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主教の血は草の血

電灯一つのみが照らす、狭く湿った地下室。

キエラはそんな部屋の真ん中で、粗末な椅子に腰掛けその時を待っていた。


キエラがこの部屋に来てから、既に一時間が経過している。

閉鎖的な空間にストレスと共に長時間監禁されれば、誰しも平常心は保っていられない。

実際、キエラの心も陰鬱に沈んでいる。

もしも何かしらの手違いで、本当に殺されてしまったらどうしようかと、そんな不安を抱く様になっていた。


金属製の分厚いドアが重苦しい音を立ててゆっくりと開かれ、処刑人が入って来る。

キエラは突発的な音と緊張によって身震いするが、処刑人のその顔を一目見た瞬間、今まで抱えていた不安は全て吹き飛ぶ。

処刑人は、軍服を着て処刑人に扮した生身のリテであった。


「こちらを。」


リテはキエラに、赤色をした小さな木の実を差し出す。


「こちらは?」


「痛覚を劇的に鈍らせる物です。“此処だと思うタイミング”で噛み潰して下さい。」


キエラは少し首を傾げながら、リテから手渡された赤い木の実を口の中に含む。

その木の実の舌触りはかなり硬く、ほんのりと酸っぱい香りを感じる。


「キエラ・イスラフィル。あのマジックミラーの向こうにはスカルディ様が居ます。最後に言い残す事はありますか?」


「そうですね…」


キエラの背後で、リテは蔦を編み一本の槍を形作る。

武器による執行は、安価ではあるが決して珍しい物では無い。


「では最後に。

“すべての人は草、 その栄光は、すべて野の花のようだ。主のいぶきがその上に吹くと、 草は枯れ、花はしぼむ。まことに、民は草だ。草は枯れ、花はしぼむ。しかし。わたくしたちの神のことばは永遠に立つ。”

…永遠に変わらない物なんて、そうそう無いんです。変化はいつだって訪れますが、どうか怖がらないで。貴女だけの、貴方だけの、変わらぬ物を見つけて下さい。」


キエラが言葉を唱え終わった瞬間、リテの蔦の槍が、キエラの背に突き刺される。

否、キエラの服は貫いたが、キエラの背に槍先が触れた瞬間に、服の下で蔦が解ける。

キエラには一切の外傷は無かったが、側から見ればそれは、槍で心臓を突き刺された様に見える。


ふと思い立ち、キエラは口の中に仕込んでいた赤い木の実を噛み砕く。


「ふぐごふ!?」


突如として、キエラの口内は独特な苦塩っぱさのある液体で満たされる。

キエラは思わず、口の中に出現したその液体を吹き出してしまった。


「ごほ…げほ!」


キエラの口からは、若干黒く燻んだ赤色の液体が吐き出される。

その質感も色も、人血そのものである。

リテの蔦の槍の先からも赤い液体が染み出し、その部屋は凄惨なまでの血の海と化す。

キエラはふと、背中にチクリと痛みを感じる。

瞬間、キエラは意識を失った。


(…桑の実とボルテイクマッシュルーム由来の麻酔です。キエラさん、今回ばかりはご容赦を。)


脈拍や体温維持と言った生命活動を限界まで抑制し、対象を一時的に仮死状態にする、一種の麻酔薬である。

この手の薬品は嫌厭されがちだが、今回の物は原材料が原材料なだけに、特に後遺症などの害は無い。

部屋の電灯は不意に消え、部屋の中には後始末の為の清掃員が数名入って来る。

仮死状態のキエラは死体袋の中に入れられ、金属製の台車の様な物に乗せられた。


一方スカルディは、“主教”の処刑を見届けて直ぐに、見室を後にしていた。


「総統。あの亡骸はどうするんですか?普通の葬り方では、かえって奴の神格化を進めてしまうのでは…」


「既に、とある研究機関への引き渡しが決まっている。あれは希少なエヴォーカーだ。きっと高値がつくぞ。」


ふとスカルディは、廊下の角から慣れた気配を感じる。


「…済まない。新政府の為の準備があるのだ。私は此処で。」


「そうですか。…困った事があれば、いつだって我々に頼って下さい。荷物持ちくらいにはなりますよ。」


「はは。そうだな。」


部下のユーモアを適当に返し、スカルディは早足で廊下の角を曲がる。

角の向こうには先程までそこにあった筈の気配も人も居なかったが、代わりに廊下の壁にある作戦室のドアが空いている。

スカルディは、作戦室の中に入って行く。


「…?」


部屋には誰も居ない。

不意にドアが閉まり、スカルディはドアの方を向く。

もしかすれば罠か。

次の瞬間スカルディは、そう考えていた自分をアホらしく思う。


「スカルディ。」


背後から声を掛けられ、スカルディは再び振り向く。

そして、振り向き様にその唇を少し強引に奪われる。


「お帰り。」


「…ただいま。ワイオ…」


スカルディは不意に、ワイオンが満身創痍である事に気が付く。

右腕にはギプスが嵌められ、全身の至る所には僅かに赤く染まった包帯が巻かれている。


「どうした!その怪我は!」


「別に。ただ少し、ちょっとした軍勢をちゃちゃっと制圧しただけさ。」


「ちょっとした軍勢…だと?」


「ああ。…市民の一部に、教会支持者の集団が現れたんだ。一人、なかなか強い武器魔法使いがいて、少し手こずっちまった…

あれ、放っておいたらかなりまずいぞ。」


「…分かった。」


新政府の樹立は、一刻を争うらしい。

スカルディはそう確信すると、机の上に無数の書類を広げ始めた。

戦いはまだ、始まったばかりである。



〜〜〜



大聖堂とかつて呼ばれていた、ただの使い道の無い建物の裏庭。

南側の林の様になっている所の真ん中に、木々に囲まれた小さな丸い広場がある。

今は更地だが、季節になると此処には一面のマーガレットの花が咲き誇るのだ。

病死したキエラの母と、ティーミスに殺されたキエラの父、それからキエラと継天だけが知っている、秘密の場所である。

否、彼はもう継天などでは無い。


「…?」


林をかき分けて、何かが広場に向かって来る。


「…キエラ!」


「ただ今戻りました。ビルネーイルお爺様。」


ビルネーイルも、キエラも、じきに此処を離れる事になる。

ビルネーイルは自身の信仰の為世界各地で布教活動を始め、キエラはこれからキエラとしての人生を謳歌する。

信仰は相知れぬとも、この二人にはそんな物はどうでも良かった。

しばしの二人だけの時間が、マーガレットの咲いていないマーガレット畑で、聖の無くなった大聖堂で、ゆっくりと流れて行った。



〜〜〜



「どうぞ。何でも答えますよ。」


八方は石で塞がれ、壁に埋め込まれた魔導石は怪しく輝き部屋を照らしている。

ニルヴァネの尋問部屋にて。

ティーミスは足を組み、拳でほお杖をつき鉄製の椅子に座っている。

尋問官はティーミスの傍に佇んだまま少しも動かず、この尋問官に集められた者達もあからさまに動揺を見せている。

“何故こんな状況になっている?”と言うよりは、“何故この少女は、遂行できる力がありながら脱走を試みようともしない?”の方が大きい。


「どうしたんですか?私に聞きたい事が沢山あるのでしょう?…御心配せずとも、今の私に貴方方を殺す理由などありませんから。」


尋問部屋に集められたのは計15人。

中には情報を記録する為の書記官も居る。


その中の一人が、ティーミスの前に出る。

随分とガタイの良い、数世代前のニルヴァネ連邦の軍服を纏った大男だ。


「ニルヴァネ連邦軍一等軍曹。ダジエールだ。

先ず始めに問う。我々は、貴様を信用して良いのか?」


「勿論です。エルゴの名に誓って、嘘は絶対に吐きませんから。」


エルゴの名に誓って。

信用を持たせる為とは言え、ティーミスはそれが我ながらかなり痛い台詞に思える。

否、今のティーミスには最早、そんな事を思う余裕も無い。


(うう…よりによって一番怖そうな人です…)


ティーミスは、強者としての振る舞いを保てるか不安で仕方が無かった。

処刑の直前キエラが唱えた言葉は、キリスト教の聖書であるイザヤ書40章6節から8節の言葉です。

しかしイグリス共和国は、あくまでも“イグリスの神”を信仰しており、キリスト教とは何の関係も有りません。

オチとしては、キエラはイグリスの信仰の化身として生きてきていましたが、キエラ自身は自分の信仰を心の中で貫いていたと言う事です。


作中世界にはキリスト教は存在しませんが、今回ばかりはどうか、ご容赦を。

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