信徒
木面の獣に睨まれた瞬間、キエラの脳裏に、いつか読んだ一冊の本のページが思い出される。
召喚獣との契約の殆どが、召喚獣に己を示し、実力を認めさせる事で成立する物である。
教会に居た頃は数える程しか国の外に出た事の無いキエラには、生憎戦闘スキルが無い。
“コロ…カラカラカラカラカラカラ!”
木琴を連打する様な音が四足獣から鳴り響く。
周囲を飛び交っていた光虫は、何かに追われた様に急にその場から散り去って行く。
後に残ったのは、剣の一本くらい携帯すれば良かったと後悔するキエラのみだ。
四足獣が青い炎を帯び、キエラに向かって突進を始める。
キエラは突進を躱そうとして、それに気付き、かなり不自然なステップによってその突進を回避する。
キエラに躱された事を知覚した瞬間、その木製の獣は急停止する。
“…コロコロ…”
先程とは打って変わって穏やかな足取りで、キエラの方へとそっと歩み寄りこうべを垂れ、キエラの足元の花に擦り寄る。
キエラの足元には、ツンと咲く一輪の桃色の花がある。
キエラは半ば無意識に、この花を踏まぬ様に獣の突進を回避したのだ。
“…曰くこの世界は、いつかどこかで生まれる誰か一人の為だけに存在すると言います。皆、自分がその誰かであると思い込み、いえ、思わざる終えないのです。人が自己中心的な思想を持っているのも、自然な事なのです。”
「…?」
木製の四足獣から発せられた声は、先程の様な木琴の音では無く優しい女性の声だった。
“私は今まで、それが怖かったのです。差し伸べられた手を取る事が出来無かったのです。
…そして今日、貴女に出会いました。例えこれが偶然だとしても、私はそれを運命と呼びます。”
四足獣の胴体に覆い被さっている布が持ち上がり、獣の背から蓋の様なものが持ち上がる。
白く美しい手が獣の背から伸び、木面の獣がその本身を外界に晒す。
“初めまして。私の名前は、リテアンリエル。種族は《信仰束ねのカトプレパス》です。気軽にリテとでも呼んで下さいね。パートナー。”
胸と腰にそれぞれ草布一枚だけを巻いた、銀髪銀目のエルフの女性、否、エルフの女性に見える存在。
それが、この木面の獣の本体である。
「私に戦える力があるか分かりませんけど、絶対に勝って…え?パートナー?」
“貴女は私に勇気を下さいました。貴女のお陰で、私は貴女の世界が見てみたいと思えました。”
リテはキエラに向かってその白魚の様な手を伸ばすが、キエラはたじろいでしまう。
あまりにも突然の事で、理解が追いついて居ないのだ。
“…やはり、私では不満ですか…
仕方ありません。貴女の様な高貴なお方に、私の様な低俗な精霊では釣り合いが取れませんよね…”
リテは少ししょげた様に肩を落とすと、カトプレパスの外骨格へと戻ろうとする。
“私は、貴女のお姿を見れただけで充分幸運なカトプレパスで御座います。願わくば、貴女に相応しき相方が見つかり…”
キエラは、咄嗟に背伸びをしてリテの手を取る。
「よろしくお願いします!召喚獣様!」
突如、リテの鎖骨の間とキエラの右手の手の甲に、お揃いの輝く魔法陣が浮かび上がる。
互いの意思が共鳴した瞬間、契約が成立するのだ。
“!…良いのですか?私なんかと…”
「貴女が良いんです!貴女しか居ません!」
戦わずして契約を結ぶ素っ頓狂な召喚獣などそうそう居ない。
自力では戦う力の無いキエラ。リテを逃せば、次の契約がいつになるとも知れなかったのだ。
「むしろ、申し訳御座いません…わたくしなんかの為に…」
“神種族の末裔様が何を仰いますか。召喚獣となる者にとって、これほど光栄な事もありませんよ。”
リテは再びその身を外に出すと、何も無い森の方へと呼びかける様に声を張る。
“私は少し長い間。遠出をする事になりました。皆さんに、森の事は頼みましたよ。
もしかすれば向こうで天寿を全うし、もう戻っては来れないかも知れません。ですが、寂しがらなくても結構です。仮にそうなったとしても、私は空の上から、いつだって貴方達を見守って居ますからね。”
リテは少しの間森の方を眺めると、やがて安心した様に笑顔を零し再びキエラの方を向く。
“では、そろそろ行きましょう。”
「本当に良いんですか?だって貴女、凄く偉いお方なんじゃ…」
リテは、その身をカトプレパスの外骨格に完全に収める。
“貴女様に比べればどうと言う事もありませんよ。パートナー。これから、よろしくお願いしますね。”
リテには、神種族の血を引く者は高貴な存在であると言う先入感があった。
否、仮にキエラが普通の人間だとしても、リテの選択は変わらなかったが。
キエラが最初に現れた場所に、天まで続く光の柱が出現する。
それは、数億年の間起動の日を待ち続けて居た、一度きりの設置型帰還用魔法だった。
誓約の石群が、フラッシュの様に一瞬だけ光を放つ。
「!?」
石群の石の一つに寄りかかりキエラを待っていたプラは、慌てて立ち上がる。
召喚獣の中には手加減を知らない者も居る。
もしもキエラが重傷などを負っていたら一大事だ。
「…凄い…これが転移魔法!?」
“驚きました…まだ起動して居たのですね。やはりあの方らしい、随分と頑丈な作りですね。”
先程まで何も無かった石群の中心には、奇天烈な四足歩行動物を連れて帰ってきたキエラが立っている。
10体いれば10通りの容姿、性質を持つ召喚獣には原則として、種族名は定められてい無い。
「…!上手く契約出来たんですね!はぁ…武器も持たずに入って行ったから心配で…」
「ごめんなさい…事前にちゃんと言っておくべきでしたね。」
「いえいえ。ちゃんとお怪我も無さそうで、そんな強そうなモンスターに認められたのですから。それも…武器も装備も無しで…」
いくら格闘職と言えど、戦闘の際は、普通は最低限身を守れる程度の防具は必要である。
更に言えば、キエラは騎士でも冒険者でも無く、おおよそ一介のダンサーでしか無い。
(キエラちゃん、実は凄く強いんじゃ…)
実際には、キエラはリテとは戦っては居ない。
キエラの持っている先天性のスキルと言えば、『召喚契約の才』と『カリスマ性+10%』のみ。
とても無装備で戦えるラインナップでは無い故、もしもリテがもう少し好戦的であれば、キエラは今頃満身創痍だったであろう。
「お!帰ってきたみたいだぞ!」
「なんじゃあの奇天烈な生物は。」
蹄の音を響かせながら、リテは何も言わずにキエラに追従する。
召喚契約と言うものは、必ずしも自身の戦力増強の為の物では無い。
エヴォーカーと召喚獣は、夫婦とも親友とも違う、互いの生のパートナーであるのだ。
「これは…木の彫刻かい?また凄いのを連れてきたね…」
「…うーん…」
故にキエラは、この小恥ずかしさには慣れなければいけない。
少なくとも、リテが外角から出て素の体で生活する様になるまでは。
群衆の中に一人、舌打ちを鳴らす者が居る。
「少々厄介だな…クソ、あの時、多少の無理してでも仕留めとけば…
…必ず、お前の首で我々の革命を完成させてやる…イスラフィル…」
〜〜〜
とある小さな村にある、石造りの立派な教会にシスターが1人。
日課である《守護の祈り》を捧げる為、彼女は今日も一人、礼拝堂の中心で、彼女の名字が出来る前からそこにあるレリーフに向かって跪いている。
シスターの頰には冷や汗が光る。
呼吸が荒い。
その鼓動は、焦燥によって加速する。
かれこれ半日は此処に座っているが、どうにも祈りが上手く行かない。
痺れを切らしたシスターは、半日振りにそこから立ち上がる。
体は軋み足がビリビリと痺れるが、構わず教会の物置へと早足で向かう。
もう何年間も人の手が入って居ない倉庫は、あちこちで物が倒壊し、決して綺麗とは言えぬ状態だった。
が、シスターはそれでもめげずに、何かに駆り立てられる様に物漁りに励み、目当ての物を見つけて行く。
『魂の聖典』に『心媒の霊蝋燭』、『魔法陣絨毯』も忘れずに。
先ずは、金色の刺繍で魔法陣のあしらわれた、赤い絨毯を床に広げる。
合計6本の赤い蝋燭を、魔法陣の所定の位置へ。
そして最後に、自身の正面に、専用の見書台で固定した聖典を置く。
足がまだ痺れていたシスターは、魔法陣の真ん中であぐらをかき、両膝に手を置き目を閉じる。
緊張で荒ぶる呼吸を沈め、持ち前の集中力によって瞑想状態に入る。
周囲に立つ蝋燭に独りでに青色の炎が灯り、聖典のページは風も無しにパラパラと捲れ始める。
魔法陣から淡い光が放たれ、シスターの意識はやがて、捧げた祈りの届く筈の場所へと至る。
(術式が成功した…ではやっぱり、私の問題では無かったのですね。)
安堵に浸る精神体のシスターだったが、その眼を開いた瞬間、そんな思考は跡形も無く消し飛ぶ。
「…うわ!?」
眼下に広がっていたのは、穏やかな天国の風景などでは無かった。
「地獄の亡者共に、神の箱庭を汚させてなるものか!」
「罪無き魂達の為…穢れ無き神の子らの為…此処は絶対に通さない!」
そこは、神の加護の宿った武器を構え戦う天使と、
「これが、たかだか生前の罪如きで永劫の苦しみを強いられた者達の怒りだ!者共!最早奴らに慈悲は要らん!目に入る輝ける者は全て殺せ!」
「良いねえ…此処は明るくて快適だなぁ!」
生前から身に付け死後も離れる事の無かった己が得物によって戦う有象無象の亡者達による戦場であった。
(これは…一体何が…)
突然、シスターの本当の体の耳元で爆音が鳴り響く。
瞑想状態が切れたシスターは、強制的に元の肉体に戻される。
“ニンゲン…”
“ウマソウナ…ニンゲン…”
教会の壁をぶち破り、モンスターオーガの群れが教会の中に侵入している。
半日もの間結界が無かったが為に、今や村中がモンスターだらけだ。
「…ひっ!だ…誰か…!」
シスターは魔導設備もそのままに、一目散に教会から飛び出す。
既に騒乱は村中に広がっており、シスターは四面楚歌状態だ。
“グルル…ガウガウ!”
「ひぃ!?」
人の匂いを嗅ぎつけたフォレストウルフ達が、シスターに向けて疾走する。
シスターは不意に手を翳し《加護の矢》を放とうとするが、何も起こらない。
「そんな…嫌ぁ!」
狼の一匹がシスターに飛び付き、すぐさまその二の腕を喰いちぎり始める。
「いやああああ!誰かあ!誰か助け…」
その時、シスターは聞いてしまう。
「おい!あそこに人が!助けに…」
「待て。あんなペテン師より、西側の逃げ遅れた連中を助けるぞ。」
ペテン師。
それが、このシスターが短い生涯の最期に得た称号だった。
(…ペテン…師…?)
毎日毎日村人からいたずらに寄付を募り、肝心な時には何の役にも立たない名前だけのシスター。
先祖代々続く家業を嫌々継いで、少々サボりがちでは合ったものの毎日の祈りは欠かさず行ったシスター。
「…はは…あははははははははは!」
狼に血肉を食い千切られ続けながら、シスターは狂い笑う。
私欲を捨て険しい毎日を送ってきたものの、結局何の意味も無かった。
実にしょうも無い人生だった。何の意味も、誰の何の役にも立たない人生だった。
そう思えば、清々しかった。
ブチリと、シスターの頸動脈が千切られる。
シスターの死に様は実に惨たらしかったが、その死に顔は、実にも幸せそうだった。