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手向け

午前。

名も無き湖。


「どうぞ。少ないですが、お花です。」


声も聞いた事の無い少女の骸に、ティーミスは湖のほとりで摘んだ桃色の花を手向ける。


「…では、さようなら。お騒がせして申し訳ございませんでした。」


ティーミスはひらひらと左手を中に揺蕩わせ、少女に背を向け聖堂の出口へと歩み始める。



またね。



「?」


ティーミスは後方から、不自然な空耳を聞く。

ティーミスはしばし首を傾げた後、気のせいだと割り切ってそのまま聖堂を後にする。


「またね。リグテアさん。」


ティーミスは、友達になった少女のミイラに別れの言葉を呟く。

リグテアは死んでいる。

死人は何も語らない。

それでもティーミスは、久し振りに会話が成立して嬉しかった。


「…ふふ…」


自分が狂いきっている事くらい、ティーミスも理解している。

ただ、それが今の自分。

愛する他無い。


ティーミスは聖堂から出て、湖に掛かる大理石の橋を渡り、湖の岸辺に辿り着く。

岸に溜まった腐った植物に少し足を取られ、その不快な踏み心地にティーミスは少し不機嫌になる。

ヘドロの様な状態になった枯草を振り払い、ティーミスは何の導も無しに、眼前に広がる湿地の森へと入って行く。

元からそう言う場所なのか、はたまた虫が逃げ去ってしまったのか、湿地は静寂が支配している。


「…はぁ…すぅ…」


灰色の泥の地面を歩くのは、当然ながらかなりの労力を費やす。

ゴールなど無いし定めても居ないティーミスには、そこに更に精神的な疲労も覆い被さる。

退屈な状況。美しいが変化の無い景色。漠然とした不安。

それら全てがティーミスの精神を圧迫し、ティーミスはそんなストレスから逃れる為。別な事を考える事にする。

いつ終わるとも知れない退屈を味わうくらいならば、幾分か感傷に浸っている方が良いだろう。


(…一体何で…私なんでしょう…神様…)


神は乗り越えられない試練は与え無いと言うが、現状にわかには信じ難い。

もしも乗り越えられる試練しか与えないのならば、ティーミスによって虐殺された幾万人はどう説明すれば良い。

乗り越えられる筈の試練を、その幾万人は全員パス出来無かったのだろうか。

試練なんて存在しない。死も、生も、ただの自然現象でしか無い。

ティーミスは別に、神の与えた試練を乗り越えたから今此処に居る訳では無い。

ティーミスはただ、運が良いだけだ。


ドチャリ。ドチャリ。

灰色の泥に、足を突っ込んでは引き抜く音だけが響く。

ティーミスはふと背後を振り返る。

泥に深々と刻まれた筈の足跡が、ティーミスからの距離に比例する様に消えて行っている。


(…これが…私の生き様でしょうか…)


人の通った後に道は出来るが、ティーミスの歩いた路には何も残らない。

誰もティーミスの道を辿ることは出来無い。

ティーミスが何処を通ったかも分からない。


ドチャリ。ドチャリ。

転ばずに進むのすらもやっとの悪路。

一歩踏み出す毎に、一歩前進する度に、大粒の疲労がティーミスに積みあがって行く。

身体的疲労は、次第に心をも弱らせる。


「……はぁ……」


ティーミスはふと、疲労によって立ち止まる。

残して来た足跡はすぐさま消え去り、ティーミスの心、或いは体が、この灰色の沼へと沈み始める。

もう一層、このまま埋没してしまおうか。

ティーミスの心に、甘い誘惑が囁く。

全てを忘れて、甘美な窒息の中、此処で眠りに就こうか。


(…駄目ですね。)


まだダンジョンからの簒奪品を一割も使っていない。

実に勿体無い。


ティーミスはアイテムウィンドウから黒炎の魔剣を引き抜き、自身の目の前、或いはこの灰色の沼に勢い良く突き刺す。

魔剣にまとわりつく黒い炎がその火力を増し、剣先から沼地へと一瞬で広がり始める。

炎は瞬く間に沼地の表面全体に広がり、灰色のヘドロを焼き始める。

蒸発による水蒸気が辺りに霧の様に立ち込め、まるでその場所の変貌を外界から隠す様である。


ガリガリ。

ティーミスは、すっかり焼き固まった地面から下半身を引き抜く。

瞬間的な高温によって水分を飛ばされた沼地は、一転して非常に歩き易い状態に変容した。

黒い炎を纏った木々が、かつて沼地だった硬い地面へと倒れてゆく。


「…急ぎましょう…」


沼の表面に、硬い地面を層の様に作ったに過ぎない。

或いは、沼全体を一つの陶器の塊にしてしまったか。

数秒、或いは数世紀はこのままかも知れない。


ーーーーーーーーーー


【沼の底の主】を討伐しました。


ーーーーーーーーーー


「にぁ?」


唐突に、予想外のウィンドウがティーミスの目の前に表示される。

ティーミスは思わず仰け反り尻餅をつくが、陶器色の暖かく硬い地面はビクともしない。

ティーミスは、その存在を認知する事無く、全くの無自覚で、また何かを殺してしまった。


「…ごめんなさい。」


そんなつもりは無かった。

わざとじゃ無い。

ただの事故。

そんな弁解など、モンスターを殺めた罪には必要無い。

何故か、そもそも罪では無いからだ。


モンスターだって生きている。

モンスターだって何かを考える。

モンスターだって生きるのに必死である。

なのに、この扱いの差は一体何だ。


「…やっぱり好きません…人間は…」


ティーミスは、自身が人間で無いかの様な錯覚に陥る。

実際の所も怪しいが。


ナンディンの充電完了はまだ先の事。

次の旅までは、もう少しこの場所に居る羽目になりそうだ。


ティーミスは何かを確かめる様に、かかとで地面をトントンと軽く叩く。

音が何処にも伝わっていない様な、素っ気無い乾いた陶器の音が鳴る。

ここなら大丈夫そうだ。


ティーミスの右手首から。赤黒色の半液体がどくどくと流れ出る。

半液は、高低差も無しに独りでに水流を作り、ティーミスの目の前に、丸い液溜まりを作る。

ティーミスはそこに、アイテムボックスから出した一本の長棍を突き刺す。

長棍は、一瞬でその液溜まりの中に飲み込まれる。

ボコボコと液溜まりが盛り上がり、そこに一人の従属者の姿を形作る。


「…あ”?」


ピスティナは、自身の右手に握られた銀色の棍を不思議そうに眺める。


ーーーーーーーーーー


プラクティスモードを起動します。


ーーーーーーーーーー


ティーミスの右手には黒色の長棍が出現し、ティーミスとピスティナを取り囲む様に、周囲には薄い光の壁が出現する。

ティーミスは長棍を見様見真似で構え、数刻遅れてピスティナも状況を理解し、戦闘態勢に入る。


「…行きますよ。」


「あう。」


ピスティナは。纏っていた上着を場外へ脱ぎ捨てる。

取り敢えず戦えば良いらしい。程度の事は理解した。


ーーーーーーーーーー


【プラクティスモード】

・スキル使用不可

・パッシブスキル無効

・両者のパラメーターが全て一律100に変更


ーーーーーーーーーー


ティーミスは今の今まで、戦闘に関してはこれと言った教導を受けた事が無かった。

ただ力を振るうだけの乱雑な戦闘では、いずれ痛い目を見るかも知れない。

幸いにも此処に一体、先生が居る。


ーーーーーーーーーー


両者構え


始め


ーーーーーーーーーー


何時もならば戦闘の際、先に仕掛けるのはティーミスの相手である。

ただ、ピスティナはそうでは無い。


「…ぐるる…」


ピスティナは棍を構えたまま、ティーミスの方をただただ睨んでいる。

ピスティナの動き自体は静止しているが、ピスティナ自身には、一分の隙も見当たら無い。


「……」


ティーミスは、その鼓動を加速させる。

ピスティナの放つ威圧によって、今にも押し潰されそうだ。

冷や汗が一滴ティーミスの額から零れ落ち、ティーミスの右目に入ろうとする。

ティーミスは一瞬、ほんの一瞬だけ、瞼を閉じる。


「…!?」


ピスティナが、身を屈め疾走を開始している。

その速度は生前のピスティナにすら劣る鈍重な物だったが、ティーミスにはそれが、実際の何倍もの速度に見える。


ピスティナの渾身の一閃を、ティーミスは自身の持つ棍で弾く。

弾いたつもりだった。


「…んくっ…」


腹部にズンと衝撃が伸し掛かり、背中にある何か硬い物が砕かれる心地がする。

ティーミスは、恐る恐る自身の腹部を見る。

ピスティナの持つ棍が、ティーミスの腹部を串刺しにしている。


ーーーーーーーーーー


You lose


ラストアタック 【強突】


0ー1


ーーーーーーーーーー


ティーミスとピスティナの体は一瞬光の粒子となって消え去り、少し離れた場所で元通りに再構築される。

プラクティスモードである限り、この闘技場では誰も死なない。


「…もう一戦、よろしくお願いします…」


この闘技場が、世界中を飲み込めば良いのに。

そうすれば、うっかり何かを殺める事も無い。

ティーミスはそんなぼんやりとした理想は、次なる戦闘の緊張によって、跡形も無く忘れ去ってしまった。

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