09 神官・エレオノーラ
教会に空いている神官を求めに行くということに一番に反応したのはアリアリアだった。
難しい顔を浮かべると、そのまま手を振って「ごめん」と最初に付け加えた。
「あたしはパス。……ああいう場所は水が合わないの」
「いいよ。元々俺一人で探しに行くつもりだったから」
神妙な顔で告げる少女に俺は首を横に振る。教会に着いてくるよりも同時並行してやってほしいことがあるからだ。
現状足りないのは前衛と神官だ。神官はこちらで探すからアリアリアたちに片手間程度に探してもらうにしておいて、前衛不足はこの酒場で探してもらうほうがよほど効率がいい。
いくらいい神官がパーティに入っても、その神官が傷ついてしまえば回復の手は遅れてしまう。
神官のシヌーンが一番最初に死んだことが、スケルトン・キャスパードと出遭ったときに難儀したところだ。回復が足りていればもうちょっと安全に攻略できた……かもしれない。皮算用というか、仮定の話でしかないのだけれど。
「戦士、騎士……。とりあえず前線で戦えるのをそっちで見繕ってくれ。破産しない程度に」
「おいおい、オレも連れて行ってくれよ。何のために教会に行くんだよ」
レイストフがそりゃないぜとばかりに残念そうな顔をする。しかしアリアリアは容赦なく言葉を連ねる。
「そのぎらついた言動が駄目なのよ。あんたはあたしと一緒に前衛探し」
たしかにこの状態で相手にしてくれるのは色街の女たちくらいなものだろう。女をひっかけるのが上手な冒険者もいたが、飢えた様子を見せなかったものだ。
ジト目でレイストフを見つめる少女。レイストフは口をとがらせて不満を表す。
こういうところはまだ二人とも子供らしさが残っている。レイストフも年のころは十八くらいだろう。大人だけどまだ大人になりきれていない。俺だってそうだ。
だからこそふとした調子にうっかり取り返しのつかない失敗をやらかしてしまう。
「おいおいおい、美少女が欲しいって言ったのはアリアリアだろ」
「別に美少女とは一言も言ってないけど」
「ちんちくりんだけじゃなあ」
とレイストフがこぼした瞬間。アリアリアの蹴りがレイストフのみぞおちに刺さる。
うわあ、と口から声がこぼれてしまうほどに上手く決まった。
「蹴るわよ」
「蹴ってから言うなよ!」
まあ、レイストフが悪い。アリアリアも手加減はしているけれど、やはりどこか腹に据えかねる部分はあるのかきっちりと急所を狙っている。
喧嘩に発展するようなら止めなければいけないが、そうでもなさそうだ。
ちょっとしたじゃれあいみたいなものだ。レイストフがさしてダメージを受けていないことから明らかだ。
観念したのかレイストフはしっしとこちらを手で払い、アリアリアにデコピンをする。
デコピンをやり返すアリアリア。
「まー、とりあえず行ってこい、イリアス。オレたちは前衛探しておくから」
「ああ、ありがとう。任せてくれ、美少女連れてくるから」
はあ、とアリアリアのため息が聞こえた。
男ってみんなそう、なんていいそうなものだった。
◆
レグナンスの中心広場に教会はある。迷宮の近くにあるのはいざと言う時に治療が施せるまでの時間を短縮するためでもある。そして高位の神官は欠損部位の復活もできるのでそういった神官は需要がかなりあるのだ。
巨大な建物だった。石造建築のそれは静謐さと暖かさを兼ね備えている。威圧感は神威を思わせる。
「……落ちつけ。こんな時ニーナならどうした……?」
ニーナなら……躊躇なく扉を叩いて人を呼び出すだろう。そこから話を続けて、気が付いたら偉い人と話して期間限定で雇用をするのだ。
そう考えると彼女はなんでもできる人間だった。羨ましいという気持ちはあるが、その能力は自分にないことを自覚しないといけない。
まずはそこからだ。
深呼吸。手を握っては放す。
それを何度か繰り返し、ようやく決心したところでポン、と肩を叩かれる。
「うわあっ!?」
びくんとすくみ上がると、そのまま後ろによろめいて硬い何かに背中をぶつける。
人の身体だと遅まきながらに理解する。
俺は翻って、ぶつかった人を見やる。白髪交じりの壮年の男の人だった。
自分より頭一つ分は上背があり、なにより鍛えぬいた身体を持っている。
筋骨隆々とした身体と打って変わって、身にまとうのはカソック――聖職者のゆったりとした衣服だ。
まじまじと見つめていたことに気付き、俺は慌てて頭を下げる。
「すみません、ぶつかってしまって」
「気にすることはないよ。なにかお困りのようですし、話を伺いましょうか? ああ、私はレゾン。しがない司祭さ」
「ご丁寧に……。俺はイリアスといいます。……その、神聖術を使えて迷宮に潜れる人を探しているんです」
レゾンさんは短く刈り揃えた髭をさする。
やはり急なお願いだったから、不快に思われているのだろう。こんなミス、ニーナなら犯さなかったはずなのに。
もっと上手くやれるようにならなければ。
しばしレゾンさんは思案に暮れたあと、不承不承ながら言葉を紡ぐ。
「居ますよ、かなりの使い手が」
「本当ですか!?」
だとしたらこれはチャンスだ。袖にされる可能性が高いけれど、なにもやらないよりかはマシだろう。
しかし、壮年の男、レゾンさんの顔は渋い。
「ただ、かなり気難しく……」
「……他の方は?」
パーティの輪を乱すような人物であれば入れることは不利益に繋がる。いくら使い手がよくても、そこは譲ってはいけない。
なにしろ命を預け合う仲間なのだから。
だが、レゾンは顔を横に振る。
「彼女だけです」
つい、唸ってしまう。
そもそも勧誘に成功できるのか。勧誘に成功してもその後良好な関係を続けられるのか。
それでもアリアリアとレイストフの二人に神官を連れてくると言った手前、手ぶらでは帰られない。
熟考ののち、頷く。
「……会わせてください」
「ええ、ええ。では着いてきてください」
精悍な顔つきからは想像しがたい朗らかな笑顔を浮かべ、レゾンさんは頷く。
ゆったりとした修道士の服からは分かりづらいが、歩調があまりにも整っている。間違いなく使い手のそれである。
もしかしたらレゾンさんも昔は冒険者だったのかもしれない。詮索してもどうしようもないことではあるけれど。
教会の大きな扉をくぐり、鋭角の光の洗礼を受ける。ステンドグラスから漏れる太陽の光だ。
眩しさに目を細めるとレゾンさんが朗らかに笑う。
「この時間は眩しいでしょう? 中天に達する頃には皆さんそうやって目をすぼめるんですよ」
「神の威光ってものがあったら、これより凄いんですかね」
なんとなく発した言葉。だがレゾンさんはそれを一蹴することなく丁寧に拾っていく。
「どうでしょうね。私としては皆が目を開けられるような優しさがあると思いますよ」
「……そうだと嬉しいですね」
眩しすぎる光は、俺にとってはとてもつらいもので。
圧倒的な才覚の近くに居すぎたからか、強い存在というものが少し苦手になっている節がある。
だからレゾンさんの言うような優しい神様だったら心落ち着けるのだろう。
「ここ最近は行方不明の冒険者が増えていて、バタついていますがお気になさらず」
たしかに修道士たちはせわしなく動いている。書類の束や薬剤を抱えて一つの潮流のように流れていっている。
正直な話、こういう人たちが苦手だ。
有能な人を見ていると自分が何もできないことを自覚させられるから。
今でもそれは変わらず、どこか引け目のようなものを感じてしまう。
自分の全力を出し切って何かを得ている人たちというのは憧れで、手の届かないものだ。
でも今の俺には〈ゼロ〉がある。スキルを持つ者に勝つことでスキルを得られる力が。
日が差すステンドグラスをじっと見つめ、そして強く拳を握る。
レゾンさんはこちらを見つめて首をかしげる。
「どうかしましたか?」
「いえ、ここの教会は立派だなと思いまして」
「ここは大迷宮のおひざ元ですからね。素材も職人も自然と集まってくるんです。さすがに法国のそれと比べると失礼にあたりますが」
ははは、とレゾンさんは笑う。自慢の色は見えず、単純に事実を述べているように見えるのは彼の人柄だろう。
歩を進めながら俺はレゾンさんに訊ねる。
「法国はもっと凄いのですか? ……これよりも?」
「ええ、エイレーン教の総本山ですからね。さすがに規模が違います」
エイレーン教はこの大陸で最高位の信者数を誇る宗教で、ほとんどの国が教義は違えどエイレーン教を国教としている。
聖女を教主としてその補佐として数人の枢機卿を擁する……簡単に言ってしまえば世界一強い宗教だ。
この教会もエイレーン教のものだ。レグナンス王国はエイレーン教を国教としているので。
「……一度見てみればよかったな」
「いつか行ってみるといいですよ。教義に興味はなくとも、芸術品としてもすぐれていますので」
さて、と言ってレゾンさんは扉の鍵を開け、通路を進み、そして階段を上がっていく。
どうやら外部者立ち入り禁止の区域のようだ。問題ないだろうとはいえ、外部者の自分が立ち入っていいのかは少し気になってしまう。
それでもついていくのだけれど。
軋まない木の階段を上り、上り、そして上る。
一体どこまで上るのかと思っていたところで、レゾンさんは言う。
「さあ、着きましたよ。最上階。書庫です」
「……こんなところに?」
「ええ、こんなところにです。あの方……あの人は気難しい人ですが、気に入られれば優しくしてもらえますので」
「気に入られなかったら……?」
恐る恐る訊いてみると、レゾンさんは呵々と笑う。
「そりゃあまあ、追い出されるでしょうな。自分の時間を割かせたことに対して何かやられるかもしれませんし」
「……ここまで来て帰るのは」
「もちろん構いませんよ。ですが――貴方がたが目指す先というのはこの程度でへし折れるものなのですか?」
挑発的な言葉。わざとやる気を上げさせているというのは分かる。
けど――。だからこそ、これは応えなければならない。
俺はレゾンさんを鼻で笑う。
「俺は最深部まで進むんです。こんなところでつまずいてられないですよ」
自身を鼓舞するように言葉を飛ばすと、自然と口が吊り上がっていく。
思い出すのは〈肉切り〉キャスパードと戦った時。
恐ろしさが支配する最中、どこかこの窮地を待っていた自分がいたような気がするのだ。
恐怖、諦観、絶望。降りかかる負に打ち勝たなければならない。
一度逃げたからこそ、もう逃げたくはなかった。
レゾンはこちらを見て優しく微笑むと黒檀の扉をノックし、開ける。
そこに広がるのは本棚の列。壁、そして床に列をなして大量の本棚と本が並べられている。
そしてその最奥にあるのは椅子と机。
そこに腰かけるは一人の女性。
こちらに気付いたのか、彼女はくるりと回転してこちらを見つめる。
白い法衣に身を包んだ、白皙の美女がそこには居た。
これまで出会ったどんな人よりも美しい、被造物めいた美を体現している人。
あまりの美しさに現実感が麻痺して怖気が走るほどに。
たまご型の輪郭は細く柔らかい筆で描かれたよう。
鼻梁はすっきりと通っていて見た人の網膜に焼き付くようで。
腰まで伸ばした銀髪は側頭部で束ねている。銀糸を思わせる細さだ。
瞳は猫を思わせる黄金で、知性を讃えた光がこちらを見抜く。
体躯は細く、そして身長は俺の頭半分ほどの高さ。
女の人にしては大きいと思う。
しかしそれでも儚さがあるように見えるのはかもし出している厭世感のせいか。
神官服を身にまとった女の人はこちらを見るなり口角を吊り上げる。
まるでイタズラ小僧のそれ。
「ようこそ、ボクの、エレオノーラの書架へ。――キミは一体何を求めてここまで来たんだい?」
さあ、かけたまえ、とエレオノーラさんは言った。
手持ちが切れたのでゆっくり更新になります。