬撃など塵にも等しかったが、
『ぐあああああああああ!?何故だあああああ!何故…これ程までに小さな攻撃があああああ!』
スカイジャイアントは、崩壊を始める。
幾ら小さくとも、一撃で体力を削りきるには十分である。
例の如くスカイジャイアントを構成していた巨大な布や水晶性の人骨が落下を始めるが、ユミトメザルには塵一つ落ちては来なかった。
全てユミトメザルを包むドーム状の結界に弾かれ、ユミトメザルの周辺にのみ落ちて行った。
「…幾ら不滅でも、変化くらいは必要なんですよ。大精霊さん。」
奪取した命が一つ、上空から結界に弾かれずにティーミスの元まで落ちて来る。
ティーミスはそれを空中で受け止めると、感慨深そうに少し眺めた後、アイテムボックスの中に押し入れる。
ティーミスは今、残機を一つ持っている。