人と獣
「…その、助けてくれてありがとうございました。…お礼なんて、これくらいしか出来ませんが…」
ティーミスはシュレアの頭をそっと撫で、シュレアを兵舎の中へと格納する。
知性を失った従属者と言えど、生前の記憶に従い喋る出す事はある。
先程はたまたま、会話が成立した様に聞こえただけだろう。
ティーミスは何故か、そう考えなければ行けない気がした。
「ふぅ…今日はもう疲れました…とっとと休んで…」
次の瞬間、ティーミスは重要な事を思い出す。
家は愚か、旧アトゥ植民区は先程、開幕の大魔法によって跡形を残し消し飛んだ所だ。
「…はう…」
現在のティーミスは、文字通りのホームレスである。
ただでさえ足りない物だらけの人生。
せめて、衣食住くらいは揃えておいておきたい。
「はぁ…」
否。
人間としてでは無くティーミスとしては、むしろこの状態の方が良いのかも知れない。
決まった住処を持てば返って狙われ易く、行動の予測も立てられ易い。
それに、夜空の下、風の声を子守唄にするのも悪く無い。
「…なんか…嫌ですね…」
それではまるで小動物である。
これ以上人間らしさを失う訳には行かない。
何か行動を起こさなければ。
ティーミスは枯木から立ち上がり、数歩前進して引き返し、また枯木の根元に寄りかかる。
あいにく、今のティーミスには何か行動を起こせる程の気力は残っていない。
このまま誰か来るまで、此処で眠って居ようか。
「…?」
視界の端に、何か赤い物が見える。
最初は気に留めず目を閉じたが、やはり気になったので目を開け、瞳孔を僅かに右に向ける。
枯木より少し離れた場所にある乾いた荒地に、僅かに赤く輝く一本の植物。
サイズはティーミスの膝下程で、細い幹から横枝が、横枝からは若干細長い葉が生い茂り、葉の間からは細長く赤い実が垂れ下がっている。
リーパーネイルと言う、非常に希少な魔法植物である。
主にポーションや魔法薬の材料に使われる他、一部の地域では最高級のスパイスとしても取引されている。
リーパーネイルの実から作られた粉末が小指の先ほどあれば、大鍋のスープ七つは激辛料理に仕上がると言う魔性のスパイスだ。
根元の変形の仕方や幹の状態から、旧アトゥ植民区で放たれた炎の大魔法を浴びて急成長を遂げたのだろう。
ティーミスは徐に立ち上がると、リーパーネイルの木の下まで向かう。
微かに赤く輝くその実を摘み取ると、ティーミスは何の躊躇いも無く口の中に放り込む。
「…懐かしい味です」
常人ならば口内の感覚が吹き飛ぶ筈の激辛の実を味わいながら、ティーミスは収容所での思い出に浸る。
この魔法の唐辛子の煮出し汁に、何度喉を焼かれた事か。
いつしか辛味を一切受け取らなくなったティーミスの舌は、この唐辛子の純朴な味を感じ取る事が出来るのだ。
「…苦くて、少し甘いだけです。」
ティーミスは、誰に聞かせるでも無い味の感想を述べる。
ティーミスでも、自分が寂しい奴だと言う事くらい分かっている。
だからどうすると言う事も無いが。
「…出掛けましょう。何処か、別な場所に。」
ティーミスはゆっくりと立ち上がり、片手で赤黒の半液を捏ねる旧アトゥ植民区の跡地に放つ。
半液はボコボコと沸き立つと、一体の黒鎧の騎士を形作る。
見張り程度ならば、歩兵一体で充分である。
次に住む場所は、出来るだけ人の寄り付かない場所が良い。
出来れば、人以外も来ない場所。
何処までも広がる地平線に向けて軽く深呼吸をする。
その後、アイテムボックスより仮面を一つ取り出しナンディンを呼び出すと、ナンディンの上に跨り、手綱を握る。
ーーーーーーーーーー
目的地を設定しますか?
ーーーーーーーーーー
「…いえ、大丈夫です。」
いつかは帝国を滅ぼす。
邪魔する敵にも思い知らせる。
ただ、いつかやると言う話だ。
今は一先ず、住む家を探そう。
〜〜〜
“此処が、キエラさんのお家ですか?”
「ええ。確か、使われていないベッドが洗濯物に埋もれて…」
リテは外骨格から出た生身の状態で、キエラの部屋の様子をゆっくりと眺める。
殆どのエヴォーカーは、普段は召還獣を魔法で作った亜空間に収納する物だが、あいにくキエラにその才は無かった。
「…ごめんなさい。こんな雑な…いえ、良いお部屋ですけど!その…何て言うか…」
“いえいえ。私は、キエラさんと同じ部屋に住めるだけで幸せですので。
口ではそう言ったものの、リテは内心で違和感を覚えている。
別にキエラの住み家に不満がある訳では無い。
ただ、神族の末裔にしては随分と質素な暮らしをしているなと。
「昔は、もう少し広い部屋に住んでいたんですが…その、故郷を親友に滅ぼされまして…」
“親友に?まあ…それは…”
「別にあの子を恨んでは居ませんよ。彼女は最初から、そう言う生き物だったんです。」
“そう言う生き物…?”
「…私は最初、全ての人々は救われる物だと考えていました。人は皆、神の身元によって救われ、罪の清算の機会を与えられる物と。」
“…違ったんですか?”
「…そう思って私は、あの子を教会まで連れて行って、一緒に暮らしたんです。あの子に罪の清算が出来る程の心の余裕が出来れば良いなって。
私は間違いを犯しました。間違いの代償は、私の父と国だったんです。」
“…まあ…”
「もしかすれば私の力不足だっただけかも知れません。もしかすれば、もっと良い方法があったのかも知れません。ただ、私が甘かったんです。
…その親友に混乱を極める私の故郷から連れ出して貰って、後は人伝いでこの国まで来ました。」
”…酷く…お辛い体験をなされたのですね…”
「…では、今度は貴女の事をお聞かせ下さいな。」
“え?ええ…私なんかのお話で良ければ…”
時刻は夕方に差し掛かり、時期にキエラの時間が始まる。
長い付き合いになるのだから、先ずはお互いを知らなくては。
“…私は見ての通り…ではありませんが、ごく普通のつまらないカトプレパスです。家柄によって森の統治なども行っていましたが、正直必要かどうかも分からないお仕事ばかりで…
森の奥で普段は忘れ去られている転送装置が起動する度、私はワクワクしながらそこに向かいました。
…一度、貴女では無い他のお方に着いて行った事がありました。
彼はボウケンシャ…なる組織に属していて、良く私を連れて、洞窟や遺跡などの探索を行っていました。
少し危険な毎日でしたが、彼は優しく、その生活も、森で暮らしていた頃よりは楽しくて、別に不満はありませんでした。
しかしある日ダンジョンを探索中、とても怖くで大きな化け物と出くわしました。
私はいつも通り、彼と怪物を撃退しようと身構えたのですが、その日の彼の様子はいつもとは大分違う物でしたね。
…結論から言いますと、彼は私を置いて逃げて行きました。時間稼ぎをしろと言い残して。
それからは、私はあそこに立つ人間を試す事にしたんです。”
良くある話とでも言わんばかりに、リテはへにゃへにゃと笑う。
もう何年も前の話で、リテ自身も半ば笑い話の様に扱っているが、
「まあ…裏切られたのですね…」
キエラは、リテのそんな話に涙を流した。
「…ああごめんなさい!つい…」
人の悲しみに寄り添い共に涙を流すその様は、正に敬虔な聖女そのものである。
もしもティーミスを連れて来なければキエラは、神格化される程の名高い主教としてその名を馳せただろう。
否、キエラが故郷を失ったのは、そんなキエラの性格故であるが。
「…あ、もうこんな時間!」
キエラはクローゼットに駆け出し、大きめの袋を担ぎ出す。
“今夜何か御予定があるのですか?”
「ええ。これから出勤です。」
“出勤?まあ、キエラさんは働いているのですか。それは…ん?”
リテは窓の外を眺める。
既に夕日はその顔を隠し、空には一枚づつ夜の帳が降りている。
リテの知っている出勤の時間とキエラのそれとでは。大きなズレが生じていた。
「…リテさんはどうしますか?」
“召喚獣たるもの、主人の護衛は基本でございます。夜の外出ならば尚更です。”
リテはそう告げると、部屋の隅に置いてあった外骨格の中に身を納める。
キエラが例えどんな低俗な役に身を浸していようとも、リテの主人で、神族の末裔である事には変わり無い。
「あ、そうだ。リテさん。」
“はい。”
「その、少し手伝って欲しい事があるんです。」
“はい。…?”