第20話 スケルトンさんは、夢をみる
その日の夜、俺は夢を見た。
そこは薄暗い森の中ではなく、窓から明るい日差しが射し込む暖かな部屋の中だった。
オーク材の優しい木の香りと、インクの臭いがひどく懐かしい。
俺は羊皮紙に筆を走らせ、何やら複雑な模様を描いていた。
筆を持つその手は骨ではなく、肉と皮で覆われた人間のものだ。
しばらくかけて美しい魔法陣を描き終えた俺は満足気に吐息を漏らすと、椅子に腰掛けたまま大きく伸びをする。
うむ、我ながら良い出来だ。
これで、後は妻が魔法を封じ込めてくれれば、完成だな。
俺がそんなことを考えていると、部屋の扉がノックされ、静かに開いた。
「あなた、そろそろタルツィアに出発する時間でしょ?…て、あら、あなたったら、仕事してたの?」
そう言いながら現れたのは、まごうことなく俺の妻だった。
栗毛色の波打つ髪と、大きな緑の瞳。
そばかすが愛らしい、俺の愛する妻だ。
そうだ、君だ!
会いたかった!
とても、会いたかったよ!
心の中で必死に妻を叫ぶ俺とは異なり、人間の俺は今しがた描き終えた魔法陣を得意気に妻に見せる。
「見てくれ!君が得意な炎魔法の魔法陣、ようやく描けるようになったんだ。これで、魔法屋もだいぶ品揃えが充実してきたぞ!」
褒めて褒めてと胸を張ってみせる俺を、妻は優しい笑顔を浮かべながら見つめた。
そして、いつもそうしていとくれたように、鳥の巣ようにもさもさとした俺の頭を撫でてくれる。
「もう、あなたったら。もうすぐパパさんになるのに、そんなに私に甘えてばかりいたらダメでしょ?」
そう注意してするものの、彼女が俺を見つめる瞳は温かなままだった。
そうだよな。
これから子供が産まれるんだ。
立派な父親になれるように、家族が安心して暮らしていけるように、俺ももっとしっかりしないとな。
しっかり者の妻を少しは見習わなくては。
俺は妻の少し大きくなったお腹にそっと手を当てる。
そっかぁ。
もう、この中には大切な命が宿っているんなぁ。
「よし、お父さん、二人と離れるのは少し寂しいけど、たーくさん巻物売ってくるぞー!」
「はいはい、頑張って来てね。馬車の用意は整えておいたわよ」
「えっ?そんな身体で?」
「あら、貴方がずっと部屋に引きこもってるから、この私が準備してあげたのよ?」
「う…、それは、ごめん…」
だって、早く新しいスクロールを完成させたかったんだ…。
「いいの。お医者様も、軽く動いた方がいいっておっしゃっていたし。ずっと家の中にいても退屈だったから」
かなわないなぁ。
大好きだなぁ。
そうだ。
彼女はずっと冒険者をしていたから、家の中でのんびりしていることなんて、今まであまりなかったんだよな。
外が大好きな妻。
冒険が大好きな妻。
そんな彼女を家に一人残していくのは少し可哀想だけれど、代わりに沢山土産話を持って帰ろう。
俺は俺にできることを精一杯頑張って、少しで彼女を安心させてあげなければ。
だって彼女は、ずっと一人で生きてきた俺にとって、この世でただ一人の大切な大切な家族なのだから。
「頑張ってね、あなた」
ぼやけていく視界の中で妻が笑顔で言う。
「あなたならきっと大丈夫。だって、今は貴方には沢山の支えてくれる仲間がいるんだもの」
「え?」
ああ、そうか。
これは夢だったんだっけ。
もう決して戻ることのない、優しい思い出の世界。
ありがとう。
君のおかげで、あきらめずに食らいついていけそうだ。
あ、でも、今度はちょこまか走れるくらいになった娘と一緒にでてきてくれると、もっと嬉しいんだけどなぁ。
なんて、それは贅沢すぎる願いか。
やがて、愛する妻の姿は完全に見えなくなり、俺一人がただ白い世界へと取り残された。
なるほど。
【ナビゲーター】が「はよ、寝ろ」言ってた理由はこれか。
夢は記憶を整理する手段ともいうし、こうして過去の引き出しを開けていくこともできるってことだな。
まぁ、【ナビゲーター】には感謝だ。
これであの魔樹に立ち向かえる力を手に入れることができたんだから。
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次の日の朝。
起きるのが遅い俺は、案の定、野ざらしの死体と化していたらしく、一同に大変驚かれ叱られた。
何故か、野ざらし死体状態の俺を一度見たことのあるはずの、レイローとカラが一番騒いでいたんですけど…。
解せぬ。
まぁ、全く心配されないよりはいいのか。
朝のひと騒動が終わり、みんなで朝食を囲む。
今日でオブ=シディとアン=シディはしばらくお別れだ。
旅立つ父親や仲間のために、シェフ、アン=シディが朝食を少しだけ豪華にしてくれた。
一人一つずつ、集落で大切に保管していたカスタネアの実の蜂蜜漬けを分けてくれた。
因みにカスタネアとは、皆さんの世界でいう栗の木のことです。
岩塩で味付けしたローグガルムの肉の蒸し焼きとポムの実のジュース、そして、カスタネアの実の蜂蜜漬け。
贅沢な朝食で腹を満たしたところで、俺は立ち上がった。
「みんな、聞いてほしいことがある」
「なんですか?」
カラが一同を代表して尋ねてくれたので、大きく頷いてみせる。
「昨日、オレは嫁の顔を思い出した!やっぱりすっごくかわいかった!」
「ノロケか!ふざけんな!」
何が気に入らなかったのか、勢いよく音を立てて椅子から立ち上がったヨウに怒鳴られてしまった。
なんだよ、祝ってくれよ。
薄情な奴め。
「良かったね!アルヴィンおじさん!」
な?普通はそういう反応だよなぁ。
アン=シディの満面な笑顔に癒されながら、俺は一同にに向き直る。
「そして、ついでに俺の生前の職業も思い出した。これであの魔樹になりかけた大樹に勝てるぞ!」
「にゃー」
おお、レイローが尻尾をピンと立てて鳴いている。
目も輝いてるし、なんだか嬉しそうだ。
そうだよな。
ピンネさんの頼み事は俺達の力で叶えてやりたいよな。
「アルヴィンさんのご職業とは一体どのようなものだったのですか?」
よくぞ聞いてくれたネシリ。
これでまた少し生存確率は上がったと言っても過言でもないぜ。
「俺は妻と一緒に魔法屋をしていたんだ。俺は巻物職人で、妻が元冒険者の魔法使だった。妻の魔法を俺が巻物に封印して商品として売っていたみたいだ」
「なるほど。巻物職人だったんですね。それでレイローちゃんの火魔法を大量の巻物に封じ込め、大樹に貼り付け一気に発動させて体力を削り取る。とまあ、そういう作戦ですね?」
察し良すぎ。
ネシリ、やっぱり頭いいな。
こいつは一聞いて十理解する男だ。
眼鏡を押し上げながら、ふむ、と首を傾げたネシリは俺に視線を投げかける。
「しかし、そうするといくつか気になる点があるのですが、うかがっても?」
うむ、お前がそう言ってくるのは分かっていた。
「いいぜ。遠慮なくきいてくれ」
「では、失礼して」
そう言うとネシリは立ち上がった。
そして、ビシ、と俺に指を突きつける。
え?そういう感じ?
なんか、すっごく法廷っぽい…。
「巻物の紙はどのように用意されるおつもりですか?巻物は低級魔法で最低50cmは必要ですよね。それを書く手段。そして、一枚書き上げる手間。とても容易な道のりではなさそうですが、その点はどのようにお考えですか?」
うんうん。
実に的を得たいい質問だ。
基本、スクロールというものは名前の通り、長い巻物状の紙に魔法を施行すると過程を、一つの式として書き記していくものだ。
俺もそういうタイプの巻物は取り扱っていた。
頭を使わなくとも、書きさえすればいいからな。
作るのは楽だ。
しかし、式を書く方法だと必要な紙の量は多くなりコストが高くつく。
それに持ち運びも不便で、できるだけ軽装でいたい冒険者にとっては扱いづらい。
というわけで、巻物職人の中でも絵心のあるヤツらが考えついた新たな方法。
それが──
「俺の巻物は魔法陣型だ。ホオの葉一枚あれば十分足りるのさ」
そう。
絵心のあるヤツらはひらめいたのだ。
長々と書き綴らなければ式をもっとコンパクトに簡潔に描くという、魔法陣という技術を。
絵心あってよかった…。
「後はお前らが戻ってくるまで、どのくらいの量の巻物が作れるのか、だよな。一枚一枚手描きとなると、巻物一枚につき一時間はかかる。これじゃあ、いくら徹夜したって大樹を燃やすことなんかできない」
「では、どうやって、おびただしい量の巻物を用意すると?」
「木に彫るんだよ」
「……え?」
「あ、木って、大樹じゃなくて木片のことな。木片に彫った魔法陣に墨を塗って、葉っぱにペタッと押してやれば、簡単に大量生産できるだろ?」
「うわ、ズルい。それでもアンタ、職人なわけ?」
「別にズルくないですー。そういう技法もあるんですー」
写りにムラが生じてしまうと、魔法の威力や効果に差が出るので、大半の職人は嫌う技法だが、今は差だとか何とか言ってる場合ではない。
確かに高度な魔法の巻物をスタンプ技法で作った場合には、わずかに写りが悪い箇所があるだけで、誤作動による暴発などの大惨事を引き起こす恐れがある。
だが、レイローの火魔法なら複雑な模様にはならないし、そこまでの危険はないはずだ。
俺の反撃にネシリは悔しそうに歯を食いしばりながら、眼鏡を押し上げる。
え?
そんな演出いる?
え?
俺もそんな感じにした方がいいの?
「く…っ、しかし、まだですよ!問題はもう一つあります」
なんなの、このやりとり。
いや、疑問が解決するならそれでいいんだけど…。
「大量の巻物が作成可能であることは分かりました。ですが、スクロールは発動時に、その魔法を発動する際と同じ量のMPが必要となるはず。我々が発動できる巻物の量では、HP:10000には到底及ばないでしょう。貴方は大量の巻物を発動するための魔力を一体どこから捻出するつもりですか?」
再びビシッと俺に指を突き付けるネシリ。
だが、俺は追い詰められたりはしないぜ。
「魔力は用意できる」
「な、なにっ?」
「俺達にはムカデの魔石があるからな!」
「ま、魔石……だと?」
ネシリ…、お前、役者だな。
なんて迫真の演技なんだ。
まあ、いいや。
それでは説明しよう!
魔石とは魔力の結晶のことである。
魔石は日常生活用品から大きな機械まで、あらゆる動力の燃料として用いられている、人間の生活にはなくてはならない存在だ。
長い間、冒険者達の収入源であったが、かれこれ100年程前、魔力を多く含むハッカ草という薬草から、ハッカ脳という魔力結晶が抽出されるようになった。
そして、ハッカ脳がハッカ草由来の魔石として市場に流通され始めてからは、魔物由来の魔石の価格が大暴落した。
そのため、冒険者達が魔物から魔石をわざわざ抜き取ることはなくなっていった。
何しろ、ハッカ草から抽出される魔石は、魔物から採れる魔石よりも燃費の良い燃料になる上、そこらの雑草よりも強い植物なのだ。
大量生産可能な安定したエネルギー資源、ハッカ脳こと、ハッカ魔石が主流となって久しい現在、魔物の持つ魔石の存在が忘れ去られてしまうなど、なんらおかしくはない。
「ハッカ魔石よりは劣るが、魔物が宿す魔石だって立派な魔力源だ。魔法陣を発動させることくらい、わけのないこと!どうだ?これならお前らが他の冒険者を引き連れて帰ってくるまで、こちらの人員だけで大樹は跡形もなく燃やすことだってできるぜ?」
決まった…っ!
突きつけた指の先で、ネシリががっくりと項垂れる。
「参りました。あの大樹を魔樹化させることなく倒すことのできる冒険者が、タルツィアにいるのか分からない状況下では、より確実で信頼できる策を提案されたアルヴィンさんにお任せするのが、我々にとっても賢明に思えます」
すると、ネシリに続き、様子を見守っていたテイとヨウ頷いてくれた。
「それに、下手に冒険者ギルドに依頼したら、実力を見誤ったバカが魔樹に覚醒させて逃げ帰ってきそうだよね」
「一発でHP10000を一気に削れるの火力を持ったパーティなんか、タルツィアにはいないんじゃない?そしたら、他の街や王都に依頼することになるでしょ?そんなちんたら連中を待ってるくらいなら、アタシはアルに協力するけど?」
そう言った後、ヨウはニヤ、と白い歯を見せながら片方の口端をつり上げた。
「だって、なんかそっちの方が面白そうじゃん」
お前もイキイキしてきたなぁ。
そこへ、隣に座っていたレイローが、俺の骨盤をちょんちょんとタッチしてきた。
ああ、そうだ。
レイローにはこれから頑張ってもらわなきゃな。
「レイロー、今回の作戦はお前の魔法に全てがかかってるんだ。魔法陣の作成に協力してくれるか?」
「にゃあん」
はあ、かわいい。
じゃねぇや。
「ありがとな。レイロー」
任せろとばかりに、フスフス鼻を鳴らして意気込んでいるレイローを撫でていると、オブ=シディからも声がかかる。
「俺達もアルヴィンの計画に文句はねぇ。強い冒険者にこの辺りをうろつかれるとヒヤヒヤするからな。それから、俺が留守の間、娘をよろしく頼んだぜ」
「私もお役に立てるように、頑張ります!」
「僕も全力でサポート頑張りますよ、アルヴィン様!」
「ありがとな。みんな」
よかった。
みんな、大樹を俺の作戦に賛同してくれた。
後は実行あるのみだな!
「じゃ、これより留守番組は大樹を燃やす準備を開始する!」
HP:10000のカスタネアの大樹への挑戦の幕開けだ。