絶望に向けるのは背か顔か
ニルヴァネ連邦、軍事収容所の地下3階。
尋問室にて。
ティーミスは自ら望んで、それでいて望んだ事を悟られずに、尋問を受けていた。
「先ず、お前には此処から逃げ出す方法はあるか。」
「ええ。実際、昨晩は自分のベッドの上で眠りました。…これが終わったら、私は家に帰るつもりです。」
「…では何故、わざわざ我々の尋問に付き合う?」
「理由があったとしても、私は貴方方に危害を加えてしまいました。せめてもの償いと言うか、衝突の回避の為ですね。」
「つまり、ニルヴァネに敵意は無いと。」
「ええ。もしかすれば、ニルヴァネに居る誰か特定の個人には恨みがあるかも知れませんが。」
「…お前は結局何者なのだ?帝国の手先では無さそうだが。」
「私の名前はティーミス・エルゴ・ルミネアって言います。巷では咎人とかって呼ばれています。ご存知でしょう?」
「咎人?知らないな。」
「…そうですか。」
ティーミスは、少ししょげる。
ティーミスは名声を欲している訳では無いが、面と向かって知らないと言われるのも応えるものがある。
最も、ティーミスの名前が所業に対して異様に広まらないのは、帝国の情報統制によるものだった。
「それでティーミス。ミドルネームまで付いているとは随分と贅沢な名前だが、一体何処の国の者だ。」
「私は…」
ティーミスはふと考える。
今の自分の国籍は、一体何処なのだろうか。
「…ユミトメザルの住人です。」
「ユミトメザル?」
「ええ。君主は私。国民は私一人の大きな国です。」
表情を少しも変えずに、ティーミスは狂人の譫言のような返答を返す。
「…そうか。分かった。」
ティーミスのこの返答には、三つの可能性があった。
一つは、ティーミスは出身地や所属について答えるつもりが無いだけの可能性。
一つは、ティーミスが本当に自分がそう言った存在であると思い込んでいる、可哀想な狂人である可能性、
そして一つは、ティーミスの言葉には嘘も偽りも無いと言う可能性。
何れにせよ、ティーミスに出身地を問い詰めるのは無駄だと言う結論に至る。
「では話題を変えよう。お前は我がニルヴァネの攻城部隊を壊滅させたそうだが、他の仲間は何処に居る。一体どんな作戦を使った。答えろ。」
「仲間…?いえ、今回は一人で戦いました。作戦なんてものも、特に決めていませんでした。」
「…お前、先程自分のミドルネームに誓った言葉を忘れたか?」
「本当ですよ。まあ、疑うのは勝手ですが。」
「…あまり我々を馬鹿にしない方が身の為だぞ?答えろ。最後にもう一度だけ聞いてやろう。仲間は何処だ。実行人数は。どんな方法を使った。」
「仲間は居ません。私は一人です。方法は、ただ剣を振るっただけです。」
「…愚か者が。お前にはもう用は無い。せいぜい拷問の痛みに慣れておけ。もう此処から出す訳には行かない。お前の長い余生は、この…」
「では次は、私が質問する番ですね。」
ティーミスは、後ろに回していた両手を組んだ右膝の上に置く。
手首に嵌められていた手枷の鎖は、強引に引きちぎられている。
「何!?」
ティーミスの指から聴衆に伸びる、赤い糸が出現する。
指から伸びると言うよりは、元からあった物が可視化された様に見える。
「な…何だ!?」
「体が…動かない…!」
聴衆の様子を見たティーミスは、安心した様に履いていた編み上げのサンダルをアイテムボックスの中に払い落とし、裸足になる。
此処はもう、ゆっくりくつろげる程には安全である。
「命令します。自我はそのままで結構ですが、私の質問には必ず答えて下さい。危害を加えないのは勿論の事ですが、私が此処を去るまでは、私の指示を聞いて下さい。」
「だ…誰がお前の言う事など…」
「跪き、はいと答えてください。」
聴衆は皆一斉に跪き、声を揃えてはいと答える。
「クソ…なんだこれは…!」
「私語は謹んで下さい。」
部屋を包んでいたざわめきが、一瞬でピタリと静まり返る。
「では、まず始めに聞きます。帝国から宣戦布告書が届いたと言いますが、布告書の印は帝国のどなたの物でしたか?」
聴衆の後ろの方から、ティーミスの質問に対する返答が来る。
「布告書に書かれていた印鑑は、紛れも無く第三皇子の物でした。また、書状を届けたのも第三皇子の遣いと見られます。」
「そうですか。第三皇子が。」
ティーミスはそれだけを聴くと、簡素な鉄製の椅子からすくっと立ち上がる。
「それだけ聞ければ充分です。それでは皆様、縁があればまた何処かで会いましょう。」
ティーミスはそう挨拶すると、地下室の壁に、ティーミスの我が家へと繋がる人一人分ほどの大きさの空間の穴を出現させる。
ティーミスは右手を宙に揺蕩わせると、空間の穴の中へと、ユミトメザルへと帰っていった。
聴衆はただ跪きながら、ティーミスの後ろ姿が空間の穴と共に消えて行くのを、ただ見守るのみである。
「う…動けるし喋れるぞ!」
「なんだったんだ…あいつ…まさか、本当に一人で…」
一等軍曹は、何も無い壁に向けて忌々しそうに呟く。
「…あれが、化物と呼ばれる部類の人間なのか…?」
どれ程の武力を持ってしても、どれ程の技術と努力を結集しても、到底敵う事の無い圧倒的な存在。
そんな“存在しないとは言い切れない”レベルの者と関わるなどとは、軍曹は想定していなかったのだ。
「あ…ああ…」
恐怖で立ち尽くす軍曹。
後方の人物からの罵詈雑言が、そんな軍曹に向けて投げかけられる。
「この国があんなのに恨みを買われたらどうするんだ!」
「報告書にはありのままを綴ってやる…」
どうしようも無い絶望に直面した人々は、誰かに恐怖を擦り付ける事にしたのである。
もしも何かが起こっても、自分は悪く無い。
責任を取るのはこいつだ。
全部こいつが悪い。
絶望が深ければ深い程、責任転嫁の誘惑はその甘さを増すのである。
〜〜〜
地平線から、砂埃で濁った太陽が顔を出す。
凸凹の激しい獣道を抜け、馬車は山の麓に不自然に現れた広場へと辿り着く。
馬車から最初に降りてきたのは、炎の女魔剣士、リジカである。
「…此処か。」
リジカは、山の斜面で口を開ける、10m程の大きな石門に向けてそう呟く。
つい先月出来たばかりだと言うのに、ダンジョンの入り口を形作る石は、まるで数百年前からそこにあったかの様に、苔生し劣化している。
「やっぱり、ダンジョンって本当に不思議だよね。」
大きな皮のバッグを背負った銀髪の少女が、リジカに次いで馬車から降りる。
ヒーラーのエーミである。
「人類が…いや、人類が生まれるずっとずっと昔から、いろんな種族がダンジョンとは何なのかを突き止めようとしているのに。発生の原理、目的、背景にある文明の由来、その塵の欠片も分かっていないなんてね。」
「エーミ…それ、ダンジョンの前に立つと毎回言ってるよな。」
「うん。でも、文明とダンジョンの悠久から続く戦いの中でも、同じダンジョンは二つとして存在しないんだよ。もしかすれば、次に攻略するダンジョンに、ダンジョンとは何かを紐解く鍵が有るかもって、いつもそう思うの。」
「相変わらずおめでたいチビだな。」
「うふふ。夢くらい持っていても良いでしょ?」
少し遅れて、フォレストオーガのダンと、パーティリーダーのファンソンも馬車から降りて来る。
ダンの担いでいる斧が、安価武器であるアイアンアックスから、市場で出回っている中では最高級品であるアダマンタイトクリーパーに変わっている。
「おいダン。それ、壊したら弁償だからな。」
「わかってますよ姉御。貸してくれてどうも。」
ファンソンは支援物資の確認を済ませ、ダンジョンの入り口の前に立つ。
ファンソンの帯びる雰囲気を察し、他の3人もファンソンの元に集まる。
「いよいよですね。リーダー。」
ダンが、感慨深そうに呟く。
「へへ。サクッと攻略して、美味い酒にありついてやるさ。」
そう言うとリジカは剣を抜き、自身の魔力によって剣に炎を帯びさせる。
これならば松明よりもずっと明るく、効率も良いのだ。
「大丈夫。昨日は沢山眠ったから。」
エーミは鞄を背負い直しそう呟く。
「…みんな、準備は良いな。…俺はお前達と出会えて、お前達と共に戦えて最高に幸せだった。…そして謝らせて欲しい。俺の…」
「うっしゃあ!突撃だー!」
ファンソンの言葉を遮り、リジカは炎の剣を構えて駆け出し始める。
「リジカ!…はぁ、みんな、行くぞ!」