終戦の先には
イグリスの空に、朝日が昇る。
もしもキエラが偽の情報を掴まされていない限り、今日反乱軍による総攻撃が実行される。
総攻撃が実行されれば、教会にはそれを食い止める術は無い。
死者も沢山出るだろう。
「大丈夫よキエラ、全て上手く行くわ。」
キエラは、化粧台の鏡に映る自分自身に向かって、ポツリと告げる。
普段は特別な祭事の場合にのみ着る事を許された、聖衣と呼ばれる装束に身を包み、頭には法公の帽子も被っている。
これが、キエラの主教としての最後の姿である。
(全員纏めて騙し抜いて見せる。それでわたくしが、主教から解き放たれるのならば。それで、この国に平和が訪れるのであれば…)
キエラは口の中で台詞の練習をしながら、ゆっくりと化粧台から立ち上がる。
大丈夫、全て上手く行く。
キエラは何度も、心の中でも自分に言い聞かせる。
それから二時間程経過した。
スカルディ率いる反乱軍の大隊が、聖堂に向けて進行を開始する。
反乱軍には決まった制服などは無いため、はたから見ればそれは、市民によるデモの様にも見える。
「これで、全てが終わるんですよね。総統。」
不安げな一般兵が、近くに居たスカルディに問いかける。
スカルディは普段通りの鋭い口調で、一般兵に向けて端的に答える。
「大丈夫さ。全て上手く行く。」
反乱軍の大隊は市街地を突っ切り、そのまま教会領まで侵入する。
聖騎士の集団が時々反乱軍の前に立ちはだかるが、反乱軍の勢いが弱まる事は無い
疲弊した教会勢力には最早、その大隊を拒む力は無かった。
そうして大隊は、大聖堂の前まで到着する。
一般人は禁開とされる大聖堂の門を、スカルディが豪快に蹴破る。
門の先には、この大聖堂の中で最も大きな礼拝の間がある。
大広間の入り口から反対方向の壁、御神体を祀る台座の前には、キエラが一人、反乱軍に背を向け佇んでいる。
「お出迎えとは随分と気が効くじゃ無いか。主教サマ。」
スカルディは一歩前に出て、キエラを挑発する。
キエラは、ゆっくりと反乱軍の方へと振り返る。
「貴女は、神様は居ると思いますか?」
「居る訳無いだろうそんな物。まさか、神族種がそうだとでも?」
「…わたくしは、信じています。お空の上からいつでもわたくし達を見守っていて下さる、神様を。」
「…お前たちはそのお空の上の神様を使って、民から搾取し私腹を肥やしてきたんだろう?お前たちの作り出した妄想の中に、国を閉じ込めたんだ。」
「…ええ。きっとそうです。遥か昔の教会の方々が作り出した、神様と言う都合の良い存在が支配する幻想の中に、全員閉じ込められてしまったんでしょう。
きっとわたくしも、その一人だと思います。」
「まさか、今更被害者面するつもりか?」
「被害者?さあ、どうでしょうか。
確かに此処の神様は、イグリスを作った方々が得をする為に作られたのかもしれません。ですがそれでも、何千年もの間、みんな神様を信じていました。何十万もの人間が、何世代にも渡って同じ存在を信じ続けていたんです。それはもう、存在すると言っても問題は無いと思います。
そしてわたくしは、そんな神様が大好きなんです。だから…」
その時、大広間にある扉も一つが勢い良く開け放たれ、数人の聖騎士と継天が現れる。
「キエラ!」
「お爺様…?遠征に行った筈では…」
聖騎士はすぐさまキエラの元へ行き、キエラを守る様な陣形をとる。
スカルディは何事かとキエラを見つめるが、キエラも同じ目でスカルディを見つめ返す。
想定外の事案が発生したのである。
継天は両手で魔法術式を組み上げながら、反乱軍の前に立ち塞がる。
「汚らわしき反乱軍め!主教様に指一本触れてみろ!この我と、誇り高き聖騎士達が…」
聖騎士の総数は十数名程、継天を含めれば13名。
対する反乱軍の総数は3桁程。
教会に、勝ち目など無い。
「…お爺様…」
キエラは胸を抑えながら、涙ながらにその名前を呼ぶ。
継天は最後の最後まで、キエラを守ろうとしているのだ。
主教では無く、キエラを守ろうと。
反乱軍の一人、幹部格の者が、隊列から前に出て継天に剣を向ける。
「まだ残党が居たか。お前ら、とっとと片付けるぞ!」
キエラが、物事の進行を遮る様に叫ぶ。
「待って下さい!」
キエラは聖騎士の防衛陣形から抜け出し、継天の元まで歩み寄る。
「…もう良いんです。お爺様。」
「キエラ…わしにはもう、耐えられないんだ…お前まで居なくなって仕舞えば…」
キエラは動き難い装束も御構い無しに、継天に抱き着く。
「ごめんなさい、お爺様。もう主教だけが、この戦争に決着をつけることが出来るんです。
…わたくしはもう、神様の為に誰かが苦しむのは、見たくないんです!…ごめんなさい、お爺様…」
「キエラ…ああ…どうしてお前がこんな…」
キエラはその頭を、更に継天に近付ける囁き掛ける。
「…わたくしの死の報せが来たら、マーガレットの花の咲く場所に来て下さい。キエラは死にませんので、どうか泣かないで。」
「…?」
どちらにせよ、継天にはいずれ報せるつもりだった伝である。
キエラは置き手紙も用意したが、手間が省けた。
キエラは継天から離れると、反乱軍の方へと向き直る。
「教会最高権威である主教として此処に宣言します。これ以上の争いは、無為に血が流れるのみでございます故に、教会は降伏し、今日をもって解体とし、主教の死によって信仰は信仰以上の力を失い、旧体制は終了とします。」
キエラは、ゆっくりとスカルディの方まで歩いて行く。
聖騎士は戸惑いと悲しみに満ちた目で事の成り行きを見守るが、継天だけはその光景が少し違って見えた。
「神など、ただの言い訳の為のハリボテだと思って居た。…しかし、教会には本当の信仰者も居たのだな。」
スカルディは、一連の演劇の最後を締め括る台詞を呟く。
これで、今回の欺瞞劇の最も大変な部分は終了した。
あとは主教を殺すだけだ。
「…我々の勝利だ!もう我々が戦う理由は無い!者ども、撤退だ!新政府と宴の準備だ!」
反乱軍からは歓声が聞こえ、後方からぞろぞろと撤退を始める。
進行時スカルディは先頭だった為、キエラとスカルディは必然的に最後尾となると。
(…スカルディさん、リテの様子はどうですの?)
(突然怒り出したかと思うと、拷問具を全て破壊してしまったという事以外は、特に変わった様子は無い。協力に感謝するよ。主教サマ。)
(わたくしはただ、平穏な生活を取り戻したかっただけですの。)
(はは、杞憂だな。私達も同じ理由で戦っていたのだ。…それと些細な事なのだが、あの即死印はどうした?j
(直ぐに消してしまいましたよ。あんな物。)
(…流石だな。エヴォーカー。)
〜〜〜
「…ご馳走様でした。」
ユミトメザルの城。
食堂にて。
ティーミスは、パーティーテーブルに並べられた全ての料理を食べ終わる。
どんなに短く見積もっても、人1人が一週間は生きていける量である。
「…では、行ってきます。」
誰に聞かせるでも無く、ティーミスは外出の挨拶をする。
その後ティーミスは、瞬間移動によって本来あるべき地点に移動する。
「…う…やっぱり噎せ返る程じめじめしていますね…」
ニルヴァネ連邦にある、軍事捕虜収容施設である。
地下か地上かは分からないが、収容部屋の中に人骨が放置されている辺りあまり管理は良くなさそうだ。
「…これ、重いばっかりで意味無いですね。」
魔力を封じる首輪など、魔力を主動力としないティーミスにとっってはあまり意味が無い。
ティーミスは首が痛くなってきた為、思わず首輪を素手で破壊してしまった。
いつの間にやら手枷も壊れていた為、ティーミスを縛る物は、触れば折れてしまう爪楊枝同然の鉄格子だけであった。
部屋の戸が空き、重い足音が収容房へと入って行く。
「…尋問の時か…」
尋問官はティーミスのその姿を見た瞬間、自我が消え失せる。
「…何なりとご命令を。」
「私の正体を知りたがっている人間を出来るだけ大勢集め、その方達の前で私を尋問して下さい。良いですか、出来るだけ沢山です。書記でも構いませんので。」